魔王様の烏滸鳥⑫
「ぼ、僕ですかっ!?」
嫌な予感なんて当たらなくて良かったのに!
「いやーーまさかそんな、僕の聞き間違いですよね?否と言って下さいですよ!」
生け贄なんて断固拒否だぞ!まだ聖女に奉り上げられた方がマシなのだっ!
「否。聞き間違いではなく、お前さんなのじゃよ」
ぴっ違う!否定して欲しかったのはそこじゃないのですよ!
「ーー半世紀前に感じた、七翼神様のお力をも彷彿とさせる程の神力じゃ。黒羊以上に贄に相応しいものは存在せんのぅ」
当時を懐かしむような事を言われても!半世紀前なんて、僕どころかお父さんだって産まれてないのですがっ!?
「そ、そんなの気のせいなのですよっ!僕には神力なんて無いのです。僕はごくごく普通の、一般人女子なのですからね!」
至極当たり前の事を言ったのにーー何故か、誰からも賛同を得られなかった。
「薬も過ぎれば毒となるものじゃ。あれ程の聖水を身にも内にも取り込んで無事な時点で、黒羊は普通ではないのぅ」
「小鳥さんは初めてお会いした時から並々ならぬ神力をお持ちでしたが……寧ろ、あの時より更に神力が高まっておりますね」
「だな。黒靄の中に居ても、小鳥の気配だけはしっかり感じ取れたしな」
「神力なぞ知らんが、普通の者に王の力が通じん訳が無いだろうが。その位分かれ烏滸鳥め」
「己の食える物が作れるのも烏滸鳥だけよなぁ」
ぴうぅっ!皆好き勝手言いやがるのだ!隠し切れない勇者の素質が憎い!
孤立無援とはこの事か。知識としては知っていたけど、体験したくなどなかったのだ!
やさぐれるぞっ、ぴくそう!
ぴふぬーっ!とテオさんの肩の上でじたばた暴れてみたがーー残念ながら、疲れるだけに終わった。
「ーーお前。その神とやらの為に、己の烏滸鳥を絞める気なのか?」
ぴぬぅ、魔王様。せめてこんな時だけでも人扱いしてくれないものですかね……?
ーー絞めるって何なのだ、絞めるって。
「おや、不服かのぅ?」
いや、不服以外の何だと言うのだ。生け贄なんて真っ平御免なのですよ!
モンス司教はぽくぽく進めていた馬を、魔王様の前でぴたりと止めた。
そしてすとんと馬から下りるとーーそのまま祈りを捧げるように、魔王様へと平服した。
「ーーこれ以上なく、この黒羊こそが貴方様に相応しい贄だと儂らは思うておりますぞ。アッシュ殿ーーいや、七翼神様」
「ーー何?」
「ぴ!?」
な……ななな、何を言ってるのだこの人はっ!?訳が分からな過ぎてもうついていけないぞっ!?
「ーー己が、神と?」
ーーぴむ。無表情を装っているけど、魔王様の目はかなり胡散臭ぇって言ってるのだ。分かるぞっ、その気持ち。
「ふざけるな。人ごときが王を奉ろうなどと、一世紀を経ようとも早いわ」
カゲヤン。今は魔王様愛を発揮して張り合ってる場合じゃないと思うのだ。論点ずれてるぞっ。
眼光鋭いカゲヤンを無視して顔を上げたモンス司教は、一心に魔王様を見詰めていた。
その目は、聖都の人々が大聖堂の創世神の像に向けるのと同じ眼差しなんじゃないだろうか……。
「ーーアッシュ殿の面影もありますが、儂はそのお姿を忘れた事はありませんでしたぞ。半世紀前に見た七翼神様は、貴方様に他なりませんのぅ。こうして、再びお会いする事が叶うて、儂はとても嬉しいですじゃ」
モンス司教が再び頭を下げると、後ろに控えた白頭巾達も同じように平服した。
強大な魔と名高いらしいーー灰塵王に向かって。
「お前達、アッシュとやらと神とやらを混同してはいまいか?」
魔王様が胡散臭げな顔で、その様子を睥睨した。
ーーぴむ、確かに色々おかしいのだ。魔王様の事をアッシュさんだと言ったり、七翼神様だと言ったり。てんでバラバラだぞ。
信仰という狂気に駆られて、記憶や妄想が混濁してしまったのだろうか?
