魔王様の烏滸鳥⑮
「ーー烏滸鳥っ!?」
「は!?小鳥!?」
破った殻の先で最初に見たのは、夜空と夕焼けの色。それを背景にして眼下に立つのは、濃藍と橙煌色の人影……空の色と相まって、良いコントラストだった。
「カゲヤン!テオさん!……ぴっ!?」
上手く飛べず、勢い余ってつんのめるとーー慌てたように手を伸ばして、カゲヤンが抱き止めてくれた。
「烏滸鳥。お前、生きているのか?それとも死してから舞い戻って来たのか。……お前は、本当に烏滸鳥か?」
地面に下ろされてから、ぺたぺたと確めるように顔や肩に触れられる。
僕も、久々な感じがするカゲヤンをまじまじと観察してしまった。鋭い三白眼も、異国ミックスな衣装もそのままだーーけれど。
ぴむむ。殻から出てきたから刷り込み効果でも生まれたのかな?カゲヤンが凄く、格好良く見えるのだ。少し、どきどきするぞ。
是非その格好良い人に……頭を撫でて貰いたいな。
欲求を抑えきれずに、頬にあったカゲヤンの手をそうっと頭に持っていこうとするとーーカゲヤンは目を眇て、僕の頭をべしーんっと叩いた。
「ーーったいのだ!酷いのですよカゲヤン!感動の再会なのだから、ちょっとくらいサービスしてくれても良いじゃないのですかっ!」
「小賢しい喧しい烏滸がましいーーあぁ。本物だな、お前」
何なのだその判断基準は!?僕の評価が不当過ぎる……異議を申し立てたいぞ!
「ーーんな悠長な事してる場合じゃねぇ!避けろっ!」
テオさんの声に反応して顔を上げる前に、僕はカゲヤンに担がれて、ばっとその場から退いた。
離れた途端そこに、黒く大きい塵がぶわっと発生した。
ーーいや、違うのだ。飛んできた小さな塵が、地面や空気に至るまで……そこにあったものを全て、塵にしてしまったのだ。
ーーこんな事が出来るのは、あの人しか居ない。
「おい!お前らの王だろ、何とかしろ!」
「何とか?ーー馬鹿を言え。王が望まれるのなら、この世の全てを灰塵にする事とて厭わん。王の為さる事に、俺が邪魔立てをするなど有り得ん」
「っ阿呆か!その目、ちゃんと見開いて見ろ!ありゃどう見ても暴走してんだろうが!ーー王様が、意に添わねぇ破壊活動してんのを黙って見てんのが家臣の役目だってのか、あぁ?」
意に添わない破壊活動?一体、状況はどうなっているのだ?
「人のくせに、俺に説教を垂れるつもりか」
ぴむ?雲行きが怪しいぞ。カゲヤンの目付き、頗る悪いのだ、怖ぇ!
「カゲヤンカゲヤン、落ち着くのですよ。あと、僕にも今の状況を教えて欲しいのですが」
両手は体を支えるのに使ってるから、貰った翼を使ってカゲヤンをぽふぽふ叩き、宥めてみた。
途端に、カゲヤンから力が抜けるのが分かった。ーーぴむっ!?腕の力まで抜いたら僕が落ちるのですよ!
「烏滸鳥め、ふざけた飾りで俺を叩くな。何だこれは?」
カゲヤンが鬱陶しいと言いたげに僕の翼を払った。
そうまじまじと背中の翼を観察されても……何と説明したものか。
「……創世神の加護、ですかね?」
「……烏滸鳥、そんなに毟られたいか?」
ぴっ!?嘘じゃないのに!
毟られたら困るので、カゲヤンの肩からばっと飛び降りた。たかたかとテオさんに走り寄り、その背に隠れさせて貰う。
ーー二人共、その盛大な溜め息は何なのだ。僕の居ぬ間に、相当仲良くなってないか?
「僕の質問にも答えるのですよ!魔王様はどうなったのです?僕が居なくなってから、そんなに経ってないですよね?」
空を見上げればまだ赤色が昇っている。黄昏時の間に帰って来れたのだろうと思ったのだが、二人は顔を見合わせた。
「いや、もう夜明け近いんじゃないか?大分経ってると思うぞ」
な、何っ!?
