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鮮血硝煙  作者: 有友美琴
6/9

鮮血硝煙 六話

――こうして、二人の出会いから真の物語が始まる。長き前奏が終わり戦場にて奏でられる鮮血と硝煙に塗れた二重奏が始まるのだ。

クルツが十分後に目を覚ますと、彼を後方に移送しセリウスが指揮を執る準備がされていた。帝国士官用の部屋であった場所から一階へと降りてきたクルツはそその必要はないと言わんばかりに命令を下す。

「本部に制圧済みの連絡はしたな? ならば、この村を確保するための後続部隊を要請しろ。部隊の半分をここに置いていく。セリウスがそれを指揮しろ。……あの少女は我が部隊の管轄とするように本部に連絡しておく。これは特務事項であり上層部の許可に依る上申なのでまず間違いなく通るだろうからそのつもりで。それ以外の人員は私の指揮の下ラルフ率いる別働隊と早急に合流する。さあ、動け!」

 村を制圧したからと言ってクルツ達の戦いはまだ終わらない。別働隊の元へ向かう班が五分後に出撃していった。これにより、既に王国軍の勝利は確定的なものになった。平原の東側に位置するラジリカ村より出現した王国軍が奇襲を仕掛けてくることなど帝国軍は想定していなかったためである。と、いうよりも開戦の段階で兵数こそ同じものの、その軍備に差があったためこの結果は当然の事と言えた。宣戦布告した側の有利さを十分に生かした王国軍総指揮官の手腕ともいえるだろう。

 国力で数段階劣る王国軍が帝国軍を緒戦で打ち破ったことは、各国に少なからぬ衝撃を与えた。元々、侵攻するならば帝国軍の方からで、戦争は一月もしないうちに帝国の勝利に終わると考えられていた。古くからの伝統にこだわっている王国など、既に古き遺物だと。だが、実際には王国軍から宣戦布告をし、さらに緒戦で大きな勝利をするという結果になったのだ。下手に手を出しては危ないと静かな動きしか見せていなかった各国外交管たちが蠢動し始めるのは当然の流れでもあった。カリスティア王国随一の外交官が英国大使と二度目の会

談を開始したのはラージェリア平原での会戦が終わった翌日のことであった。

「ブレットさん、今回は王国の勝利に終ったようですな。貴方からすれば嬉しい出来事でしょう」

部屋に入るなり緒戦の話題を出すシミオン。英国紳士らしくコートを羽織っていた彼はドアの横のハンガーにそれをかけると椅子に座る。

「そうですね、これを受けて各国の皆様も忙しくなるだろうと思うと同情を禁じえませんが、祖国の勝利は素直に祝いたいところです」

あくまでも冷静に答えるブレット。その顔を眺めニコリと笑うシミオン。彼の言った言葉を受けての笑いだ。

「こうなってしまえば、既に各国の予想とは大幅に変わってきてしまっているように見える。が、その実態は違うんじゃないかね?」

正面からの切込みを行おうとする彼の言葉を、ブレットはさらりと躱す。

「帝国の軍事力を分析したうえで充分に戦争に勝利することができるとの判断です。それ以上でもそれ以下でもない以上、貴方の質問にはお答えできませんな」

「そうですか。……帝国軍は広大な領土から徴兵された圧倒的な量の歩兵部隊、長年の研究によって培われた魔術技術を誇る帝国魔術師団等の戦力があります。緒戦での導入には間に合わなかったようですが、今後貴方達は不利になる一方だと私は思うのですが」

「そうですか、貴方がそう思うんならそうなんでしょう。貴方の中ではね」

どこまでも冷たいブレット、彼の顔を見な

がら、ため息をつきシミオンは問いかける。

「そうだ、この間の紅茶を頂けませんか?お互いにゆっくりと(・・・・・)話し合おうじゃないですか。これからの戦争の行く末はともかく、王国と我が英国の関係の行く末をね」


英国を代表する外交官と王国を代表する外交官同士の会談。これは今後の戦争の行く末を決定付ける物であるとお互いに確信していた。



――この条項を飲んでいただければ―――――しかしそれでは――ならば、―――ありえませんな――本気ですか?ここはこうしなくては――ありえません――――――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


