桃太郎と人さらい
空高く舞うフィーネの背中に掴まりながら、太郎は初めてこの土地の位置を把握した。
初めて太郎がこの世界に産声をあげた村。太郎の住処としている村は定連の里からはかなり南に位置していて、少し先に進むと海が広がっている。山々に囲まれた小さな村だが、自然豊かで平和な村だった。
その村を少し北に向かうと山道にでる。そして木々に囲まれた複雑な道を通ると篝火村に出る。篝火村は比較的大きな村らしく、所々に他の土地へと続く整備された道が入り組んで大通りへと続いている。
鬼の隠れ里『定連の里』はその篝火村から東に位置する。隠れ里と言うだけあって空から見ない限りは見つけられないであろうその里は、山を削ったと思われるほどの山の絶壁に囲まれていて、まず見つかることはないであろう。
「へー……こんな感じに土地って繋がってるんだな……。あれ? あの大きな城って何?」
太郎は篝火村から北に位置するであろうそこに指をさし、フィーネの肩を叩いた。
「あれは都でござるよ。この国を統治している大和御所があそこにあるでござる。わが同胞もあそこで何人かは仕えているでござるよ」
「へー……てことはやっぱりつわもの揃いの重要拠点なんだな」
「ははは。なに、若ほどのつわものはおりますまい。あそこにいるのは政治に汚職に血生臭い者共でござるよ、最近は鬼の活動が大人しいせいか、戦はおきませぬが、なにやら色恋の話が絶えぬつまらない都でござる」
「色恋ねー……まあ平和でいいこった。 鬼もいつかその色恋の中に入るのかな?」
太郎は空に呟くように静かに言った。するとフィーネもケロ太も笑い出した。
「無理だ無理! 鬼と人間は相容れねーよ。お前が変わり者なだけだ。それに鬼と人間の争いは今に始まった事じゃない。幾千と互いに殺しあってるんだ。今更悪鬼も赤鬼も青鬼も変わりはしねーよ」
「犬の言うとおりでござる。若……あの鬼共もいつ牙を向けるか分かりませぬぞ! なるべく早くに都に里の事を報告にいき、恩賞もたんまりと頂きましょうぞ!」
フィーネは悪気のない顔で淡々と言葉を口にした。
「密告しろってか? ふざけんなよ! 俺は鬼だからって悪と決め付けない! むしろ人間のほうが悪に染まってる事の方が多いだろ? 自分に都合よく動くのはもうまっぴらだ……」
太郎はフィーネの頭を小突き、唾を吐くように切り捨てた。
「太郎……お前は阿呆だ……いつか後悔することになるだろう……」
ケロ太は尻尾に掴まりながら静かに言葉を続けた。
「だが、そんなお前だから俺は……ああ、いつかお前ならあの嬢ちゃんと再び手を取り合うかもしれんな……」
空に舞うその一行は互いの想いを胸に一つの場所へと夢をみた。
旅に出てからもう半月が流れようとしていた。
当初は一週間程度の遠足気分だったが、太郎の方向音痴や魔獣との戦闘。そして鬼との関わりによって、だいぶ時間がかかってしまった旅になった。
だが、それも今まさに終着点へと向かいつつあった。
フィーネと言う足もとい翼を手にして太郎は半刻と経たぬ内に篝火村にたどり着いた。
篝火村で起きた出来事を胸にその土を一歩踏むと、帰郷したような妙な感覚におぼれた。それは太郎の初めての旅の、初めての出会いの場所こそがこの村だったからだろう。
「なんか帰ってきたぁ! って感じがするな!」
太郎は大きく腕を広げてケロ太に言う。
「ああ。帰ってきたな!」
嬉しそうにスキップをする二人を横目にフィーネは久々の主を乗せての飛行に感服した面持ちで羽の手入れをしていた。
「あら! 太郎さま! お戻りになられたのですね!」
山の中から輪稚屋の女がウサギを片手に近づいてきた。
「はい。今戻りました。男達は……まだ帰ってないようですね……」
「ふふ。いいのよそんなこと。 それよりはやく、むつに会ってあげてください! 毎日太郎さまはまだか?まだか? とうるさいのです」
女は嬉しそうに口元を着物の袖で隠しながら笑った。太郎も恥かしそうに頭をかいて微笑んだ。
「いこうぜ太郎!」
誰よりも嬉しそうにケロ太は尻尾を振り、太郎の裾を引っ張った。