「その通りじゃ。貴方様のお姿をこの目で見て確信しましたでのぅ。ーー儂らが儀式から弾き飛ばされたあの後、七翼神様はアッシュ殿に、加護以上の力を託されたのじゃろうと」
「っ!?そんなのーーあり得ません。神自身でさえ持て余す力ですよ?それを過度に注がれては、人の身で耐え切れる筈がありません」
アーチェ様が愕然と魔王様を見てから、またモンス司教に向き直る。
そこで、昨日のアーチェ様の言葉を思い出した。過ぎた力は身を滅ぼす業火となる……だったっけ?
ぴ、恐ろしい!諸刃の剣か?……そんな爆弾みたいなもの、僕だったら欲しくなんてないぞ。
加護って、そもそも何で与えられるのだ?
「いや、加護なんて大層にほざいちゃいるがな。そりゃ結局、神が気に入った玩具にマーキングした時の余力、おこぼれみてぇなもんだ。確かに力は得るが……気分は家畜も同然だ」
疑問が口に出ていたらしい。テオさんが僕にだけ聞こえるように、こそっと教えてくれた。
「家畜って……食べられちゃう訳でもないでしょうに」
同じように声を潜めての僕の返答に、テオさんは動けないながらも肩を竦めたようだった。
「いいや。上質な餌を与えて育てられた奴の最期はその神の贄だ。与えた加護ごと魂を奪い取られる」
「与えておいて奪う!?神様なのになんて悪質なのですかっ」
「ーー矛盾を孕む神々の性じゃ。そうする事で力は循環し、世を動かす原動力の一つとなる。悪い事ではないのじゃよ」
ーー地獄耳かモンス司教。十メートルは離れてる内緒話に割り込んでくるとは、驚愕の聴力なのだ。
「なればこそ、力は巡るものじゃが……七翼神の気配はこの地に留まり続けておる。溢れた気が靄となり森を覆う程までに。ーーこれは異例の事態じゃ」
「だからって、加護以上の力が作用してると決め付けんのは安直じゃねぇか?アーチェも言ったが、体が耐えられる訳ねぇよそんなの。翼神か、それに連なるものにしか無理な話だ」
神様の力は神様自身か、天使みたいな眷属にしか扱い切れないみたいだ。人の身には過ぎた力なのだな。
「じゃから、混同なのじゃ。ーー信じられん事に、七翼神様とアッシュ殿の気配が混ざりあっておる」
「王が……神と人の混ざりものだと?」
カゲヤンが、半ば呆然としながらそう呟いた。ーーあれ?
これまでカゲヤンは魔王様について間違ってる事は、無意識にか全否定してきてたけど……ここではそれをしないみたいだ。
という事はーーカゲヤンだけでなく、魔王様も混ざりものだったのか?しかも神様なんて突拍子のない存在との?
じゃあ魔王様と同系統の力を持つって言ってたカゲヤンも、神様混じりなのか?寧ろ天使なのかカゲヤン。
ーーやばい、シュールな絵面を想像してしまったのだ。カゲヤンに羽生やしちゃいかん。
「本来なら、神と人との混ざりものなぞあり得ぬ話じゃが……実際、貴方様はそういう存在になっておる。新たな、魔ざりものーーじゃ」
ざりーー打ち消しの助動詞なのだな。
魔じゃない存在との、混ざりもの。
神様と人の混ざりものなんてあり得ないって、店主のおっちゃんも言ってたのだ。気紛れな神様が、人なんかと混じる筈が無いって。それが起きたと言うのか。
魔王様ーーいや、アッシュさんと七翼神様との間で、一体何があったのだろうか?
「どのような事がその場で起きたのか。真実を知り得るのは、当事者たる貴方様のみじゃ。何か、思い出せた事はあったかのぅ?」
モンス司教はゆっくりと立ち上がって、魔王様に問い掛けた。
魔王様は軽く考える素振りを見せたが、すぐ横に首を振って、腕組みを解いた。
「ーーもう良いさ。信憑性もない、つまらぬ仮説ばかり垂れ流されるのも飽いた。ここいらで終いとしようか」
ぴ!臨戦態勢ですか!?考えるの面倒臭くなったから、全て塵にしよう作戦なのですか!?