「空が明るいのは、王がその力で天を焼いたからだ。今は落ち着いた方だが……まだ大気が燻っているんだろうな」
ぴっ!お父さんの時と同じ魔法か?
鬼神が降臨したかのように神々しくも、地獄のようなあの光景がまた引き起こされたのか。ーーとうとう魔王様が、本物の魔王として君臨しちゃったのか!?
ーーアッシュ様の殻は、もう全て……剥がれ落ちてしまったのだろうか?
「魔王様は今、何処に居るのです?それに……ディアンさんも」
きょろきょろ見回してみても、近くに二人以外の人影はなさそうだった。
ぴむ?そもそもここは何処なのだ?
「あぁ、あの馬鹿な。……今からとっちめに行く所だ」
ぴぇ!?ーーテオさんから、不穏な気配が漂い始めたのだ。こめかみに、見事な青筋が浮き出てらっしゃいますですよ……?
「ーー順を追って説明してやる。ただし、移動しながらだ」
カゲヤンが率先して歩き出すと、テオさんも頷いてそれに続いた。僕も素直に後を追って、二人の間に挟まれる形で付いて行く。
ーーぴむ。どうやら、最後に魔王様達と居た森の方へと戻ろうとしているようなのだ。
「ーー王が、一人で俺の影から出でられ、烏滸鳥はもう在るべき場所へと放ったと言われた。それを聞いたあの術師め、今度はそいつを器とするなどと宣いーーまた、王に真命を使いおった」
モンス司教め。僕が消えて諦めるどころか、その代わりをテオさんにさせようとしたのか。どこまでも執念深い爺様なのだ!
「けどな、その真名の殻を殆ど剥かれた灰塵王に、真命は強く働かなくなったみてぇだった。ーー突然、空を穿つなんて馬鹿みてぇな力を放ったと思ったら、無差別に辺りを塵にし始めやがった。ありゃ、完全に自我を失ってたぞ」
魔王様……アッシュ様の部分は無いのかも知れないのか。
己を失えば、どうなるか分からぬーーそう言っていた魔王様は、その名の如く全てを塵にする破壊神となってしまったようなのだ。
「そしたらディアンの奴。ーー俺が灰塵王をどうにかするから、お前達は安全な所へ逃げろ。とか言い出しやがって……聖都まで、俺らを飛ばしやがった」
ディ、ディアンさん!?まさか、一人で魔王様と立ち向かうつもりなのかっ!?何て無謀なのだ!
「ーー似非聖女め。やるならそいつと、倒れた信者共だけにしろと言うんだ。俺まで飛ばすとは何事か!」
「あいつ、既にふらふらだったくせに、凄ぇ負荷のかかる転移術なんて使いやがったからーー指定が定まらなかったんだろうな。お前は、狸爺達の入った檻の代わりに飛ばされたんだろうぜ」
「ふざけおって!録に使えもせん術を、何故無理に発動させたのか」
ーーそうなのだ。無理に使えば失敗する可能性もあると、ディアンさんなら分かるだろうに……。
どうしてそんな危険を冒してまで、テオさん達を逃がそうとしたのだろうか。
「ーー守りたかっただけだろうな。死なせちまった奴らの分まで」
苦い口調。振り返ってみると、テオさんは怒りたいのに怒れないと言いたげな顔をして、がしがしと頭を掻き乱していた。
「あの野郎ーー産まれてからずっと聖女教育されてきたもんだから、他人は手前が守るんだっつー強迫観念がこびりついてやがんだ。それなのに、ここで仲間を大勢殺させちまったから、自責の念が積もり積もってーー一人でどうにかしてやるとか考えたんだろ。贖罪のつもりか、大馬鹿が……っ!」
吐き捨てるように言うと、テオさんはずんずんと地を踏み鳴らしながら僕らを抜かして行った。
「待てお前、無闇に先行するな。また余計な時間を食う羽目になるだろうが!」
カゲヤンが同じく歩調を早めてテオさんに並んだ。ーーもしかしたら、ここに来るまでにテオさんの方向音痴に苦労したのかも知れないな。良く見たら二人共、葉っぱ付いてるし。
その背中から離されないように、僕は小走りになって付いて行く。
「じゃあ聖都からここまで、一晩中歩いて来たのですか?」
相当な距離だ。初めてカゲヤンの馬で行った時は三、四時間位かかったと思うのだが。
「途中までは俺が用意した馬を走らせて来たんだけどな……黒塵の森が見えてきた辺りで、馬が怯えて進まなくなっちまった。だから今こうして、歩いてるって訳だ」
「聖都の馬は軟弱過ぎる……俺ならもっと上手く調教してやるものを!」
「怯えさせただろう元凶の家臣が何言ってやがんだ。調教なら馬より先に王様にしろ!」
ぴぐ……!魔王様を調教とか、無理難題を言うのだ。それにカゲヤンに至っては、生粋の魔王様至上主義なのだし……そんな事態には成り得ないと思うぞ。
しかし、そうなのだった。カゲヤンは昔、馬丁やってたからな、馬の扱いはお手の物なのだった。懐かしいーーその職業魂が今、刺激されているのかな。
「なら、カゲヤンは自分で作った馬に乗れば良かったのでは?ーーいえ、それよりも影の沼で移動した方のが早くないのですか?」
あのリアルな影馬なら怯える心配も無いだろうし、影沼どぼんなら一瞬で目的地だ。何故そうしなかったのだろう?
