四 自称「いい女」登場
マリオ君がおもしろすぎる。真夏の日本のオフィスの風物詩、「冷房で冷えきる女子対暑がりの男子」の対決が当社でもまた開戦した。若手だけで集まった飲み会で、その話題から若干一部男女が険悪になりかけたのだが、マリオ君はイタリア人の顔なのによどみないネイティブの日本語を使い、こんなことを言った。
「さすがに冷房強くしすぎだよ。女性全員が寒いって言ってて、男性は一部しか暑いって言ってないんだからさ、暑い人は風鈴でガマンすべきだよ」
風鈴って……イタリアふうの口元から出る言葉としてはあまりに風流なことだ。風鈴じゃ実際温度は下がらないけど。マリオ君が大真面目に言ったので、その場にいた全員が大ウケした。当のマリオ君はなぜ笑われたのかわからない顔をしていた。
でも、もっとおもしろいのは、一番暑がっていたやや太めの若者が、本当に風鈴を持ってきたことだった。風が吹きつけるタイプの冷房じゃないから、どこに吊るしたって鳴らないが、「気分、気分」とのこと。吊るす場所を決めるのにみんなで盛り上がったそうだ。
また別の機会には、こんなこともあったらしい。マリオ君の教務課は私たちと同じ運営部に属するのだが、おなじみのセクハラ運営部長が、旅行のお土産を配る女性職員に、
「奈良なんて辛気臭いところ行ってきたのか。寺と仏像しかなくて、つまんないだろ」
などとくだらないことを言った。マリオ君は即座に反論した。
「そうですか? 僕は奈良の寺社仏閣は本当に面白いですよ、爆笑ですよ」
そういう「面白い」じゃないだろうとか、仏様に失敬なのではないかと皆は思ったが、部長はマリオ君が「今の発言はお土産をくれた女性職員に失礼なのでは?」と微妙に咎めたのがわかったのか、すぐに女性職員に言った。
「そうか、山田が爆笑するほど面白いとこに行ったのか。おみやげ、ごちそうさん」
そこへ、マリオ君はたたみかけた。
「奈良は鹿せんべいも美味ですよね。鹿と同じものを食べて動物と気持ちを分かち合うなんて、日本ならではの風習だと思います」
全員の時間が一瞬止まり、すぐ口々にツッコんだ。
「鹿せんべいは鹿のえさ!」
「人は食べないよ!」
「分かち合う風習とか、聞いたことないよ!」
マリオ君はびっくりして言い返した。
「父と母が、僕にそう教えてくれましたよ。我が家は、奈良に旅行に行くと、必ず家族と鹿で鹿せんべいを食べています」
場を代表して、部長が締めた。
「山田、それ多分、オヤジが間違えてるか、オヤジがイタリア人の嫁さんとおまえを騙してるぞ。鹿せんべいは鹿のえさだ。俺は嘘も冗談も言うが、これは真面目だ」
マリオ君は「父に確認します」とムキになっていたようだが、翌日、「父が嘘をついていました」とうなだれていたそうだ。
私たち教材二課は閉じた空間にいるので、こういう話は女子会や人とのランチタイムにウワサで聞くことになる。マリオ君のすごいところは、自分が笑いを取るだけでなく、周囲の人がそれに乗っちゃうことだよな。
いい男ってなんだろう。営業部には顔のいい男や感じのいい(イケメン風の)男もたくさんいるんだけど……我々「事務方」と自称している運営部教務課、教材一課、教材二課、庶務課および営業部宣伝課の女子は、営業部の男子の面々を「口が上手くて信用できない」と言っている。もちろん彼らは顧客を説得するのが仕事だから、口が立たなくてはいけないわけだが……。
でも、我が教材二課の小上課長も可愛いんだけどなあ。真面目できちょうめん、人当たりもやわらかくて(やわらかすぎて頼りないくらいに!)、ちょっと甘ったれで愛しいんだけど、そもそも対象に入れてもらえない。女子会の際に「小上さんってどうですか」と言ってみたら、全員が「言われてもねえ……」と首をかしげて固まってしまった。ごめん、課長。
