桃太郎と村娘
篝火村に辿りつくと、どこから情報が入ったのか村人全員が太郎の帰還を出迎えた。
「ほんとうにやりおった……」
婆様は年甲斐もなく地面を飛び回り、女達も喜びと安堵でそれぞれ感極まっていた。
「太郎さま! よくぞご無事で! それにしてもお早いお帰りでしたね。魔獣は太郎さまにとっては簡単な相手だったかしら?」
「これで安心して毎日が過ごせます!」
「男共が帰ってきたら死ぬまでこきつかってやるんだからっ!」
女達は太郎に駆け寄り、手をとり感謝の言葉を皆口にした。……のだが……
「ま、まじゅう!?」
太郎の後ろから威風堂々と姿を現したケルベロスに女達の顔色が変わる。それはもうひどく青ざめた顔だったと云う……
「みんな落ち着いてください! これは魔獣ですが、もう魔獣ではありません!」
太郎は必死にみなに説得をするが、
「いや、俺はまだ魔獣だよ?」
本当にややこしい犬である。黙っていればよいものを……。そのケルベロスの一声でさらにこの場の収拾は困難なものになった。太郎は魔獣の口をわし掴みにし声高々に宣言した。
「天下無双の桃山太郎! 無駄な殺生は好まぬゆえ、この魔獣ケルベロスを家来に引き入れた! よってこやつは俺の家族である! こやつが悪事を働けばその時はこの桃山太郎の命に代えてもこやつこの首、そぎ落としてご覧に入れよう!」
騒ぎ立てていた女達は言葉をなくした。困ったように太郎と魔獣を交互にみていた。
「……まぁ、つまり何が言いたいかというとですね……この犬は僕のペットになったんでみなさん大丈夫ですよってことで……」
顔を赤らめながら太郎は呟いた……
「まっ、そういう事になったんで、村のお嬢さん方……可愛がってね!」
魔獣は鼻息を荒くしだらしなく舌なめずりをして言った。その姿は側から見れば『獲物を狩る魔獣』に見えなくもないが、太郎はその目の『いやらしさ』に気付き、先に警告しておく。
「ま、まあこいつは人間に手は出しませんよ。特に若い娘さんが好きだっていってるし……だからといって別にこいつに近づこうなんて思わなくていいですから! 一応『獣』ですから!」
「ヴぅう~……わん!」
ケルベロスが叫ぶと村の娘が一人倒れた。その倒れたときに、はだけた着物の隙間から細いきれいな生足が顔を出した。
ケルベロスは体勢を低くしその娘にどんどん近づいていく。鼻息は荒く、よだれは下品に滴れ落ちる。あの戦っていたような威厳など皆無である。
「い、いや~ん!」
若い娘の足下に着いたケルベロスは娘の前で、可愛らしく腹を見せた。よく飼い犬がご主人様に見せる、『絶対服従』のポーズだ。
「……あれ? なんかただのワンちゃんに見えてきたわ……」
女達は皆口々にそう言うと、次第に『犬』の元に集まっていた。中にはお腹を突く娘もいたりして、内心ハラハラの太郎であったがそれは杞憂であったようだ。ケルベロスはこことぞばかりに女の顔を舐め、胸を触り、人間だったら警察沙汰の行為を楽しそうに行っていた……
「太郎さま、ワシは大丈夫かねぇ……」
婆様が太郎の隣に来てぼそっと呟いた。 着崩されていない着物の胸元を婆様は乙女チックに『キュっ』としめた。
「……」
太郎は何もいえなかったと云う……。
・・・・・・
太郎たちは『魔獣討伐』もとい『魔獣捕獲』のお祝いに、盛大な宴が開かれた。盛大とはいったものの、この宿にある食材と女達が朝から取りに行った山菜や野兎の肉などである。元の世界『日本』から来た太郎にとっては質素な宴に感じるかも知れないが、この村の優しさと女達の笑顔で太郎は心安らぐ一時を過ごしていた。
自分が必要にされたのは初めてだったかもしれない。
この世界に飛ばされたのは雨宮サツキと施設『グリム』の陰謀で、鬼退治だってサツキに強引に行かされた、いわば抵抗を許さない強制労働である。
しかし、今回はどうであった? 太郎は確かにこの村にハめられそうになったが、自分の力で回避したじゃないか。断ろうと思えばいつでも断れたはずだった。