「それは初めに試したが……影が安定せず数秒しか保たなかった。空が焼けたせいなのか、王が不安定だからなのかーー原因は定かではないがな」
影が揺らいでしまえば場を繋げないし、馬もすぐ崩れちゃったという事か。そりゃ本物の馬か、徒歩に頼るしか方法はないのだな。
「ーーそうやって、漸くこうして森まで辿り着けたが……あの靄の爆弾みてぇのが時々降って来て、思うように進めねぇ。ーーどうにかするとか言ったくせに、あいつは何やってやがるんだ」
「さあな、似非聖女など知った事ではない。とにかく王がご健在であるなら、俺は側に侍るのみ。どうであれ進まねばーーという所で、突然降って湧いてきたのがお前だ、烏滸鳥」
その表現どうにかならないのか。折角白い翼があるのだから、空から天使が舞い降りたーーとか。
……ぴむ。無いですね、分かりましたのだ。だから頭をチョップするのは止めて欲しいぞ。口にしてないのに、何故分かったのだカゲヤン。ーー侮れぬ。
つまり僕は、魔王様達の元に戻る途中の二人に運良く出会せたのだな。ーーぴむ、大体状況は掴めたぞ。
今、魔王様はこの森の何処かに居るのだ。自我を失い、破壊神と化した姿でーー。
急く心を抑えて、気を落ち着かせる。
ーー魔王様、魔王様……僕の留まり木、アッシュ様。
口の中で、チョコレートと共にその名を転がしていると……本能が、何かに引き寄せられるようにそちらを向いた。
不気味に薄暗い空の下。ーー斜め左前方に、更に一際暗い気配があった。
あそこに居る……間違いないのだ。
「カゲヤン、テオさん。あっちなのですよ」
左手でそちらを指差しながら、前方を進むテオさんのマントを掴んでくいくいっと引く。足を止めたテオさんが訝しげに振り返った。
「何で分かんだ、小鳥?俺の熱感知も全く使いもんにならねぇのに」
どうやら今も勘で進んでたらしい。テオさんのそれはかなり危険なのだがーーカゲヤンが居たお陰で、方向は迷わず来れたのだろう。
何で、と言われれば、僕のそれはーー。
「帰巣本能、なのですよ」
魔王様の元に帰るーーそれだけを上げれば僕は最強なのだ。世界も渡れる折り紙付きだぞ!
「ーー良いだろう。どうせ闇雲に行くのと変わらんしな。風見鶏にでもなれ、烏滸鳥」
カゲヤンは僕をひょいっと片腕抱きすると、指し示した方向に向けて駆け出した。テオさんは少しまごついたが、すぐに走って追い付いて来た。
ーー二人共足速いな!これならすぐに辿り着けそうなのだ。
よっしゃ!待ってろなのだ、魔王様!
