桃太郎と旅の始まり
あの日、現実離れをした話を聞いてから二ヶ月がたった。
桃山太郎はボロボロで今にも崩れそうな家でのんびりと空を見ていた。
「あー……雲になりたい。どこまでも自由にふらふらと……」
「あんたはいつもふらふらしてるじゃない。このニートが」
隙間風がひゅーひゅーと鳴るこの部屋で雨宮サツキは眉間にしわを寄せ、大きな溜息をついた。
「あんたね! そろそろ調査開始したらどうなの!? 毎日毎日ごろごろごろごろ……いい加減にしなさいよ!
「へーい。ただいま異世界と現実世界の雲の違いを調査中でありまーす」
いらっとした声でサツキは叫んだ。
「そんなのもう調査済みなのよ! あんたのそのバカみたいな力は何の為にあるの! 毎日毎日アクロバティックに芝なんか刈ってんじゃないわよ! 早く『鬼退治』にいきなさいよ!」
「だってさー、鬼って完全に人外じゃん? 怖いじゃん? 命掛かるじゃん? やめたらいいじゃん?」
「やめたらいいじゃん? じゃないわよ! なんのために此処にいるのよ!」
「だって……無理やり連れてこられたし……さっちゃん優しくないし……」
サツキはぐずぐず駄々をこねる野郎にまた大きな溜息をついた。
「おーい太郎! 悪いけどまたこれ直してくれ!」」
玄関というか吹き抜けのようなその扉の向こうから村人が顔を出した。
「あらあら、またやっちゃたの弥助? これで何度目だよ」
そういいながらも嬉しそうに太郎は弥助と呼ばれた青年から『カカシ』を受け取る。
「おらがやったわけでねーよ! 魔獣どもの仕業さね! あいつらおらたちの畑さ荒らしやがって……」
「たいへんだねー弥助君も」
丁寧にカカシの頭と腕を繋ぎ合わせて、魔獣対策に棘を加えて太郎は弥助にカカシを渡した。
「ほら。なおったよ」
「あんがとな太郎! ……そういえばしってっか? 隣村に『鬼』さあらわれたの」
『鬼』と言う言葉を聞いてサツキは報道記者のように素早く食いつき、弥助に詰め寄る。
「その話詳しく」
「お、おう……なんでもあの『赤鬼族』の鬼が出たってうわさでな。 いや、これといって被害は聞いてないんだけども、これからどうなるかおっかなくてなぁ……」
サツキは「フムフム」と満足げに聞いていた。
「出番よ太郎」
「断る!」
「……」
太郎に迷いは無かった。まだ暑い時期に鬼と死闘などまっぴらごめんである。
「なんだって?」
「断る! 俺は雲の観察で忙しいんだ」
「なんだって?
「だからことわ――」
太郎が視線を雲からサツキにチェンジしたときには既にサツキの顔が『鬼』に変わっていた。
「あ、いや、やっぱりやろうかな~……僕暇なんで……」
太郎には選択権ははなからないのだ。
「分かればよろしい。 じゃあお弁当作ってあげるねっ!」
そうサツキは言うとみすぼらしい食材から、まだ食べれそうなものを選ぶと台所へ向かった。
「おまえさの女子えろうべっぴんやの~……」
「ははは……可愛かったんだよ。昔は……な……」
それから半刻がすぎる頃には既にサツキは『お弁当』を風呂敷に包み太郎に渡す。
「あっ、太郎! これ初出勤祝い」
サツキは真新しい羽織を太郎に渡した。この時代では絶対にないデザインと生地を見れば、これがサツキお手製の羽織だと太郎は感じた。
「うわぁ! うれしいな! ……ん?」
着物を広げると
『天下無双』
そう書かれていた。
「さっちゃん……これなに?」
「気付いた!? 気付いちゃった!? えへへ~、かっこいいでしょ!」
目をキラキラさせて、まるでオスカルを見つめる少女のような瞳で太郎を見つめていた。
「太郎に似合うと思って……」
「ださい」そう言おうと思った太郎だが、サツキの手をよく見ると、まだ新しい傷がいくつもあった。
「うん。ありがとう。とっても嬉しいよ」
そういって太郎はその羽織を気前よく羽織ると、お日様でも眩しいと感じるような笑顔を見せた。
そういえばサツキは昔から少女趣味なのに『センス』は漢じみていると今更ながら思ったのだった。
「そういえば隣村までどのくらいかかるの?」
「ざっと三日くらいかしら?」
「とお! 隣とお!」
太郎は隣村と聞いていたから精々一日の労働ですむと思っていたが、まさかのサツキの発言で肩を落とした。
「ほら。お金も入れといたから、しっかり宿に泊まりなさいね! たくさんあるからって無駄使いしないでよね」
「へーい」と無気力のまま答えた太郎だが、この時代、もとい世界の通貨を太郎はまだ知らなかった。
太郎が見て思ったのは『大判』『小判』と汚い『銭』という印象だった。金色に光る二つは高い価値は目に見えてわかるが、『銭』など五円玉程度にしか思っていないのである。
旅の仕度をサツキに急かされ、太郎はしぶしぶ旅に出るのであった。
「さっちゃんも来てよ……」
それは母親にすがる子供のような声だった。
「行ってあげたいけど、私、村で採れたきのこの研究があるから……」
悲しそうに言うさつきだが、その表情はどこか楽しげだった。
意を決した太郎は『天下無双』の羽織を背に歩き出した。いつのまにか村人総出で太郎を見送りに来ていた。
「太郎さま! 鬼を退治してくださるのですね!」
「鬼なんて太郎さまにかかれば虫けらも同然でしょう!」
「鬼には死を! 我らに祝福を!」
別に『退治』なんて一言も言ってないんだけどなぁ……そう思う太郎であったが、黄色い歓声と血走った村人の目を見て何も言えずにただ愛想笑いを残して太郎は旅に出たのであった。
これを村人は『太郎も初出勤』と云ったという。