この時間だとむつは川の方へ行き、皆の洗濯をしているとの事だった。その川はあの時むつと一緒にせせらぎに耳を傾かせ、握り飯を食べたあの川だ。
「おーい! むつー! 今帰ったよぉ!」
太郎の間の抜けた声が早いか、むつが太郎に気付くのが早いか、どちらが先かも知れぬ間にむつは洗濯物を放り捨てて走り寄ってきた。
「おかえりなさい! 太郎さん! またいらしてくれるって信じておりました!」
嬉しそうに胸に飛び込むむつに太郎はテレながら肩に手を置いた。
「う、うん。もちろん来るさ。だって約束したじゃないか。 それに……俺が旅の途中で辛い事があっても、くじけそうな事があっても、みんなの顔を思い出したら此処じゃ終われないって思えたんだ。だから、帰りを待ってくれる人がそこのいる限り俺はそこに必ず行くんだよ」
二人はしばらく見つめあったままその場を動かなかった。
「ほっほっほ。戻られましたか太郎さま」
背中に声がして、太郎は振り向くと、そこにはあの女と婆様が立っていた。
「なに、太郎さまには何から何までお世話になりっぱなしじゃ。その小娘の一人や二人持ち帰ってくれてもかまいませんぞ?」
婆様はにやりと笑い声高々に笑った。そんな姿に隣の女も大きく頷きながら笑った。
「そ、そんな……俺はまだ女性と付き合ったこともないし、身請けなんてできませんよ……」
むつはまんざらでもないような雰囲気だったが、太郎の言葉に一瞬がっくりとうなだれると婆様に向き合った。
「あら婆様! こんな小娘でもいまや店の看板娘ですよっ? いいんですか? 客足がまた減っちゃいますよ?」
むつもにやりと笑うと
「それもそうか!」
と皆が笑い出した。少し前までの篝火村ではこんな光景は見られなかっただろう。しかし、魔物が去ったとの噂が流れ出し、少なくはあるが、また旅の者達が顔をみせるようになったという。
また、少しずつではあるが、この村に新しい灯火が掲げられようとしているのは確かな事だった。
「婆様。しばらくまた厄介になりたいんだけど……大丈夫ですか?」
太郎は人さらいの話を簡単に告げると、また何日か護衛のために残りたいと申し出た。
「ああ、もちろん大丈夫じゃよ。 なに、太郎さまがくださった金じゃ、あの店を受け渡しても釣りが出るほどじゃよ! 好きなだけ使ってくだされ」
嬉しそうに微笑む、むつにまた婆様はにやりと微笑んだ。
・・・・・
それから幾日かが過ぎた。
「おーい。むつ。そこの木材とってきてくれ!」
いまだに壊れている長屋の天井や、手入れのされていない道の整備に精をだす太郎は、平凡な毎日を送っていた。
「はい! 太郎さん。そろそろお昼にしましょう」
太郎は頭に巻いた布をとって顔を拭いた。
「フィーネ、ケロ太! 飯だぞ!」
太郎に強制的に手伝いを申し付けられたケロ太とフィーネは、身体を腑って汗を撒き散らすと足早に太郎に近づいた。
「若! 後は拙者達がやっておくでござるよ。食事が済み次第、むつ殿と散歩にでも行かれるがよいでございましょう!」
フィーネはキリリと目を輝かして胸を張って答えた。
「そうか。じゃ、あとは鳥に任すわ」
「お前は働け!! この犬畜生が!!」
「あ! いま、言っちゃいけない事言った!! 時代が違えば晒し首にしてやるところだったぞ!」
うるさい魔獣を背に、むつと太郎は肩を並べて歩き出した。
「あの……旅はいかがでしたか? 何か面白い事などありましたか?」
むつは包みから握り飯と漬物を太郎に渡すと、穏やかな表情で聞いた。
「ああ……おもしろいってか……オモシロイ生き物ならこの旅で二匹捕まえたね……。」
むつは『ふふ』と笑い、小さい口で握り飯にをかじった。
「そういえば、むつはさ……鬼ってどう思う?」
太郎は急に真剣な面持ちでむつに問いかける。何故か額に浮ぶ汗が妙に不安をよぎらせる。
「鬼……ですか……。そうですね……やはり恐ろしいです」
むつは俯きながら、静かに囁くように呟いた。
「ですが! 魔獣のケロちゃんやフィーネさんが、あんなに優しい方だったんですもの。もしかしたら、優しい鬼がいるかもしれませんね!」
