桃太郎と村娘救出作戦―其の1
太郎が意識を戻したのは、それから三日目の夜だった。
ひどく身体中を傷付けているようで、ろくに起き上がることも出来なかった。
定連の里での悪鬼との死闘の傷も完治せぬままに、あの矢の雨を体に受けたのだから常人なら死んでいる筈である。太郎は自分の体のはずなのに、どこか自分のありえる事の無い力を感じて、今一度深く瞼を閉じて大きく息を吸い込んだ。
「どうなってんだ……この体……くそ!」
その時不意に襖が開いて、一人の女が立っていた。
「太郎! 目が覚めたのね! もう! 心配したんだから!! なんで何日も帰ってこないのよ! 連絡の一本もとれないの!? いざいざ帰ってきたと思ったら、傷だらけのアンタが魔獣に咥えられているし……とにかく心配したんだから!」
もうかれこれ一ヶ月ぶりであろうサツキとの対面は、サツキの早口の説教で始まった。
しかし、太郎はサツキの傍らで心配そうに見つめるケロ太を一目見て、激しく込上げる行き場の無い怒りを口にしてしまう。
「ケロ太! お前がもっと早くに来ていれば村の人たちはさらわれなかったんだ! お前のせいで!!」
ケロ太は静かにその罵声をあびた。反論も言い訳も何もせずに、ただまっすぐに太郎を見つめていた。
「若。それはちがうでござる」
騒ぎを聞きつけ、包帯に巻かれたその羽を揺らしながらフィーネが顔を出した。
「若。他者に責任を押し付けるのは簡単で楽にござるが、はたして本当にケロ太のせいでござるか? 周りの賊に気付かなかったのも、あの場で奴を殺さなかったのも……若。己の判断ではございませぬか?」
普段の『命令』に従順なその様子は一切無く、太郎を見つめるフィーネの眼光は鋼のように冷徹だった。太郎はその鋭さにおののき、今しばらく声を押し殺してしまった。
三人の気まずい静寂にピリオドを打ったのはサツキだった。
「ね、ねえ! とにかく無事だったんだからいいじゃない!? そうそう! 太郎が旅に行っている間に『日本』から沢山お土産持ってきたわよ!」
サツキはなるべく明るい声で太郎に寄り添い、近くの箪笥から様々な『日用雑貨』を出した。それは、シャンプーであったり、漫画であったり、電池式のラジカセだったりだ。
サツキのセンスであろうか、太郎の普段着やお菓子が沢山詰まった箪笥に、太郎はつい頬を緩めた。
「なんだ。あっちから物も運べるんだ」
「そうそう。あんまりこの世界の人には見せられないけど、ゆとり世代の太郎にはかなり厳しい世界でしょ? 頑張って旅に出たご褒美よ」
サツキはようやく笑った太郎に安堵し、胸を撫で下ろす気持ちだった。
「すまない。太郎……。俺が油断していなかったら、あの村の女達は……」
ケロ太は太郎の元までゆっくり歩みを進めると、首をうなだれて、声を震わした。その姿にフィーネは堅く瞳を閉じて見守っていた。
「ごめんケロ太……。俺がどうかしてた……。俺は――必ず助けに行く。お前達もついて来てくれるか? 俺一人じゃ多分勝てない……。俺の背中を守ってくれるか?」
太郎は今しがた自分が放った言葉に羞恥の念を抱きつつ、家臣となった二人の魔物に頭を下げた。
「わか! 当たり前でござる! 拙者は若の忠実なる下僕! 若のお手を煩わせぬとも、容易い相手でござる――ちと傷を貰いましたが……」
「今度は見逃さねえ。あいつはしちゃいけねえ事を犯した……。その首貰い受ける」
