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魔王様の烏滸鳥⑨

 振り仰いでみれば、そこには僕の付添人が佇んでいた。

 濃藍の髪に同色の三白眼。黒の詰襟に甚平とチャイナ靴という独特の服を着こなす、魔王様崇拝者。

 口が悪いけど面倒見の良い、職人肌あんちゃんだ。

 そんなに長い間離れていた訳じゃない筈なのにーー何故か、凄く懐かしいような感覚に襲われた。

 朝と殆ど同じ姿なのに、何でなのだろう?

 唯一の相違点は、その手にある見慣れない追い鞭だった。

 ーー馬車とかで馭者(ぎょしゃ)さんが馬をぴしぴし打つ、アレだ。

 真っ黒いから自分の影で作った物なんだろう。それを右手に、左手は僕の頭上に置かれたまま動かない。

 鋭い三白眼はディアンさん達を睥睨(へいげい)していたが、すぐに椅子に座る僕を見下ろしてきた。

「カ、ガゲヤン……っぴぐ」

 カゲヤンを見たら安心して、また泣けてきた。

 もう箸が転んでも泣ける気がする。今の僕は涙腺全開なのだ。

 ぼろぼろ流れ落ちる涙を見て、カゲヤンは方眉を跳ね上げた。

 頭に乗っていた左手が下ろされて、それが涙を拭うように伸ばされーー。

「こんの……大烏滸鳥がっ!!」

 なかったっ!?

 目を覆うように伸ばされた手によって、がしぃっと音がしそうな程の顔面鷲掴みをされた。

 優しさの欠片もないその手は、こめかみを捉え強固な枷のように締め付ける。

 ーーじたばたもがいたけれど、びくともしねぇ!

「何故そうも泣かされるまで俺を呼ばんのかっ! 呼べば助けてやると言ってあったろうに!ーーよもや、忘れていたなどとは言うまいな? 鳥頭も大概にしろ、烏滸鳥め」

「ぴっ!忘れてないのですよっ!だってカゲヤン、人前に出たくないみたいな事言ってたじゃないのですか!余程の緊急時じゃなきゃ呼ぶなって……!」

 そう抗議すると、ぎりぎり締め付けていた掌がぴたりと止まった。

 しかし、外れない。

「ぴぐぬぅっ!カゲヤン、手を離すのです!儚くも涙する僕に対して、もっと優しさとか思いやりとかを持つべきなのですよっ!」

「言葉を(たが)えるな烏滸鳥。お前のそれは、儚くではなく情けなくと言うんだ。ぴーぴー泣き(わめ)きおって、産まれたての雛鳥かお前は」

「誰が雛鳥なのですか!てか、いい加減鳥から離れて欲しいのですよっ!僕が人だって事、カゲヤンこそ忘れてませんですか!?」

「人に進化したくば、相応の知力と記憶力を身に付けるんだな。何でもすぐに忘れよってからに、はあぁぁぁ」

「これ見よがしに溜め息吐かないで下さいよ!ぴうぅぅ、また泣けてきたじゃないのですかっ」

 再会の感動が台無しだ。いや、最初から感動なんてなかったのか?ぴくそぅ!

 こうなったらカゲヤンの手を盛大に濡らしてやるっ!ずびっ。

 カゲヤンの手首を押さえて、目を覆う掌にぐりぐり顔を押し付けてやった。

「鼻水を付けるな!ーー全く、聖女などに泣かされるとは情けない。誰が泣かされて良いと?」

「ぴぐっ、僕だって泣きたくなんてな……」

「お前が泣かされて良いのは、王にのみ。他者などに屈するな。ーーどうしてもと言うなら俺も、泣かしてやっても良いが」

 ……ぴ?

 いやいや。魔王様やカゲヤンにだって、泣かされたくないのですが?

 何を当然みたく言ってんのですか。僕はマゾではないのです、あり得ない!