むつは握り飯を嬉しそうに食べながら、太郎に優しく微笑みかけた。太郎もその言葉に満足したのか
「そうか……。うん! そうだよ!」
さすがに鬼姫の話や隠れ里の話は出来なかったが、太郎も握り飯に大きくかぶりつき、満足そうに微笑んだ。
いつかきっと、互いに分かり合える日がくる。そう太郎は信じて笑った。
「太郎さん……その……鬼の女子はとても美しいと聞いております……。それで、その……お会いになったのですか?」
むつは少し下から見上げるような上目遣いで太郎に詰め寄った。
「ああ。一人、可愛らしい女の子と出会ったよ! その子も人間と仲良くしたいって言ってくれたんだ!」
太郎は鬼の隠れ里のことは伏せ、鬼姫の事をむつに伝えた。それを楽しそうに太郎は話すものだから、むつは少し頬を膨らまし、太郎の手の甲を抓ると拗ねたようにそっぽを向いた。
「はじめてだ」
「えっ?」
太郎は嬉しそうに手の甲を擦るとむつの手を握った。
「この『世界』に来てから幾日経つか忘れたけど、みんな俺によそよそしいんだよね。俺なんてただの『高校生』なのに『様』なんかつけられちゃってさ」
「ふふ、魔獣退治を引き受けただけでも賞賛されることを、魔獣を飼いならしてしまうんですもの! 皆も頭が上がりませんわ」
むつは朗らかに笑い、そっと太郎の手を握り締めた。
「それでは……それなら私が『あなた』の近しい者になってもよろしいですか!」
「えっ!」
太郎の目の前には頬を赤く染め、真っ直ぐに美しい瞳で見つめるむつがいた。
「あの、その……」
太郎は自分がこの世界の人間でないことも、サツキから命じられた『鬼退治』のことも頭の中で深く考えてからむつの頬に手を添えた。
「――」
「むつ――ご飯粒ついてる」
むつの口元についている一粒の米を太郎は摘むと、それを口に入れ、笑った。
「はずかしいぃぃ」
むつは『ぱっ』と太郎に背中を向けると両手で顔を覆い、頭を左右に振っていた。その顔は太郎には見えなかったが、耳まで赤くなったその後ろ姿がとても愛おしく思えた。
・・・・・
むつと別れて太郎は、また屋根の修理に戻った。
ケロ太はフィーネの目を盗んでいつの間にか消えていた。おそらく輪稚屋に行って、自分の武勇伝のあることないことを話しているに違いない。
「まったく! あの駄犬は……」
フィーネが溜息をつきながら太郎に木材を渡した。
「まぁまぁ。いいじゃないか。あいつも悪鬼との戦いで相当頑張ったんだ。お前も見てただろ?」
「はぁ……。しかし、拙者ならもっとスマートに悪鬼を翻弄する事が出来るでござるよ!」
「いっそ拙者に鬼退治を!!」なんて言い出しそうになっているフィーネに、太郎は苦笑いを浮かべて屋根に釘を打ち付けた。
空は夕暮れになりかけ、二羽のカラスが空に舞っている。そんな静かな村に大きな馬車の音が鳴り響いた。
「おや? なんだか騒がしいな?」
「あれは……。あっ! 政府の商人でござるぞ! 若!」
フィーネは嬉しそうに羽をばたつかせ、太郎の肩に顔をのせた。
「ええいあつくるしい! なに? 政府? せいふ?」
「大和御所の刻印があの馬車に刻んであるでござるよ! 値は張りますが、高級な品々が売られているのでござるよ! ああ……香水買いたいでござる……」
ちらちらと太郎を見つめるフィーネを無視して太郎は言葉を続けた。
「そうか。まぁ、政府の商人が此処まで足を運ぶって事は、そう遠くない未来にはこの村も発展しそうだな」
太郎は屋根の上に腰をおろし、その光景を静かに眺めていた。
「太郎さまぁ! 政府の商人がいらっしゃってますよ。ご覧になってはいかがですかぁ!」
足元から声がして、太郎は振り返ると、輪稚屋の若い女が太郎を呼びに来ていた。
「そうだね! いま行くよー!」
太郎は屋根を飛び降りて、馬車の止まった輪稚屋の方へむかった。その後ろから期待の眼差しで「こうすいっ!こうすいっ!」と聞こえるが、あえて太郎は振り返らなかった……。
・・・・・
馬車は案の定、輪稚屋の前に止まっていた。
すでにその馬車の周りには人だかりが出来ていて、輪稚屋の女もいれば、村に滞在中の旅人の姿も見える。