なお「ワーストワン」は庶務課の野口さん。「そろそろ夏なのにスーツの上が真冬物」とか「今日は髪の分け目が左右逆だった」とか、ちょっとしたことで「やだー」と言われている。考えようによっては「逆マスコット」として愛されているのでは。
ところで、こうやって女性陣は会社の男性をいいの悪いのとやっているわけだけど、じゃあいい女って誰だろう。私は化粧もほとんどしてなくて髪型も毎日同じお団子なので、男性から見ればまず圏外だ。庶務の若い女の子は可愛いけど、子犬みたいな可愛らしさで、男子が一目置く感じではないかな。一番美人なのは教務一課のベテランミセスだけど、既婚のうえに年齢的にも大御所だし。あとはだいたい可もなく不可もない女子たちの集まりだから、全員がそれなりに仲がいいのかもしれない。
そんなことを考えていたら――秋。人事異動でまた一人、本部事務方のスタッフが増えた。所属は運営部の下に新設された「渉外課」。これまで営業部宣伝課がやっていたマスコミ対応など他社との折衝を担うのだそうだ。
やってきたのは、すらりと背が高く、髪の長い、雰囲気のある女性。二十八歳、私より二つ年上だ。なんというか、美人オーラが出ている。これは男性職員たちの中でポイントが高いだろうなあ……と思った。
なんで一人だけの部署を作ったかって、どうも社長の気まぐれらしい。マリオ君も突如「英語が必要」とか言って採用されちゃったけど、その延長線上。「宣伝の部署がマスコミ対応をしてる会社なんて、ないぞ」と言って突如作ったとのこと。
この女性、暮沢沙織さんは、元々都内別校舎所属の教務課の人だったらしい。一人で一部署を担当するなんて、大抜擢だ。しばらくは営業部宣伝課に席をもらい、いろいろ引き継ぎを受けたり、教えを受けたりしていた。
私は当然、この暮沢さんも女子会に呼ばれるものと思っていた。だが、彼女が入ってきて最初の女子会に彼女の姿はなかった。
「で、どうなの、彼女は。いい人?」
宣伝課の女子に向かって質問が飛んだ。まずは品定めから入るらしい。でも待てよ、私が入ってきたときは、すぐに女子会に入れてもらえたように思うけど……。
「一応、ちゃんとした人っぽい。でもちょっと、気になるところはある」
宣伝課の女子二人が顔を見合わせ、うなずく。
「なんていうか……男女を分け隔てするような態度はないんだけど、男相手でも女相手でも、『私っていい女だから』みたいな態度なのは、ちょっと気になるかな……」
「男子も、暮沢さんがそんな感じだから仕方なく『いい女』扱いするしかないっていうか……」
とりあえずは月末ごろに「たまには女子会でも」というノリで彼女の歓迎女子会をイレギュラーにやることになった。私は先輩社員を一人捕まえて、こそっと聞いてみた。
「あの、私が入ってきたときも、どうするこうする……みたいな話ってあったんですか?」
返事は、とてもガッカリするものだった。
「ゴメン、花房さんは化粧っ気もないし地味で真面目っぽいし、女子の敵にはならなそうだから、全員一致で普通に呼んだ」
うーん、女子の敵になる気はないけど、安全な人にしか思われないのは淋しいものだ。そしてつまり、暮沢さんは「女子の敵になるかもしれない」と警戒されているわけね。
宣伝課の女性から暮沢さんに「月末に飲み会をしましょう」と声をかけておいてもらい、運営部の女性たちはあまり彼女と関わらないまま日々がすぎた。
さて、いよいよ暮沢さんを囲んでの女子会当日。彼女は真っ先に「彼氏はいない」と言い、その瞬間、女性一同に微妙な緊張感が走った。
彼女はすぐに我々に逆取材した。
「――で、この事務所で、一番人気の男性って誰なんですか?」
ニコッと余裕の笑顔が怖い。独身女子クレサワよ、そういう聞き方をしてどうするのかな? 「みんなの一番好きな男子」を狙う気かな?