「乙女の涙はそうそう流されて良いものではありませんですよっ!」

「乙女?お前は王の烏滸鳥だろうが」

 そう言うと、カゲヤンは鷲掴みの手を外して両手で僕の頬を包み込む。いつの間にか、追い鞭は床に落とされていた。

 熱を持つ目元と頬を押さえる手は、少し固くて冷たくて、気持ち良い。

 僕の目を覗き込む闇色の瞳は、夜空を閉じ込めたかのよう。きらきらの星を宿しているーーとても、綺麗だった。

「良いか。お前の喜びも怒りも嘆きも、与え奪うは王の手のみ。ーーお前の全ては王のものだ。努々(ゆめゆめ)それを忘れず肝に命じておけ、烏滸鳥」

 ぴ、ぴーーっ!?

 横暴とはこの事を言うのだろう。

 何勝手に僕を私物化!?断定口調で決め付けているのか。あり得ない、あり得ないのだっ!

 ーーそう思うのに、何故か顔がかあぁっと熱くなった。

 だって!カゲヤンの言い方……まるで魔王様とカゲヤンとで、僕を独占するって言ってるみたいなのだ!

 強く執着されてるって、変な錯覚をしてしまいそうーー。何だこれ、恥ずかしいっ!

 う、嬉しくなんてないのですからねっ!僕が欲しければ、お父さんを通してからにして下さいですよ!

 あまりの衝撃に大混乱していると、頭上でふっと笑う気配がした。

「漸く泣き止んだか、全く。俺の手を煩わせるなど、烏滸がましい鳥だ」

 はたと気付くと確かに。こんこんと溢れていた涙はいつの間にか止まっていた。

 烏滸がましいなどと言いながら、カゲヤンの目も掌も驚く程優しい。すりっと目元をなぞる親指も。

 ーーその調子で頭撫でてくれたら、凄く気持ち良さそうなのだ。

 そっとその手を頭の方に持っていこうとしたら、企みがばれたのか、三白眼が再び鋭く光った。

 ーー持ち上げた手が翻り、頭をぺしーんっと叩かれた。

「優しくすれば付け上がりやがって、烏滸がましい。烏滸がましが過ぎるわ烏滸鳥めっ」

「ぴぐぬぅ!だからカゲヤン!烏滸って言う(ごと)に頭を叩くの止めて下さいってば!」

 僕の頭は木魚じゃないのだ!

 座ったままだから尚更叩きやすいのだろう。ぴふぬっと手を退かし立ち上がれば、カゲヤンはふんっと鼻を鳴らしながらも攻撃を止めてくれた。

「ーーうちの烏滸鳥が随分と世話になったようだな、人共」

 机を挟んで対峙するディアンさん達を、カゲヤンは睨み付けた。ガンを飛ばすその姿はまさにヤンキーそのものだーー恐ぇ!

「ーーおいおいディアン、どういうこった?結界に手ぇ抜いたのか」

「んな訳あるか、今もしっかり働いてるっての。ーーなぁアンタ、一体どこから湧いて出たんだ?」

 突如現れたカゲヤンを二人共警戒している。テオさんは腰の剣に手を添えていた。

「俺か?ーーここからだ」

 カゲヤンはにやりと笑って足を伸ばすと、僕の足下で靴をとんとんっと鳴らした。

 何だろうと見下ろしてみれば、カゲヤンの靴は僕の影を踏んでいる。

 ーーあ!

「カゲヤン、僕に付いてる時ずっと影に(ひそ)んでたのですか!」

 カゲヤンの底無し沼(影)は何度か経験済みだ。買い物用品を入れておけるし、影を繋いで別の場所に移動も出来る。大変便利な能力なのだ。

 ぴむ、カゲヤンは影に留まる事も出来るのか。だから昨日、会話の盗み聞きも容易に出来たのだな。納得。

「東闇の力か?影を操るなんて初めて見たな」

 テオさんが興味深くそうに目を見張る。その視線と言葉を忌々しそうに、カゲヤンはちっと舌打ちした。

「俺を人などと一緒にするな。俺の力は王の恩恵、それ以外の何物でもないわ」

「ーーって事はお前、混ざりものか。王って奴は魔神か?」

 混ざりものーー魔人。昨日聞いたおっちゃんの話が甦る。

 魔の力と人が混ざった存在。

 カゲヤンがその魔人?そしてーー魔王様は魔神様?

 ぴえぇえぇぇ!?新事実発覚っ?そうだったのか!?

「はっ、愚かな。王は魔神などではない。王を語りたくば、畏怖を込めて『灰塵王』とお呼びしろ」

 違うのか!ややこしいな!

