桃太郎ともう一つの旅立ち
むつから過去の話を聞かされたのは、この宿に泊まってから五日が経とうとした頃だった。
太郎とケルベロスは村のために壊れた家を修理し、無常に放置されている山道を整備し壊れた橋を架けなおした。いなくなったものは戻らないかもしれないが、新しい旅人や商人でこの村が賑わえばいいと願いを込めて太郎は自らこの労働に願い出たのである。
「太郎さま! お昼の握り飯をお持ちしました!」
むつはあの日から太郎の傍を子犬のようについて来た。周りの女達もそんなむつの姿を見て優しく微笑むのだった。彼女にはもう、共に苦しみを歩んだ『家族』が出来たのだ。
「ありがっとう! むつも一緒に食べよう」
「はい!」
太郎は屋根の修理を一旦やめて、むつの待つ川辺に向かった。
形良く握られた握り飯は太郎を幸せな気持ちにさせた。きっとむつが丹精込めて握った、ちょっぴり甘い握り飯なのだろう。
川の涼しげな音を聞きながら、太郎は静かにむつの話を聞いた。太郎の世界ではこんな悲惨な女などいただろうか。いや、きっとたくさんいるのだ。それを太郎は『現実』として認識しなかっただけである。
ふと、太郎はサツキのことを思い出す。あの時サツキを助けに行かなければ、サツキも同じ目に合わされていたかもしれない……もし自分が現実を否定し続けて歩みを止めなかったら、この娘やこの村を助けられなかったかもしれない……そう思うと太郎は背筋の凍るような寒気と選択を間違えなかった安堵の気持ちになった。
太郎は慰めの言葉は言わなかった。そのかわりに一つだけむつに聞いた。
「むつは今、幸せかい? 辛くはないかい?」
むつはしばらく俯いて黙っていた。川のせせらぎと謙虚な小鳥の鳴き声だけがこの場を包んだ。
近くで水遊びをしていたケルベロスはそっとむつに近づき、その膝に頭を置いた。その目は怖がられていた魔獣の面影などはなく、優しい風に運ばれる花びらのようだった。
「ふふ、ありがとう。 でも泣いてないわよ? 今、幸せですもの! ううん、これからもっともっと幸せになれるもの!」
むつは顔をあげ二人に優しい笑顔をみせた。
むつはいつかまた、茶屋を再開したいとはなしていた。そしていつか、本当に信頼できる人と結ばれて、幸せな家庭を築きたいと……。
きっと、むつの心の傷は簡単には癒えぬだろう。それでも誰かがそっとその傷を包みこみ、癒してくれるだれかが現れるのを太郎は心から願った……。
輪稚屋の婆様はむつにはむつの『生き方』があると言った。もし、その道が叶うなら、早く自分の『歩き方』を見つけろと言った。これは婆様の優しさである。義理堅いむつは拾ってもらった恩に報いるために、夢は夢と諦めている節がある。それを婆様は気に病んでいた。
むつは太郎が食べ終わると満足したかのような笑みを見せて立ち上がった。
「お手間をとらせて申し訳ありません。 太郎さまには何から何までお世話になりっぱなしで……」
「いやいや。こちらこそ親切にしてもらって助かっているよ。それに……根源の『ケロ太』まで世話になっちゃって……。 おにぎり美味しかった! ごちそうさま」
太郎はむつに感謝の言葉を送ると、むつは静かに笑って嬉しそうに帰っていった。
ちなみに『ケロ太』とは、この元偉大な魔獣『ケルベロス』のことである。
宴の日に魔獣の名を聞かれ、太郎が命名したのである。由来などはいたってシンプルだ。
『おれさぁ、昔「ケルベロス」を「ケロべロス」だと思ってたんだよね……だからケロ太で決定な!』
『なんだと!? ケルなんとかとかはよく知らんが、そんな緑色のひ弱な下等生物のような名で俺を呼ぶな!!』
『え~! ケロちゃんってかわいいと思うけどなぁ!』
『今日から僕はケロ太ですっ!」
女に可愛いとちやほやされ、気高き魔獣は地に落ちた……。
「なぁ太郎よ? いつまでこの村にいるのだ? 鬼退治はどうした?」
「――しまった……忘れてた」
屋根の修理に戻った太郎はケロ太の一言で自分の役目を思い出した。
「いや、このままこの村にいるならそれでもいいんだけどな、お前さんなんかの役目があんだろうよ?」
太郎は自分が鬼退治で村を出た事をすっかり忘れていた。それほど、この村が居心地がよく、太郎にとっての安寧の地になっていたという証拠だった。
・・・・・・
「明日、村を出ます」
太郎はいつものように女たちと夕食を食べているときに皆に告げた。