「へい! らっしゃい!! 足を止めてみてってねぇ。 ……あっ! そこのお侍さん――」
馬車の前に大きく店を構えた主人が太郎に声をかけた。
「どうですか? 奥方様にこの髪飾りなんて。」
背丈はそれほど大きくなく、太郎の肩くらいの伸長のその主人は、下から太郎を『見下ろす』ように細い目をぎらぎらと輝かせて太郎に詰め寄ってくる。
「いや……俺、結婚とかまだしてないっすから……」
主人は手に持った朱色の宝飾煌びやかな髪飾りを残念そうに棚に戻すと、また新しい品々を太郎の前に持ち出した。
「でしたら、これなんかどうですかい? お侍様のような色男なら、この手鏡くらい持っていてもおかしくありやせんぜ!」
太郎の前に差し出されたのは、これまた華やかに繕われた手鏡だった。
「色男……」
一瞬頬が緩む太郎であったが、ふと、商人の後ろの棚に隠れている『小瓶』が目に付いた。その小瓶は煌びやかな品々とは一線を引き、奇妙な桃色の液体だった。
「おや! お目が高い!」
そう主人が言うと、そそくさと棚に向かい、太郎にそっと小瓶を見せつけ、耳元で囁いた。
「これはですね……一滴で女を虜にする甘い汁でございやす。そりゃもう効果は抜群で……」
「うっしっし」といやらしい笑い声が太郎を捕らえた。
「夜は眠れぬほどにございます!」
太郎は赤面し、思わず口元を隠した。頭の中には思春期特有の魔物が住み着き、サツキの姿やむつ、そして鬼姫の姿まで妄想してしまった……。
「買った!!」と思わず言いそうになる太郎だったが、サツキの『無駄遣いしないでよねっ!ふん!』と言う言葉が頭をよぎり、差し出しかけた右手を左手で押さえつけた!
「……無駄遣い……するな……と……いわれてまして……」
額に脂汗をたらし、哀しみと愁愛の表情に満ちた太郎の姿は、側から見れば異形の者に見えたと云う……。
(静まれ! 俺の右腕! いや……煩悩!!)
そんな太郎を哀れに見守る大衆の中から聞き覚えのある声がした。
「太郎さん! やっと見つけました! もうすぐ夕飯の支度が終わりますので、早く手を洗ってきてください」
人だかりを押しのけ、むつは太郎の袖に掴まりほっと一呼吸を整えた。しかし、太郎の後ろにいる商人を見て、むつは小さい悲鳴をあげて、太郎の背中に隠れるようにしていた。すると、目の前の細い目をした主人が『にんまり』と口を曲げてむつを見ていた。
「会いたかったよ……むつ……今日はお前を迎えに来たんだ。約束しただろう? 貰いに行くって……。さあ、わたしと一緒に行こう……」
主人は太郎の後ろに隠れて、肩を震わしているむつに、手をのばした。太郎は咄嗟にその腕を掴んで、前に突き放した。
「なにしてんだ! むつが嫌がってるだろ!」
商人は相変わらずの厭な笑みのまま言葉を続けた。
「いやいや……違うんですよ。これはね、これは私と会えて喜んでいるのですよ。ほら、御覧なさい。嬉しそうに肩を震わしている」
不気味な歯軋りのする声をあげながら、商人はまた、むつに詰め寄る。
「この娘は私の嫁にございます……。婚礼はまだですが、約束は『確かに』いたしました……。ほら、むつ。俺を困らせないでおくれ……」
商人は優しく甘い声で囁き、周りの同情をあおるように太郎の前に膝をついた。
周りの群集からは微かに太郎を非難する声もあがり、いつしかそれは太郎が『むつ』を旦那から奪ったというような言葉に変わった。
傍らにいるフィーネは怒り狂い、輪稚屋の女達はむつを守るように太郎の周りに集まっていた。
太郎はその最中にも冷静に商人を見つめ、その本質を見抜こうとしていた。
「むつ。一つだけ聞いていい?」
太郎は罵倒罵声のなかで静かに口を開いた。
「この男が……『あの』男かい?」
太郎は背中で震えているむつの手を握り、なるべく優しい声で尋ねた。
「……はい……」
涙で擦れた、そして絞りつくすようなか細い哀しい声でむつは答えた。
太郎はその言葉を聞くと、その商人の胸倉を掴み、その角ばった顔に殴りかかった。
「アンタが! アンタがむつを! アンタがむつの男だと? 笑わせんな! よくものうのうと此処に来れたもんだ……」
