101 光泰 答え合わせをする
遅れに遅れた支城の明け渡しがすべて終わり、
家老の家族達が坂本城にやってきた。
だがその前に確かめる事がある。
森勘解由「系図で御座いますが、これだけしか残っておらぬ様で御座います」
茂兵衛の父、森勘解由左衛門に家系図の捜索を依頼していた。
しかし中々見当たらず、切腹の日までに見つかった物だけを、
持ってくるよう指示を出していた。
光泰 「二つだけか」
森勘解由「古い方は、虫食いが酷く使い物に成りませぬ」
光泰 「仕方あるまい。後で解るところだけ書き写すように」
森勘解由「此方の新しい方ですが・・」
光泰 「どれどれ、これは爺の字じゃな」
新しい家系図は爺の筆で書かれた物だった。
ただし、歴代当主しか書かれておらず、あまり意味がなかった。
光泰 「家中に興味がなかった爺らしいが、困ったのう」
森勘解由「これでも系図として使えるのですが、
如何いたしましょうか?」
光泰 「取り敢えず、爺の書いた物をもとに、新たに作るしかあるまい。
家老達にも聞いてみるが、知っておるかのう」
困った。これでは誰が血縁か解らない。
光慶のお嫁さん探しもあるが、
筒井定次の奥さんの、秀子の実家山岸家の情報が欲しかった。
しょうがない、山岸家現当主に直接聞くか。
でも家臣に居たかな?
切腹は昼過ぎ午後三時ぐらいに行われる。
正確な時計は無いので適当である。
倫子「まさか、この様な事に成るとわね・・」
光泰「姉上をお辛い立場にしてしまい、申し訳御座いませぬ」
倫子「仕方がありません。これも戦国の世に生まれた定めでしょう」
光泰「所で光忠叔父上?の・・名は何で御座いましたかな?
長らく顔を御見せに来られなかった故、忘れてしまいましたが・・」
倫子「全くあの子は・・どうしようも無いですねー」
明智光忠の妻で、倫子姉さんの妹の名前を知る機会を、今まで無かった。
家臣達に何度か聞いたが、間違えていたり、知らなかったりして判明しなかった。
本来なら僕や光慶の元服の時や、新年の挨拶に来ないと可笑しいのだが、
何故か会う事が出来なかった。
光泰「最後に叔父上に会える様、取り計らったのですが、
何時まで経っても来られず困っているのですが」
倫子「あの子の事は、もういいでしょう。好きにさせなさい」
光泰「姉上がそう言うなら、そう致します」
何故だ?何故、名前を言わない。
まさか、忘れているのか?
倫子「それよりも、今更あの子の名など聞いてどうするのです?」
光泰「家系図を、新たに作り直すために御座います。
その昔、姉上の名が革手姫だとは聞いていましたが」
倫子「その名は捨てました。書いてはなりませぬよ」
光泰「解りました」
倫子「まあ、蘆敷よりは、ましですけど」
足敷姫・・酷い名だ。
姉が革手、妹が足敷、キラキラネームとはまた違う、残念な名前だ。
ただこの後、足敷姫の新しい名前に、
運命を感じるのだが、この先どうでもいい話である。
倫子「笑っては、なりませぬよ」
光泰「人前に出ない理由が解りました」
倫子「それだけではないですけどね」
まだ何かあるのか?、何やら面倒な人物なのか?
無理して合わない方がいいかも?
