桃太郎とキジ?
夕暮れの空に月明かりが微かに溢れる頃、太郎は鬼姫に連れられ来た里の長と出合った。
その長は太郎を一目見ると、少しだけいぶかしめな表情をつくったが、太郎の前に正座をし、深々と頭を下げた。
「お侍様。此度はワシらの里をお救いいただき、真に感謝の言葉もありませぬ……。何卒、里の衆の失礼をお許しくだされ!」
「いやいや! 頭を上げてください! そんなたいしたことしてないっすから!」
太郎は困ったように笑い、長の肩に手をかけた。長は少しだけ身体を震わせたが、一度太郎を見つめるとまた、深く頭を下げた。
「それよりご飯美味しかったです! 何日もお世話になっちゃってすいません……明日には此処を発ちます。あまり人間がここにいては、いい思いはしないでしょう?」
自嘲じみた笑みはどこか切なく、鬼姫は慌てて立ち上がった。
「そんな事ございませぬ! 太郎さまがいなかったら私どもの被害はもっと大きくなっていました……それに、あの男の子はたいそう太郎さまに懐いておりまする。鬼も人間も関係ない。そう太郎さまが教えてくださいましたではないですか!」
鬼姫の言葉に長も頷き、にっこりと微笑むと、太郎に優しく語りだした。
「鬼姫さまの言う通りなのやもしれませぬな。ワシら鬼とあなたさま人間とは種も生き方も別々と思うていました……。しかし、お侍様が必死の覚悟でワシら鬼のために刀を振るうお姿……まるでお頭様のようでございました。ほんとうに感謝してもしきれませぬ……」
長はその白髪の間にある二本の長い角を、一つ一つ大切そうに撫でながら太郎に言う。
太郎は恥かしさとこの里を守りきった安堵の気持ちで大きく息を吐いた。
「いや、俺も正直めっちゃ怖かったですよ。ただ、鬼の人達が殺されていって……子供も泣いていて……こんなの嫌だなって、鬼姫の手をとった時みたいに皆には笑っていてほしいなって……そう思ったんです。そしたら自然に体が動いて――とは言ってもボコボコにされちゃいましたけどね」
太郎が笑うと自然に回りの皆も笑った。太郎はまだ痛む傷に手を添えながら独り言のように呟いた。
「みんなが笑って暮らせる日々がくればいいのに……」
「――無理だな」
傍らで大人しく座っていたケロ太が呟く。
「人間など所詮は下等な生き物よ。己が知らぬ相手に怯え、知りもせずに決め付ける。そしてお互いに恐怖して争いは絶えぬ……。太郎。今こうしてお前がこの里に生きていれるのは感謝なんて生易しいもんじゃないぜ。ただの恐怖だ。お前もあの悪鬼を見ただろう? あんな化け物仲良くできるか? 俺はごめんだねぇ。そんな悪鬼をお前は引き裂いて殺したんだ、ふふ。お前のほうがよほど化け物ではないか?」
ただの恐怖……ケロ太の言葉に長は静かに俯いてしまう。太郎も自分の胆略的思考に何も言い返せなかった。
「化け物……ね……。そうかもな。」
ケロ太の頭を撫でながら太郎は遠くの月を眺めた。里にはいくつも火が灯され、自分の来た道をただ引き返す事を世界は望んでいるように太郎にはみえた。
「わたくしも――」
そっと搾り出すような声で鬼姫が呟いた。
「私もやはり、恐ろしゅうてなりませぬ……人間は怖い……憎い……しかし太郎さまはちがいまする! 道中幾度も鬼姫をお救い下さいました! おなた様は化け物ではありませぬ!」
太郎はその言葉を聞いたとき、ゆっくりと顔を鬼姫に向けた。
「――」
太郎の瞳から静かに涙が溢れてきた……『化け物ではありませぬ!』その言葉がどれほど太郎にとって救いの言葉だったかは太郎しかしらない。
太郎は施設にいた頃を思い出す。幼い頃から影で言われてきた言葉『化け物』それはたろうにとっては身に覚えのない事で、何故、大人たちからそんな言葉を投げられるのか分からなかった。
「――うん……ごめ……嬉しくて……ただ嬉しくて……ありがとう……」
太郎の涙にあたふたしている鬼姫に太郎は優しく答えた。
そうだ。これから自分がやろうって決めたじゃないか。何を言われてもいい。馬鹿だなって言われてもいい。
太郎は涙を拭い、鬼姫に囁いた……。