太郎は頭に血が上り、幾度もその商人を……『捨助』を殴り始めた。
「へ、へへへ……痛いじゃないですか……」
それでもへらへらと笑う捨助に太郎は、もう一度大きく拳を振り上げた。
「まって!」
太郎が捨助に飛び掛ろうとした時、横からむつが突然飛び出してきて、太郎は拳をむつの鼻先で止めた。
「むつ!? 何をしている! そいつはお前を――」
「いいのです……太郎さん。言ったじゃないですか。私はもう……こんな人相手にしてません! それよりも……太郎さんのそんなお姿見たくありません……どうか、どうかいつものように笑ってください……」
むつは太郎の赤く染まった手を握り、優しく包み込んだ。
太郎は固く握っていた拳をゆっくりと解き、静かに頷いた。
「へへへ……やっぱりお前は俺の女だ――おい! やっちまえ!」
捨助が細い目を見開いて叫んだ。
その時、後ろの木々に隠れていたであろう『山賊』共が一斉に、群衆目掛けて矢を打ち込んだ。
捨助はむつの腕を引き、矢から逃れるように背中に隠れた。
「フィーネ!! 皆を守れ!!」
太郎はフィーネに命令をし、それにフィーネは答えるように巨大化し、羽を広げた。しかし、弧を描くように飛ぶ無数の矢は、フィーネを飛び越え、太郎達の元に飛んできた。
太郎一人なら逃げ延びる事は容易いが、むつは囚われの身……このままではむつに矢が刺さってしまう……。
「むつ!!」
太郎は咄嗟に腕を大きく広げ、むつの前に飛び出た。
「ぐっ――」
太郎の背中に矢がいくつも刺さり、苦痛に顔を歪める。むつはその姿に恐怖し、何度も太郎の名前を呼んだ。
しかし、太郎はついに膝をつき、むつの足元に這いつくばった。
むつの後ろからは不気味な笑い声と、細い蛇のような目が太郎を見下していた。
「あぁ~あ! お前は最高だよ桃太郎! お前なら庇ってくれると信じていたよ。だけど、期待外れだったなぁ! 俺の悪鬼を殺したのはまぐれだったのかぁ? ふん。まあいい。この程度の策で死んでくれるなら手間が省けたってもんさ」
「すてすけ――!」
太郎は体に残る精一杯の力を込めて捨助の足にしがみ付いた。
「おや? 命乞いかい? だめだよぉ桃太郎……。俺はお前に散々殴られて痛い思いをしたんだ……。もっと苦しめよ!!」
捨助は甲高い笑い声を上げて太郎の背中に刺さった矢を押し込んだ。
「ぐわっ――」
その時、渾身の力でフィーネが体当たりを捨助目掛けて向かうが、あえなくかわされてしまった。その体には村人を守った証の無数の矢をつき立てて、満身創痍だった。
「わか……申し訳ござらぬ……」
フィーネは最後にその言葉を残し、その場に倒れこんだ。
「もうやめて! 太郎さんを殺さないで! 私だったら何でも言う事をきくから……だからお願い! 殺さないで……」
むつは大粒の涙を流しながら捨助に懇願した。その姿に捨助は満足したように笑い、むつの肩を抱いた。
「よし……いい子だ……。お前には薬を使いたくなかったのさ……。お前があの女共のように人形になるのは本当に避けたかった。ふふ、そうだな。お前が大人しく俺についてくれば、この男は見逃してやる。心配はいらない。お前は売りにはださないさ……一生鎖をつけて可愛がってやる!!」
下卑た笑いと、むつの哀しい声が太郎の耳元をさわる。しかし、太郎はもう立ち上がることも、そして意識を保つことすらままならなかった。
捨助の馬車にむつと、何人かの女が乗せられていく。
鞭で叩かれた馬の鳴き声と、地面を叩くような蹄音が次第に遠ざかっていった。
「おい! 何があった!? しっかりしろ! 太郎! おい――」
それからしばらくして、村の様子がおかしい事に気付いたケロ太が、血だらけの太郎の元にやって来た。
太郎は何も言わずに馬車が去っていった方角を指した。
ケロ太が必死に太郎の身の心配をしているが、それはもう太郎の耳には届いていなかった……。
薄れる意識の中に太郎が感じたことはただ一つだけだったと云う。
『必ずお前を救ってみせる』
ケロ太が馬車を追うのを見届けて、太郎は意識を失った。