倫子「そももそ父上(光廉)が悪いのです。通り名ならまだしも、
娘に城の名など、落城したら縁起の悪いでは無いですか。
しかも三人目が出来ていたなら、顔戸姫ですよ。
弟で良かったですけどね」
強盗姫・・・良かったね、光近君は男の子で。
つまり光廉の子は、革手姫こと倫子、足敷姫こと光忠の妻、
そして光忠の養子光近君で、年子の三姉弟である。
それからもう一人、光忠の前妻との娘がいるが、
こちらは珠子姉さんの侍女として、長岡家にいるらしい。
昨日知りました。いままで誰も教えてくれませんでした。
弟のように可愛がられていたらしい、藤田秀行君から聞きました。
会うのが楽しみだそうです。
父親が切腹前なのに、秀行君は何処か危うい。
家老が家族達との、最後の別れを済ませた後は、
僕との話し合いが設けられていた。
それは、どうしても聞かねばならぬ、最大の謎。
本能寺の変の原因、謀反の理由、黒幕の有無である。
ただ神子田さんには念の為、墓の相談と伝えてある。
光泰 「さて、まずは墓の話じゃが、住職が来ぬ。
此方で勝手に決めさせて貰う事にした。
取り敢えず、父上と兄上と隠岐は考えたが、どうするかのう」
西教寺の住職め、とうとう来なかった。
後で文句を言ってきても知るものか。
明智光忠「墓で御座いますが、殿の傍に葬って頂とう存じます」
光泰 「皆も同じか?」
家老達は皆頷いた。
本来なら家老の家族に任せるのが筋だが、
明智光忠の跡取りの光近は、今後も側近として残り、
明智秀満の奥さんの倫子はまだ若く、嫁に行く可能性があるので、
光秀と同じ所に葬っても問題ないそうだ。
藤田行政の跡取りの秀行は、この後丹後国に行くが、
長岡家の土地に墓を作る訳にはいかない。
先祖の墓は美濃に有るが、作るなら近場の近江の方が便利だそうだ。
斎藤利三の場合は藤田家と似ているが複雑で、
家族は二つに分かれるが、
美濃だと稲葉家との関係もあり絶対無理であり、
やはり近江に作った方が良いと結論が出たそうだ。
何よりも本人達が傍に埋めてほしいと願っているので、
家族達も納得したらしい。
光泰 「では墓の並びじゃが、色々あるがどれがよいかのう」
墓の表記: 明智光秀=父
光慶→定頼=兄
隠岐惟恒=爺
明智光忠=忠
明智秀満=満
斎藤利三=利
藤田行政=行
北側が上。南向き
僕が提示したのは、まともな案順に、
席次型、ピラミッド型、 扇型、 囲み型、
兄父爺 利忠満行 父 利行
利 忠 兄爺 兄 爺 兄父爺
行 満 父 忠 満 忠満
利 行
隠岐惟恒は明智光秀と光慶の、二代連続の傅役でもあるので、
この位置になっている。
明智光忠「暇だったので御座いますか?」
光泰 「まさかこれほど延びるとは、思っても観なかったからのう」
本能寺の変から、20日も経っていた。
本能寺の延焼、織田信忠の死、織田信長の急変、安土城の延焼、
清須会議、そしてほとんど雨。
明智秀満「忘れられてるのかと、思うておりましたが」
光泰 「ずっと忘れてくれたらよいものを、
まあお陰で、此方も色々と出来たがのう」
お墓はあっさりと席次型に決まった。
光泰 「さて、まだ時間はあるな、聞きたい事がある。
父上は何故、上様に謀反を起こしたのじゃ?」
確信に迫ろう。歴史上、多くの謎とされた本能寺の変の真相を。
斎藤利三「それはやはり、信忠に失望したからで御座いましょう」
光泰 「信忠?信長ではないのか?」
斎藤利三「信長公は厳しいお方で御座いましたが、
理には適っておりました。しかし信忠は問題が御座いました」
光泰 「待て待て、父上は{敵は本能寺に有り}と言わなかったのか?」
明智秀満「言っておりませぬが?」
あれれ、可笑しいぞ。有名なセリフだぞ。根本から変わるぞ。
ここから長々と事の経緯、明智家に何が起きたのか、
そして憶測も含む側近達の答えを聞いた。
光泰 「つまり悪いのは、佐久間信盛なのじゃな」
佐久間信盛をご存知だろうか。僕は知らなかった。
事の起こりは、松永久秀の謀反から始まる。
当時、大和国の半分を収めていた松永家は、佐久間信盛の与力であった。
そして松永家の敵であった筒井家は、明智家の調略により、
織田家の軍門に下り、明智家の与力となった。
これは松永久秀にとって、目障りな出来事であった。
ここからは憶測が入るが、どうやら佐久間信盛の調整が旨くなく、
松永久秀を謀反に走らせた疑いがあるそうだ。