「そうだな。そうなんだきっと……俺はやるよ。鬼退治……。キミと俺達が笑って暮らせる未来の為に」
力強く発した太郎の言葉に驚愕の表情をするケロ太と里長とは反対に、鬼姫は朗らかに笑い頷いた。
「ささ、太郎さま。お食事が冷めてしまいました。また温めなおしてきます。しばらくはごゆるりとお体をお安めくださいませ」
鬼姫は太郎の前に並べられている魚や白米を手早く持つと部屋から出て行った。
「たろう……俺は別にそんなつもりで――」
「ああ。わかってるよ。ただ俺は俺の道を見つけたんだ。さっちゃんに言われたからじゃない……俺が望むものがそこにあるから、自分の力で取りにいくんだ」
太郎は心配そうに見つめるケロ太の頭に手を置き、くしゃくしゃに撫でると迷いのない眼差しで見つめた。
・・・・・・
幾日か過ぎた。
太郎は鬼姫や里長に甘え、体の傷が癒えるまでこの『定連の里』でお世話になっていた。
「あんちゃーん!! さっかーおしえてぇ~!」
少年鬼はあれから太郎にまとわりつき、傷の癒えない太郎にわがままを言うまで親しくなっていた。
「おお。いいぞ! ちょっとまってろ……よっこらしょ――いってぇ――」
「こら! 三津鬼! 太郎さま療養中なのですよ! わがままはおよしなさい!」
鬼姫は厳しく三津鬼、鬼の子供にしかりつけると、太郎の元に医者から渡された薬を持ってきた。
「大丈夫だよ鬼姫。少しは体動かさないと直る病も治らないし」
「病ではありません! 傷が広がったらどうなさるのですか!」
「そのときは鬼姫に包帯でも手厚い看病でもお願いするから大丈夫!」
太郎は心配する鬼姫に明るく笑いかけると、羽織を羽織って庭へ駆け出した。
蝉の声が鳴き始め、暑い陽光が皮膚を刺す感覚が素直に心地よく感じられるのは、この場所が太郎にとって居心地がよく、太郎を一人の人間として受け入れているからだろう。
「あんちゃーん! いっくよー!」
三津鬼は大きく右足を後ろに構えると、用意された小石を太郎目掛けて蹴った。
「っ――。 ナイスシュート! やっぱり将来有望だな!」
その光景は鬼と人間でありながら、まるで親子のように見えたと云う。
「もう……三津鬼! あんまり太郎さまに無理を言わないでくださいよ?」
鬼姫は苦笑いに似た言葉を残し、太郎達の昼食の仕度に向かった。
鬼姫はこの里についてから、太郎の世話を一身に請け負っている。それは他の『鬼』がいまだに拭えない鬼と人間の確執も原因の一つではあるが、なによりも鬼姫は太郎の事を『特別』な存在とおもっているからである。
無邪気に笑って子鬼と戯れる太郎を横目に鬼姫は心から微笑んだ。
「おい太郎。今戻ったぜ」
サッカーをしている太郎に声をかけたのは紫陽花色の髪の青年だった。
「おう。ケロ太ご苦労だったな。それで、村はどうだった? 鬼の情報は?」
その青年は爆発音に似た音と共に煙を出し、元の姿『犬』に戻った。
「ああ。問題ないぜ。太郎が言ってた赤鬼の正体は、あのお嬢ちゃんで間違いないだろう。被害も何もない」
ケロ太は太郎よりも怪我は浅く、先に魔力も取り戻したケロ太は太郎の代わりに例の村まで偵察に行ったのであった。
「そうか! なら安心だな。鬼姫が人を襲う訳ないし。」
太郎はわが意を射たりと言わんばかりに頷くと、またサッカーに戻ろうとした。だが……。
「しかしな、妙な噂を聞いてな。 なんでも最近神隠し……いや、人さらいが頻繁におこるそうだ。 それも若い女を狙った忌々しい事件だ」
ケロ太は唾を吐き捨てるように呟くと太郎に近づいた。
「……人さらい? なんで?」
太郎は小石を蹴る足を止めて、ケロ太の方へゆっくりと振り返った。
「ああ。詳しい事はわからんが、夜な夜な不気味な男が姿をだし、一人、また一人とさらっていくそうだ……。まあ、目的はきっと奴隷売買だろよ」
ケロ太は呆れたようにつぶやくと大きく溜息をつく。『哀れよの』と。
「奴隷売買? この時代に……まあ……なくはないか……」
太郎は唇に指を添えて深く考える。しかし、鬼と一貫性のない内容に内心安堵していた。
「ほう……お前さんのことだから、すぐに助けに行く!って言うかと思っていたが……」