「一番面白い人は、マリオ君ですよね~」
真っ先に上がったのはそんな声だった。どうも皆、思いは同じらしい。このひと声で、全員の中に「古葉君の話はしない」という暗黙の了解が成立したのを感じ取った。
「マリオ君って、山田さんですよね。でも、あの人、外国の人じゃないんですか? 明らかに見た目が日本人じゃないんですが……」
暮沢さんに聞かれて、皆が嬉々として答える。
「お母さんがイタリア人で、お母さん似らしいです」
「あの人がいるところって、いつも笑いが絶えないっていうか、ほんとに面白いんです」
それからしばらく、暮沢さんは営業部のそれなりに見た目のいい人を「あの人ってどうなんですか」「じゃあ、あの人は?」などと聞いていた。私は顔と名前がいまいち一致しないので、ただなんとなく聞くだけ聞いていた。
それが一通り終わると、次はこんな質問が我々に向けられた。
「運営部の男性は? 山田さん以外の」
さあ~て困った。なんだこの、古葉君に忍び寄る魔の手、って雰囲気は。
「あの、先に教えておきますけど、庶務の野口さんは、やめたほうがいいですよ~」
教務課の女子が慌てたように口を開いた。
「えーっ、あの人、ごく普通っぽいし、親切でしたけど……」
暮沢さんが驚いたので、そこから野口さんの逸話の告げ口大会になってしまった。皆、いくらなんでも、ちょっとしたことで嫌いすぎだと思う。微妙に変なところはあるけど、私は迷惑をかけられたりしてないから、全然嫌いじゃないよ。
その日の女子会は見事、一言も古葉君の話題にならずに終わった。だが、私たちは甘かった。特定の若い独身男性がいっさい話題にならない――ということは、その彼が一番の本命と推測するのは容易ではないのか。
いつもの女子会の締めの「次は○月ね!」の確認のひと言は、誰からも発せられなかった。暮沢さんが女子全般に警戒心を起こさせたことがよくわかった。次回の女子会に、彼女が呼ばれるかどうかは未定だ。これからの二か月で見極められるのだろう。
いよいよ暮沢さんが一人立ちすることとなり、運営部に席がしつらえられた。とは言っても庶務課の一角に机がぽつんと置かれただけだけど。
さっそく彼女は我らが教材二課に挨拶に来た。なお、各校舎に年中出かけている小上課長は、都内別校舎所属だった彼女とはすでに馴染みだった。
「このたび渉外課が立ち上がることになりました。小上さんは、今後ともよろしく、ですね! 花房さんとは女子飲みでご一緒しましたし、――あの、古葉さんとは挨拶くらいしかしたことがないので、これからよろしくお願いいたします」
その言い方だと、私にだけ「よろしく」って言ってないぞ、とか内心で意地悪を言ってみる。だって、「古葉さんとは」のところでちょっと上目遣いになったんだもん。
その日の夕方、いつものように終業のチャイムが鳴るとすぐに古葉君が出て行き、私も帰り支度をしていた。そこへノックの音がした。つまり、庶務の野口さんである。
「あ、花房さん、お一人なんですね」
しらじらしい声に私は作り笑いを返した。古葉君が出ていくのを見計らって来たのかな。今日は課長が夕方出掛けちゃったし。
野口さんは二、三歩教材二課の中に入ってきた。
「えっと、あの……庶務の近くに今度、暮沢さんの席ができたじゃないですか。うちの女性たちは窓際の作業机でお弁当だし、僕はお昼は一人の主義なので、彼女、誘ってあげてくださいね」
そんなことを言いに来たのか。暮沢さんは、新人の小娘じゃなくて、二十八歳のしっかりした女性なんだから、自分で昼食時の身の振り方は決めるだろう。返事はしてあげるけど。
「そうですね、一人の部署だから、気を遣ってあげたいですよね」
「あの、それと……」
野口さんはしばらく何か言いにくそうにしていた。やがて意を決したかのように、くるっと私に背を向け、こう言い残して去っていった。
「僕は、暮沢さんより、花房さんのほうがステキな女性だと思ってますんで」
……しまった、古葉君が忠告してくれたとおりだ。なお、正しく訳すと、「暮沢さんって綺麗だよね、でも、僕はその綺麗な暮沢さんより、そんなに美人じゃないけど花房さんがいいと思っていますよ」ってことだよな。……なんて理屈っぽいことを考えているうちに、対応は決まった。
