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98 戦国 かわる

さて、ここで明智光秀宛に届いた、室町幕府15代将軍足利義昭の

手紙の件を説明しよう。


書かれている内容は、簡単に説明すると、織田信長を殺してくれたら

副将軍にしてやると言う、他力本願な話である。


届いた時期は、本能寺の変のかなり前であり、

しかも複数届いていたのである。


この手紙の問題は、謀反の黒幕が足利義昭だと言う証拠ではなく、

足利義昭如きの頼みで、謀反を起こした事にされてしまい

不名誉な話になることである。


足利義昭の評判はすこぶる悪い。

ケチでバカで威張り散らし、誰も正室になりたがらず、

容姿も残念であるらしい。


ここまでくれば、別に黒幕にしてしまっても問題ないのだが、

以前ぼくが、明智光秀と何者かの密談を聞いて謀反を知ったと、

言う事になっている為、足利義昭がもし取り調べられ、

濡れ衣を着せてしまったら、恨まれてしまうのは間違いない。


謀反を進めているのだから問題ないように思えるが、

話の通じる人では無いらしく、下手をしたら恨まれてもおかしくない。

だって結果的に謀反を止めてるし、なによりもまだ将軍である。

真の黒幕に、利用される可能性がある。いないかも知れないけど。


とにかく、明智光秀の名誉は別に良いが、足利義昭の今後の出方次第では、

敵になるか味方になるか、判断に困るので元側近に話を聞こうと思う。


その為に、細川藤賢か一色藤長に相談することにした。

だがその前に、


光泰  「細川藤賢殿と一色藤長殿の事じゃが、誰じゃ?」

溝尾茂朝「細川藤賢様は、分家筆頭の御家の出で、

     北の細川村を収めております」

光泰  「家臣とは違うのか?」

溝尾茂朝「細川様は元々上役、家臣にはできませぬ。      

     ただ戦の際は坂本城に入る事に成っております」

光泰  「与力ではないのか?」

溝尾茂朝「与力と言うよりも、明智家の保護下に置かれている、

     細川宗家筆頭後継者と呼べば宜しいかと」

光泰  「何やら面倒な続柄じゃのう。一色殿だけ呼ぶか」

溝尾茂朝「その一色藤長様で御座いますが、元御供衆で現在は一色家からの

     人質代わりに坂本城下に住んでおりまする」

光泰  「一色とは、あの丹後の一色家でよいのか?」

溝尾茂朝「一応丹後の出で御座いますが、元々仲が宜しくなく、

     気にする必要は無いかと」

光泰  「たしか美濃にも一色家があったよな」

溝尾茂朝「それは・・・お気になさりますな。

     若様はちごう御座いまする」


戦国時代において子殺しの話は沢山あるが、親殺しの話は少ない。

有名なのは、斎藤義龍と大友宗麟である。

伊達政宗にも疑惑があるが、まだ先の三年後の話である。

この三人は自分の手を汚していない。

殺めたのは家臣であり、ただ命令しただけである。


今の所、明智光秀を殺めた僕の名は広まっていない。

何故か光慶が犯人にされている。だが時間の問題である。

恐らく一か月もしたら真実が広まるだろう。


光泰  「斎藤義龍の隠し子とか言われるかものう」

溝尾茂朝「永禄四年(1561年)に亡くなっておりますが?」


僕は元亀元年(1570年)生まれ、実は11歳である。

小学5年生が親殺し。異常すぎる話である。


光泰  「絶対に言われるであろう。

     ただでさえ美濃者が多いのじゃから」

溝尾茂朝「それよりも家臣の件で御座います」


話を変える気か。気が利くな。

これ以上話すと気が滅入る


光泰  「名のしれた者は、他家に仕官させるぞ」

溝尾茂朝「仕方有りませぬが、寂しく成りますな」

光泰  「じゃが将来、有望な者は、手にしておかねば成らぬのう」

溝尾茂朝「元幕臣の方々は、物知りな者が多う御座いますので、

     幾人か残すが宜しいでしょう」

光泰  「羽柴様は、名家な者を好むであろうから、

