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壬生の夜雨  作者:
9/17

亥の刻

芹沢が門弟らを従えて八木邸に帰ってきたのは、亥の刻(午後十時)を少し回っていた位だったろう。


この夜の天はことのほか機嫌が悪そうで、まるで泣き叫ぶ女の如く、勢い激しく雨を打ち降らして容易な事では収まりがつきそうもない。



『それにしても、ひでぇ雨だ』


不運なるは芹沢を乗せた駕籠かきどもであったろう。彼らはこの突然の豪雨に見舞われ、傘も差せず全身濡れ鼠になって震えている。


まして、この雨の中、彼等がここまで乗せてきたのは京でも名うての厄介者である。当然ながら、すんなりと代金を払ってくれる訳がなかった。


『お代を頂戴したい、だと?』


未だ駕籠の中で微睡まどろむ芹沢の耳に、雨音を裂いて平山の啖呵たんかが響いてくる。



『貴様らの様な下賤の者が、尽忠奉国の志厚き我等から銭を…』



『馬鹿、止めろ』



言うが早いか、既に芹沢は地に足を付けていた。すかさず頭上、朱塗りの傘が広がって雨を遮っている。いつの間にか、お梅が出迎えに来ていた。



『ちぃと少ねぇかもしれねぇが、酒代にしな』


男らの脚元で甲高い音が鳴る。見れば一両小判が雨に濡れつつ金色の輝きを放っていた。喜色と驚きで忙しく表情を変化させる駕籠かき共に背を向け、芹沢はお梅と同じ傘の下、悠々と門をくぐるのだった。



『いやぁ旦那はん、粋やねぇ』


揶揄からかうお梅に、芹沢もまたいつに無く調子を合わせ、



『…たまには善行も積んどかねぇとな』



お梅の顔を覗き込むや、そう冗談めかして芹沢は笑った。










芹沢らが帰宅して半刻が過ぎようか、という頃になっても、雨は少しも止む素振りすら見せなかった。



芹沢の寝室近くでは、平間が剣を抱いて坐込み、鋭く周囲を警戒している。



『平間はん、お疲れさんどすなぁ』



不意に平間の前に、湯呑みが一つ差し出された。見ればお梅の笑顔がそこにある。



芹沢一派の中で、唯一酒が呑めない平間への好意であった。まして雨に遭ってすっかり冷え切った身体に、湯気の立つほど温かい番茶は何よりも有難かったろう。



『夜明しでの見張り、ご苦労さんどす』


お梅は健気にも、三つ指ついて平間をねぎらった。お梅は薄手の寝巻き姿のままであり、前屈みになった拍子に、触れるだけで溶け落ちそうな白い柔肌が嫌でも目に入る。




この女が、芹沢先生の情婦イロでなければ…。



匂い立つ様なお梅の色香に、平間は生唾を飲む思いで居る。



そんな平間の内心を見透かしたかの様に、お梅は口許に妖艶な笑みをたたえ、さり気無く距離を縮め、



『長州者に命狙われてる物騒な時やのに、門人にこない厄介かけといて、当の本人は呑気に夢の中。ホンマ、堪忍え』



『い、いや、拙者は芹沢先生と一番付き合いが長いので。大事な先生の身辺をお守りするは苦ではありませぬ』



ふうん、とお梅は感心した様に相槌を打ち、



『平間はんは律儀なお人やねぇ。平間はんみたいな人が居ってくれて…あの人は幸せもんやわ』


お梅は軽く平間の手に触れ、



『これからも、どうぞあの人を守ったげて。後生やさかい』


『も、もちろん!安んじてお任せあれ』



おおきに、と微笑んでみせるその声と美しさに、一体どれだけの男が虜にされずに済むだろう。



成る程、芹沢先生が骨抜きにされるのも無理はない…。


茶をすすりつつ、平間は心からそう思った。


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