時折発生する塵爆弾を避けつつ、疾走する事暫し。僕らは、目的の地には辿り着けた。ーー地と言って良いのか分からないのだが。
「ーー何だここは、どうなってやがる!?」
そこはまるでーー海のようだった。
塵が波のように波打ち、荒れ狂っているーー。それは光の壁に阻まれて、それ以上は広がらないようだった。だだ、時折跳ねた飛沫がその壁を越えてーーあの塵爆弾となって、地に降り注いでいた。
「魔王様……」
僕の留まり木は、その海の真ん中にぽつんと一つだけ立っていた。姿はもうよく分からなくなってしまっているが、カゲヤンお手製の乗馬服擬きが、そこではためいている。
漸く姿が見れた。けれど、まだ遠い。ーー早く側に行かなくちゃ!
「っディアン!?ーーこんの、大馬鹿野郎がっ!」
その声にはっと視線を巡らすとーー跪くようにして光る壁に手を付くディアンさんが居た。
この光の壁……ディアンさんが作ったのか。魔王様の塵が漏れないように、結界を成してくれていた。
けれどーーそれは一体、いつから?
「テオ……?何、戻って来てんだ、馬鹿」
憔悴仕切った声でディアンさんが悪態を吐いた。……顔を上げる事すら、もう出来ないようだった。
息が荒く、汗が滝のように流れている。あの、ゴールさんと同じように……。
「それ以上、結界を張り続けたら死ぬぞ!今すぐ俺と代われ!」
「お前な……結界、張れねぇ奴が、何言っ……んだよ。俺は良、から……他の奴連れて、早く、逃げーー」
「ーー分かった。お前はぶん殴って気失わせてやる。これは強制だ。ーー俺の咎だ。どうなろうと、お前のせいじゃねぇ」
テオさんは、握り締めた右拳を振り上げた。
ーーぴ!とどめさしちゃいかーん!
ディアンさんへとあの拳が振り下ろされる前に、魔王様の暴走を止めなくては!
「カゲヤンっ!僕をあの壁の中に投げて下さい!」
「は?ーー投げろとは」
「魔王様の所へ、飛ばせて下さい!」
カゲヤンの腕に乗ったままの状態だから、そうして貰った方が勢いがつくのだ。
ーーカゲヤンは馬丁だけど、今は鷹匠のようにお願いしますっ!
「良いだろう。ーー王を任せたぞ、烏滸鳥っ!」
意を汲んでくれたカゲヤンにぶんっと強い力で押し出されて、僕の体は光の壁を容易く飛び越えた。流石、馬鹿力ヤンキーなのだ!
その勢いに乗って、ばさりと翼を羽ばたかせる。目指すは塵の海に立つ、僕の唯一の留まり木。
ーー僕の、愛しい人。
「魔王様ーーっ!」
飛ぶ勢い余って、がばっと飛び付いてしまったがーーとうとう、魔王様へと辿り着けた。
しかし、危なかったのだ……っ!飛ぶのって、凄ぇ難しいのだな!
冷や汗を感じながら、よいしょとよじ登るようにして魔王様に向き直る。
「魔王様?」
靄の中に、辛うじて人の輪郭を見付けて目を凝らす。目、鼻、口ーー。曖昧だが、まだなくなった訳じゃない。
「アッシュ様」
その名を口にすると、ころりと中のチョコレートが転がった。
そうだ、お父さんからの餞別のお礼返し。アッシュ様に渡さなくてはーー。
そこで、はたっと気付く。
ーーお父さんの言ってた試練って、まさか……愛の試練とかいう奴なのか?
おおお、お父さんめっ!それは娘を応援してるのか!?それとも意地悪してるのかっ!?ーー両方な気がするのだ、ぴくそうっ!
ぼっと顔を燃やしてそれを理解した途端ーーそれまで原形を留めていたチョコレートが突然、溶け出した。
は、恥じる隙すら与えないつもりか!
慌てて狙いを定める。口はーーそこか。
ーーぴうぅ、これは救命措置なのですよ!魔王様だって前にやったんだから、お、お互い様なのですからねっ!
そう言い訳しながら、勢い良く口を魔王様にーーぶつけた。
ーーっ!?歯、当たった!痛いのだっ!
恥ずかしさも相まって、ぴううっと涙目になりながらもーーチョコレートをそこに流し込む。少し溶けちゃったけれど……大丈夫、だろうか?