「……そうかい……ついに行ってしまわれますか……」
婆様は遠い目をして、今までこの何日間かで太郎に救われた日々を思い出す。自然と涙が溢れてきた。
「――やだね……歳をとるのは……なんだか締まりがわるくなったみたいだよ……」
他の女達も皆同様だった。すすり泣く声や、感謝で頭を深く下げる者達もいた。しかし、その声は村に来た当初とはうって変わり、悲しみだけの声ではなかった。
「……いやです……」
隣で太郎に酌をしていたむつが声を震わせ太郎に言う……
「むつ……」
太郎はその肩に手を置こうとしたとき、むつは立ち上がり部屋に駆けていってしまった……
「こら、むつ! 太郎さまにし――」
「婆様。大丈夫です」
太郎は優しく婆様に声をかけると皆に深く頭を下げた。
「みなさん。今までありがとうございました! 俺を必要としてくれて……ありがとう!!」
そんな太郎の言葉に皆別れの涙を流し、太郎に抱きついた。太郎もわんわん泣いて皆を抱きしめた。何度も何度も『ありがとう』と口にして……
襖の向こうのむつに伝わっただろうか? 『伝わるといいな』と願いを込めて太郎はひときわ大きな声でもう一度叫んだ。
翌朝明朝、太郎は村を出た。
誰にも見つからぬように静かに部屋を出た。太郎の居なくなったその部屋にあの時の『大判』を一枚置いて、相棒のケロ太と輪稚屋を後にした……。
「なぁ? 最後くらいあの娘に別れを言ったほうが良かったんじゃないか?」
「別れなら昨日告げたよ……それに永遠の別れじゃない。きっとまた会えるさ……それに……」
『別れは苦手なんだ』そういいかけて太郎は自嘲気味に笑った。
婆様に教わった道を使えば目的の村まで、さほど時間はかからなそうだった。それでも一日は野宿が必要となる距離だった。
太郎たちが壊し、太郎たちで直したあの橋にたどり着いた。太郎はこの村での思い出を振り返り、村に向かって頭を深く下げた。
足音がした
息の切らす声がする
哀しい村だったはずの向こうから暖かく明るい声がした
そこには村人全員が見送りに来ていた……その中には『むつ』の姿もある。
むつは女達に背中を押され、太郎の前までやってきた。
「太郎さま……昨夜はごめんなさい……でもわたし、やっぱり――。 いいえ、そんな無粋な事はやめましょう……。無事に帰ってきてください。わたし……わたし……待っていますから……」
むつは涙を必死にこらえ、太郎の無事を祈り、笑ってみせた。
太郎はこの時、胸にこみ上げてくる熱い思いを言葉にする事は出来なかった。この感情はなんていうのだろう? 『愛』? 『恋』? いや太郎にとってのこの笑顔は『守りたい』の気持ちだった。もう彼女が、彼女達が泣かないように、太郎は害ある者を倒さねばならないのだ。それが、鬼だろうが魔物だろうが……。
太郎はむつをその両腕で抱きしめると、むつは静かに胸の中で泣いた……。
「お嬢さん……心配しなさんな。この男には偉大なる魔物の王の俺がついている。簡単には死なせんさ」
ケロ太はキザったい言い方でむつに語りかけた。むつと太郎はその姿を見て笑った。
その三人の姿は『希望』であったと村の女達は口にしたと云う。
・・・・・
目的地までは最短ルートを選んだためか、ひどく道が荒れ、それはけして『道』と呼べるものではなかった。
相棒のケロ太と共に協力しながら太郎はやっとのおもいで道らしい道にたどりついた。
『だれかいる』
『血の匂い』
ケロ太の肩から声がした。魔力温存のために村に着いてからしまっていた二つの首が声をあげた。
「おい太郎! 厭な臭いだ……これは――」
ケロ太はそう言うと体をかがめ、臭いの位置を確認する。
「あっちだ! どうする? 行くか?」
「ああ。 もしかしたら人が鬼に襲われているかもしれない! 行くぞ!」
二人は脱兎の如くかけだし、その臭いの場所に向かった。
「まて! あれをみろ」
ケロ太は立ち止まり、太郎にその場所を指差す……この場合『指』というのは『足』なのだが、それはこの状況では些細な事なのでコメントはNGである。
太郎の目に写ったそれは、悲運なことにも『人間が少女を襲う』場面であった……この『襲う』とは刀で切りかかるという意味である。
少女は深くマントをかぶっていて、表情は見えなかったが、華奢なその体に二つの胸、一目で太郎はそれが少女であると認識した。