確かに謎が謎を呼んでこんがらがって、もう訳が分からないのは分かるが……流石に、爽快にぶっ壊すのはどうかと思いますですよ!?
あんなに渇望してた過去が、これなのかも知れないのだ!もっと、じっくりことこと煮込む位の時間をかけて熟考すべきなのですよ!
「信憑性のぅ……貴方様がアッシュ殿じゃという証明でしたら出来ますぞぃ」
ぴ、そうなのか?
「如何にして証を立てると?苦し紛れの時間稼ぎなら不要だ」
カゲヤンも鞭を構えて、魔王様に追随する気満々なのだ。喧嘩っ早いヤンキー擬きなのだ!
「見せた方が早いじゃろぅ」
そう言うと、モンス司教は白頭巾の一人を呼んだ。側に来たその人が頭巾を取る。
ぴ、あの人何処かで見たような……。
そうだ。アーチェ様と噴水の所でお話ししてた時に、お叱りの視線を向けてきていた頑固爺ちゃん風の人なのだ。モンス司教と比べると、若干若そうな感じがした。
「ゴール……貴方も、ですか」
そうか、ゴールさんって言うのか。
アーチェ様が都を回る時のお連れに選ぶような、信の置ける人だったのだろう。そんな人が異教徒だったなんて……。
衝撃を受けただろうアーチェ様は、ゴールさんを痛みに堪えるような面持ちで見ていた。
ゴールさんはちらりと目を向けただけで何も語らず、すぐさまモンス司教に向き直った。
「殉じる覚悟は出来ておるかのぅ?」
「無論です。この命、悲願への一石となれば本望」
「それでこそ我が同志じゃーーエルゴール・リーゲル」
少し長めの呼称ーーゴールさんの本名だろうか?
そう考えた所で、ふとした重みを一瞬だけ感じた。えっ?と思うがもう何も感じない。今のはーー?
「真名ーー!?」
アーチェ様とテオさんの驚愕の声が上がる。
「どういうつもりだ狸爺っ!真名は付けた親と、そいつの伴侶ぐれぇしか知っちゃなんねぇ禁じ名だろうが!ゴールをどうするつもりだっ!?」
ぴ!真名ですと!?
確か真名って知られると、相手に命の実権を与えてしまう物だった筈ーーまな板の上の鯉なのだ!
じゃあ、今のが真名を握った感覚?
ーーそう言えば、魔王様とカゲヤンに僕のも握られている状態なんだったっけ。
実際に真名を握られたらどうなるか……僕は未だ、分かっていない。
「七翼神の復活。そして、世に蔓延りし創世神への腐敗した信仰の払拭。それこそが儂ら『七翼の羽』の宿願じゃよ」
七翼の羽。それが、モンス司教達の団体の名前なのだろう。
「ーーエルゴール・リーゲル。その身に宿りし神力を全て陣に捧げるのじゃ」
「仰せのままに」
ゴールさんは跪くと両手を地に付けた。そこには馬の蹄の跡が幾つも残っている。さっきモンス司教が馬で回った所なのだ。
もしかして、その蹄の跡は僕らの周りをぐるりと囲んで輪を象っているーー?
その事に気付いた瞬間、かっとその輪に光が走った。
みるみるその光が力を増していく。
「ぐおおおお、おぉぁぁぁ……っ!」
そして、それに比例するようにどんどんゴールさんの顔から血の気が無くなっていった。汗を滝のように流し、全身をぶるぶる震わせている。
「ーーいけないっ!止めなさい、エルゴール・リーゲル!」
アーチェ様までがゴールさんの真名を呼んで制止をかけた。けれど、ゴールさんは陣に命を搾り取られているかのようにどんどん窶れていく。
「無駄じゃよ。エルゴールは先に儂の真命に応えたのじゃからのぅ」
やがて陣に全神力を注ぎ切ったのか、ゴールさんはその場にごとんと倒れてしまった。
「ーーぴ、ゴールさん?」
ぴくりとも動かないゴールさんが心配になって身を捩るけど、テオさんに「止せ」と言われた。
「見るな。ーーもう、死んでる」
ーー死?
