自己投影
激しい頭痛と共に俺は目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは、窓。そしてその先にある荒廃した世界だった。
ビルに絡みついた蔦は灰色の媒体を緑に染め上げている。
そこに人の気配は感じられない。少なくとも、数年の時をビルは一人で過ごしたであろうことが容易に想像できる。
今まで何度も見かけた電車は、レールからはるか遠くに離れた場所で横倒しになっている。
目視できる建造物の窓はそのほとんどが割れており、窓としての機能を失っている。
自分の身の周りを見渡す。どうやら俺は小さな部屋の中にいるようだ。ベッドの上で寝ていたらしい。仄暗い部屋には窓、こげ茶色のタンス、そして俺の蹴りで壊れてしまいそうな扉が一つ。
「何・・・だ。何がどうなってるんだ・・・」
記憶が曖昧だ。俺はなんでこんな所にいるんだ・・・?確か・・・
「お目覚めか。本当、よく寝るよ。」
扉の方からかかる声に俺は振り向く。黒いでそろえられたロングコートと、マスク。身長は俺の鳩尾ほどの少女がそこに立っていた。眼帯は外されていた。思い出した。俺はこの少女、イラカによって襲われ・・・そして・・・
「な、なあ。イラカ・・・だよな。ここは一体どこなんだ?どうして俺をここに連れてきたんだ?あの魔方陣は何なんだよ!」
「また質問攻めかあ。ここは並行世界よ。あなたによって生み出された、ね。そしてあの魔方陣はいわば扉。この世界と貴方の住む世界を繋ぐドアね。」
並行世界・・・何を言ってるんだ。そんなものが存在するのか?
「それに理由は説明したはずだよ。後始末だって。」
「後始末?どういう事だよそれは。大体この世界を俺が作ったって、意味わかんねえよ。何だ?俺は神か?創造主か?違う。俺はただの高校生だ。一般的で、普遍的で、どこにでも存在する、普通の高校生だ。それが・・・」
「普通の高校生は時間を戻すことができるのかしら?」
言葉が詰まった。
「貴方、人生で何回時間を巻き戻したかしら。百回?千回?いや、もっとかしら。」
答えられない。覚えていない。
「確かに俺は数え切れないくらい力を使ってきた。俺の身を護るために、身内の身を護るために。だが、それが何なんだ?この世界と何が関係あるってんだよ!」
「まだわからないの?」
イラカが少し眉間に皺を寄せながらに言う。
「貴方が能力を使うたび、貴方の都合のいい方にそっちの世界は変わったわ。でも。」
イラカが一呼吸置く。
「でも?」
「貴方は考えなかったかしら?もし能力を使わなかったら。使わなかった世界と使った世界。どれだけの違いがあるかを。」
「そりゃあ考えたことくらいあるさ。今日だってそうだ。もし力を使わなかったら、俺の親友は死んでいた!この力のおかげで生き長らえたんだ!」
今日ほど大きな事故から救った事はなかった。が、当然今まで考えたことはある。むしろ、テストのたびに考えてたね。力は使っていないけど。
ふーっとイラカは息を吐いた。そして呟いた。
「今日、こちらの世界の螢が死んだわ。」
な・・・何言ってんだ。目が見開く。一瞬、思考が止まる。
「貴方が救ったのは、貴方の世界の螢。でも。」
冷ややかな声で、イラカは続ける。その視線の先は、俺ではなく窓の外だった。
「貴方はこちらの世界の螢を殺したのよ。」
再びイラカは、一呼吸置いてこう言った。
「ここまで言えばわかるでしょ。この世界は貴方が初めて能力を使ったときに分岐した、もしもの世界。
この世界は貴方の世界、表世界としましょうか。表世界に順じた、裏世界なの。あなたは何度も何度も能力を使った。その度に、こちらの世界では歪が生まれた。貴方が能力を使わなかった時の結果が、こちらの世界に現実として押し付けられているの。」
脳が処理しきれていない。そんな話があるか?あり得るのか?疑問が次から次へと湧いてくる。疑問を口にしたかったが、イラカがそれを許さなかった。
「外を見たでしょ?この風景。これも貴方が生み出したのよ。貴方は知らず知らずのうちに、表世界をこうならないようにしていたのね。」
再び外の世界を見る。煤けた空に、曇った地面。人の思い描く「負」を具現化したようだ。
「未だに信じられないが。俺をここに連れてきて後始末しろって言ったってどうすりゃいいんだよ。あの蔦を全部毟ればいいのか?」
イラカがムッとする。なにか言いたげに口を開こうとした時だった。
バァン!