「魔王様、アッシュ様……」
ーー全部流し込めた所で口を離した。様子を伺って、そうっと靄を覗き込んでみる。
ーー魔王様に変化は、ない。
変化はーー視界の端から起こった。
荒れ狂っていた塵の海が、ぴたりと収まったのだ。しかも、それは排水口に流れ込むように、どんどん魔王様の足元へと吸い込まれていく……。
あっという間に、塵の海は跡形も無く消えてしまった。
唖然とその光景を見ていたらーー力強い腕が、ぐいっと僕の体を持ち上げて、支えてくれた。
「……苦い」
驚いて顔を上げるとーーそこには、昔から大好きな顔があった。記憶のアッシュ様……その、黒髪黒目バージョン。
ーー前と寸分違わない、魔王様のご尊顔であった。
「それはまぁ、ビターチョコレートでしたからね」
思わず泣きそうになりながらも、少し笑ってしまった。復活の開口一番が、味の感想なのか。ーー魔王様らしいのだ。
「……甘い」
「ぴむ、チョコレートですからね」
また感想か。甘くほろ苦いチョコレートが、お気に召したのかも知れないな。
「……足りぬ」
ーーぴ?
「ん……む?」
唇に柔らかいものが押し当てられた。何だと思う間も無く、口を割られる。
魔王様の舌が、口の中を蠢いた。歯列をなぞって、舌を這い、口腔の奥まで蹂躙される。
ーーチョコレートの一滴も残さず、舐め尽くさんと言わんばかりに……!
ーーま、待って!もう無いのだ!し、死ぬーっ!!
抜けそうになる腰を叱咤してじたばた暴れると、漸く魔王様は口を離してくれた。僕は酸素を求めて、全力で息をする。
「……まだ、足りぬのだが?」
「ーーチョコレートはもう無いのですよ!」
ふざけた事を言われたから、思わずきっと睨み付けてしまった。
足りないって何だーーこれ以上されたら堪らない。本気で死ねるぞ!
大体、僕は栗鼠じゃないのだ。口の中にチョコレートを溜め込んでなんていないのですよ!
「半世紀振りにもなるのに、つれないものだなぁ。俺の小鳥は」
不満気だった顔をふっと緩めて、魔王様は笑みを浮かべた。
ーーぴ?俺?
「ーー思い出したのですか?」
昔の、アッシュ様の時の事をーー。そう言外に問うと、魔王様はこくりと頷いた。
「お前の父親のお礼返しーーだったか?あれに全て込められていた。要らん説教まで、最後に付け加えられていたがなぁ」
そうか。お父さん、アッシュ様の記憶もチョコレートに込めてくれたのか。
こうして魔王様に戻れたのも、お父さんの力のお陰なのだ。ありがとう、お父さん。ーーじんわりと嬉しさと愛情が込み上げてくる。
「お父さん、何て言ってたのです?」
お説教でもお父さんの言葉なのだ、聞いてみたい。ーーそう思って訊いたのに、魔王様はぷいっとそっぽを向いて、教えてくれなかった。
「えっ何で!?どうしてですか、教えて下さいですよっ!」
「誠、つれない。己の鳥は今の飼い主よりも、里親の方を気に掛けるのか?己を蔑ろにするとは頂けぬ。それは、浮気であろうに」
そっぽを向いたまま、ちらりと咎めるような視線を向けられた。
ぴっ!?人聞きが悪いのだ!浮気なんてしてないのですよ!
「己の純情を弄ぶとはなぁ。昔はあれ程熱烈に、己を最愛だと囀ずってくれていたのに……なんと薄情な鳥か」
こら!記憶を捏造するなですよ!そんな事した覚えはないのだ!
「ぴむむ!アッシュ様こそ、すぐ喚ぶって言ったくせに、僕を半世紀も待たせたのですよ!しかもそれをずっと忘れてた!どっちが薄情なのですかっ!」
「烏滸鳥とて、それは同じさ」
「同じくないのですよ!」
こっちを向いた魔王様とじいぃっと間近で睨み合ってしまう。
ーーそうしていると、横合いから疲れたような、大きな溜め息が聞こえてきた。
「ーーなぁ、痴話喧嘩は後でやってくんねぇか?収拾がつかねぇんだけどよ」
ぴ!?痴話喧嘩なんてしてないのだ!