生きていたじゃないか。さっきまでは確かに。
動かないゴールさんを目の当たりにして、僕はぶるりと体が震えた。
薄情かも知れないが、さっき魔王様が塵にしたのだろう人達には何の感情も抱けなかった。画面越しのように見たせいか、テレビで時代劇を見ているような感覚だったのだ。ばっさばっさと切り伏せられる人々に、いちいち情なんて湧かない。
けれど目の前で、怒らせた眼が印象的だった人が死んでしまった。凄絶に、けれどこんなにも呆気なく。
虚ろな目と視線が合った気がして、またぞくりと体が震えた。
ーー人って、こんなに簡単に死んでしまうものなのか。
「本来なら神力を使い果たすなど不可能です。生物には生存本能がありますから。限界を突破しないよう、能力に制御がかかります。しかし、真命ーー魂に命令する事で無理矢理その枷を取り払わせ、絶命に至るまで行使させるなんて……なんと酷い」
アーチェ様が苦い表情をしながら、よろよろとこちらへーーゴールさんの側へと向かって来た。先程のダメージが残っているのか、足取りが辛そうなのだ。
そしてゴールさんへの供養なのかーー聖句らしき言葉を唱え始める。
「止めよ。創世神に奉ろう祈りなど、彼の死を侮辱する行為だ」
白頭巾の一人から声が上げると、アーチェ様は聖句と足をぴたりと止めた。
「……命を侮辱しているのはどちらですか。真名で縛り、強制的に従わせるなどーー神も国も認めない、悪魔の所業ですよ。仲間の死も厭わない、悼まない鬼畜に、貴方達は成り下がったのですか!」
凛とした声にその白頭巾がたじろぐ。けれど、モンス司教がすっと片手を上げると、白頭巾達のざわめきはぴたりと止まった。
「ーー勿論悼んでおる。エルゴールの尊い犠牲は無駄にはせん。儂らの大願の成就が、何よりの手向けとなるじゃろぅ」
そう言うとモンス司教は聖杖をとんっと光の輪に突いた。
「さぁ、お目覚め下され七翼神。人の殻は狭かりましょうのぅ……今すぐ、破って差し上げますのじゃ」
モンス司教から底知れない暗さを感じ、皆に緊張が走った。
「お前……何をする気なのか?」
「先も言いましたじゃろう?貴方様がアッシュ様だと証明して差し上げますじゃ」
モンス司教は杖の先端を、魔王様へと向けた。
「その殻を破りて生誕ましませよ、七翼神。殻の名はーーアッシュロード・バッシュ。その身より剥がれ落ちるのじゃ」
ーーアッシュロード?また少しだけ長い呼び名。
これは、まさか……!?
「ぐ……っ」
魔王様が、ぐらりと上体を傾けた。あの、最強にしていつも泰然としていた魔王様が!
「やはり、肉体の真名は効きますじゃろ?ーー今出して差し上げますからのぅ」
「ーー貴様ぁ!王に何をするかっ!」
怒り心頭のカゲヤンが、モンス司教に向かって影の追い鞭を振るった。
しかしそれはーーなんと影で縛られていた筈の、アーチェ様の仲間に防がれてしまった。強烈な鞭に穿たれ、その身が宙を舞う。
「何っ!?」
「驚く事ではないぞぃ。彼らにも真命を与えておるのじゃよ。死しても儂を守り従え、とのぅ」
アーチェ様の部下さん達もモンス司教の言いなりになっていたのか!?
だからさっき、武器を奪われても拘束されても、がむしゃらに魔王様達に襲いかかっていたのか。無謀も理解出来ず、言われるがままにーー。
見れば、他にも捕まってた聖騎士が次々と身を起こしている所だった。
ぴ!皆さん無理に縄抜け……ならぬ影抜けをしたせいか、腕とかがあらぬ方向を向いてますですよ!凄く痛そうなのだ!
それすらも意に介さず、モンス司教の前に盾のように集う彼らは幽鬼じみて見えた。自我を感じさせない虚ろな目が、ゴールさんと重なった。
「モンス!貴方はどこまで人の命を愚弄するのですかっ!」
怒りに燃えたアーチェ様も光の矢を放つけれど、素早く移動した仲間にそれは刺さり、その身を痺れたように痙攣させた。
「く……っ!皆、正気に戻りなさい!」
「無駄じゃと言うに。真命にはどんなものも逆らえんのじゃよ」
どんなものも逆らえない、絶対的不可避な命令。
「魔王様……?」
魔王様は、いや、真名を握られたアッシュさんはどうなるのだ?見ると、魔王様は身を折ったまま顔を覆っている。
僕の好きな手。そこからぽろりと何かが零れ落ちた。
ーーぴ、ぇ?
