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壬生の夜雨  作者:
6/17

お梅という女

薄明かりが灯る室内に、まるで鈴を転がした様な笑い声が木霊こだまを作った。



『うふふ…なるほどなぁ。そやから、今晩はそない機嫌が悪いんやねぇ』


芹沢と寝床を共にしつつ、お梅のその艶やかな唇がまるで挑発するように蠱惑こわく的に形作られる。




お梅は美しい女だった。



元は京でも名の知られた太物問屋である、菱屋太兵衛の妾であった。

それがいつしか知らずに、気付けば芹沢の逞しい腕の中に抱かれていた。



世間では芹沢がお梅の美貌に横恋慕し、権力と暴力でモノにした、などとまことしやかに噂する者も少なくない。



だが当の芹沢もお梅にも、そんな事などはどうでもよかった。



『そりゃ、近藤センセは町の童らにまで慕われたはる、人徳なお人やからなぁ…誰かさんとは違うて』


『…俺はあの野郎みたく、偽善ぶる趣味は無ぇよ』


未だ酒気の残る芹沢の体の匂いを肌で感じつつ、お梅はクスクス笑い、慣れた手つきで煙管きせるに火をつける。



『忠義に厚く、清廉潔白、品行方正、それでいて上に馬鹿がつくほどの正直者…まるっきり幕府推奨の武士のお手本て訳やね』


ぷかり、と紫煙を浮かべた後、お梅は煙管をそっと芹沢の口に運び、



『ホンマに近藤センセがその通りのお人なら、あんたの代わりにウチが殺してやりたいわ』


おぞけがする、と言わんばかりにお梅はその美しい眉を不快げに歪めた。



『けど、あんたはそうやない』



お梅は芹沢の逞しい胸元へとその白い手を運び、


『あんたは欲深うて、疑り深うて、卑怯で残酷で、およそ人として悪い言われるもんを総て、こん中に仕舞うてはる。それでいて、すっかり汚れきった自分を隠さんと、逆にさらけ出して生きたはる』


『何が言いてぇんだ』


『ふふ、そんなあんたの方が近藤なんかより、よっぽど人間らしゅうて魅力的やわ』



この女も、どこか歪んでいる。自分と同様に…。



そして、歪み合った同士だからこそ、自らの欠落した部分を相手にも見つけて安堵出来るから、こうして互いに身を擦り合わせているのかも知れない…そんな事を芹沢は思った。



『心配せんでも、あんたはひとかどの男やで。少なくとも愚図な男と枕並べるほどウチは物好きとちゃう』



お梅はとろけそうなほどに魅惑めいた笑みを浮かべて芹沢の横顔を覗き込み、

 


『せやから、もう近藤みたいなみやびのミの字も知らん様な、武骨な田舎もんとこれ以上張り合うのは止めよし。あんたの格が…』


『お誉めの言葉をありがとうよ。だがな、俺はあの野郎にどうあっても負ける訳にはいかねぇんだ』



芹沢にも意地がある。近藤 勇という男に出会って以来、彼は幾度となく自分と近藤の度量の差、というべきものをまるで身に刻まれる様にして思い知らされ今日まで来た。


剣術も才知も教養も、どれをとっても劣るべくもない、そう片腹痛く思っていた相手に突如、喉元に剣先を突きつけられた様なものだったろう。


そしていつしか、実力で近藤に対抗しようともせず、乱暴狼藉を働いて近藤の足を引っ張ることしか出来ない哀れな自分を見つけていた。



さらに芹沢にとって一番我慢がならなかったのは、当の近藤がそんな芹沢の弱さを鋭く見抜いた上で、例えば乞食に向ける様な、憐れみに似た温情をかけてくる事だった。



『見てろお梅、俺は必ずあの野郎…近藤に一泡吹かせてやる』




拗ねたり怒ったり意地張ったり、まるで子供やわ…と、お梅は心底呆れた。



いい歳をして、まだ棒っ切れを握って山野を駆け回る悪童の気分が抜け切っていない。


相手の力量を目の当たりにしつつも、素直にそれを受け入れられないのも、子供である事のよい証左だろう…とお梅は思ったりもする。


だが、お梅はそんな事を今更口歯に乗せない。



『なら、どないしはるん?』


まるで出来の悪い弟を叱りつける姉の様な口調で、お梅は自らの情夫を睨み据えていた。



『芹沢 鴨があんたの言う様に、ホンマに日の本一の侍なんやったら、口ばっかり動かすんやのうて、少しは実行してみたらどないどす』


お梅は芹沢の口許から煙管を引ったくるや、煙を一つ吐き出し、



『それが出来ひんのやったら、所詮あんたもそんだけの男や。自分の分際知って、大人しゅう近藤の顎で使われとったらよろし』



そこまで一気に言い切って、お梅はふと我に帰った。ここまで芹沢の痛いところを散々に突いてしまえば、もはや首の一つや二つでは芹沢の怒りは収まるまい。


だが、これで芹沢に手打ちにされるなら、それもさっぱりして良い、と砂の様に妙に乾いた心根もある。



お梅は、芹沢に手打ちにはされなかった。



『相変わらず、ずけずけと物を言う女だな』


芹沢は苦々しく、ではあるがその顔に笑いをたたえたまま、


『仮にも浪士組の筆頭局長に対して罵詈雑言ばりぞうごんの極み、万死に値する』


笑いつつそう言う芹沢の両眼に、かつての覇気が戻りつつある事にお梅は気付いた。


ふと、お梅は部屋の灯を見やった。





…蝋燭の炎は、その消え去る直前こそ激しく燃え上がる、という。



とすれば、芹沢という炎もまた、その最期の輝きを見せ始めようとしているのかも知れない…。   


 

『お梅、罪を償うに、どの様な罰がよいか…とくと覚悟しておけよ』


『ふふふ…あんたと連れ添うた時から、元より覚悟の上ですよって』



お梅は、その白滋のごとき両腕を芹沢の太い喉首に絡ませ、この夜一番の美しい笑顔を見せた。




『どうぞ地獄の果てまでも、お供させていただきます』




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