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秋の夜長
雑記。
ここでは一人称に僕を使っているが、実はこれがいちばん楽だ。
普段は性別上、私と言わねばならないが、私という一人称は、社会に出てからはさておき、学生時代はとても痛かった。
否応なしに女性であることを認識させられる制服も苦手で、スカート以外にパンツスタイルも叶えてくれと、生徒会に投書したほど。
中学生の頃、縫い物と時計工作を選べる時間があった時、女性なら縫い物と言われたからか、時計の組み立てを選んで、男子に混じって基盤のはんだづけをしていた。
趣味もそちらのほうだったから、ちょうど良かった。
昔はこの胸のふくらみさえ嫌になって、どうして男子に生まれなかったのだろうと叫びたくもなった。
家では古くからの儀礼が重視されていたため、男性は上座、女性は下に。
女性は男性客を三つ指ついて出迎えるような…客を迎える場では、一緒に食事もできないような場が、たくさんあった。
僕には、どうしても、それが当たり前には思えなかった。
それでかもしれない、僕が、女性であることに抵抗を覚えたのは。
まあ、小さいころ、もともと遊び友達のほとんどは男子で、女子とはなかなか話せなかったのもある。
女子を前にすると、とても緊張して…おそらくは、異性のように感じていた。
……ここまで語るとばれるかもしれないが、僕は、自分の意識は男性でも女性でもない。中性に近いんだ。
身体は女性なのに、育つにつれ、心はどんどん女子たちから離れていった。
それどころか、あろうことか…
僕が最初に恋をしたのは、女性だった。
学生時代、噂が広まりやすい思春期。
誰にも、言えるはずがなかった。
それはさておき、そんなだからか、似たようなものに対してはあまり抵抗がない。
初めてびーえるを知った時は、ああ逆パターンかと思ったし、じーえるを知った時は、ぎくりとしたものだ。
ちなみにどちらも話として書いたことはあるが、自分の感情は切り離して書いてきた。
エバーグリーンはある意味、自分の壁を越えるチャレンジになるかもしれないなぁ。
男性女性どっちつかず、今もそうだけど、もうね、中性でいいかなって思ってる。
どっちつかずなら、どっちの気持ちにも近づけるチャンスかもしれないから。
僕みたいな人種がいてもかまわんかなぁと、開き直り半分、虚勢半分(笑)