何を言うのだ!とテオさんを振り返ると、ぐったりしたディアンさんに肩を貸しながら、こちらをじとっとした目で見ていた。
ーーな、何なのだその目は。えらく反抗的じゃないのですか……。やるのか?
さっと身構えると、同じくして側に来たのだろうカゲヤンに、ぺちんと頭を叩かれた。
「烏滸がましい鳥め、いつまで王の腕でその飾りを休めるつもりか。いい加減、下りろ」
「何故いちいち叩くのですかっ!」
意地悪ヤンキーめ!と憤慨しつつも、病み上がりのような状態だろう魔王様を気遣って、そっと腕から下りてあげた。
追撃を警戒して、カゲヤンからじりじり後退する。
するとーーいきなり、がしっと強い力で背中の翼を掴まれた。
「ぴっ!?」
な、何だっ!何事なのだ!?
「間違いない……これは、あの時に見た神の翼じゃ!」
いつの間にか僕の背後に一体の木乃伊ーーじゃなかった、人が居た。
ーー声もガラガラだけど、このお爺ちゃんはモンス司教なのだ。血走った目だけを爛々と輝かせて、その手に掴んだ僕の翼を凝視している。
「爺ーー生きてやがったのか」
「ふ、ふははは!お主達があの檻に入れてくれたお陰じゃ。あれが灰塵王の力を全て防いでくれたわぃ」
カゲヤンの檻……そうか。カゲヤンにも魔王様の力は効かないものなーー何せ、元は同じお父さんの力なのだから。
カゲヤンのお陰で檻に入れられてた人達は無事だったようだ。ぴむ、良かったのだ。
「どうでも良いが。己の鳥をいつまで掴んでいる気だ?」
いつもの厚顔不遜ーーいや、素敵な笑みを浮かべている魔王様なのだが……目が怖いぞ。ぴぐっ、射殺されそうなのだ。
「烏滸がましい鳥め。性懲りもなく他者に捕まるとはーー後で調教してくれるわ」
ぴっ、止めて!鷹匠にまで目覚めないで欲しいのだ!ーー馬丁のままのカゲヤンがとっても素敵だと思いますですよっ!?
ーーあれ?何で僕は二人にびくびくしなくてはならないのだ?
「放す?ーー漸く念願の神を手にし、放す馬鹿など居らぬじゃろうて」
ぴ!お前のせいかーっ!
ぴぐぬーっ!と、その手を払い落とそうとするが、根本を纏めるように捕まれてるせいか、翼を上手く動かせなかった。
「ぴっ!放すのですよ!僕は神じゃないのです!貴方だって、散々黒羊って呼んでたじゃないのですか!」
「そうじゃの。しかしまさかーー大器とは思っておったが、羊が神に化けるとは思わんじゃろうて。誤算ではあったが、お前様こそ儂らの神に相応しい。……溢れんばかりのこの神気、美しき七翼神の翼じゃ!」
「この、尻軽爺が!小鳥を放せっ!」
どんっとテオさんの火柱が上がる。けれど、これまでの疲労のせいか、見た目だけのはったりに近い炎だった。
「ふんっ!」
モンス司教が気合い一閃だけで、火柱を打ち消してしまった。テオさんがちっと舌打ちする。
「馬鹿の一つ覚えじゃのぅテオ坊。武神たる五翼神の力は、流石のお主も扱い切れんようじゃな?ーーふははは!最強の七翼神様を拝する儂には、火柱も影の檻も、敵ではないのぅ!」
カゲヤンの檻も壊したのか……だから力を消耗して、木乃伊のようになってしまっているのだな。
ーーしかし、それはつまり。
「モンス司教様。それ、創世神のお力なのでは?」
僕とカゲヤンに魔王様の力が効かないように、七翼神の力を使ってるのなら、カゲヤンの檻が壊せる筈がないのだ。
と言うか、七翼神の力なんてものがそもそも有り得ないのだ。だって、お父さんの力は僕ら三人が独占してるのだもの。
「な、何じゃと……!?儂を愚弄するのか!不完全な神の力など、儂は使っておらんぞぃっ!」
唾を飛ばしながら獣のように吠えるモンス司教に、僕は気持ちが冷めてしまった。