少女はこの男共に切られたのか、足からは出血をし、もう、自力では立てない様子だった。それでも必死に男達の太刀筋を見切り、転げながら逃げ回っていた……。
「おい太郎! どうする――ってあれええ! いねー!!」
太郎はケロ太の言葉も聞かずに飛び出していった。それは少女にトドメの一撃が決まりそうになった瞬間だった。
「――てめぇ! 何モンだぁ!?」
振りかぶった刀を弾かれた男は声を荒げて叫んだ。
「俺は天下無双の桃山太郎! お前らの小さいお頭で覚えられないなら、『桃太郎』と覚えておきな!!」「
太郎は刀を男達に向けると不敵な笑みを浮かべた。太郎にとってこの山賊もどきは、魔獣との死闘に比べれば朝飯前である。
「――っち。 おぼえてやがれぇ」
そういうと山賊たちは素早く背を向けてかえっていった。
「おいアンタ。 大丈夫かい?」
太郎は後ろにいる少女に声をかけた。しかし気が抜けた少女は『ばたり』とその場で倒れこんでしまった。
「かあ……さま……」
太郎の姿を薄目に捉えた少女は気を失う間際そういった。
「おい太郎よ……無茶はしてくれるなよ……お前になにかあったらむつちゃんたちに顔向けできねぇだろうが」
「ああ悪かった。でもあれくらいならへの河童さね! だろ?」
ケロ太もその言葉にどこか嬉しそうに尻尾を振った。
・・・・・・
日が暮れて夜がやって来た。少女は気を失ったままだった。
「太郎よ……この娘……女だぞ?」
「……見れば分かるよ」
二人は傷の手当をし、少女を自分達の寝床に連れて行った。
火をおこし、篝火村でむつに貰った握り飯を食べているときだった。
「いや、そうじゃねえ! 女っていったのはな、こいつが『鬼の女』つまり、女鬼だっていったんだよ!」
そうケロ太は言うと、太郎は磯野さんちのような驚き方で「なんだってぇ~!?」と驚いた。
「まあ、人間にはこのままだとわからんだろうな……でも俺には匂いでわかる。こいつは間違いなく鬼だ」
「でも、でもこの子は人間の姿じゃないか?」
ケロ太は大きな溜息をついた
「太郎よ……お前は本当に何も知らんのだな……。いいか、『鬼』って言うのは大きく分けて三ついる。赤髪の『赤鬼族』青髪の『青鬼族』そして理性や知性を持たぬ『悪鬼』だ。たぶん太郎が想像しているような、歪で醜い姿の鬼は悪鬼だな。しかし人間のような風貌の鬼達もいる。それが、『赤鬼』『青鬼』だ」
確か、村に現れたという鬼は『赤鬼族』と弥助が言っていたのを思い出した。
そかし、そんな人間と姿が変わらない『鬼』と呼ばれる存在に、太郎は刀を向けることが出来ないでいた……。
「いや、何かの間違いだって。 こんな少女が鬼なわけあるもんか」
太郎は不安をなぎ払うように笑ってみせたが、ケロ太の表情は真剣だった……
「なら証拠をみせてやるよ」
ケロ太はそういうと、眠っている少女にに近づいた。
「おい、やめ――」
太郎が止めようとしたとき、ケロ太は少女のフードを脱がした……そこには一本の『角』が生えていた。
「うそ……だろ……」
太郎はその光景を目にして、言葉を失った。
これから自分が戦う相手がそこにはいたのだから……。
「――んっ……う~んっ……ようねたぁ……」
少女が目を覚ました。その寝起きといい、話すその言葉は人間と変わりない。
寝ぼけているのか大きな伸びをし、あたりを見渡す少女は現状が把握できていないようだった。
「おい、嬢ちゃん。 大丈夫か?」
ケロ太はその少女に声をかけた。すると少女は目を輝かせてケロ太に抱きついた。
「うわぁ! かわいいーっ! もふもふぅ~! 助けてくれてありがとっ!!」
ケロ太の胸に顔を埋め、毛並みをいじりながら少女は興奮したようすで口早に言った。ケロ太はケロ太で、そんな状況にだらしなく舌を垂らし目の焦点は定まらず、いやらしい声をあげていた。尻尾が高速で揺れて焚き火の火がゆらゆらと揺れる。太郎はその作り出された揺れる影を見つめながらに呆然としていた。
「元気そうでなによりだよ。お嬢さん、怪我は大丈夫かい?」
太郎は勇気を振り絞り、鬼のその少女に声をかけた。
「――っ!? 人間!?」
少女はケロ太から素早く離れると、二歩三歩と後ろの木に背中を預けた。
「っ――」
少女は爪を尖らせ、太郎に向かい鋭い目つきで睨んでいるが、足の傷が痛むのかひどく苦しそうだった。
「こらこら。急に動くから……こっちにおいで、手当てしなきゃ」
「……」
それでも少女は爪を下ろさないで睨んでいた。