 しかしカゲヤン、記憶喪失の割にはっきり否定するな。

 魔王様の事だから意地でも覚えていたのだろうか?

「灰塵王だとーー?」

「おい、それーー王女の部屋に残された手紙の奴じゃねぇか」

 ぴっ!そうだ、その誤解もあったのだった!

 テオさんの言葉に、王女様こと金蘭姫誘拐事件を思い出す。

 詳細は不明だが、拐われる筈のない状況でお姫様は忽然と姿を消したらしい。

 現場に残されたのは、拐かしの魔力の痕跡とーー脅迫状めいた手紙。

 その差出人はーー事もあろうに、魔王様の名を(かた)っているのだとか。

「ぴ!テオさん、それは誤解なのです!王女様を拐った犯人は魔王様ではないのですよ」

「そうなのか」

「おいっ!何すんなり納得してんだ馬鹿テオが!ーーどういう事だ、小鳥。何でそう言い切るんだよ」

 テオさん大変素直で宜しいな。

 ディアンさんは疑り深いぞ。僕の言葉が信じられないと言うのか。

「灰塵王こと魔王様ご自身がそう仰ってたからですよ。お姫様の部屋にあったという拐かしの術は、僕を召喚した術の痕跡なんだそうで。それを悪用した犯人は別に居るのですよ!」

 何の目的があるのか知らないが、魔王様を貶めるような真似は許さないのですよ!

 べ、別にこれは、魔王様が大事だからとかじゃないのだ。魔王様vs人間の地獄絵図からの帰宅不可能フラグを回避する為なのだ!

 お父さんとの生活を取り戻す為に、魔王様の汚名も払拭してやるのだ。ぴむ!

「ーーあ、詳細はその紙袋に入ってる手紙をご覧下さいです。魔王様直筆のお手紙ですから、その部屋に残された手紙と筆跡鑑定して貰っても良いのですよ」

 実はこの為に魔王様に手紙を書いて貰った所もあったりする。少しでも魔王様への容疑を晴らしておきたい。

 この世界に探偵さんは居るのだろうか?謎を全て解いて犯人を捕まえて、無事王女様を救い出して欲しい。

 王子様でも聖騎士でも、誰でも構わないのだ。協力は惜しまないぞっ。

「疑いのある奴の言葉だぞ?信じられねぇだろ、普通は」

 ぴむむ、虚言を疑っているですね?

 捜査に慎重なのは褒めてあげても良いのですが、もっと柔軟に受け止めて欲しいのだ。

「確かに魔王様が嘘を言ってる可能性もありますですがーー。本人が言うには、再度術を構築するのは面倒だそうで、興味も失せたしもうやらないとの事ですよ。そんな気分屋のずくなしさんなので、手紙を残すなんて細かい事、あの人には出来ないと思いますです」

「どさくさに紛れて王の悪口か、烏滸鳥め」

 カゲヤンカゲヤン、僕が悪かったので頭鷲掴みは止めて下さいですよ。痛くはないけど圧迫感が凄いのだ!

 貴方の大好きな魔王様を擁護(ようご)する為の発言なのだから、少し位多目に見てくれれば良いのにっ。

「出来ないと思うで、はいそうですかとなるかよ。そんなんじゃ、大した判断材料にはならねぇな」

 ぴっ!似非聖女(えせいじょ)め、人の証言を軽視するとは何事なのか。直訴してやりたいぞっ!

「ーーなぁ、ディアン。どっちにしろ人に仇成す魔物は討伐するんだろ?小難しい事は後でも良いんじゃねぇか?」

「お前、考えるの面倒になっただけだな?ーーけどまぁ、そうだな。どうせどっちも片付けるんだ、手っ取り早い方から済ますか」

 それはつまりーー容疑者に有罪判決して懲役させておいてから、現場検証をするようなものじゃないのか?

 あり得ない、何たる横暴なのだ!いくらなんでも酷過ぎるのだ!