     家名が下の家の者を残すのが良いか」

溝尾茂朝「だとしたら丹波衆は羽柴家に士官させるが宜しいでしょう。

     今後役に立つとは思えませぬ。何かと名門の出だと誇りたがります故」

光泰  「では、無名で優秀な者は、丹波衆に居らぬのか」

溝尾茂朝「考え方が古う御座いますので、若様には合わぬかと」

光泰  「まあ、決めるのは神子田殿と話をしてからじゃ」


安土城の混乱のせいで、明智家が所有している城の明け渡しが、大きく遅れていた。


神子田 「丹波を羽柴家が、その他を丹羽家に明け渡すと、

     使いの者から知らせが参られたが、御理解頂けたか?」

光泰  「丹羽様にで御座いますか。こちらとしても早う終わらせねば、

     次へ進みませぬ。よしなにお伝い下され」

溝尾茂朝「我々の領地が、三介様の失態を取り繕う取引の道具とは、

     なんとも言えませぬな」

神子田 「それで家臣のことじゃが、解っておるな」

光泰  「丹波衆は武勇の誉れ高き者が、多く居ります故ご安心を」

神子田 「丹羽様には悪いが、力を付けられては困るからのう」


明智家の旧領地は分割統治されることになった。

その内、丹波国全域は織田信長の四男の羽柴秀勝に、

山城国南部のと大和国北部と近江国南部は、

丹羽家の家臣が、それぞれ収める事に成る予定だ。

これは清須会議において、秀吉が有利に話を進められる様に、

丹羽長秀と裏取引きをした事を示している。


また丹波衆の中には、以前丹波攻めの際に、明智光秀と戦って

勝った者も多くいた。

その後明智光秀は、離間工作や懐柔を行い苦労の末、丹波を手に入れていた。

簡単に言えば、旧幕臣衆より丹波衆の方が、戦上手である。


光泰 「旧幕臣等は入りませぬか」

神子田「気位の高い者は要らぬのであろう」


足利義昭の元重臣達は、丹羽家預かりとなった。

彼らの中に優秀な人は限られていた。

おまけに気位プライドも高く、いまいち信用もできない人達である。


これにより明智家に残るは、美濃衆と近江衆となった。(一部除く)

その中から、将来有望な若手エリートを選抜して、

珠子姉さんが居る長岡家に送れば、

なんとか坂本周辺約五万石の領地で、やっていけそうである。

(注:直轄地五万石、寺領、天領などは省いて合計設定)


溝尾茂朝「このような話、伊勢殿には聞かせられませぬ」


伊勢貞興(20才)は、旧幕臣衆のまとめ役であり、武芸も比較的優秀である。

家老達に次ぐ重臣であり、また明智光秀の娘婿(養女)でもある。


光泰  「ところでわしにはあと何人、姉上と呼ばねば成らない父上の養女が、

     居るのじゃ?」


溝尾茂朝「猪飼野殿、川勝殿、小畠殿、井戸殿を含め七人に成りますが、

     血縁は亡き光廉様の御息女の御二人のみにて御座います」

(注:一人死亡しています)


光泰  「後で系図を確かめねば、把握出来ぬな。

     誰か解る者に持ってこさせよ。

     それから父上が偏諱した者の名も、まとめて置いてくれ。

     無理にとは言わぬが、変えてもらった方が良いからのう」


溝尾茂朝「系図は森勘解由殿に任せるとして、

     偏諱した者は、かなり多う御座います。

     自らの判断で変えるよう、皆に伝えるべきかと存じ上げます」

神子田 「秀の字は残しても構わぬのでは無いか?

     下手に変えると、羽柴様の不興を買うかも知れぬぞ」


秀吉の秀の字は、明智光秀とは関係ない。

そもそも名に、秀を付ける人は戦国時代ではもの凄く多く、

珍しい字でも何でも無い。


光泰  「どう思う?」

溝尾茂朝「手柄を立てた者のほとんどには、光の字を与えていました故、

     問題は無いかと」

光泰  「では、秀の字はどのような者に与えたのじゃ?」

溝尾茂朝「色小姓(衆道)の相手に御座います」


・・・・・!アーーーーー!!!!

想像してしまったではないか。

知り合いで秀の字が付くのは、明智秀満と藤田秀行だけだよな?