「聞かなかったことにしよっと」
また待たれているといけないので、その日は三十分ほどサービス残業をしてから帰った。やはり、何らかのタイミングで私に婚約者がいることは公表しないとまずいらしい。恋愛沙汰に育てないよう、こういう対処は早いに越したことはない。
とはいえ、ちょっとだけ、私も捨てたものじゃないって思ってもいいよね。女子力から言ったら、私なんて暮沢さんの足下にも及んでないけど。彼女、メイクもカンペキで、ネイルとかもバッチリだもんな。私はどうも、あのネイルってやつが、時間の無駄に思えて仕方ない。シジミ貝十個に色を塗れ、とか言われたら面倒じゃない? あれをやらなきゃいけないなら、女子なんてやってられないな。
翌日、私はさわやかに出勤して、すれちがった野口さんにもごく普通に「おはようございます」と挨拶してあげた。野口さんはホッとしたようだった。度胸ないなら、会社で毎日顔合わせる女性にハンパなイイコト、言うなよな。
なお、野口さんに言われたので暮沢さんのランチタイムの様子も気にしてみたりしたが、彼女は颯爽と一人でお昼に行き、颯爽と帰ってきていた。ね、小娘じゃないんだから。
木曜日の午後、給湯室で会った時に、暮沢さんは私をお昼に誘ってきた。それで金曜日に一緒に行った。
「花房さんって、古葉さんと仲いいの?」
食事の時、彼女がタメ口になっていてびっくりした。でも、彼女のほうが年上だし、おかしいわけではない。ごはんに誘われたときは「行きませんか?」という言い方だったから、ちょっと面食らってしまったけど。
「普通に仕事の協力くらいはしますけど、プライベートな関わりはまったくないです。関係性は良好ですが、仲がいいわけじゃないですよ」
「そうなんだ。お昼に一緒に行ったりくらいはするの?」
「いえ、部署を空けないように、必ず交替で行ってます」
「へえ」
この会話、前もあったな~。おんなじ状況だったらやだな~。
「ねえ、古葉さんって彼女いるの?」
この質問も、前にあったな~。おんなじ状況だったらやだな~。
「結婚しないことが付き合う条件だそうです」
あっしまった、会話が噛み合ってない。慌ててフォローする。
「だから、とりあえず、いないみたいです」
なんか、この人に対して「古葉君に彼女がいない」って言うのがすごくやだ。私には関係ないけど、やっぱりなんだか嫌だ。
「そっかー、いないんだ~」
暮沢さんはニコーッとうれしそうに笑った。私はひっそりと、血の気が引いた。食いついた、この人。もちろん、女子一同にそれを告げ口したりはしないけど。女子の集団心理に流されるつもりはないからね。基本、私は一匹狼だ。
そうさ、先日の女子会で、皆が一番意識してるのが古葉君だなんて、この女子力の高そうなお姉さんには余裕でわかったに違いないんだ。私は気にしていないふりをしつつ、パスタをぐりぐりフォークに巻いていた。
「仲がいいわけじゃない、とか言いつつ……花房さん、彼に、恋、してる?」
してないもんねえ! 残念でしたあ。
「いや、私、来年結婚するんです。会社に公式には伝えてないので、知らない人も多いですけど」
「そっか」
次に暮沢さんは私の目を上目遣いに覗き込んで、とんでもない言葉を放った。
「じゃあ、古葉さん的には、花房さんはアリなんだ。だって、花房さんと恋愛する分には、結婚しなくていいわけでしょう?」
なんじゃそりゃ。私は古葉君に変な感情を持ってなんかナイよ。婚約者とちゃんと来年結婚するし、浮気も絶対しないよ。目を丸くしたり、目を白黒させたりしていたら、暮沢さんは大笑いした。私はやっと自分がからかわれたんだと理解した。
「なんてこと言うんです。私は、彼氏ひとすじですからね!」
わざと胸を張って言ってみた。いや、ホントはね、時々、古葉君にドッキリする瞬間はあるんだけどね。古葉君がいるおかげで、会社が不必要に楽しいんだけどね。
「冗談よ。でも、うちの女性たち、花房さんも含めて、古葉さんがイチオシなんでしょう? この前の女子会、古葉さんに手を出すなって感じ、アリアリだったもん」
げろー。やっぱりバレてたよ~。
「いやー、微妙なとこなんですよー。最初は何人か多分、古葉君狙いの人はいたんでしょうけど、結婚NGが条件ってことがわかって、じゃあやめとくか~っていうのが私たちの共通認識です。結局みんな、結婚は意識したいから、一応、『ナシ』なんですよ」