静謐な室内は一瞬で喧々諤々とした会議の場へと変貌した。お互いにどこまでなら譲ることができるのか、相手が本当に求めているものは何なのか、相手の提案の自分にとってのメリットは何なのか、様々な要因を探り合い、時に領土の話をし、時には人材の話をし、牽制としての話あるいは本命としての話をし、疲労しようともそれを表情にすら見せず、紅茶を一口飲みまた話はじめ。……そんなことを繰り返していたら、二人が話し始めてからなんと五時間もたっていた。互いの国を背負った話し合いはひとまず終了を迎えたのだ。この話し合いの結果決定された条約が翌日の朝発表されることになる。ブレットがやっとの思いで勝ち取った成果、それは。




英国と王国の間に相互不可侵条約(・・・・・・・)を結ぶというものであった。


緒戦に王国軍が勝利した直後のこの声明によって、各国外交関係者は再び衝撃に見舞われることになる。このタイミングでの発表など、王国軍の勝利によって結ばれた条約であるのは誰でも分かることであった。だが、圧倒的な強さを誇る帝国相手に戦っている王国に対して英国側から不可侵条約を結ぶなど、常識から考えればあり得ない話だったからだ。広大な植民地を持ち、かつては世界の覇権を握らんとしていた大国イギリスが、大陸では強国であるとはいえカリスティア王国と条約を結ぶなど。

 だが、この事に最も驚いたのは帝国である。古の覇権国イギリスが王国と不可侵条約を結んだ、というのは直接的にではないものの今回の戦争において帝国ではなく王国を支持すると言っているようなものだったからだ。


そして、その条約が結ばれた数日後に、さらなる衝撃が帝国を襲うのだった。


極東の新興国家、大日本帝国の対ミルドガルシア帝国宣戦布告である。


かつて帝国が蛮族と蔑んでいた国に侵攻し逆に大敗してしまった事は帝国政府の記憶に新しい。一時は首都モスクワから政府高官が連続で逃げ出すなど、完全な恐慌状態に陥っていた。蛮族と侮っていた日本に負けた衝撃は根深かったのだ。一瞬で切り裂かれる主力級戦車、放たれた大規模魔術を一瞬で崩壊させる謎の技術、歩兵でありながら超高速で移動してくる侍達。一説によれば〈突撃者〉の現在の兵装は日本の侍が使う術式をサンプルに構築されたとまで言われている。


「同志エゴール・スクリプチェンコ外務大臣。今回の条約とそれに伴う日本の宣戦布告は非常に問題だぞ。私としては貴様の祖国に対する忠誠心が非常に疑わしく思われ、今回の結果は資本主義的思想に染まった貴様が売国行為を行おうとしていると判断せざるを得ない。貴様は優秀だったが我らが共産主義の素晴らしさを真実理解していたとは言い難かったのだな。残念だが、判決は銃殺刑。手ずからに殺してやろう」

「ま、待ってください同志スターリン!や……やめ」

一発の銃声が響き渡る。


「――せ」


「――殺せ!」


「――王国軍に向けて第三魔術師団を差し向けろ! 中央管轄の師団を日本軍に差し向けろ! 満州を制圧し我ら共産主義の領域を広げろ!」


「殺せええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

首都モスクワにスターリンの叫び声が響き渡る。粛清を恐れた部下たちはこれより数日不眠不休であらゆる態勢を整えるのであった。



ラージェリカ平原での戦闘が終結し、クルツ達は次なる作戦行動に備えて、占領した都市であるカメシコヴォの王国軍士官用寮にて、ラジリカ村で保護した少女ポリーナと話をしていた。

「色々と、ごたごたしていたので改めて直接お礼いたします。あの人から助けてくださってありがとうございました。あのままだったら、私……」

「ふん、あんなのはただの偶然だ。私に感謝などしなくてもいい。それより、どうしてあの村にいたんだ?」

「実は、こうやって戦争が始まるちょっと前まで、あの村には普通の人しか住んでなくて、平和に暮らしてたんです。――でも、ある日突然軍の人たちがやって来て、駐屯地にするからすぐに立ち退くように、って言われたんです。そんなのは皆も嫌だったけど、政治委員もいたし逆らったら何をされるかわからなかったので、皆は平原のちょっと離れた村に移住したんです。でも、私は政治委員の世話をするように命令されちゃって。村の皆に心配させたくなかったからなんでもないように振る舞ってたんですけど、でもやっぱり怖くて」

そこでいったん口を閉じ、クルツの方を見つめ頭を下げる。

「だから、本当に嬉しかったんです。たとえその後銃を突き付けられたとしても結局殺さないでくれた。クルツさんは、優しい人です」

彼女が向けてくる純真な瞳に、つい妹を想起してしまうクルツ。苛立たしげに手を振り、言葉を遮る。

「まったく、もういい。――用件を伝えるぞ。ポリーナ、君にはしばらく私の部隊と共に行動してもらう。もちろん前線に連れていく気はないがね。だが、どうせしばらく任務は無いだろうからそんな心配は無用だろう」