太郎は乾いた声を漏らし、少し遠い空を眺めながらそっと口にした。
「俺だってそんなに傲慢じゃないさ。 助けたい気持ちはあっても、実際に自分に出来る事は周囲の村々に注意を呼びかける事ぐらいしかないし、それに、桃太郎の動く理由は鬼関連って相場が決まってんだよ」
「ふっ。それもそうだな。好き好んで厄介事に首を突っ込むのは阿呆か無能だ」
二人は静かに笑い合うと互いに頷いた。
「鬼姫! 用事ができた! 今から里を出る。 世話になったな!」
せっせと食事の準備をしていた鬼姫に太郎は声をかけると、鬼姫はその切れ長の優しい目を丸くして唖然としていた。
「ど、どうしたのですか? いきなり出て行かれるなんて……まだ傷も癒えていないのに……」
「ああ。少しな……俺の帰りを待ってくれてる人がいるんだ。その人の事が少し心配でね。なに、近々また遊びに来るよ。そのときはゆっくりと、これからの事を話そう。鬼と人間が手を取り合い、笑って暮らせる未来の話を」
太郎は屈託のない顔を鬼姫に見せ、鬼姫のその細い手を握った。その手はとても暖かく、太郎と一つに重なり合い、小さく握り返された。
「……はい! お待ちしております!」
赤髪がふわりと揺れ、その額の小さな角を太郎に見せると鬼姫は朗らかに笑った。
太郎とケロ太が支度を終わらせ、里で住まいとして借りていた小さな小屋を出るときには、里中に太郎が発つと知れ渡っていた。
この何日かで太郎が直接関わった鬼は鬼姫と里長を除けば、三津鬼と鬼姫の傍にいつも付き添っている女鬼が一人だけだった。その女鬼は三津鬼の母親らしいのだが、太郎と直接に話はしなかった。いつも遠くで三津鬼を見守っていた。
太郎が門に鬼姫とケロ太を傍らに土道に進んでいると、なにやら門の前で大勢の鬼が待ち構えていた。その鬼の手には槍や刀が握りしめられていた。物騒なその面持ちに一瞬眩暈を感じざるをえない太郎だったが、すぐに理由は明かされる。
「太郎さま! 此度のご無礼お許しいただきたく、我らも旅のお供に加えてくださいませ!! この命、一度はなくしたも同然! ならば恩人の太郎さまの下で――」
眼光の鋭い若い鬼の男が膝をつき、刀を前に差し出すと、他の鬼もそれにならうように続いた。
「あの~……気持ちは嬉しいけど、いきなり鬼の軍隊連れて村に下ったら村の人たち、てか見る人全員腰抜かしちゃうから! キミ達はここで皆を守っていてよ。ここだってまた悪鬼が来たら今度は皆が闘わなくちゃ!」
男鬼達はそれでも引き下がらず、太郎に各々覚悟の言葉を口にしていた。
「ああ! もうわかった! じゃあ、その刀一本ちょうだい! 俺、悪鬼の戦いで愛刀折れちゃったし、これからまだ山下らないとだから心もとなくてさ……それをみんなの気持ちとして受け取るよ」
そう太郎は苦笑いを浮かべながら答えると、群れの奥から声がした。
「ならば、これを持っていってくだされ」
里長が大きな刀を持って太郎の前に差し出した。それは普通の刀と呼ぶにはいささか歪な形で、出刃包丁を数倍にした大きさで、鋼の刃ではなく、大きな鞘から刀身を覗かせると、石のような素材の輝きを魅せた。
「これは昔、お頭様が赤鬼を統一する際に使っていた刀『鬼殺し』でございます。鬼のワシが人間の太路さまにこれを渡すのは奇怪なことではありますなぁ! されど、太郎さまに持っていっていただきたい……せめてもの償いと感謝を……」
「そんなもの受け取れませんよ! それにこのことがアンタたちの頭にばれたら――」
里長は大きく愉快そうに大口を開けて笑い出した。
「殺されるやもしれませんな!」
すると周りの鬼達も一斉に笑い出した、それはまるで太郎に心配無用とでも言いたげに豪快に笑っていた。
太郎は小さく笑うと両手でその『鬼殺し』を受け取った。
ずっしりとするその重さと、冷たい石の感覚は一瞬太郎に覇気を浴びせるように鋭く刺さる。
「おもいな……」
太郎は一人呟くとそれを腰の後ろに差して前を向いた。
「あんちゃーん!」
後ろから声がした。そこには三津鬼が不安げな表情をして母の手を握り太郎を見ていた。