魔獣たちの『殺気』に身を震わせるサツキは自然と太郎の腕を掴んだ。太郎がこの場を納めてくれると信じて。なぜなら太郎は人一倍痛みを知っていて、そのうえで優しい青年だとサツキは知っていたからである。人間同士の争いは太郎の目的には無い事。太郎は鬼の討伐を請け負った哀れな道化師。サツキは震える瞳で、願いを込めて太郎を見つめた。
『ああ。今度こそぶっ殺してやる!!』
しかし、サツキの想いとは相反して、太郎の口から出た言葉は残酷で冷徹なものだった。
その瞳は血に飢えた野獣の如き戦慄の眼差しで、三人の『魔物』の互いに頷く姿は、サツキにとってはどれも異形の者であった。
太郎は上半身に巻かれた包帯の上に羽織だけを纏い、今にもこの場所を発とうとしていた。
「ちょ、ちょっと! 太郎何処に行くつもり!?」
「むつを……みんなを助けに行く」
「そんな体じゃ無理よ! それに……相手の居場所も分からないでしょ? もう追いつかないかもしれない……」
サツキは何としてでも太郎を止めようと説得を試みるが、太郎はの瞳は真っ直ぐにサツキを捉え、優しいいつもの口調で口を開いた。
「大丈夫だよ、このくらい。それに……追いつかない訳にはいかない。『必ず』助けるんだ。あの子は俺の大切な人なんだ」
太郎はサツキの肩に手を置き、力強く頷くと、枕元に置いてある『鬼殺し』を腰に差して襖を開けた。
「太郎くん!」
サツキはその後姿に声をかけた。太郎が振り返り、自分が死地に向かうその決断を改めて欲しいと願いを込めて……。
その時、満月の光の中に動く影が映った。その影はゆらゆらと力なく、太郎の前に姿を現した。
「三津鬼!? 三津鬼か!? どうした!?」
太郎はその影に近づき、傷だらけの体を支えた。
「あ、あんちゃん……里が……里が……おっ母が――」
三津鬼は刀で切りつけられた傷であろうか、腕と足に濃い紅の血を添えて、震える瞳で太郎に助けを求めた。
「――鬼!?」
三津鬼の額にある二本の角を見て、サツキは咄嗟に身構えた。
「さっちゃん! この子を頼む!――フィーネ!」
太郎はサツキにそれだけ言うと、フィーネとケロ太を呼びつけ、その大鳥の背にまたがった。
「わか! 夜は拙者、目があまり見えないでござる……覚悟めされよ!」
「ああ! なんだっていい! とにかく今は定連の里へ向かう! トップスピードで頼むぜ!」
フィーネは地面をその四本の獅子の脚で蹴り上げ、空高く舞った。その勢いに太郎とケロ太は、振り落とされないように、必死にフィーネの体にしがみ付いた。
フィーネは木々の当たらないように天高くに向かい、微かな月の光を頼りに『定連の里』へ向かった。その道中に見える篝火村は、やけに静かで、哀しい色が灯されているようだった。太郎はその村に目を向けると、一人もう一度、心に決めたあの言葉を呟いた。
風を切るフィーネの神速に、太郎とケロ太は必死に互いの想いを胸に秘め、死する覚悟であの里に向かった。
闇夜の晩の泡沫の行軍は太郎の心に深い傷と決意を残す事となるのを、まだ太郎は知らなかった……。
・・・・・
定連の里には太郎が発ってから数分の間についた。里にはいくつもの火柱が立ち上り、その周りには傷だらけの鬼の姿が見える。中には、もう既に息は無く、見開かれた瞳には恐怖と憎悪の念がひしひしと伝わってくる骸も転がっていた。
「くそ! あいつらか!?」
太郎はその地獄絵図に膝から崩れ落ち、地面を幾度も叩きながら叫んだ。