しかし太郎は選んだ。自分で自分の道を。誰のせいにもできない己の選択を……それはきっと嬉しかったからだろう。必死に頭を下げる婆様や、この村で生きていくために真剣に毎日を過ごす彼女らに太郎は『必要』とされたのだった。
「太郎さま? どうかなさいましたか?」
隣で太郎に酌をするこの娘は、朝の見送りのときに表情がとても暗かった娘だった。この娘は太郎より少し年下であろうか、遊女のような格好をしているが、まだ顔には幼さが残り、所作もぎこちない感じだった。
「いや、少し考え事をね。 キミの名前は?」
「『むつ」と申します。今回の魔獣討伐、本当にありがとうございました……」
むつと言う娘は太郎に向かい合うと背筋を伸ばし、両手を揃えて綺麗なお辞儀をみせた。「おーい……俺はいきてるぞぉ」とケルベロスは軽く横槍を入れるが、他の遊女の膝に落ち着き、まったりとしていた。
「大したことはしていないよ。それより、帰ってくるといいね、男の人……むつの大切な人」
むつは顔を上げ、困った顔をしていた。
「いいのですっ! あんな人……わたし達をお捨てになったのですから……むしろ今更帰ってきても相手にしてあげませんっ! こっちから願い下げです」
むつは力強く笑うと一粒の涙を流した。『アイラブユー』を『月がきれい』と訳した小説家のように太郎も洒落た気遣いの言葉の一つでも言えればいいのだが、生憎彼にはそんな度胸も感性もない……
「泣きたいときは泣けばいい。泣けるうちに泣けばいい……心を隠すのと涙を隠すのは意味が違うからね……」
太郎はそっと自分の羽織を彼女にかけると静かにそう言った……。彼も成長したんですね……。
その後むつは泣いた。おおきな声で泣いた。太郎の膝に顔を埋めるようにして泣いた。その姿をバカにするものは此処にはおらず、他の女子達も暖かく見守っていた。中にはむつと同じく泣いている女子もいた。きっと彼女たちもむつと同じ境遇だろう……婆様は何も言わず、ただ太郎に頭を深く下げた。
月がきれいな夜だった。虫の声が心地いい。きっと明日は何も変わらないがいつか、この女子たちがいれば新しい未来にこの村も変わるのかもしれない。
「ほらほら! いつまで油売ってんだい! お客様のおもてなし! 忘れたのかい?」
婆様はいつものように両手を叩いて皆に声をかけた。それから宴はまた始まった。
顔を上げたむつの表情には、曇りなき晴れた空のような愛おしい笑顔があったと云う。
・・・・・
むつは元々、篝火村の茶屋の娘だった。両親を早くに亡くした彼女だったが、両親の残した茶屋と少しのお金で幼い頃より生計を立てていた。
小さく可愛らしい彼女は村でも人気があった。『看板娘むつ』と村中で言われ続け、茶屋もそのおかげで繁盛していた。
『捨助』と出会ったのはその頃である。もう背丈も伸び、胸のふくらみも成長した『大人』になりかかっている頃に村の男共はむつに求婚を申し込んだ。しかし、むつには意中の相手はおらず、店の経営で目輪ぐるしい毎日を送っていた。
ある日、いつものように店の片付けをしていると
「そこのかわいいお嬢さん。 水を一杯いただけますか?」
なんともキザったい言い方でむつに声をかけた男が居た。
「はいはーい……てあれ? あなたどこかで……」
「憶えていてくれたかい? むつ。おれだよ、すてだよ!」
「わー! 捨助! ひさしぶりね! ずいぶん大きくなっちゃってぇ! あれ? でもあなたずいぶん昔に商人の修行で都市のほうにいったんじゃなかったの?」
「ああ。いってたさ。でも自分で商いを始めたんだ! 行商人から始めて、今では小さいながらに店をもってんだ!」
「あらあら立派になっちゃってぇ!」
それから二人は日が暮れるまで話していた。すてが宿に帰るとき、すては一言口にした
「いや~。むつも随分色っぽくなったなぁ……いつか貰いにきてええか?」
むつは自分の胸の鼓動が早くなるのを感じた。夕暮れ時でも分かるほど顔を赤らめていた。