「あんちゃん……また、さっかーおしえてくれる? また、一緒に遊んでくれる?」
太郎は三津鬼に近づき、膝をおり目線をあわせると三津鬼の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「おう! 今度は石ころじゃなくてボール持ってくるよ。そしたらまたサッカーの練習だ! 約束だ!」
太郎は小指を三津鬼の前に差し出した。三津鬼もその小さな指を太郎に合わせて線をきった。
「ありがとうございます……」
その傍らで小さく母親が呟いた。太郎はそっと頭を下げて振り返った。
いよいよ出発の時間が近づく。空を見上げると雲ひとつと無い青空に、優しい風がこの里を包んでいた。
「じゃあ、そろそ――」
「おまちくだされぇぇぇぇぇぇ!!!」
別れの言葉を太郎が告げようとしたとき、どこからともなく大きな声が響いた。その声に一同は辺りを見渡すがだれもその声の主を見つけることができない。
『うえ』
『とり……おちる』
ケロ太の双肩から声がすると同時に、太陽に『それ』は重なりおおきな影を里におとした。『それ』は急転直下の勢いで地面に落ちると、太郎たちのいる一面を土埃で纏う。雷が落ちる音に似た衝撃が里に伝う。
男鬼達は太郎を守るようにして武器を構え、女鬼は鬼姫を庇うように着物を広げ壁になった。太郎はすかさず三津鬼を胸のなかに抱え、腰に差した刀に手を添えた。
眼前は土煙に覆われ視界が悪い。
「だれだてめぇ!」
ドスのきいた声がする。ケロ太だ。
ケロ太は身体を巨大化させ、煙を晴らすように大きく息を吐き、荒々しく唸った。
『それ』は姿を現した。
太郎の前にひざまずき、大きな両羽を広げ、顔を伏せている。
上半身は鷲の姿でそれ以外はライオンのような形をしている。光り輝く羽はまるで金色の使者と思わせるようだった。
「ぐ……グリフォン……かよ……」
太郎は間の抜けた表情でその『大鳥』を見ていた。
「太郎さま!鬼姫さま! お下がりください!」
鋭い目つきの男鬼は両手に刀を取ると一歩、そしてまた一歩とグリフォンと距離を縮めた。
「鬼か……気安く拙者に触れるな!」
グリフォンはその鋭い目を見開いて牽制する。男は一瞬、躊躇の色を見せたが刀を下ろしはしなかった。
「容赦せぬぞ……?」
「おい、やめておけ」
ケロ太はその巨体でグリフォンから男を隠すように前に立つと、グリフォンにむかって威嚇の声をあげた。
「ふん。犬っころがよく吠える……貴様のような忌まわしき魔獣が何故あの御方の傍にいる? さっさと失せよ!」
グリフォンは大きく叫ぶと地面を跳び、しなやかに羽を羽ばたかせ、空に舞った。それと同時にまた、雷のような音がして、一閃の瞬きと共にグリフォンも身体を大きく変えた。
側から見れば、それはまるで特撮の怪獣バトルにも見えるシュールな光景だった。
太郎はそんなどうでもいいことを思いながら、二匹の魔物の間に立った。
「まあまあ。落ち着けケロ太。 そしてアンタ! なに人が颯爽と旅立とうとしてるシーンをぶち壊してくれてんの!? 嫌がらせ? まじ意味わかんないし!」
すこしギャルっぽい口調の太郎はぷんスカと地団駄を踏んでいる……。
「そ、それは、失礼いたしました!」
今度は『ドロンっ!』というような、いかにもな効果音と共にグリフォンはまた元の姿に戻った。
太郎はケロ太のその大きな足に何度か合図して、ケロ太も軽い舌打ちと共に元の犬に戻った。
いまだ武装を解かない鬼達に、太郎は優しく声をかけ、ひとまずの騒動は収まった。
女鬼の間をすり抜けて、いつの間にか太郎の傍にくっついている鬼姫が声をかけた。
「あなたは大鳥なのですよね? ならもしかして、太郎さまに――」
「いかにも! 拙者は今は亡き主の言葉に従い、新しい主君を探しておった。太郎殿のご活躍は空より見ておりましたぞ! あの武勇……まこと天下無双……是非拙者を家来にしてくだされ! 殿!」
「……どういうこと?」
腕の隙間からちょこんと顔を出している鬼姫に太郎は訪ねた。