ーー僕の大切な神(親)を、愚弄してるのはそっちなのだ。
「そう言われますがね、司教様。貴方、さっきこの翼をーー素晴らしく美しいとか仰ってませんでしたか?」
「無論じゃ。羽の一枚に至るまで神々しい、まさに神のーー」
「そうですよ。だってこれは、始祖ーー創世神から貰った翼なのですからね」
貴方が不完全と貶す、創世神の翼なのだ。
ーー大体、お父さんの翼は方翼だぞ。半世紀前にちらっと見ただけなのだから、忘れちゃってても仕方ないとは思うけれど。
「それを今、貴方自身が美しいとーー素晴らしいと称賛したのですよ。信仰心が、聞いて呆れますですね?」
僕の言葉に、呆然と目を見開くモンス司教。その手から力が抜けたのでするりと抜け出し、ばさりーーと、見せ付けるように翼を広げてやった。
「半世紀に渡る大願なんて、大層な事をほざいてらっしゃったようですがーー結局、『七翼の羽』?の皆様は、その素晴らしい創世神の恩恵を使ってこられて、崇めていたのですよ。ーー国教に戻るか、改名される事をお勧めしますのだ」
そこまで聞くと、がくりーーとモンス司教は地に膝を突いた。ーー相当ショックが大きかったのか、魂が抜け落ちてしまったかのように自失してしまっている。
「ははっ……強烈だな、小鳥」
笑い声にそちらを向くと、テオさんに支えられたディアンさんが笑っていた。
ーー顔色は悪いけど、大事なさそうなのだ。その姿にほっとして、肩から力が抜けた。
「ぴふん!僕は、当然の事を指摘しただけなのだ。勘違いで人の親を貶すなんて、不届き千万なのだぞ」
腕を組んで仁王立ちして見せると、カゲヤンがまた僕の頭をぺしーんと叩いた。
「何をするのです、カゲヤン!」
「いや……烏滸鳥の不遜な態度を見ると、つい体がな。深い意味はない、気にするな」
癖になってる!?これはいかん、すぐに調教……食育をせねば!僕の頭の危機なのだ!
さっと頭をガードすると、誰からともなく笑い声があがって、その場を満たした。
その明るい気配を察知したのか、薄暗かった空も徐々に明るさを増してーー地平線から、眩しい朝日がそろりと顔を出し始めた。
赤く燃える空と大地に目を奪われる。そう言えば誰かが言っていたーー太陽は、この地の東から昇るのだと。
ーーこんなに美しい光景を見たら、そう思ってしまっても無理ないかも知れないな。
「こら、烏滸鳥。いつまで朝日を見てるつもりか。お前が、目を奪われて良いのは己だけだろうに」
くいっと顎を取られてそちらを向くと、ちょっぴり唇を尖らせた顔がそこにあった。
ぱちくりとーーその唇とか、陽の光を受けて輝く黒い瞳とかを見詰めてしまって……ぼっと、僕の頬にも朝日の色が映った。
これ以上のものは無い。何て綺麗な、絶品の眺めーーって。
ーーぴ、ぴわわっ!近いっ!近いのだ!離れろなのだーっ!
我に返って、ぐいっと魔王様の顔を押し返す。むっとしたような気配が魔王様から伝わってきた。
「何をする」
ーー悪く思うなですよ、乙女の恥じらいなのだっ!
魔王様にその手を掴まれたが、ぴゃっ!と即座に抜き取って、慌てて距離を取った。
けれど、その先に居たカゲヤンに取っ捕まってしまった。ーーぴくそう!
「烏滸鳥め、王に反抗するとは何事か!お前という鳥は、一体どこからその尊大さを垂れ流し出ているのか!?」
ぴむぅ!襟首掴まれぶらぶら揺すられても、何も出て来ないのですよ!
しかし、これだけは胸を張って言えるのだ。
ばさりと背中の翼を広げて、朝日を背にしーー僕は誇らしく高らかに、それを答えてあげた。
「ぴふふんっ、尊大で当然なのですよ!だって、僕はお父さん達の子でーー魔王様の烏滸鳥なのですからね!」