太郎一行が、絶望にとらわれていると、火柱の陰に動く何かを見つけた。その影は力なくゆっくりと太郎の前に姿を見せると、背筋を凍らせるような眼差しで太郎達を見ていた。
しかし、その眼差しはすぐに解け、安堵と哀しみの瞳に変わった。
「た、たろう様……申し訳ございません……姫様が――鬼姫さまが――……」
男鬼は最後の力を振り絞り、太郎の肩に倒れ掛かると、擦れた低い声で無念の言葉を告げた。
「どうか……どうか鬼姫さまを……里の者達を……」
太郎は零れ落ちる手を強く握り締めて頷いた。その姿に男鬼は静かに微笑むと、その生涯を終えた。
太郎はゆっくりと男鬼の瞼を閉じると、後ろに控えている家来に、一際大きな声をあげて命令を下した。
「おい! ヤロウ共! 戦だ戦!! 鬼退治の桃太郎なんてやってられるか!! 本当の悪鬼を討伐する。直ちに出陣だぁ!」
「おう!!」と家来の二人が威勢よく駆け出そうとしたとき、奥の納屋から何人かの男鬼達が姿を現した。皆一様に手傷を負ってはいるが、命には別状はなさそうだった。
その集団の一番奥に、守られるような形で姿を表したのは、肩に切り傷をつけた里長だった。
「太郎さま……よくぞ参られた……いや、本当に助かりました……」
燃える里を背に、里長は自分の力量の不甲斐無さに膝をおり、何度も地面を叩き付けた。
「里長! よくぞご無事で……ここは危ない。ひとまず里を離れましょう」
太郎はそう言うと、里長の肩に腕を回して出口に向かった。その後ろからは生き残った鬼達が後を追うように足早に駆け出した。
幾日か過ごした長屋や、子供たちが遊びまわる広場、そして太郎達が始めて出会った門までもが紅蓮の炎に焼き尽くされ、焦げる人の臭いと血の臭い……。里を捨てる鬼達の目には哀しい涙が溢れていた。
・・・・・
太郎が定連の里に着く数刻前の出来事である。
里は太郎が去った後からは『悪鬼』の襲撃に備えて、里の男達を集めて訓練をしたり、壊れた施設の修復に時間を使っていた。
「いや~、にしてもあの人間。太郎殿はすごい御方だ……この数年で突如現れた変異種の悪鬼を討ち取ってしまわれた」
「ああ。人間はもとい、鬼の俺達でも太刀打ちできないのに一人で討ち取ってしまったなぁ……」
「姫様も太郎殿に随分と興味を抱いているご様子。一時はどうなるかと肝を冷やしたが、あの御仁は他の人間とは違う価値観をお持ちなのかもしれんな……」
鬼達は、忙しそうに里を駆け回る、なんとも微笑ましいほど晴れた笑顔の鬼姫を見つめながら口を開いた。
鬼姫も皆と同様に納屋の整理や皆の食事の手伝いをしていた夕刻にそれは訪れた。
「敵襲!! 敵襲だぁぁ!!」
里に響き渡る鐘の音と男の叫びはその日常を壊した。
「なに!? また悪鬼が来たってんのか!?」
「いやちがう! あれは……人間だ!!」
里の者が気付くが遅かったのか、既に門の周りには大勢の山賊が取り囲み、一つの入り口からは次々と馬車が強引に流れ込んできた。
女鬼と子供を里長の屋敷にかくまわせて、男鬼は武具を手にして門を飛び出した。山賊の一人が放った矢で殺し合いは始まった。
しかし、元々は人間よりも力強く生命力の強い『鬼』には人間などは相手にはならなかった。今の赤鬼族頭領の命令で『勝手な人間との死闘を禁ずる』と言う命があるために、戦事は避けてきてはいたが、奇襲されたとあれば話は別だ。今まで黙ってきた分、鬼達の総攻撃は凄まじく、瞬く間に門前の人間を一掃してしまった。
「へっ! これだから人間共は愚かなんだ……俺達が何をしたって言うんだ!?」
