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存在の行方を求めて  作者: だみや
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遺書

 2013年8月10日、木山敬一郎は自殺した。齢24という若さであった。

遺体の側に置かれた遺書は、高級紙で包まれ筆書きで丁寧に綴られるという、現代においては時代錯誤とも呼べるものであった。


「このような結末になってしまったことは、私自身本当に残念に思っています。今まで育ててくださった父母、ご縁のあった数え切れない数の人達にこの場を借りてお詫び申しあげます。私もできるなら明るい展望を描き、このような結末以外の道を選びたかったのですが、そうもいかなかったようです。最後に幾らばかりか私の想いを残してゆこうと思います。

 

 私が死ぬのは、経済的苦労でも、先の見えない社会のせいでも、病気のせいでもありません。それらは私の心に多少の影を落としますが、それで死に追いやられるほど細やかな感性を持っていなかったと自覚しております。

 

 私が死ぬのは、私という存在の不明さに耐えられなくなってしまったからです。このような文脈で語ると、恐らく私はうつ病だとか不安障害などと診断され、治療の対象となったことでしょう。私はそれの意味のないことを知っています。私の抱えていた問題は決して特別なことではなく、多くの人間が苦悩してきたという事実も知っています。そのような問題と向き合い続けてきた多くの偉人がいること、その問題を解決する道筋がいくつか示されていることも知っています。しかし、つまるところ彼らの知識では私は救われなかったのであります。結局のところ私は救われなかったのであります。

 

 私が死ぬのは、視界、救いの手を求める両腕が既に捥がれていたという事実を知ったからであります。私の想いを理解してくださる方がどれほどいるかは分かりません。ただ、私に共感してくださる方々に申しあげられることは、救いはあるということです。あなたに腕がついているのなら、目が見えているのなら、救いを求めることができるということです。どうか一人でも多くの方が救われますよう、今祈っています。きっと今しか祈れないだろうから。」


 

 

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