「大鳥は本来、戦場で人間の足となり翼となりて勝利をもたらす一族なのです。ただ、大鳥が自らの背中を差し出すのは、自分が認めた相手のみ……ゆえにほとんどの大鳥は主を見出せず、その生涯を終えると聞きます。そして、大鳥と誓いを結んだ者は、誰も手にする事の無い高みまで昇れると言います……」
鬼姫の説明を聞いている太郎にグリフォンは静かに語りだした。
「前の主が逝く瞬間。その時まで主は拙者にこう言っていでござる……『今度の主はとにかく強い奴の下で……』。主の口癖でござった……。今も主の顔を思い出すと――ああ、申し訳ござらん……」
その鋭い瞳が優しく微笑み、一筋の涙が流れた。
「そっか……別に俺、強くないよ? 普通の高校生だし……。あれ? 俺って高校生じゃん! なにやってんの俺!?」
「そんな事ございませぬ! 太郎殿のあの鬼神ぶりは見事! 拙者の目に狂いはござらぬ! 五臓六腑にまで染み込む熱い血潮に嘘偽りはござらん!」
グリフォンの勢いに押し負けるように太郎は困ったように頭を掻いた。
「そんなこと言われても……」
そんな太郎を横目に嬉しそうに目を細めている鬼姫とは別に、ケロ太は大きく溜息をついて、うんざりとした面持ちで口を開いた。
「俺は大鳥が大嫌いだ! 昔、尻を突かれまわされた記憶がある!」
「それはお主が貧弱なだけだろう。 己の弱さを他者にぶつけるとは都の番犬も地に落ちたな」
「なに!?」
二人は睨み合い、いまにも殺し合いを始めそうな勢いである。
「まあまあ、落ち着けよ……こいつは俺の仲間だ。勝手なことぬかすんじゃねーぞ?焼くぞ?」
太郎はケロ太の前に立ってグリフォンに睨みをきかせた。するとグリフォンはさっきまでの覇気を散らし気弱に頭を下げた。
「むむ……申し訳ござらん……しかし太郎殿……拙者はこの犬よりもきっとお役にたちましょうぞ! ぜひお仲間に加えてくだされ! 先の主との誓い守る機会を是非お許しいただきとうございまする!」
必死に懇願するその姿は見る者の心を打つような、誠実で潔白な姿だった。まさに金色の翼はその場を不動にし、太郎の一言を望んでいた。
「……まあ、桃太郎にはキジも必要だよね……よしわかった。じゃあ一緒に旅に着いてきてくれ! なんか強そうだし、期待しちゃうからね?」
「太郎! 貴様、俺の言い分は無視か!? 俺は絶対に嫌だね!」
「なればお主は森に帰るがよい。 殿は拙者がお守りする。ささ、帰れ帰れ」
「んだと!?」
また喧嘩を始める二人を太郎はほっといて、鬼姫に訪ねる。
「この大鳥って乗れるの?」
「はい! 大鳥は戦場で空翔る魔獣でございます。もちろん乗れまする」
太郎は大きく頷いて笑顔を見せるとグリフォンの背中に飛びついた。
「ささ! 大鳥くん。 目的地は篝火村まで! よろしく頼むよ!」
「さっそくのご命令感謝感激でござる! と、その前に新しい名を拝命しとうござる! 殿の僕として拙者に新しき道を見せてくだされ!」
「うーん……じゃあ『フィーネ』で。グリフォンって英語だと確かグリフィンだしね。あと、殿ってやめて。恥かしいし、そんな歳とってないし!」
「フィーネ……なんともナウい名でござるな! 拙者、先の主がいなくなってから異国暮らしが長かったのでとても気に入りましたぞ! しかし、殿は殿でござる……でしたら『若』とお呼びいたすでござる」
グリフォン『フィーネ』はその太い首を回して、新しい主に微笑みかけると嬉しそうに喉を鳴らした。
その横でケロ太は不満そうにしていたが、鬼姫が頭を撫でるとだらしなく舌を垂らしていた。
「じゃあ……今度こそ行くよ! お世話になりました! 鬼姫、また来るね」
太郎は金色の背中で鬼に手を振り颯爽と空へ舞った。
「おい! ちょ、まてー!」
ケロ太は飛び去るフィーネの長い尻尾に必死に掴まり、風に踊らされながら空を舞った。
太郎は新しい家来を引き連れ鬼の里『定連の里』を発った。それは新しき風と電雷の導きと共に、そこはかとない夢の一歩になったと云う。
鬼姫はその男の後ろ姿に、胸に秘めた想いを抱え空に叫んだ。
「ウチは信じとる! 太郎さまがこの世界の、この理不尽を正してくれることを!」
それは、鬼の儚き夢の一歩……。叶わぬ夢の始まりだったと云う……。