ぽろぽろと、まるで茹で卵の殻のように薄い何かが魔王様から剥がれ落ちている。
それが何か理解すると、僕は全身が総毛立った。
「ーーま、魔王様っ!!」
それはーー魔王様の皮膚の欠片であった。
「ーー王!!」
魔王様の異変に気付いたカゲヤンも声を張り上げた。
顔から手から、魔王様の全身からその皮膚が零れ落ちていくのだ。
殻が落ちた所は、黒い靄のようなものが渦巻いて見える。ーーこの世界に来る時に、自宅の窓で見たものとそっくりだった。
「ぐ、ぅぅ」
魔王様が呻き声を漏らしながらもきつく顔を押さえると、少し落ちる殻が減った。けれど、崩壊は完璧には治まらない。
「強情な殻だのぅ。どれ、手助けしてしんぜようーーお前達、鐘を」
モンス司教の言葉に従い、白頭巾達が杖を取り出した。先端部には翼の意匠ーーではなく、銀色に輝く鐘が取り付けられていた。
リンゴーン、リンゴーン……。
撞いても揺らしてもいないのに、鐘はその厳かな音を響かせ始めた。神力を使って鳴らしているのだろうか?
数があるせいか、小さい鐘なのにその音は森を震わせるかのように響き渡った。あの大聖堂の鐘を鳴らすのと、どちらの音が大きいだろうか。
「これは神音の鐘と呼ばれる物での、大聖堂の物と同じ造りなんじゃよ。一つ一つに神の到来を願い、喚び掛ける術が組み込まれておる」
カムオン……神様カモン?こんな時に駄洒落なのか?
知らなければ遊び心を素敵に感じただろう鐘の音は、不吉の予感を殊更に煽るだけだった。
「ーーっぐ!」
ぴしぴしっと魔王様の肌に皹が走る。この鐘が、中の神様を喚び起こそうとするせいだ。音が魔王様を蝕んでいく。
ざらっと、更に多くの殻が剥がれ落ちた。もう魔王様の足元は、白い殻が山積みになってしまっている。
触られ心地抜群な、あの大好きな手までも崩れていくーー!
「ぴゃぁぁぁぁぁっ!やだっ止めて下さいですよ!魔王様が死んじゃうっ!」
受け入れがたい光景。僕はついに悲鳴を上げた。
魔王様に駆け寄りたい!それなのに、動けないテオさんに腰を戒められたままなのだ。
どんなにもがいても外れなくて、側に行かれない。寄り添えない。精一杯手を伸ばしても、届かない。
ーーまた。大好きな貴方に、私の羽が届かない。
「や、嫌っ!ーー魔王様、魔王様ぁっ!」
得も言えぬ恐怖に手が、全身が震え上がる。
心臓が冷えて凍り付きそうなのだ。ーー巨大な喪失の予感に、魂ごと心がごっそり抜け落ちそうだった。
「黒羊や、そう嘆かずともよい。お主は直に、その魔王様と一つになれるのじゃから」
慈愛の籠ったような面差しでモンス司教が言う。
一つにーー?どういう事なのだ。
「黒羊にはその体を、七翼神に明け渡して貰うからのぅ」
体をーー。
「高濃度の神力を宿せる良い器じゃ、七翼神の新しい体にこれ以上無く相応しいでのぅ」
そうか。モンス司教は初めから、僕の体が目当てだったのかーー。
ぴ?こう言うと何だかいかがわしいニュアンスに取られそうなのだ。いかん!僕ってば、どんな時でも高潔少女なのだから!
モンス司教が言ってるのは……魔王様の中に眠っているらしい七翼神を出す為に、魔王様ーーアッシュさんの殻を外して、僕にすげ替えるという事なのだろう。
「鮮烈なその御霊も、目覚めし神の一翼となるじゃろぅ。これからは心身共に一体となるのじゃ。悲しむ必要はなかろぅ?」
魔王様と一つになる。大好きな人と離れないで済む……。それは甘美な誘惑に聞こえた。
ーーぴっ!?ちょっと待って、僕いつから魔王様大好きになったのだ!?何で!?