「なっ! なに変なこと言ってんのよ! ほら! 早く行かなきゃ暗くなるわよ!」
すては笑顔を残して去っていった。
すては毎日茶屋に顔を出した。その顔を見るたびにむつの心は踊り、いつしか『貰われてもいい』とおもうようになっていた。
ある日の夜、村に魔獣が出たとの噂が流れた。すてが村を出立する前日である。
むつは急いですてに噂のことを伝えようと、そして自分も連れて行って欲しいと伝えようとしたのである。
「――」
すてのいる宿の前までくると何やら怪しい声がした。声のほうへ足を進めると裏口に若い男と若い女が逢引をしていた。むつは顔を赤らめ立ち去ろうとするが、
『――貰いにいってもいいかい?』
聞きなれたあの声が聞こえた。
「――えっ――」
信じられなかった。その男はむつが初めて恋をしたあの『捨助』だった。
むつは走った。噂など忘れて森の中へ……むつは一人声をけして泣いた。
「むつ……」
後ろから声がした。すてがそこには経っていた。
「みてしまったのかい? だめじゃないかこんな夜更けに一人であるいちゃ……」
今まで心地いいと感じていたその声はむつの体を震わせた。汚らわしい。裏切り者。そう心で思っても、優しいすての顔を思い出すと、自然と力が抜けてしまう。
「さあ、こっちへ来るんだ。一緒に村を出よう……。こんな所にいてもむつは幸せにはなれっこないさ。俺の言う事をきくんだ。俺が幸せにしてやろう」
むつは少し考えた。このまま行ってしまっていいのだろうか……さっきの女に言った言葉は? 私はあなたの何……?
すての伸びた手を振り払うとむつは答えた
「この浮気者! あんたなんかいらないわよ! あの女とどこへでも好きなところへ行ったらいいじゃない!」
と、むつは叫ぶと今まで温厚そうにしていたすては、人が変わったように怒り出した。
「んだとこのアマぁ!! 言う事をきけってんだよ! お前なんて田舎のあばずれ女は上手いように利用しなきゃ生きてる価値なんかねぇんだよ!」
すては大きく手をふりかざしむつの頬を殴った。むつは一瞬なにがおきたか把握できずに地面に横たわってしまった。
すてはすかさずむつの上にまたがると、何発も頬を殴った。口の中が切れ、頬は腫れ、むつは恐怖で動けなくなっていた……
「さいしょからそうしてりゃあいいんだよ……」
すてはそういうとむつの着物を剥がそうとした。
「……!」
むつは恐怖で何も言えないが、ひたすら脱がされまいと抵抗をした。
「このアマァ!!」
すてがもう一度大きく手を振りかぶったそのときである。
森の木々がゆれそして激しい地響き、醜い唸り声とともに『魔獣』が姿を現したのである。
紫色の毛に尖った爪。月を背後にそれは地獄の番犬が冥府より訪れたと思わせる光景だった。
すてはむつを置き去りにして一人逃げ去った。むつは開放された安堵と目の前にいる新たな恐怖で動けなかった。
しかし、むつにはもう『生きる』のが疲れてしまった。あんな男に気を許し、あんなひどい思いをしたのに、今だ浮ぶあの人の顔……。そんな自分にほとほと嫌気がさしてしまったのだ。
むつは涙を流さなかった。最後は自分らしく笑って死にたかった。
「最後に見せる笑顔が魔獣になるなんて、おかしな話ね……」
しかし魔獣はむつと目を合わせると、そ知らぬ顔で村の方へ去った。
むつが一夜を森で明かし、村へ着くと村中は魔獣の噂でもちきりだった。すぐに村を出た男もいる。家族を連れて逃げる者もいる。むつはその喧騒のなかを一人で彷徨い茶屋に着いた。『自分には家族がいない』だれもむつに気をかけてくれる人などいなかったのである。
数日が過ぎた。
村の男共は皆逃げて、女達は取り残された。
村を歩くと女のすすり泣く声と自分達が骸になりて餌を待つカラスの厭な声が響いていた。
むつはぼんやり雲を眺めていた。
「あんた、むつじゃないか」
「……輪稚屋さん……」
こうしてむつは輪稚屋の婆様に拾われ、太郎と出会ったのである……
この村は篝火をなくしたあわれな村とみなは口をそろえて噂したと云う。