「これ以上屍を増やしたくなくば、早々に立ち去れ!!」
鬼達は気勢をあげて高々に叫ぶと、山賊たちもバツが悪そうに顔を歪めていた。
しかし、そんな中で一番奥の装飾が悪趣味な馬車から一人の男が現れた。
『捨助』である。太郎に殴られた頬は晴れ上がり、切れた唇は乾燥していて常に舌なめずりをしているような歪な姿だった。
「何をしている……さっさと女鬼を捕らえろ」
「へい……しかしですね旦那。あれは……鬼はさすがに強すぎますって」
「ふん。なら悪鬼でもなんでも使えばいいだろうグズが。大金はたいたんだ。しっかりと働け」
「……へい」
山賊の男は静かに頷くと、懐から紫色の小瓶を取り出して門の前に陣取る鬼の足元に投げつけた。小瓶は一人の鬼の前に乾いた音を残して粉々に割れた。地面の土はその紫の液体をじっとりと吸い込んで湿っていった。
鬼はその奇怪な行動に一瞬は驚いたが、臭気も何も変わらないそれを人間のこけおどし程度に考えていた。
「いくぞお前ら! 里を守るんだぁ!!」
一人の鬼が雄たけびをあげ、それに続いて一斉に気勢が上がった。刀や槍、弓が人間達に向けられ、今にも殲滅の意を示した瞬間だった。
「おい! なんだあれは――!? 悪鬼がくるぞぉ――……!!」
鬼達は地面が尋常じゃないほどの揺れを感じ、何かが迫ってくる異変を覚った。それは里の外から近づき、次第にあの小瓶が放たれた地点まで迫ってきた。
その異常な出来事に唯一歓喜の声をあげている人物がいた。捨助である。
「いいぞ! いいぞぉ! これが力だ! これが俺の力だ!! 鬼達よ、この俺様にひれ伏せ! 恐怖しろ! そして舞え!!」
里に響きわたる狂宴の笑い声に鬼達は恐怖した。
「貴様――!!」
鬼の一人が捨助目掛けて駆け出したとき、それは姿を現した。
地面はよりいっそうの響きをあげて、歪な叫びと共に大きな手が現れた。男鬼はその手に打ち上げられ、宙に舞うとそれを見逃しはしないとでもいうように、振り落とされた手の下敷きになった。その出来事は一瞬すぎた。鬼達は断末魔も聞こえぬ速さで死んだ同胞をただ、見つめるほか手立てはなかった。
悪鬼の姿が全て地中より現れたとき、ある異変に鬼は気付いた。
「――変異種……なんで……なんで人間を襲わない!」
人間達はまるで悪鬼を従えるようにその後ろに陣取り、厭な笑みを携えて勝利を確信したようにしていた。悪鬼も人間には興味がないような様子で、その足取りは地面を揺らしながら次第に鬼の方へ向かってきた。
それからはまた、あの日の再来だった。あの日は太郎がそこにいて、奇跡的勝利を導いたが今回は敵しかいない。勢いを掴んだ人間達は里の中に流れ込み、女鬼を探し回っていた。
「くそ! これ以上好き勝手させてたまるかぁぁぁ!!」
鬼達は悪鬼に果敢に攻め立て、己の命と引き換えに里を、女子供を守ろうとしていた。しかし、その願いは虚しく、悪鬼に残酷な仕打ちにあい、志半ばで無念に散り行く……。
「みんな――っ!?」
奥の屋敷から出てきたのは鬼姫と数人の女鬼だった。女鬼の手には薙刀や槍が握られていて、自分達も人間達と戦う意志を見せた。しかし、悪鬼と卑しい山賊共にめちゃくちゃにされた里や仲間の男鬼の骸に女鬼達は小さな悲鳴をもらした。
鬼姫は怒りに肩を震わせた。傍らで控えている三津鬼の母『稲鬼』に叫んだ。
「稲鬼! いくよ!!」
「はっ!」
二人は武人にも劣らぬ槍さばきで山賊をなぎ倒しながら悪鬼の暴れている正面の門へ向かった。