次に荒木村重の謀反になるが、元々の理由が荒木家与力の中川清秀が、
石山本願寺に兵糧を送っていた疑惑なのだが、
石山本願寺攻め担当の佐久間信盛が、中々攻め落とせない理由にする為、
でっち上げられた嘘ではないかとの憶測があるそうだ。
その証拠に中川清秀は、直ぐに降伏して許されているのである。
ただ荒木村重の場合は、黒田官兵衛に酷い仕打ちをした事と、
毛利と繋がっていた事、城に家族を残して逃げた事により、
村重の一族や重臣達は皆殺しになった。
また、徳川家康の嫡男信康の話にも関わっていた。
ただしほとんどが憶測であり注意が必要だが、
信康と徳姫の夫婦仲は悪かった。
信長の耳には、信康の悪評が流れていて、
佐久間信盛による謀略ではないかと、
斎藤利三は疑ている。
全ては天正三年に佐久間信盛の讒言により、
徳川家家臣で家康の母親の実家の、
水野家の武田家内通の疑惑が明るみに出たのが始まりである。
その後水野家はお取り潰しに合い、領地は佐久間家の
領土となった。
つまり佐久間信盛は、水野家の一件で味を占め、
松永家、荒木家、徳川家に謀反の疑いをかけ、利用したのである。
ただその後、冤罪と解り佐久間信盛は失脚するのだが。
光泰 「しかしそれがどう関わってくる。
佐久間信盛はもう亡くなったのであろう」
斎藤利三「佐久間信盛の子、信栄が今年に入り信忠の傍に
使えるようになったのは、ご存じで御座いましょうか」
織田信忠と佐久間信栄は、元々年の近い友人だった。
名前も勘九郎信忠と甚九郎信栄、重用されても可笑しくはない。
光泰 「信忠や信栄に恨まれる筋合いでは無かろうに」
斎藤利三「実は光慶様が元服の挨拶に参った際に、
信忠が明智家を妬む出来事が御座いました」
光泰 「兄上が何かやらかしたのか?」
斎藤利三「信忠お抱えの者に、将棋で勝って
仕舞われたので御座います」
しまった!!穴熊囲いを教えてしまってた。
光慶は元々真面目な性格である。
この数年の間で、将棋の腕をメキメキ上げ、
誰も敵わなくなっていた。
光泰 「信忠は兄上を脅威に感じて仕舞われたのか」
斎藤利三「元々、凡庸なお方で御座います故、
それに御顔も・・」
実は、自分で言うのも何だが、明智家はイケメンの家系である。
今まで自慢にしか成らないので、言わなかった。
光泰 「下らぬ、実に下らぬ」
斎藤利三「殿もそう仰って居りながら、
将来を悲観したのやも知れませぬ」
まとめると、信忠は光慶に嫉妬して、
追放したはずの信栄を呼び戻し、明智光秀に呆れられた。
また信栄は失脚した理由を、光秀の諫言に因るものだと
決め付けてもいる。
結論、本能寺の変は、妙覚寺の変でした。
悪いのは佐久間信盛、信栄、織田信忠。
信長はとばっちり。
明智光秀は息子に被害が及ぶ前に、先手を打った。
盛り上がらないよ、大河ドラマにしにくいぞ。
佐久間が敵役なんて地味すぎる。
明智光近「若様、住職がおみえに成りました」
明智光忠「これ、もう殿と呼ばぬか」
光泰 「構わんぞ、まだ殿と呼ばれるほど、歳は取っておらぬ」
殿と呼ばれるのはしっくりこない。新しい呼び名を考えておくか。
住職 「中々挨拶も出来ず、申し訳御座いませぬ」
光泰 「墓は此方で決めさせて貰ったが良いな」
住職 「墓は既に御座います」
光泰 「準備が良すぎるのう」
住職 「四月に日向守様から頼まれておりまして」
光泰 「父上がか?まるで死ぬのが解って居た様ではないか。
焦っていたのかのう」
明智光忠「殿も齢で御座いましたから」
住職 「皆様は、御存知無かったので御座いますかな?」
光泰 「何の話じゃ?」
住職 「日向守様は、不治の病に罹って居られた事で御座います」
光泰 「知ってたか?」
明智秀満「知りませぬ」
最も傍にいた秀満さえ知らなかった。
光泰 「父上は目的を果たせたのかのう」
藤田行政「果たせて居りまする。明智家は残りました。
信忠が弟に殺されたと聞いた時は・・☻」
光泰 「これこれ、不謹慎じゃぞ」
神子田 「もう宜しいかな?」
切腹の時、迫る。
本能寺の変は新説にしました。
持論ですが、研究者は信長は見て
信忠を全然掘り下げていない者ばかりで、
佐久間に至ってはドラマで活躍せず、
信長を悪くするため、怪しい逸話が多すぎます。
黒幕説のほとんどが論外、語る価値無し。
長宗我部説は、そこまで義理立てるほどの間
とは思えない。批判は募集中。