光泰  「弥平次(明智秀満)と伝兵衛(藤田秀行)か・・・

     なんだかなー、なんとも言えぬなー」

溝尾茂朝「平三郎(斎藤利光)殿もで御座います」


しかし、自分が手を付けた愛人を、養女とはいえ結婚させるかね。

おまけに息子の近習に付けるとは・・・やってないよな?後できくか。

明智光秀のイメージが変わってしまった。

いや待てよ、大河ドラマで演じた人は確か・・・

だとしたら精神ダメージは少ないな。終わった話だ。


光泰  「だとしたら平三郎の諱は何故、利秀ではないのじゃ?」

溝尾茂朝「斎藤家の跡取りに関わる事で御座います故、

     某の口から申すのは憚れまする」


斉藤家は色々厄介である。

斎藤利三の前妻の子である利康は、光秀の血縁に当たる。

本来なら揉める事なく嫡男の利康が跡取りになるのだが、

利光の祖父の稲葉一鉄が利康の廃嫡を求めた事によって、

出奔したと噂がある。

稲葉一鉄にしてみれば、利康は元主君斎藤道三の孫だが、

道三は元々美濃を簒奪した経緯が有り、仕方なく従っただけである。


稲葉一鉄、補足(土岐家臣→道三従属→義龍派→龍興と疎遠→信長家臣)


神子田 「わしが居ては話しづらかろう。

     後で揉めぬ様に、決めるが良い。

     今、羽柴家に必要なのは、戦える熟練の者じゃ。

     毛利とは和議を結んだが、今後どうなるか解らぬ」


おそらく次に戦うのは柴田勝家である。

でも詳しくは知らない。

そもそもパワーバランスが狂っているので、

まともな戦に成らないかも知れない。

現状では圧倒的に秀吉が有利に成っている。

柴田勝家に謀略する知恵があれば別だが。


溝尾茂朝「これから先どうなる事やら(重責じゃ)」

光泰  「筑前守様(秀吉)が、天下を取るだけじゃ(断言)」

神子田 「気が早い事で(可能性は有るのか?)」



後日、一色藤長と会談を設けた。

足利義昭の手紙は無視するのが、一番良いとして

大事に保管されることになった。


だが、新たに爆弾が投入された。


一色藤長「この子が、公方様の御子に御座いまする」

左兵衛 「足利左兵衛(一色義喬)で御座る」

光泰  「歳は幾つじゃ?」

左兵衛 「十一に御座る」

一色藤長「今は亡き次男、秀勝の子と入れ替えて育てておりまする」


一色秀勝か・・・秀勝多いな。


光泰  「秀勝殿の子(後の以心崇伝)はどうしておる?」

一色藤長「南禅寺に預けておりまする」

光泰  「父上は知っておったのか?」

一色藤長「日向守殿には、迷惑をお掛けしてしまい申し訳御座らぬ」

光泰  「成程のう、謀反の大儀名分が無いと思うておったが、

     この子を十六代将軍に就ける予定であったのかのう」

一色藤長「何も仰っておりませなっかたが、恐らくはそうであろうかと」


今となっては憶測でしかないが、足利左兵衛君を将軍にしてしまえば、

明智光秀は、室町幕府を立て直した忠臣となっていたであろう。

どう考えても無謀だけど。


光泰  「して、これからどうする」

一色藤長「もはや幕府再興の夢は絶たれもうした。

     この子は我が孫として養育する所存。

     願わくば何時か、足利家を名乗れるよう御力をお借りしたい」

光泰  「ならば、羽柴秀吉様にお願いするしかないのう」

一色藤長「あの猿に御座いますか?あんな輩に話をしたら

     利用されるだけで御座いましょう」

光泰  「だが天下を取るぞ」

一色藤長「まさかあの猿が?御冗談が過ぎますぞ」

光泰  「信じられぬのも無理もない。あと三年もすれば解る」

一色藤長「猿が天下を盗ったら、この国は終わりですな(やはり子供じゃ)」

光泰  「大きな地震が起こるかものう」

一色藤長「天地がひっくり返りますからのう(可愛い冗談じゃ)」


数年後、一色藤長と足利左兵衛(一色義喬)はこの会談の話を、

思い出す事になるのだが、それはまた別な話である。

マイナー武将オンパレードな話になってしまいました。

明智家を語るとどうしても幕臣を無視できない

資料が少ないのでほぼ憶測です。

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