暮沢さんはそれを聞いて、唇に指先を当てていたずらっぽく「ふふふっ」と笑った、私はその時、「この人は、心から自分のことを美人だと思ってるんだな~」と思った。
なんとその翌週、古葉君が私をお昼に誘ってきたので相当びっくりした。
「花房さん、今週、時間あったらお昼一緒に行かない?」
なんてクールに言われて、私は多分、顔は明らかにドッキリしちゃったに違いない。全力で平静を装って、上から目線を気取ってみせた。
「どういう風の吹き回し? 別にいいよ、迷惑じゃなければ」
あ、失敗。「迷惑じゃなければ」は下から目線だ。
「小上さんが昼の十二時にもういなかったら、その時、一緒に行こうか」
「うん、わかった、了解」
ダメじゃん私、めっちゃ喜んでるじゃん。自分の浮かれっぷりを自覚するにつれ、くれぐれも相棒のこの小賢しい男に騙されてはいけないと、自らを戒めた。
水曜日、十一時半に課長が出かけていったので、「十二時から事務職はいっせいに食事時間」という職務規定を使わせてもらった。部署を留守にしてもいい一時間。
私たちのいる事務所から少しだけ歩く、古葉君がよく使うという地下の喫茶店に一緒に行った。向かい合って座り、熱いおしぼりで手を拭くと、古葉君はしばらくそれでギューッと目を押さえていた。私は、彼とこんなふうに会社以外の場所で二人で向き合うなんてことがないので、やっぱりいささかドキドキ動揺していた。
古葉君は左右にちらちらっと視線を送り、それからニコッとして言った。
「――ここ、社内の人と会ったことが一度もないから、重宝してるんだよね。お昼に人と会って、話しかけるかどうかとか、気を遣うの面倒だから」
そうかい。私は、お昼に出た先で誰かに会うの、割と楽しみにしてるけどな。セクハラ部長は嫌だけどね。
「月曜日に暮沢さんにつかまっちゃってさ。お昼行ったんだ、一緒に」
古葉君は言った。暮沢さん、私とお昼に行ったのが金曜、古葉君をつかまえたのは週が明けてすぐの月曜か。素早いな。本気で狙うつもりなんだろうか。
「これまで女性とお昼行ったことなかったのに、暮沢さんだけ特別みたいになったら、ちょっとね。誤解されないように、少なくとも、花房さんとは行っておこうと思って」
……はあ、……なるほどね。今日誘ってくれたのは、「何分の一」を「何分の二」にするための「薄め係」か。いいけど~……
「あれ? ガッカリした?」
古葉君、私の心が読めるわけでもあるまいし、よくそんなこと図々しく言うなあ! 一歩間違えれば変なカンチガイ野郎だからね!? ……でも正解なんだけど。
私はすぐに渋面を作って反論してあげた。
「なんでガッカリするの。私、別に、古葉君狙いじゃないもん」
彼はおかしそうに笑うと、次のサプライズを私に向けて放った。
「知ってる。来年結婚するのも、聞いた」
えっ誰から!? いつ、どこで? 暮沢さんが言ったのかな?
私の驚きを見て、古葉君はまた笑った。その目は勝ち誇っていた。
「なぜか、女子が俺に告げ口してくれた。ナイショだけど、って」
その言い方は、暮沢さん以外の「女子の誰か」の仕業か。私と古葉君がイイ感じにならないように釘を刺した子がいるんだな。それが誰かは問うまい。結果的に、私と彼の間に誤解が発生しなくていい。
「知っててもらったほうが後々楽かもしれないから、伝わってるなら、それでいいや」
「でも、それについても聞いておきたかったんだよね。結婚したら、仕事辞めちゃうの?」
「辞めない、辞めない。結婚で退職することはないよ。ただ、二、三年くらいして、出産とかあったら……なんとも言えないけど」
「そっか、――俺は、三年を目処に転職しようと思ってるけどね」
えっ!
「最終キャリアにするには小さい専門学校だし、もうちょっと何か考えて、キャリアアップしたいなと思って」
「……そうか、古葉君のほうが、辞めちゃうのか……」
「でも、あと二年以上いないと、三年にならないから。上手くタイミングが合ったら、一緒に辞めようよ」
なんでそう、ドッキリするようなことを言うかな。「一緒に辞めよう」とか……不必要な親しみを投げるのはヤメてよね!