あ、頭がぐるぐるするのだ……何かおかしいぞ!
「おかしな言をほざくじゃねぇか。やっぱ耄碌したな狸爺」
テオさんの言葉に、はっと意識を戻す。
「一体になっちまえば、そりゃあ寂しいも糞も無ぇだろうな。けどよ、そしたら楽しいも嬉しいもーー全部一緒に無くなんだよ。それじゃ意味が無ぇだろうが」
ーーそうだ。別々の存在だから一緒に居られるのだ。
一つになれば、それは一人で居るのと変わらない。またあの、ぽっかりと胸に穴が空いたような空虚を常に抱えるようになるだけなのだ。
ふっと肩から力が抜けた。そして気付いた。
僕さっき暴れた時に、動けないテオさんをしこたま殴ったり蹴ったりしたような……。
ごごご、ご免なさいなのだ!無抵抗な人に、僕は何て酷い仕打ちを!
焦って沢山叩いただろう背中をそっと擦ってみると、テオさんは落ち着けと言うみたいに、ぽんぽんと僕の腰を叩いてくれた。
ーーぽんぽん?
「テオ坊……台座は黙っておれ。お前の役目は贄を押さえ支える事じゃ」
「何で俺まで動けなくしてんのかと思ったらーー供物台代わりかよ。俺も格下げされたもんだな」
「台とて儀式には欠かせん大事な役目じゃよ。テオ坊なら任せられると思うたからこその抜擢じゃぞぃ?」
「へぇへぇ、そりゃ有り難いですこって。けどな、俺には荷が重いみてぇだわ。ーーこの役、降りさせて貰うぞっ!」
どんっ!と鐘の音を打ち消す大きな音が轟いた。陣より更に煌々と輝く、大きな火柱が上がったのだ。
「むっ!?束縛の術が解きよったか!」
「だから耄碌したっつーんだよ爺!大願を前にして年甲斐もなく浮かれたみてぇだな。お陰で漸く、身動きが取れんぜっ!」
どんどんどんっ!と次々に火柱が上がると、鐘を鳴らしていた白頭巾達が慌てて逃げ惑った。鐘の音も霧散していく。
「今の内だ、小鳥」
混乱の中、僕はすとんと地に下ろされた。地面が久々な気がするーー漸く、檻が解かれたのだ。
「飼い主の所に行ってやれ」
「ぴむむ、僕は飼われてる訳じゃないのですが……でも、ありがとうなのですよ!」
テオさんに背中を押されて、僕は魔王様に向かって駆け出した。
鐘は止んだけれど、真命のせいか魔王様の崩壊は続いている。ーー早く行かなきゃなのだ!
「っ!待つのじゃ黒羊!ーーお前達、止めよ!」
モンス司教の命令に従って、聖騎士達がこっちに向かって来た。動きがまるでゾンビのようーーぴっ、怖ぇ!
「邪魔立てするな!」
「させません!」
カゲヤンの鞭とアーチェ様の矢が同時にゾンビを打ち倒す。息ぴったりのタイミングだった。
三人が白頭巾と聖騎士達を牽制してくれたお陰で、僕は遂に魔王様の目の前までやって来れた。
見上げた魔王様は、肌が大分剥がれて黒靄がかなり露になっていた。ぽろぽろ、ぽろりと皮膚の殻が落ちていく……。
「魔王様……」
「ーー烏、滸鳥?」
顔を少しだけ上げて、指の隙間から魔王様がこちらを見てくれた。若干翳っているけれど、瞳の色は魔王様のものだ。
また一つ、その手から落ちそうな殻があってーー僕は咄嗟に魔王様へと両手を伸ばした。
「アッシュロード・バッシュよ!目の前の黒羊の魂を糧とし、その身に神を宿らせるのじゃ!」
ーーぴ?
「ぐ、ぐうぅぅぅっ!ーーぅぁあああああ!」
モンス司教の真命に、魔王様は苦しみ出した。留まっていた黒い靄がその体から立ち上ぼり、そしてーー。
僕の視界は真っ暗に染まった。