「ぴっ!済ますな暴君聖女めっ!無実の罪で魔王様が討伐させられるなんて、たまったもんじゃないのだ!」

「聖女などに王が(やぶ)れる訳もないが……厭わしい言を(ろう)する愚物め。王を煩わせるまでもなく、俺がその口封じてやろう」

 そう言うと、カゲヤンは床に落とされていた追い鞭を足で跳ね上げた。ぱしっと音を立ててカゲヤンの手に収まる。

 テオさんも剣を抜いて構える。ーー臨戦態勢だ。

「まさかのここで地獄絵図開幕……!?ぴっ、話せば分かります!穏便に済ませましょう!」

 何でこうなった。僕は戦闘を回避する為にここにやって来たというのに。

「小鳥らが大人しく捕まるって言うなら、ここで争う必要はないぞ。そうするか?」

「遠慮するのだ」

 捕まった途端に僕は聖女にされかねないのだ。

 カゲヤンは……無理だな。従うのは魔王様にだけなのだ。

 戦うしか道は無いのだろうか?何でこうなった!?

「そうか。残念だな」

 ディアンさんは瞳を伏せると、ぞろりと長い服の中から杖を取り出した。創世神と八柱の翼神を崇めるこの国独特の、翼がモチーフになった聖杖だ。

 神々のあれこれを教えてくれたモンス司教の杖より細身だけれど、その分小回りが利きそうだ。槍にも見えるそれを、こちらに向けた。

「聖なる子らよ。見に宿る闇を祓い、清廉であれーー聖書にもあるように、聖なる人と闇なる魔は、相容(あいい)れない宿命なんだろうな。どちらかが絶えるまで、この摂理は変わらないらしい」

 確かにどの物語をとっても、正義の味方は人で、魔は悪と相場が決まっている。

 ーー人ならざるカゲヤン達は悪という事なのか。

 ぴむっ、悪だってヒーローになれるのに!そういう物語はここには無いのか!?

「愚物共め。はき違えも分からんらしいな」

 ところがカゲヤンはそれを一蹴した。

 あるのか?悪のヒーローが活躍する英雄憚が。

「光を受けて影が出来るのと同じく、闇とは聖より生ずるもの。神ある限り魔は生まれ、相反するこの世の均衡を保つ。魔のみ廃せば平和になるなどと、人に都合よくでっち上げた思想に過ぎん。ーー影を一掃するならば、光もろとも消し去さらねば意味はないぞ」

 もろともって……相反する二つなのに、一蓮托生なのか?まさかの運命共同体だったのか。

 しかし光のない世界ってーー終末感半端ないぞ。それもう世界終わってないか?

 平和になるどころか終焉を迎えちゃっているのだ。本末転倒だし、そんな未来誰も望んでないと思うのだ!

「……本当に、残念だ」

 思わずといった様子の声に見てみると、ディアンさんが驚いたように目を丸くして、カゲヤンを見ていた。

「まさか、こんな所で俺と同じ考えの奴に会うなんてな。しかも魔人とだと?……何て皮肉なんだ」

 ぴっ、同じ?悪は撲滅しよう主義じゃなかったのか?

 どうもおかしいな。ディアンさんは聖女の筈なのに、信仰心がそれ程無いように感じるのだ。

 これも似非聖女(えせいじょ)たる所以(ゆえん)なのだが、本当に聖女っぽくない。寧ろ、宗教を毛嫌いしているようなーー。

「お前らとは話が合いそうだ。だからーー一緒にここの懺悔堂で語らおうぜ?」

 懺悔堂?昨日おっさんが連れて行かれた所か。神様に懺悔する場所なのだろうそこは、牢屋的な扱いをしているのか?

 ーー捕まえる気なのだな!?

 身構える僕に、またしてもディアンさんは手を伸ばしてきてーー。

 またあの、ばちぃんっ!という鋭い音が直ぐ側で響いた。






「ーーぴ?」

「烏滸鳥め。鳩ではないのだから、豆鉄砲を食らったような顔をするな」

 音に吃驚して体が硬直したーーと思ったら、それがぐいっと持ち上げられて、慌てて近くのものにしがみついた。

 それはカゲヤンの肩だった。どうやらカゲヤンに片腕抱きをされているらしい。ーー揺れる視界の中で、それだけははっきり分かった。

「これも避けるのか。ーーならこれはどうだっ!」

 目前に眩しい塊が現れて、そこから何本もの光の触手が伸ばされる。

 一本一本が不規則にうねり、こちらに時間差で向かって来た!

 ーー速っ!?

