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壬生の夜雨  作者:
7/17

曇天

…数日が過ぎた。



芹沢の身辺は相も変わらずであり、近藤が言う『刺客』とやらが襲ってくる気配すらなかった。


その日、芹沢は八木邸の一室で、手酌で昼酒を呑んでいた。


いつもなら芹沢の酒の相手をしてくれるお梅も、昼前からまるで気ままな猫の様に、ぷい、と出掛けてしまって何処に行ったやら検討もつかない。




『芹沢先生、失礼しますよ』



障子の向こうに、不意に人影が浮かび上がった。


その『人影』は言うが早いか、芹沢の存在など意にも解さぬ如く無遠慮に障子を開け飛ばし、その癖、芹沢と目が合うとたちまち礼儀正しくお辞儀をしてみせる。


その所作の一々が、まるで世慣れぬ小僧じみていて、芹沢などはもはや怒る気にもなれない。




『なんだ…沖田か』



沖田 総司、それがこの不埒な来訪者の名であった。



沖田は近藤ら天然理心流の、いわば秘蔵っ子である。一見すると女と見間違うほど華奢な体躯に、未だわらべ臭さが抜けぬ、あどけない顔立ちをしたこの青年が、実は壬生浪士組…いや、この天下屈指の天才的な剣の使い手である事を芹沢は知っている。


事実、沖田が本気で剣を握れば隊の連中は無論の事、彼の師匠である近藤ですら文字通り太刀打ちは出来まい、と芹沢は見ている。



だが、それほどの実力を持ちながら、この不思議な青年はその腕をひた隠しにして容易に見せようとしないのであるが…。



『どうした、俺の昼酒の相手になってくれるのか?』


『滅相もない!私なんかに酒豪の先生のお相手は荷が重過ぎますよ』


沖田はいつもの彼らしく、大げさな身ぶりでひょうげてみせ、



『それよりも先生、今夜の事をお忘れではないでしょうね』



そう言われ、芹沢は怪訝そうに部屋の暦を見上げた。九月も今日で十六日目である。



『ほら、やっぱり土方さんの予想通り、先生はすっかり忘れてしまってる』



沖田は相好を崩し、『ほら、例の』と芹沢を諭す様に滑稽な身ぶりで盃を干す真似をした。



長州勢力が京から追い落とされるに至る、歴史に名高い『八月十八日の政変』…この一大事変に壬生浪士組も参戦しており、芹沢などはこの時、彼らを無下に扱った会津藩兵を一喝してその剛毅さを賞賛されたものだった。


その出動の慰労として会津藩から一時金を賜っており、今夜はその金で島原の角屋にて、芸妓総揚げの宴席が予定されていた。



『今宵、暮れ六つの鐘でどんちゃん騒ぎを始めるそうです。忘れずに来てくださいよ』



にこにこと、沖田はあくまでも愛想が良い。


当の芹沢は頷きもせず、何故か沖田の顔を直視している。


『いやだなぁ、先生。そんなにじっと私の顔を見て。頬っぺたに米粒でも引っ付いて…』


『沖田、もし俺とお前が斬り合ったら、どっちが勝つと思う?』



唐突過ぎる芹沢の問い掛け。それでも沖田は、はぐらかす様に笑顔を保ち続け、



『…さあ、どうでしょうね』 



だが、峻烈な芹沢の眼光が、沖田の曖昧な返事などを赦そうとしない。



遂に沖田も観念したか、表情からさっきまでの愛想笑いを消し、



『先生には悪いですが、私が勝つでしょう』



何ら躊躇いも遠慮もなく、凄みすら感じさせるほどにずばりと沖田はそう断じた。その表情たるや、すでに先までの彼ではない。一人の冷徹な兵法家がそこに居た。



『私は元来、いい加減な人間ですが…こと剣に関する限り嘘は付けませんのでね』



だが、と沖田は言葉を重ね、



『あくまで、それは純粋な剣の勝負での話。命の獲り合いなら、どう転ぶかはやってみないと分かりませんがね』



…正直な野郎だ。



芹沢は内心、にやりと笑った。流石はあの近藤が秘蔵っ子にしているだけはある、と改めてこの青年の力量を評価した。



『…まあ、私としては先生と殺り合うなんておっかない事は御免蒙りたいものですが』



そう言った時には、すでに沖田は普段の彼に立ち戻り、にこにこと笑っている。



『では先生、確かにお伝えしましたよ』



沖田が風の様に去っていった後、芹沢は静寂を肴に盃を一気に呑み干した。



盃を置いた後、ふと、芹沢は部屋の中から空を見上げる。



その頭上、灰でも混ぜたかの様な曇り色が、どんよりと広がり始めていた。



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