彼の言葉を聞いたポリーナは笑顔を浮かべながら、クルツに手を伸ばす。

「じゃあ、クルツさんが戦場に立って危ない目にあう事もしばらくは無いんですね!よかったです。私の事助けてくれた人が死んじゃうなんて嫌ですから」

「……まったく、お前は状況が分かってるのか?ポリーナ。王国軍に保護されているんだぞ?実質的には捕虜になったようなものだ。それで文句を言わないとはどういう事だ」

「――クルツさんも言ってるじゃないですか。保護してくださったんだって。だから、私に文句なんてありません」

表情も変えずに当たり前のように言うポリーナに、呆れたと言わんばかりの溜息を洩らし、クルツは上着を羽織り扉を開けようとし――目の前から飛び込んできたラルフにぶつかりかける。

「うおっ……ごめんね、ポリ――ってクルツかよ。なに扉の前に突っ立ってんだよ。ポリーナちゃんにちゃんと伝えたのか?街を散策しに行ってやるって」

「……なぜそれを暴露する」

クルツの返事に肩を竦め、ポリーナに向かってニコニコ笑いながら話しかけるラルフ。正直軟派な感じがする光景であった。

「あのね~ポリーナちゃん。クルツの奴ってばポリーナちゃんを気晴らしに街に連れて行ってやろうなんて言い出したんだよ。心配だから俺も一緒について行ってあげるよ。じゃあ、着替えたら外に部屋を出てきてねー。ほらクルツ、ポリーナちゃんが着替えるんだから外に出るよ」

そう言うと、ラルフはクルツの腕を引っ張りながら外に出てくる。そして、一転した真面目な表情を浮かべると、問い詰めるような調子でこう言った・

「……お前らしくもないな。あの娘を殺そうとしないなんて。帝国人は皆殺しじゃなかったのか? ……一年前の帝国領土における工作作戦の時、お前は何のためらいもなく少女を殺そうとしていたじゃないか」

「結局、お前に止められたがな」

二人の脳内で再生されたのは一年前に、帝国の極秘兵器が隠匿されているという村への侵入が発覚し、帝国軍が村に火を放ち乱戦になった時の情景である。クルツが少女の両親を殺し、亡骸に縋り付く少女を背中から撃ち殺そうとした時に、ラルフが制止しに現れたのだ。

「――どうしてだろうな。ポリーナを見たときに、何故か妹のことを思い出したんだ。そうしたら、殺したら駄目だって気になって。どうしても引き金が引けなかった」

クルツの事情を詳しくは知らないラルフであったが、彼の表情を見て口を閉じた。これ以上ここでこの話題を出すことは避けた方が良いだろうとおもったのだ。

「お待たせしました! 行きましょう!」

部屋から出てきたポリーナの姿は、先程までの寝巻のような恰好をしていた時と比べて何倍も可愛らしさが増していた。あまりの愛らしさにクルツすらも見とれてしまう程であったのだ。……というよりも、先に我に返ったのはラルフであった。クルツを肘でつつき、こう言った。

「よく似合ってるよポリーナちゃん。な?クルツもそう思うだろ?」

その言葉に賛同を示し、三人で歩き始めるクルツ達。


 建物から一歩足を踏み出すと、そこは賑やかな大通りであった。屋台や店が立ち並び、戦争中だからこそ市民たちはより元気を出して頑張ろうとしていた。ここに駐留していた帝国軍のあまりの酷さに、王国軍に対する住民の目は非常に好意的なものが多い。

「あ、あれ良くないですか? やってみたいです! 私、こんな大きな町に来たのは初めてなんです!」

生まれて初めての大都市に興奮しているのか、射的の屋台に向かって走り始めるポリーナ。ルールはいたって簡単で、店主に渡されるおもちゃのライフルにゴム弾を込めて景品を倒すだけどいう物だ。彼女はその中でも最も大きなクマのぬいぐるみをとろうとしていた。ワンゲームで五発の弾丸を渡される。ポリーナの射的センスはなかなか高く。その構え方を見ていたクルツが少し感心する程だった。だが、当たってもクマのぬいぐるみは少し揺れる程度で倒すことは出来なかった。