「ふんっ」

 気合いなのか一笑したのか、カゲヤンが鋭く追い鞭を振るった。間近に来ていた光の触手から次々と的確に打ち据えて、光を霧散させていく。

 目前で繰り広げられる攻防を、僕はただ見ていたーーというか、目に映す事しか出来ない。

 凄いのだ……!出すつもりないけど、手も足も、口すら出す隙がないのだ。それどころか、何が繰り広げられているのかすら分かりそうにないのだ。ぴ、ぴぇ?

 ーー誰か、実況と解説を付けて欲しいのだ。

「埒が明かないな。……テオ、お前も来い!」

 ディアンさんは、邪魔にならないようにか部屋の隅で構えていたテオさんに声を投げ掛けた。

 ぴっ!増援とは卑怯な!

「良いのか?俺がやると、結界壊しちまうぞ」

「この際仕方ねぇ。その代わり、こいつらを確実に捕まえろ」

「ーー応、任せろディアン」

 テオさんの剣がきらりと煌めいた。何なのだ、あの光はーー?

「五翼神、お前の餌が乞い願う……暫く俺に力を寄越せ!」

 掛け声と共にどんっという鈍い音と、結界がぱりんと砕け散る音がしてーー足下から橙色の熱が迸った!

「火柱ーー!?」

 カゲヤンが飛び退いた直後、天井を突き破る巨大な炎の柱が顕現した。危うく鶏の丸焼きーーいやいや、人の焼死体になるところだったのだ!

 ごおぉぉっと燃え盛る炎が暑いくらいなのに、冷や汗が滲んだ。

「相変わらず強力だなーーそれ以上火力上げるなよ、テオ!」

「分かってるーーが、先に謝っとくぞ。お前ら、焦がしたら悪ぃ」

 悪ぃで済むかっ!ディアンさんまで冷や汗流してるのだけど!?無差別かっ!

「厄介だが、結界は壊れた。帰るぞ烏滸鳥」

 カゲヤンがとんとんっと足元を鳴らすと、そこの影が黒く染まった。

 見た目禍々しいこれは、もう見慣れたカゲヤンの底無し影だ。戦線離脱するつもりらしい。

「させねぇっ!」

 テオさんはこちらの意図を察したのか、また新しい炎が吹き出てきて、カゲヤンの影を呑み込んでしまった。

「ちっ」

 カゲヤンは舌打ちすると、火柱を避けるように半壊した隠し部屋から(まろ)び出た。

 荘厳な礼拝堂に新たな火柱が踊る!

「おい、これらは国の重要文化財なんだ。壊させるんじゃねぇよ!」

 神々しい光をもたらすステンドグラス、神話を描いた壁画や柱が、次々と火柱に呑まれていく。

「そう言う割に容赦なく燃やしてますですねっ!?」

 遁走するカゲヤンの肩越しに思わず突っ込んでしまった。

 聖職者自ら神に祈りを捧げる場を破壊して良いのか!?いや絶対良くないだろう!神への冒涜なのですよ!

「こういう事もあろうかと、日頃から神具なんかには保護結界が張られてんだ。だから安心して良いぞ」

 言われてよく見ると確かに、炎に巻かれたと思ったそれらは見えない壁に遮られているかのように無傷だった。

 似非聖女め!抜け目ないのだな。

 炎を反射したステンドグラスの光が乱舞して、堂内は(まばゆ)い程の光と熱に包まれるーー。

「カゲヤン、即行影で離脱するのです!囲まれてしまうのですよ!」

 あの底無し影に入ってしまえばこっちのものだ。離れた場所にすぐ出られるから、追いかけられる事もない。

 さっさとこの場から退散してしまうのですよーーと提案したのだが、一向にカゲヤンが影を作る様子がない。

「ぴっ?どうしたのですカゲヤン!?」

「ーーあれを作るには隙がなさ過ぎる」

 ぴ?どういう事なのだ?