山賊達は鬼姫達女鬼の居場所を見つけると、数の暴力といわんばかりに押し寄せて周りを囲んだ。鬼姫と稲鬼は武術の心得があるが、他の女鬼は正直そんなに武術には長けてはいない様子で、槍や薙刀に振り回されるように、近寄る山賊に怯えながら振り回した。そんな女鬼を下卑た表情で、なんとも形容しがたいイヤらしい声をあげて山賊達はちょっかいをだしている。
「姫様! ここは私が!」
稲鬼は女鬼の元へ駆け寄り、目前の山賊を討ち取ると鬼姫に道をあけた。鬼姫は稲鬼に力強く頷くと、手に握られた槍をもう一度力強く握りなおして門へ走った。
鬼姫の元にも何人かの山賊か集まりだし、鬼姫も手早く一振り横になぎ払い、槍を地面に突き刺し空へ跳びながら山賊達の間をすり抜けていった。
「みんな! 早く里を抜け出して! お父上のもとへ、鬼ヶ島へむかうんや!」
鬼姫は勢いをつけて目の前に捉えた悪鬼の瞳に槍を突き刺すと、今まで必死の覚悟で戦っていた男鬼に声をかけた。
「姫様! しかし、里を捨てるわけには……お頭様より託されたこの里を……」
「なにいっとるん!? お前達が生きてなきゃ意味ないやろ!! さぁ、はやく――」
しかし、それは少し遅かった。瞳を貫かれて憤怒している悪鬼の傍らに捨助が相変わらずの細い瞳をもっと細くして笑っていた。
「おやおや! やっと出てきてくれましたか! いやほんとお会いしたかったんですよ。 一本の角に赤い髪……あなた赤鬼の頭領の娘『半人半鬼』の鬼姫ですね」
「なんや? ウチをしっとんか? なら話が早い。人間!! この落とし前どうつけてくれるんや!」
鬼姫は肩を震わし、里をめちゃくちゃにした首謀者の男に槍を構えた。捨助は一瞬ポカンと顔を呆けさせ、今にも腹を抱えて笑い出しそうになっていた。
「いやぁ、すいませんすいません――消えろ化け物」
捨助は傍らの悪鬼に小さく命令をすると、悪鬼は静かに出てきたときと同じ穴に入り、姿を完全に消した。その様子を不信な目で見る鬼姫に捨助は満足したようににんまりと笑った。
「あんな化け物はもう必要ありません。だってもう、私の勝ちですからね。ええ」
「はんっ! 強がるのもいいかげんにせえや。 アンタら人間がどんな仕掛けで悪鬼を従えたかは知らんが、人間だけで鬼のウチらに勝てるわけないやろ」
男鬼達は武器を手にして鬼姫の傍へ駆け寄った。そして、じりじりと捨助に詰め寄り、ニヤリと笑った。
「はぁ……強がりさんは貴女の方ではありませんか? 貴女はまったく周りが見えていないうえに、鬼の力を過信しすぎだ。何なのでしょうね? 鬼は怪力馬鹿で能無しですか?」
「なんやと!?」
捨助は溜息混じりに額に指をあてると、鬼姫の後ろを指した。
「旦那ぁ~! 大量でっせぇ!」
そこには縄で乱暴に縛られた女鬼達の姿があった。そこには他の女鬼とは違い顔から血を流し、着崩れたボロボロの着物の稲鬼の姿もあった。稲鬼は皆を守る為に懸命に戦い、しかし多勢に無勢に敗れたのである。気を失っているのか首をうなだれて引きずられるように鬼姫の前に放り出された。
「おい! なんで顔を傷付けた! 商品だぞ!」
「へい……なかなかにしぶとい奴でして……」
「――なんのつもりや」
鬼姫は急いで稲鬼の元へかけより胸に耳をあてた。波打つ鼓動は彼女にまだ生があることを意味していた。
商品がどうのこうと説教じみた不敬な会話をしている山賊と捨助に鬼姫は槍をむけた。