「クルツさん、取れませんか?」

「な、なぜ私がクマのぬいぐるみなんぞを取らなければ……!」

抗議しようとするクルツだったが、ラルフの冷たい目と、ポリーナの悲しそうな目に押されてしまったのか承諾してしまう。

「……まったく、仕方がないな。店主さん、弾をくれ。」

金を渡しながら弾丸を受け取ったクルツ。おもむろに銃を構えると。

パン

パン

パン

パン

パン

五発連続でクマの額にあてた。それも、揺れが最も大きくなった時を狙って。ぐらぐらとした揺れが次第に大きくなったと思ったら、最後の一発でクマを倒すことに成功したのだった。

「やりました! ありがとうございます!クルツさん! ……あっ! 次はあれが食べたいです!」

屋台の看板を指さし走り始めるポリーナ。その後ろ姿を仕方ないと言わんばかりに笑いながら追いかけ始めるクルツ。その後ろ姿をラルフが眺めているとも知らずに……




二時間が経って、日も暮れ始めたころ彼らは最初の部屋に戻ってきた。久々に遊びまわって疲れただろうとラルフはポリーナとクルツを部屋に送り届けると、去って行った。

「クルツの奴、変わったな」

そう、呟きながら。

「クルツさん、今日は本当に、本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです。いろんな物を食べさせてくれて、ぬいぐるみまで取ってくれてありがとうございます」

ポリーナの頭に手を乗せ、ポンポンと叩くクルツ。その表情は帝国人を前にしているとは思えないほどに厳しさの消えたものであった。

「まったく、そんなこと気にするんじゃない。明日は、ラジリカ村の人たちが住んでいるところに行くからそのつもりでな」

「はい! 解りました!」




二人がこうして話している時、既に運命の歯車が回り始めていたことは誰も知らない。




クルツ達が町を散策した翌日の朝、目を覚ました彼らは朝食をとり、偵察任務の体をとってラジリカ村の住人たちの元へポリーナを連れて行こうとしていた。

「ウィングストンは威圧感がありすぎるから……セリウスを随伴させた方がいいと思います、クルツ特務中尉殿」

「進言を受け入れようラルフ。ポリーナは一応中央にいてくれ。周辺でゲリラに襲われんとも限らんからな。それでは出撃する。これは特務部隊としての行動であり、本作戦にて行われるあらゆる行為は生涯隠匿すべきものだと心得よ」

クルツの定型文的な注意に、全員が頷きを返す。それを確認し、平原へと歩み始める。

「なあ、クルツ。ちょっと良いか?」

周りにポリーナがいない事を確認し、ラルフがクルツに話しかけてくる。

「どうしてだ? お前の妹さんに似てるからって、あの娘を保護しようとするなんて。俺がいなかった以上お前が躊躇う理由なんてなかったはずだ。帝国人は年齢に関係なく皆殺しにするのがお前の信条だと思ってたがな」

「殺そうと思ったんだがな。正直に言えば政治委員のお気に入りなんて殺さない理由が無かった。……だが顔を見たとき妹が成長したらああなっていたんだろう、と思ってな」

「なっていた……か。俺はお前に妹がいたことも知らなかったよ。亡くなったのか?お前の妹さんは」

「ああ、私がまだ幼かった時に、両親と妹が帝国軍に殺された。どうしようもないな、私は。帝国人への恨みしかなかったはずなのにあの娘を助けてしまった。初志貫徹もできないとはな……」

忌々しげにつぶやくクルツを見つめながら一瞬笑い、再び真面目な顔になるとラルフはこう言った。

「じゃあ、お前はもう帝国人は殺さないのか? 連中に対する殺意ももうないと?」

「まさか、そんな訳はないだろう。私はポリーナを殺さないというだけだ。帝国軍の連中は許すことができない。なにせ、私の両親を殺した奴は今もまだ帝国軍で活動している。〈黒衣無双・ヴァレリー・アントロポフ〉帝国軍上層部に重用されているらしい。どう調べても名前しか出てこないが、奴を殺すまでは私の復讐が終わることは無い」

再び帝国軍と相対した時の冷たい光を眼に浮かべるクルツ。相変わらずのその様子に呆れながら水筒の水を呷るラルフ。

「まあ、いいさ。お前がポリーナを守ろうとしただけでも一定の進歩があったって事だ。ほら、村が見えてきたぞ。……そろそろポリーナが戻ってくるぞ、この話はここでやめにしよう」