 尚も迫る光と炎に鞭を振るいながら、カゲヤンは堂内を駆け回る。その顔には少し焦りが見られた。

「ーーあれはな、他所と影を繋げる為に少しの間、俺の力を流す必要がある。そして確たる場を固定させねば、どこに繋がるか分からんものだ」

 へぇ、ただの便利トンネルじゃなかったのか。ーー魔術(ファンタジー)にも制約があるのだな。ぴぐぬっ。

「少しの間って、どの位なのです?」

「静止した影を捉え、二拍。計三拍は必要だな」

 三拍ーーふと、過去のカゲヤンの動作が思い出された。

 影を踏んでからとんとんと二回打つあの仕種、あれは影に力を流し込んでいたのか。

 ぴむ、癖とかポーズじゃなかったのだな。

「今この場は、奴らのせいで光が入り乱れて影が定まらん。故に隙を作るか、この場から離れなくば影に入る事も……ままならんっ!」

 気合いの声と共にカゲヤンが大きく跳躍した。どどどんっ!と立て続けに後方で火柱が上がる。

 だがーー跳んだ先に光が収束して、投網のように迫ってきていた!

 連携技で来た!?捕まるーーっ!

「ふっ」

 網に絡め捕られるまさに一瞬前、カゲヤンが伸ばした追い鞭が創世神の像に巻き付きーー体がぐんっと引っ張られて、軌道が逸れた。

 すぐ横で光の網がばくんっと口を閉じて通り過ぎる。水面に飛ぶ虫を食べる魚を想像してしまった。

 ぴっ、危ねえぇーっ!

 すとんっと降り立った像の肩の上で、ばくばくする心臓を宥める。カゲヤンもうっすら汗を滲ませていた。

「今のは惜しかったな、巧く鞭を使われた。次は捕らえるぞ」

 ごうごうと火柱唸る目線の下で、そんな事を話す声が辛うじて聞こえてきた。

 こら似非聖女!冷静に分析するんじゃないのだ!追われるこっちは冷や冷やものなのだぞ!

 創世神の像の上に逃げられたとはいえ、窮地に変わりはない。寧ろこれ、逃げ場ないんじゃないか?追い詰められてるーー?

 ぴぐぬっ!さっきから僕はカゲヤンに守られてるだけなのだ。何か僕にもしてやれる事はないのかーー。

「どうした烏滸鳥?何をしている」

 ディアンさん達を警戒しながら、カゲヤンが横目で問うて来た。

 自分の左腕の上でごそごそされてれば、そりゃ気になるだろうな。気を散らしてすまんのだ、カゲヤン。

 何も出来ない自分が不甲斐ないのだ。どうにか少しでも、カゲヤンの役に立てる物は無かっただろうかーー。

 スパッツのポケットを漁った時、指先にこつっと硬い物が当たった。

 ぴ?これはーー。

「ーー炭?何故そんな物を持っている」

 目敏く僕の指先にある黒い物を見付けたカゲヤンに言い当てられた。

 そう、炭なのだ。ずっと持っていたこれしか、今の僕には無いらしい。

 ーーこれで、どうしろと?

 ぴくそうっ!何でもっと役に立つ物を持ってないのだ僕は!自分に腹が立った。炭を持つ手がぷるぷる震える。

「おーいっ小鳥!そろそろ降参する気になったか?今大人しくするなら、丁重に懺悔堂に連れてってやるぞ」

「煩いのだーっ!この似非聖女(えせいじょ)め!」

 八つ当たり気味に罵って、思わず手にした炭をぶん投げてしまった。ーーせめてディアンさんに当たれば良い。一矢報いてやりたいぞ!

 しかしそんな願いも虚しく、僕のコントロールと肩ではディアンさんに届きもしなかった。

 ひゅるるる……と間抜けた感じで炭は落っこち、テオさんの火柱に呆気なく呑まれてーー。


 今までにない閃光が場を満たした。






「「ーーな!?」」

 皆の驚愕の声がハモった。ーーいや、そんな事はどうでも良い。

 突然の爆発に堂内は震撼した。びりびりと空気が震える。結界に守られている筈の神具にはヒビが入り、光と火柱は掻き消されてしまった。

 今燃えているのは爆発の赤々とした炎で、白い煙を盛大に吹き出している。

 ディアンさん達は吹き飛ばされまいと、咄嗟に結界を張ったようだ。上にいる僕らも像にしがみついて衝撃に耐えた。

 カゲヤンに庇われるように囲われていた僕は暫くしてから、そこからそろりと顔を出してみた。

 見下ろすと、礼拝堂だった場所は悲惨な有り様になっていた。

 整然と並べられていた長椅子はばらばらに、壁画なども壁ごと崩れて凄惨な状態になっている。部屋の中程で粉々になっているのは、多分聖書を置く為のあの台だ。

 瓦礫の中ーー神の不興を買ったという七翼神の絵が、何かを訴えるようにこちらを見上げている気がした。

「烏滸鳥……お前、何をした?」

 ぴぐっ!やっぱこれ僕のせいなのですか?もしかしてあの絵にも怒られてるのか僕は!?

