無駄な下ごしらえ
相変わらず、私の生活には奇妙なことが起こり続けた。
駅まで歩いていたはずなのに、いつの間にか自分の部屋に戻っていたり。
学校の門をくぐると目の前に海が広がっていたり。時を重ねるごとに移動先は元いた場所から遠くなっていった。都合よく時間を短縮できることもあったが、困ったことに移動先や移動するタイミングは私には制御できなかった。
樹は未だ帰っていない。もう十何回目にもなる婚約記念旅行から帰ってきた樹の両親は警察に捜索願を出していた。私がすでに警察に訴えていたことが少し問題になった。
面子と責任のかかった警察の必死の捜索も効果を為さなかった。
唯一の目撃証言は私の疲労からくる見間違いとして処理された。警察もまさか空から現れた謎の人物が破壊した壁をもとに戻して樹を連れ去っていった、なんてことを鵜呑みにはできなかったようだ。
樹の両親にも正直にこの話をした。二人は、私の言うことを真剣に聞いてくれた。私が嘘つくような子ではないことは知っている。朱里ちゃんが樹の事を心配してくれて嬉しい。朱里ちゃんが無事でよかった。と、そう言ってくれた。少し泣きそうになった。
岡崎君とも話をした。当然補習にも参加はしていなかった。家にも来ていないらしい。プールに行ったあの日が、三人が顔を合わせた最後の日であった。
夏休みに入って最初の週が終わった。空では太陽が地球を焼いていた。朱里は太陽の大きさが、己の非力さを突きつけてくるように感じた。
何分経っただろうか。重い沈黙を俺が破った。少しでも希望を見つけたかった。
「な、なあ。この世界には能力者はたくさんいるんだろ?世界線を移動できる能力者も他に居るんじゃないのか?」
そうだ、何もイラカだけが能力を使えるという訳じゃない。すぐに見つからなくても、虱潰しに探せば・・・
「無駄だ。俺たち二人ともう一人。それ以外のこの世界の人間は表世界に干渉することすらできない。
お前の存在を認識できるかすらも怪しいもんだ。」
イクチがそう言った瞬間、イラカが声を上げた。
「あっ!そうだよ!もう一人、いるじゃんか!表世界に干渉できる人!」
「だけどな・・・あいつがこいつの尻拭いの手伝いをすると思わない。下手にこいつと合わせても最悪こいつが死ぬ。それは避けたいんだが・・・」
な、なんだか物騒な話をし始めたぞ・・・誰の話をしてるんだ・・・
「でも他に解決策が思いつかないよー。」
イラカが言う。イクチも同じ様子だった。
「仕方、ないか。」
イクチが苦い顔で言う。そしてついてこい、と、家の外へ向かった。
付いていく俺とイラカ。
「なあ、そいつ一体何者なんだ?俺の事を知ってるのか?」
イラカがにんまりしながら言う。
「もちろんだよー。樹の事知らない訳ないよー。」
表世界で俺と会ったことがあるのか。俺に対して殺意を持ってるね・・・正直会いたくない。
「今から会う奴の事を少し話しておいてやる。そいつは他人の脳波を受信することができる。所謂テレパスってやつだ。受信した脳波を他人に送信し、複数人で脳内会話、なんてこともできる。体力のせいらしいが一日数分しかできないがな。」
「あ、じゃあその能力で表世界の朱里に連絡を?」
「ああ、ただな・・・」
イクチが言葉を濁らせる。
「どうしたんだ?」
「その、なんだ。そいつはな、あまりこの世界に固執していないみたいでな・・・なんというか、協力してくれるか怪しいのだ・・・」
この世界に固執していない?この世界が崩壊しきってしまったらそいつも死んでしまうんじゃないのか。
「まあ、なんにせよ会って話すのが早いだろうな。こっちだ。」
といってイクチは荒れた地面を踏み、山道を登り始めた。
はあ・・・
今日も樹を見つける事はできなかった。
朱里は最寄り駅についた電車から降り、溜息をついた。改札をくぐり、自宅へと足を運ぶ。
駅前の雑踏から離れ、住宅街を抜け、静かな土の道を歩く。木々が道の傍から朱く染まる朱里を見守っていた。
ビラを貼ったり、SNSで呼びかけてみたりと、様々な手段を試した。が、やはり有力な情報は得られなかった。分かっていた。もうすでに、なんとなく。
樹はこの世界にはいない。死んだわけではないと思う。でも、少なくとも私と同じ世界にはもういない。そんな気がしている。確証はない。根拠もない。私と樹を結ぶ何かが、そう言っている。
私の身に降りかかっているこの謎の現象。これはきっとあの宝石に触れたことによるものだろう、と私は思っている。樹もきっとあれに触れてしまった。だから消えた。
もしかして、樹は連れ去られたのではない?自分の意思で消えた?そんな考えが頭の中を廻る。廻らせながら朱里は歩く。なので。
前から歩いてくる二人組の男に気づかないのも当然であった。ドンという、やや重い音が聞こえた。
「あ~いってえ。やっべえ。いてえわぁ。」
片割れが大げさにそういう。アロハシャツにひざ下の短パン、といういかにもな恰好をした男であった。
「す、すみません。」
朱里は小さく頭を下げ、足早にそこを離れようとする。その肩を、もう一人の男が掴む。
「お嬢ちゃぁん。ぶつかっといてそれだけってこったあねえだろ。こいつ、かなり痛そうなんだけどぉ?」
ニヤついた顔で言った。アロハシャツの男はいてぇいてぇ、とわざとらしく喚いている。
ひっ、と朱里は小さく声を漏らし、男の手を払い走り出した。
閑静な住宅街を朱里の小さな体が駆ける。後ろからはまってよぉ~という声が聞こえる。
その距離はだんだんと縮まってくる。実に十メートルほどである。朱里は大通りに向かって全力を出した。きっと人の目があればきっと。
その期待はこちらに向かって突っ込んでくるダンプカーによって打ち砕かれた。車の主は気を失ったかのように寝ている。
咄嗟に避けるだけの体力は朱里には残されていなかった。
朱里の目にはこちらに向かってくる車がとてもゆっくりに見えた。後ろでは男たちが飛び出していた。
噓でしょ・・・こんな所で私、死ぬの・・・?
最後にこんな目にあって・・・樹の顔も見れないまま・・・
でも、いいかな・・・なんて。樹がいない世界ならいっそ―――
爆発音が響き渡る。
周囲数メートルを熱風が襲う。炎の柱が立った。
轟々いう音だけが、道路脇で奪われた命を見送っていた。