「クルツさん!見えてきました。私の故郷の人達が並んでます!」

クルツがあらかじめ連絡しておいたためだろうか、ポリーナのことを迎えに村人たちが入口に集まってきていた。彼らの顔は仲間であるポリーナと再び出会えた喜びに輝いている。それを見て駆け出そうとする少女の肩を後ろからつかんで止めたのはクルツであった。

「待てポリーナ。お前、一応王国軍に保護されてるって事を忘れてないか?」

彼女が不満げな表情を向けるのもお構いなしに、クルツはこう叫んだ。

「私は王国軍特務中尉クルツ・ガーフィールドである! こちらで保護したポリーナの在住していたラジリカ村の住人達であるな? 村長に会わせていただきたい!」

その叫び声が聞こえたのだろう、村人達が中央を開け、そこから一人の老人が現れた。彼はゆっくりと最前列に来て、傍らの若者に何やら話しかけていた。

「私が村長のユスチン・ヴォロジンです。ポリーナを保護してくださってありがとうございます。老体故こちらに来ていただければ幸いです。……と、言っています」

話しかけられた若者がクルツにそう叫んだ。

「――まあ、それもそうか」

納得したようにラルフが頷き、クルツに進むように促した。

「行くぞクルツ。ポリーナをこれ以上待たせたら後が大変そうだ。さっきから頬っぺたを膨らませ続けててえらい表情になってる」


彼らが村の前にたどり着くと、駆け出したポリーナが村長に抱き付いた。

「村長さん! 良かった、無事だったんですね。心配していたんですよ。もう年なのにいっつも仕事ばっかりしてたから……」

それを受けてそっと目を閉じゆっくりと首を振る村長。

「私こそすまなかった。政治委員殿のお誘いを断ることが出来なくて。辛かっただろう……本当にすまなかった」

ポリーナと二人で抱き合い互いの無事に安心し涙を流す。それは周囲の村人にも伝染していった。クルツの部隊にも涙もろい兵士がいたようで彼らも目じりに光が走った。

「そしてクルツさん、本当にありがとうございました。貴方がいてくれて本当に助かりました。王国軍の保護下に彼女が置かれたという事は、この先戦争がどう推移していこうとも彼女は安全なのですよね? 帝国軍からの干渉も受けず、共産主義圏で暮らすこともないと?」

年老いたその瞳に浮かべている光は熟練の兵士であるクルツすらもやや威圧する程のも出会った。共産圏で村長として何十年と生き抜いてきた者が放つその光は、ポリーナを守りたいという意思をも示していた。

「……そうだな、特務中尉としての権力を最大限駆使してポリーナを守ることを約束しよう。……私としてもその理由がある。彼女の生まれについて知りたいんだが」

クルツの問いかけにいぶかしげな表情を浮かべた後、ポリーナに心配したような目を向ける村長。

「……構いません、私から説明します。クルツさんは何も知らないんですから」

そこでいったん言葉を切ると、ポリーナは覚悟したように話始めた。

「私には三年前、ラジリカ村の近くで倒れていた以前の記憶がありません。今日この日まで、村長さんや村のみなさんに助けていただいて生活してきました。幸い、何故か記憶に残っていた医術で生計は建てることが出来ましたから」

「そう……か。医術を覚えていたのか」

ポリーナの言葉を反芻するクルツ。そんな彼の目をしっかりと見つめ、ポリーナはなおも言葉を紡ぐ。

「私は両親の顔を覚えていません。どこで生まれたのかも、それまでどんな人生を歩んできたのかも知りません。だけど、村の皆と一緒に暮らしてきて、沢山の愛情を感じてきて、私はとっても幸せなんです」

強い口調で断言して見せた彼女。その姿は一種絵画のような美しさを誇っており、つい見とれてしまう者も出た。クルツも、実は少しだけその仲間になっていた。

「そうか、良かったな。こんなにもいい人達に助けてもらえて」

クルツが彼にしては珍しく素直な感情を乗せてそういうと、ポリーナはまた大きく笑い深くうなずいた。草原の風に舞った草が彼女の横を駆け抜け、太陽に照らされた頬は赤く輝いている。健康的な美に彩られながらも、どこか女性的な魅力すらも感じさせるその笑顔は、今度こそクルツすらも魅了した。――だからこそ、だからこそ。




彼女の頬に紅い液体が降りかかった時。




誰もがそれを美しいと思ってしまったのだ。




「……え?」

つい先ほどまで当たり前だと思っていた光景。幸せな光景。村人達に囲まれて、懐かしい故郷に帰った気分。安心した気持ち。そのすべてが音を立てて崩壊していくのをポリーナは感じた。


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