「ぴぇーー僕はただ、炭を投げただけなのですよ……って、あれ?」

 そう言えば、湿気ってる炭を火に入れたら爆発するのだったっけ?カゲヤンそんな事言ってたな。

 もともと湿気ってたのかも知れないし、今日は聖水ぶっかけられたりしたからな。炭は完璧湿気ってたのだろう。

 それが運悪く、テオさんの炎を爆発させたのだ。

 きっとそのせいなのだ。断じて僕のせいじゃない、ぴむ。

「ただの炭があれ程の爆発を起こすものか」

 ぴ?そうなのか?

 分からず首を傾げると、はあぁと疲れたような溜め息を吐かれた。ぴむむっ。

「お前……いや、今は良い。とにかく帰るぞ」

 カゲヤンは僕を抱え直すと、とんとんっと足を鳴らした。

 ぴっ?これはまさかーー。

「捕まっていろ、烏滸鳥」

 カゲヤンはそう言うと、たんっと創世神の像からーー飛び降りた。

 ぴっ!この像、ぱっと見で学校の体育館位の高さがあるのですけどーーっ!?

「ぴゃあぁぁぁーーっ!?」

「ーーっ!?待てお前らっ!」

 僕の絶叫に、衝撃から我に返ったディアンさんの静止の声が飛んだ。

 けれど、とぷんっと創世神の像の影に呑み込まれてしまって、後の事は分からなくなった。






「帰ったか、お前達」

 ぷはっと、プールから上がるように影から這い出た僕は、そんな美声に迎えられた。

「王、今戻りました」

「ーーただいまですよ、魔王様」

 誰何(すいか)したくなる程に慇懃無礼な態度に豹変するカゲヤンにつられて、僕も魔王様に頭を下げた。這い出たそのままの姿で頭を下げたから土下座にも見える。ぴぐむ。

「物を一つ置いてくるだけで、随分と時がかかったものだなぁ」

 言われて顔を上げて見ると、そこは一番最初に来た、玉座みたいな椅子のある部屋だった。ここはきっと応接室なのだろうな。

 そしてその椅子に、相変わらず黒一色の魔王様が腰掛けている。泰然とした雰囲気もお変わりなくだけどーー。

 ぴ?もしかして……少しイライラしてますですか?

 そんなに遅くなってしまったのか。窓へ顔を向けてみる。

 結構早い時間に館を出た筈が、もう既にお昼時を回ってしまっていたようだ。

 一際輝かしい太陽が、大地を燦々と照らしている。ぴむ、午後の一時か二時位だろうか。

 けど移動もあるし予期せぬ事態もあったし……これ位寛容に許して貰っても良いと思うのだが。

「色々あって、大変だったのですよ……」

「それにーー己の与り知らぬ所で泣かされるとは何事か。己の烏滸鳥が、主に無断で泣くなど許されぬよ」

 ぴぐっ!何故ばれた、目赤くなってるのか?目敏いぞ魔王様!

 けど、泣くのに許されるも何も無いのだし。こっちはさっきまで死ぬ思いをしてたのですよ。無理もないじゃないかっ!

 そもそも貴方、主って何なのですか?飼い主的ニュアンス、腹立たしいぞ。

 反抗心に目を燃やしてやる。目が赤くなってるなら、それは怒りのせいなのだ!

 魔王様は椅子から立つと、側に来て片膝をついた。

 何だ、やるのですか?

 すっと手を伸ばされ身構える。その手をディアンさんの時のように叩き落とす事も考えたが、出来なかった。

 だってーーその手は私の……。

 ーー何か意識に引っ掛かった。私の?

 しかし、赤くなっているのだろう左頬を魔王様に撫でられてしまったらーーその疑問も虚栄も、全て塵と化した。

 この……灰塵王めっ!手袋外してとか、もう、狡いのだっ!