太郎は大きな溜息をついて渋々と立ち上がった。
「嬢ちゃん。お前さんを助けたのは俺じゃない。この人間だ」
ケロ太の言葉に一瞬からだをビクつかせ、信じられないというような目で太郎を見ていた……。
「寄るな人間!!」
「いいからおとなしくしてろって! 傷がまたひらくぞ!」
太郎は少女にそっと近づいて、手を伸ばし、足の傷を確認する。
怯えた少女は爪を振り回し、太郎の腕に噛み付いた。
「いっ――。 ……ほら傷がひらいてる。早く手当てしないと……」
『怯えた少女の足を無理やり触る』そのシーンは現代日本で再生されてしまえばかなり如何わしい映像なのだが、そんなことを今もちだすのは無粋の極みである……。太郎にはそんな気持ちは一切ない。
太郎は仕方なく、暴れる彼女のなすがままになりながら手当てを行った。太郎の腕からは血が流れ、顔にも引っかき傷が幾つもできた。
「ほら! できたぞ!」
太郎はやっと薬を塗り、新しい包帯に巻きなおすと嬉しそうに少女に伝えた。
「……礼は言わぬぞ人間……」
太郎は静かに笑った。
「太郎よ、お前は可笑しなやつよ……普通ならあんなにいたぶられたら怒るだろうよ」
「なに、子供はいつの時代も『薬』と『注射』が嫌いなんだよ。大人が面倒みてやんないとな!」
「ウチ、子供やないもん!」
少女はまた太郎の腕に噛み付こうとしたが、太郎に頭を抑えられジタバタしていた。
「こらこら。せっかく巻き直したのに、また解けてしまうじゃないか……ほら、今日はゆっくり休みなさい」
太郎はやけに大人びた笑みを見せると、少女を焚き火の近くに座らせた。
「ほら、食えよ」
太郎は少女の膝に握り飯をおき、自分も焚き火にあたりながら握り飯をほうばった。
少女は毒が仕込んであるのか疑っているのか、なかなか食べようとはしなかった。それを見かねたケロ太は少女の膝に頭をのせ、目を閉じた。
少女の腹から大きな音がし、顔は真っ赤になっていた。太郎は気付かないふりをして無言のままだった。意を決した少女は握り飯に喰らいついた。
「うっ、うんめぇ~っ!!」
それから一心不乱に握り飯を食べると満足したのか、少し気を許した雰囲気がこの場に流れた。
相変わらず太郎とは距離をとっていたが、ケロ太とはすっかり仲良しになったようだった。
「ケロちゃんっていうのね! 可愛い名前ね!」
いつの間にか『エセ関西弁』のような話し方がかわり、お上品な話し方になっていた。
「だろ!? 俺がつけたんだよ!」
「……」
「……」
「た、たろう……俺……胃が痛くなってきた……」
太郎は再び溜息をつくと、先に寝床に入っていった。
「――ありがと……」
太郎の背中に少女は、一度零れてしまえば二度と見つからないような声で言った。太郎は気付いたか否か、振り返らず手をあげ、静かに眠りについた。
・・・・・・
森の中で過ごした一夜は相当に体にダメージを与えた。柔らかくない寝床に冷たい風、ましてや魔獣のいびきで太郎は疲労困憊だった。太郎の場合はそれ以外にも昨夜つけられた傷もあり、立っているのすら億劫になるほどだ。
しかし、噛まれた腕に視線を向けると包帯が無造作に巻かれていた。
「ケロ太のやつ、ニクイことしやがるぜっ」
太郎は起きたケロ太に抱きついて、昨夜少女がしていたように胸に飛びつき戯れた。ケロ太は別の意味で舌を出し、気持ち悪いという目つきで太郎をみていた。
少女の姿はなかった。既にこの場所を離れたのかもしれない。所詮は『鬼』と『人間』。相容れる存在ではなかったのかもしれない。
「ああん? 包帯? 俺じゃねぇよ」
「……ということは?」
木々の間から少女が顔をだした。相変わらずの不機嫌そうな顔だが、手にはたくさんの山菜と野兎を持っていた。
「……んっ」
少女はその食材を太郎に渡すと顔を背けた。
少なくとも、昨夜のように太郎に襲い掛かることはなさそうだった。
「あ、ありがとう……」
二人はそれから簡単に朝食を作った。お互いに何も話さない沈黙の中、野兎など調理したことない太郎は、あたふたして困っていると。
「それ、かして……」
少女は口を開いて太郎の短刀に指さした。太郎は言われるがまま短刀を渡すと、少女は器用に『下処理』をすませる。
「あ、ありがとう……あと、これも!」
太郎は自分の腕を指差して言った。
「……うんっ!」
少女は初めて太郎に笑顔を向けた。
それは、ちょっぴりスパイスの強い、『優しい甘さ』だったと云う。