「一緒に辞めたら、ウチが困るでしょ?」
「辞める時は、関係ないよ、そんなの」
冷たいというか、ドライというか、割り切ってるなあ。私と古葉君が同時に辞めちゃって、途方に暮れる課長は想像したくないな。
「たまには会社を離れて、こういう話ができるのもいいでしょ。三年後に辞めるとか、結婚退職するのかとか、会社の飲み会では話せないし。いくら他の目から隔離されてても、部署ではもっと話せないし」
「うん、確かに、それはそうだね」
食事の後、コーヒーを飲んでいて、もう一つ古葉君の魅力を見つけてしまった。コーヒーカップを口に運ぶ時の、伏せたまぶたがカッコいい。仕事の時の、机に少し前かがみになって下を見ている感じじゃなくて、体は起きていて、顔だけ少しうつむき加減にして、目を閉じない程度に伏せるまぶたがなんとも大人の男っぽくて、イイ。ルックスがいいわけじゃ、絶対ないんだけどな~。
店を出るとき、古葉君がさっと伝票を手にレジに向かったけれど、当然「会計は別々で」と言うと思っていた。年齢も一緒だし、仕事的にも対等な立場だし。私は財布を出し、かつ自分の金額を用意しながらついていった。そしたら、
「会計は一緒でいいです」
と言って彼が払ってしまったので、私は大慌てで「あ、ちょっと……」と声をかけた。
「とりあえず、出てからね」
そう言われたので、そのままお金を握り締めてまずは店の外に出た。
喫茶店の階段を上がりきると、古葉君は変な、困った顔をして私に告げた。
「悪いけど、ここ、払わせてくれない? 月曜、暮沢さんのランチ払わされてさ、彼女だけオゴってあげたとか、俺困るから」
「えっ! じゃあ、外向きには私にオゴったって言っていいから、出すよ」
「いや、勘弁して。彼女だけ特別扱いしたみたいなの、俺自身がなんかヤだから」
結局、彼が頑ななので、お昼はオゴられてしまった。
「変なの。嫌ならランチ断ればいいのに。オゴリも、うまくかわせばいいのに」
なんだかどうにも申し訳ない感じが抜けなくて、私は口をとがらせて言ってみた。古葉君はふーっとため息をついて、
「俺、そういうのもコントロールできるつもりでいたんだけど、彼女みたいに『当たり前でしょ?』ってやられるのはけっこう厳しいね」
と言った。
「どういうふうにやられたの?」
「事務所出たら、後ろから『お昼、ご一緒しちゃおうかな~、どこ行くんですか?』……それで、銀行行くからとか言おうと思ったんだけど、『美味しいお店教えてください! さっ、行きますよ』ってもう先を歩いてどこかに向かってるし。一緒には行かないなんて、プライドを傷つけそうで言えなかった」
「オゴりのほうは?」
「だってもう、『ごちそうさまですー』って先に立って、伝票置いたまま店の外に出ちゃうんだもん。伝票置き去りだけなら、カッコ悪くても『まとめて出しておいたよ、じゃあおいくらね』って言うテがあるけど、先にお礼言われたらね……」
へえ~。私には無理だな~。いるよね、「男が出すの、当たり前でしょ?」っていう人。男性に「いい女」扱いされて生きてくるとそういう習慣が身につくんだろうな。
「だから、今日これで、会社の女性とのお昼もオゴリも『何人かと何度かあるよ』って言えるから、よかったよかった。ありがと、助かった」
私は満足そうな古葉君の横顔をちらっと見た。つまり、彼は、暮沢さんのことをそんなにイイとは思っていないんだな。よかった。まあ私には関係ないけどね!
そうそう、もう一つ質問。
「古葉君って、相手が彼女とかでも、デートで断固オゴらないタイプ?」
「ワリカンもしなくはないけど、基本的には、それなりに格好つけちゃうほう。恋愛ならね。でも、会社だと、誰にオゴったのオゴらないのと、面倒だったりするでしょ。だから昼メシは一人で行くし、誰にもオゴリはナシ。それでケチとか言われても気にしない。俺が俺に対して自分がケチじゃないと思える辻褄が合ってれば、人に何言われても別にいい」
古葉君、すじを通すとか辻褄が合うとか、そういうのを大事にするんだな。若いというか、まっすぐだね。男の子だね。けっこうけっこう。
あと、「恋愛なら格好つけちゃうほう」っていう回答で安心した。私は恋愛でも割り勘派だけど、男の側にそういう格好をつける姿勢がないのはガッカリする。それも女のワガママで、「そういう微妙な要求が難しいんだよ」って男子には叱られちゃうかな。でも、古葉駿二は、格好良く恋人にご馳走できる人であってほしい。そして「恋愛ならね」っていう線引きも、いいと思う!