月と鴨
壬生浪士組の屯所…実際には『屯所』などという大層な呼び名が相応しいか否かはさておき、彼らの活動拠点は京の郊外、壬生村にある。
壬生浪士組が設立されるにあたり、その預り元となった会津藩などは壬生村の名士二人、すなわち前川 荘司と八木 源之丞の屋敷をして当面の仮宿とした。
前川、八木の両人にすれば、突如降って湧いた災難と言うより他無かったろう。
それでも人間の出来たこの二人は、暫くの間の辛抱と覚悟を据えて、この物騒極まる居候どもを受け入れたに違いない。
だが、その束の間の辛抱が、壬生浪士組…後の新撰組が次の寝座を西本願寺に移すに至るまで、まさか丸二年の間も続くなどと今は夢にも思っていなかったが。
その八木邸の門前に一挺の駕篭が止まった。
途端、中から芹沢の巨体が、まるで這い出るかの様にぬっと押し出る。
酒のせいか、脚がまるっきり言うことを聞かない…。
その巨体を頼り無げにふらつかせる芹沢だったが、そのくせ意識だけは、いっそ残酷なほどに醒め渡っている。
『あっ、芹沢先生っ!』
よろける芹沢を支えようとした野口の横っ面を理不尽にも殴り飛ばし、その拍子に芹沢もまた盛大に地面へと転がった。
…我ながら、なんと不様な。
大地の冷たさを背中一面に背負いつつ、芹沢は独り嘲笑った。
地を這う芹沢の両眼に、この夜を煌々と照らす見事な月が嫌でも映り込む。
ふと、芹沢は頭上の月に手を伸ばしてみた。光を遮り眼前を暗く翳らせても、無論その手に届く道理は無い。
逆に月は、優しいほどの淡い光で、この哀れな男をすら包み込む様にして照らしている。
それが芹沢をして、自身の姿をより一層うらぶれたものに思わせるのだった。
ちっ、気に食わねぇ…。
芹沢を苛立たせたのは、あるいは今宵の月に、誰かの面影を重ね見たからかも知れない。
ふと、近藤に掴まれた胸元に視線を移してみる。
あれからだいぶ時間が経ったというのに、その部分だけが未だ熱を帯びたように感じられた。
つくづく馬鹿な奴だ、と呆れる他ない。
自身の前途をふてぶてしく塞いでいる、いずれ雌雄を決せねばならぬ政敵の元へと、身の危険も顧みずに単身訪れ、挙げ句その敵の命の心配をしてやる馬鹿がどこにいるだろう。
馬鹿な奴め、と嘲る一方で、芹沢の脳裏にもう一人の自分が皮肉めいた言葉を投げ掛けてくる。
あんな真似が、果たしてお前には出来るか、と。
…なるほど、そこらへんが俺と奴との間に横たわる、埋めがたい差か。
そう思い、芹沢は内心密かに自嘲った。
『ふふ…そないなトコで寝そべって。えらいおっきな駄々っ子が居たはること』
不意に芹沢に、酔い醒ましの水よりも冷ややかな笑声が差し出される。
芹沢の愛娼 お梅の姿がそこにあった。