「殺してやる!!」
鬼の一人が刃こぼれの激しい自分の刀で山賊目掛けて駆けていった。それに続くように鬼達は武器を構えた。
「いいのか? こいつ等がどうなっても!」
捨助は近くの女鬼を一人掴むと懐の短刀を抜き、女鬼の首に突きつけた。その光景にさすがの鬼達も一瞬戸惑ったが、一人の男鬼が捨助に向かって駆け出した。
「俺の女房にさわるなぁぁぁ!!」
捨助はその男鬼を蹴り倒し、無表情のままその胸に短刀をつき立てた。
「お前には用がない」
そう言うと男鬼の心臓に刀を突き刺し、力を込めて奥の奥まで刺さるように短刀を足で押し込んだ。心臓に刀が刺さった男鬼は痛みと哀しみで涙を流し、最後まで女房の名を叫んでいた。女房のほうもその光景に悲壮の叫び声をあげて何度も『やめて』と人間に懇願していた。
その男鬼の声が聞こえなくなり、泣き崩れる女鬼を捨助は無理や髪を掴んで立たせると、その短刀で女鬼の首をはねた。
「なっ――」
その悪魔のような光景に鬼達は何も出来ずに足を震わせ、その場を動く事が出来なくなっていた。
「いいか? 刃向かえばこのような事が一人ずつ行われる。女鬼は貴重だが、生憎今回の商いは商品が余りあってな――鬼の一人や二人、今すぐにでも殺してくれる! そうだ、今度はこの女にしよう」
そう言うと捨助は稲鬼を指さした。そして短刀を鬼姫にちらつかせてニヤリと笑った。
「まって……ウチらは何をしたらいいんや? 何が目的や?」
鬼姫は捨助の手が稲鬼に触れる直前に言葉を発した。
「おや、やっと話し合う気になってくれましたか。ええ、いい判断です。これ以上私も手を汚したくないのですよ」
捨助は伸ばした腕を鬼姫の肩に置いた。その時その場の鬼達から異常なほどの殺気と鬼姫を守ろうとする声があがったが、鬼姫は静かにそれを制した。
「私の目的はただ一つですよ。貴女にご同行いただきたいのです……。この女鬼達は『もののついで』ですから――。貴女のような半人半鬼は本当に珍しい! 高値で売れるのは間違いないでしょう! それに――」
捨助は肩に置いた手を下へ滑らせ、鬼姫の腰をぐいと引っ張った。
「一度遊んでみたかったのだ……半人半鬼の夜伽を!!」
そう言うと空へ高々に厭な笑い声をあげて鬼姫の頬を叩いた。
「姫様!!」
鬼が今にも襲い掛かりそうに立ち上がるが鬼姫はそれでも威厳ある態度で制し、捨助を睨みつけた。
「わかった……ウチが行こう。だけど条件がある。他の鬼達は解放してくれ。アンタの目的はウチだけやろ?」
捨助は何も答えず、『安心しなさい』とでも言いたげに鬼姫を馬車の檻へ先導した。
鬼姫は無念そうにうな垂れる男鬼達に優しく労いの言葉をかけながら、里の皆のことを大切に守るようにと言葉を残して、鋼鉄の檻へ入った。
「火を放て。ここはもう用なしだ」
捨助は山賊へ命令した。
「なにを――ちょっと! 話がちが――。」
「ばぁ~かぁあ! 誰が約束なんかするかよ! 女鬼もお前ももう俺のもんだ! 黙ってご主人様の言いなりになってろよぉ!」
鬼姫は冷たい鋼鉄の檻の中から外を見た。そこには男鬼達が背中から次々と切り倒され、放たれた火で納屋や門が崩れ落ちていく様が見られた。鬼姫は一人叫んだ。そして心でずっと助けを求めた。それは皮肉な事にも『人間』である桃山太郎に救いを求めている自分がいたのであった。
人間と鬼。いつかみた夢。触れた手の温かさ。
鬼姫はそれだけを信じて里を出たと云う。必ず来てくれると信じて……。