「ぴふぅぁ」

 少し冷たい掌の全体で慰めるように撫でられたら、気持ち良過ぎてとろけそうになる。柔く揉まれるのも嫌いじゃない。

 涙の(あと)を拭うように目尻にも指先が滑り、その感触にぞくぞくする。

 ついでに耳朶(みみたぶ)まで弄るの本当止めて欲しい。思わず体がびくりと震えたじゃないかっ。

 ぴくそぅ、口に出して抗議出来ないのが憎い。止めて欲しいのに、止めて欲しくないのだ。

 ーーぴうぅぅっ何だこれ、訳が分からないのだっ!

「すみません、王。俺が付いていながら」

 魔王様が僕から手を離した所を見計らったように、控えていたカゲヤンが平伏するように片膝をついた。(こうべ)を深く下げる、恭順の姿勢だ。

「そうだな」

 カゲヤンの言葉に頷くと、魔王様は手袋を嵌め直して立ち上がりーーその右手を振りかぶった。

 ーーぴっ!?

 がっ!と重い一撃がカゲヤンを打ち据えた。倒れたカゲヤンの左頬は早くも赤く腫れて、口を切ったのか端から血が流れた。

「ぴ!何しますですか魔王様っ!?カゲヤンは悪くないのですよ!」

 突然の折檻に驚いて、僕は急いでカゲヤンの前に立ち塞がった。

 カゲヤンは呼べば来てくれると言ってくれてたのに、僕が早く助けを呼ばなかったのがいけないのだ。

 ーーもしかして、付いてきてくれてないのかも。とも疑ってしまったし。カゲヤンが魔王様の言葉に背く訳が無いのに。

 そんな忠臣を殴るなんて間違ってるのだ!やるなら僕を殴れなのだ!ーーお手柔らかにお願いしますっ!

「救いようのない烏滸鳥めーー王は正しい。見当違いな真似をするな」

 びくぶる……いや、武者震いしていると、ぽんと頭を叩かれた。

「今回俺はお前の目付役だったのだから、勝手に傷付けられたのは俺の失態だ。咎は受けて然るべき。寧ろこれで済ますなど、王は寛大過ぎる」

 振り返ると、カゲヤンが口元を拭いながら僕を見下ろしていた。凄い音だった割には大した怪我ではなかったらしい。それは良かったのだがーー。

 ぴむむ、救いようのないってどういう意味なのだ。こっちはカゲヤンを心配してこうして庇ってやっているというのに、許しがたい評価だぞ。

 むっとしたので、カゲヤンの脇腹をぎゅむーっとつねってやった。

 そしたら両頬をぎゅむむーっと摘ままれてしまった。ぴむっ!?

「ひふぁいのは、はへはんっ!」 (注・痛いのだ、カゲヤン!)

「終に人の言葉まで忘却したか。何を言ってるか分からんぞ烏滸鳥め」

「わはっててやっへる!」 (注・分かっててやってる!)

「分からん分からん」

 ぎゅむぎゅむ。執拗に頬っぺたを摘ままれるので、お返しに僕も背伸びをして、カゲヤンの頬っぺたを両手で摘まんでやった。

 ついでにこっそりと、まだ残っていた血の痕を指で拭ってあげたり、腫れた頬を優しく(さす)ってみたりとしてみた。

 折角いい男なのに、痛々しい姿なんてさせていたくないからな。

 ……ぴむ?ひょっとして、カゲヤンも僕の赤い頬っぺたを誤魔化そうとしてくれてるのか?

 摘まんだせいでより赤くなっているのだろう頬は、叩かれたせいではなくカゲヤンのせい。

 ……こら、悪化させてどうするのだ!

 やっぱそんな殊勝な事、カゲヤンが僕にする訳ないのだ。至上主義を(こじ)らせまくりだからな。ぴむ。

「お前ら、本当に仲が良くなったなぁ。己を忘れる程かーー妬けるのだが?」

 はたっ……と僕らは摘まみ合うのを止めた。

 至上の存在がちょっぴり寂しそうに、屈み込んでこちらを見上げていたからだ。


 ……魔王様、忘れてはなかったけどーーそっちのけにしてしまっていたのだ。

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