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壬生の夜雨  作者:
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局長二人

芹沢はしばらく近藤の、いかにも武骨そうな顔を眺めやり、次いで高らかに嘲笑わらった。



『近藤君、まるで子供の使いだな』


『芹沢先生、それは…』


『ふん、勿体ぶって何を言い出すかと思えば…この芹沢、今日まで数知れずの不逞浪士を斬って捨ててきた。その中には長州者も居たであろうよ』


恨まれて当然であるし、中には血気盛んな連中が『芹沢斬るべし』と息巻いていたとしても、何ら不思議は無い。


『この芹沢が、今更そんな長州っぽのくだらぬ目論見を畏れる余り、夜歩きもはばかる様な腰抜けに近藤サンには見えておるわけだ』


手元で杯をもてあそびつつ、芹沢は冷笑を止めない。


『…芹沢先生の腕前は、この近藤も充分存じ上げているつもりでおります』


近藤は、苦虫を十匹程まとめて飲み込んだ様な、苦渋に満ちた表情のまま、


『先生を弑して壬生浪士組の勢いを削ぐべく、此度は敵も本腰を入れて向かって参りましょう。なればこそ、敵はどの様な手段に出てくるや予測がつきませぬ』


その途端、芹沢は再び大笑した。その笑い声は図太く響き、笑いつつも周囲を鋭く恫喝している風がある。


敵…か、芹沢には大いに畏まってそう告げる近藤の姿が可笑くてならなかったろう。



芹沢は堕落し切ってはいたが、その犀利な頭脳までは決して曇ってはいない。


もし、長州が近藤の言う様に、本気で壬生浪士組の弱体化を謀るなら、芹沢と近藤と、果たしてどちらの命を最優先に狙うだろう…。



その答えは、当事者の一人である芹沢にとって忌々しいほど明白過ぎた。その心中、苦々しい自嘲の念が沸き上がってくるのを止められない。


そして芹沢の、まさに野獣のそれに似た直感が彼にささやいている。『敵』とは長州にあらず、自らの眼前にいるこの男だ、と。


とすれば、自らの眼前に神妙な面持ちで座っている近藤の総てが、田舎臭い三流役者のそれに映る。笑止の限りだったろう。



『…新見の奴の時も、そうやって陰険姑息な策を仕掛けて殺したって訳か』


芹沢の一番の腹心であった新見 錦は、既にこの世には居ない。長州に通じて隊の機密を流した、との『疑い』により、先日切腹して果てている。


『新見さんの件は、仕方なかった。彼は我々同志を売ろうと…』


『なぁ、近藤サンよ』



言うが早いか芹沢は身を乗り出し、近藤を睨み付けた。


『これ以上、面倒な腹の探り合いは止めにしようや』


壬生浪士組は決して一枚岩ではない。その結成当初から、この芹沢派と、近藤率いる天然理心流の二派が幾多の対立を繰り返して今日まで来た。


そして両派の確執は、既に抜き差しならぬ所にまで踏み込んでしまっている。もはや両派が隊を巻き込み激しく衝突し、結果どちらかが消滅せぬ限り、事態は解決を見ないであろう。



その事は、無論芹沢も近藤も痛いほど分かってはいる。


『…では、率直に申し上げます。芹沢先生には、暫く隊を離れて戴きたい』


この唐突な近藤の申し出に、芹沢は一瞬だが面食らった。だが、すぐさまいつもの不敵不遜な表情に戻り、


『そいつぁ、出来ねぇ相談だな』


総ての事情を残さず飲み込んだ上で、芹沢は小馬鹿にした様な返事を近藤に寄越した。


近藤一派としては、出来るだけ波風を立てず、隊の主導権を握りたい。それには芹沢自身が自ら局長の座を捨て、隊を出ていってもらうのが最良だった。


どうせ今回もあの土方の狐めが、裏で姑息な絵図を書いているに違いない、と芹沢は土方の、あの氷の様に秀麗な面立ちを脳裏に浮かべた。



そうは問屋が卸すかい、と芹沢は半ば意地の悪い思いを抱いている。


『芹沢先生…』


『おためごかしはもう結構だ。古来より両雄並び立たず、と言う。この上は俺か君か、そのどちらかが地上から消え去るより他に…』


その瞬間、芹沢の雄弁を断ち切る様に、近藤は芹沢の胸ぐらを激しく掴んだ!


『何故分かって貰えぬっ!芹沢さん、私は貴方に死んで欲しくないのだ!』


芹沢は、近藤のその真摯な眼差しに、この男らしくもなく内心大いに狼狽うろたえていた。


策を弄していたり、腹に一物を抱えた男には決して出来ぬ、一点の曇りもない真っ直ぐな眼差しだった。


芹沢の様な男には、天地が逆になる位に信じられない事だったろう。

近藤は、本気で芹沢の身を案じていた。そこには芹沢が勘繰っている様な薄汚い打算などは、一欠片も介在しない。


その真っ正直さが、芹沢を戸惑わせた。



『先生っ!大丈夫ですかっ!』



騒ぎを聞きつけ、いち早く平山が刀を手に座敷に飛び込んできた。


今にも近藤に斬りかからん勢いの平山は、芹沢に大喝され、近藤もまた芹沢の胸ぐらから手を離し、自らの非礼を詫びた。


『…交渉は決裂、って訳だ』


あくまでも挑発的な芹沢に対し、近藤はただ天井を仰ぐ他に無い。


『今日の所は、これで失礼します』


近藤はもう一度だけ芹沢に平伏するや、そのまま立ち上がって芹沢にその広い背を向けた。


『近藤サンよ』


次第に遠ざかる近藤の背に、まるで追い討ちをかける様に芹沢が言葉を投げる。



『もし、俺の命を狙う刺客どもに会う機会がありゃあ、言っといてくれ。神道無念流皆伝の腕は伊達じゃねぇ。狙うなら、命を捨てて向かってこい、とな!』


そんな強がりめいた芹沢の言葉に、近藤は何も応えない。


ただ、芹沢たちの眼前から完全に姿を消す、その刹那、




『…雨の降る夜は、お気を付けを』



芹沢は近藤が去った後も、暫く無言でその場に座り込んだままだった。だが、やがて急に沸き上がった苛立ちもろとも、空の酒杯を投げつけていた。

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