ドアを蹴り飛ばし一人の男が部屋に入ってくる。その姿を見た俺は、またしても言葉を失った。
毎朝欠かさず目にする顔。一番身近で一番知らない顔。絶対に別れられない顔。
そこに立っていたのは、俺だった。
「よお、親父。この世界については理解できたか?」
顔には生々しい傷がいくつかついていた。
「お、俺だ・・・俺がいる・・・」
やっと出た言葉がそれだった。
「これで信じてもらえたかなー」
俺と俺の顔を見比べながらイラカが言う。ハッと気が付く。イラカのこの声、この身長。そして、俺の横に佇むこの様。こいつ・・・もしかして。イラカの顔を見つめる俺。なんで今まで気づかなかったんだ。その目はきっと、驚愕のあまり見開いていたのだろう。
「あ、気付いた?やっとかあ。案外気付かないもんなんだね。」
そういってイラカは顔の半分以上を隠していた黒いマスクを外す。これもまた、よく知っている顔だった。目の前には俺と朱里が仲良く立っていた。
混乱した頭も、落ち着きを取り戻してきた。いつも螢はこんな感じだったんだな。と、話す目の前の二人を見てそう思った。
「んで、どこまで話したんだ?」
と、俺が言う。俺じゃないほうの俺が。
「んーとね。この世界の存在と、生まれた理由かな。」
「分かった。なら樹。大事なことを説明してやる。」
お前だって樹だろ?馬鹿にしてるのか。
「ああ、俺の名前はイクチだ。よろしくしたくはないな。」
心の声でも読めるのか。こいつは。形式上の握手を交わす。こっちだって願い下げだ。イラカが横でニマニマしながらこちらを見ている。本当に瓜二つだ。
「単刀直入に言う。お前にはこの世界の崩壊を止めてほしい。」
何度か同じようなことを言われていたが、改めて言われると少し身構える。
「それで・・・俺は一体何をすればいいんだ?」
「この世界にはだな、樹、お前のような能力者が蔓延っている。もちろん全人類とはいかないが、ほとんどの人間は特殊な能力を持っているんだ。ここにいるイラカもそうだ。」
「待てよ。イクチ、お前は使えないのか?世界線が違うといえ、俺なんだろ?なら力、いや能力か。持ってるんじゃないのか?」
「言ったでしょ。この世界は貴方が能力を使わなかったifの世界。貴方が能力を使ってこの世界を生み出した瞬間、この世界でイクチが能力を使える可能性は無くなっているのよ。私以外の能力者も、表世界ではただの人間。そして、表世界で能力を使った人間は、裏世界ではただの無能力者になるわ。今のところあなた以外の人間は表世界で能力を使っていないみたいだけどね。」
「じゃ、じゃあ朱里も・・・?」
「ええ、能力の可能性を秘めているわ。表世界最初の発現者である貴方の近くの存在だし、特にね。」
そうだったのか・・・。もしかして、だからあんな話を俺に・・・。
「いいか、話を進めるぞ。」
それかけた話をイクチが戻す。
「具体的に世界の崩壊を止める。と言っても方法がわからんだろう。」
「ああ。」
「ところで、だ樹。お前、何秒時間を戻せるんだ?」
「唐突だな。十秒ほどだが。」
「ふむ。この世界には、三つの『高貴なる宝石』と呼ばれるものがあってな。」
「『高貴なる宝石?』
「ああ。それはこの世界のどこかにある、とされる代物だ。その宝石に触れたものは神をも凌駕する力を手にすると言われている。」
「で、それを探せと?」
「そうだ。それを手にすれば樹の能力を引き出せる。するとお前は十秒どころか何千、何億もの時間を操ることができるはずだ。そして。」
「この世界を。崩壊する前に戻してくれるか。」
「あ、ああ。それくらいならお安い御用だ。だが・・・」
俺の言わんとする不安をイラカが察し取ったのか、イラカの口が開く。
「問題は、それがどこにあるか。よね」
「そ、そうそう。それだよ。」
流石18年間の付き合い。よくわかっている。別人だけど。
「それは心配ないわ。」
「ああ。」
世界中に三つしかないのに?
「ど、どこにあるんだよ。」
「あくまで三つのうち一つだが・・・」
ごくり、と喉が鳴る。イクチは言う。
「樹、俺とお前の家の小屋の中だ。」
「・・・へ?」
目の前の俺は一体、今なんて言った?