狂宴
芹沢は、腕は立つ。
剣は神道無念流を極め、一対一で彼を斬り伏せられる者など、両手の指に余るだろう。
その武勇に加え、機略も胆力も有る。
世が世なら、近隣四方を斬り取って一国一城の主に成りおおせたかも知れない。
そんな俺が、今や京とは名ばかりの片田舎で、ごろつきどもを集めて、食い詰め浪人の親分稼業か…。
芹沢は我が身を省みて、内心秘かに嘲笑った。
『先生ぇ、さっきからずっと怖いお顔しはって、どないしはったんどすか?』
芹沢の傍らに侍る芸妓が、酌と共におよそ能天気な言葉を差し出してきた。
それに対し芹沢は何も応じない。ただ不機嫌そうに底の見えた杯を突き出すのみだった。
京では暴虎の如く畏れられている芹沢である。虫の居所が悪いとなると、どんな無法を仕出かすか分からない。
芸妓も重々それを承知しているから、虎の尾を踏まぬ様、機械人形の如く淡々と酌をするのみである。
『…おい、俺が怖いか?』
芹沢は、ふと杯を止めて芸妓に凄んでみせた。
京の巷を騒がせる不逞浪士どもですら震え上がる芹沢の眼光を間近で受けて、それでもなお笑顔を保っていたのは流石は京の芸妓だったろう。
『嫌やわぁ、芹沢センセ。そないないけず言わはって…』
その言葉の総てが口から発し終わらぬ内に、芸妓の顔は一瞬で蒼白になった。
畏るべき早業だった!芸妓がそうと気付いた時には、そのか細い首筋に芹沢の脇差しが突き付けられている。
悲鳴が飛び交い、たちまち騒然となる座敷内などに
一瞥の興味すら示さず、芹沢は被虐な形に口許を歪め、
『俺が怖くないか、そうかなれば褒美を呉れてやろう』
芹沢が突き付けた切っ先が冷たい光を宿したままで、すぅっと芸妓の端正な唇へと移動した。
『ひとつ返杯とゆこうか。一滴たりと溢すなよ?』
芹沢は空いた手で酒を掴むや、それをひたひたと刀身に伝わせた。その酒の滴は芹沢の脇差しを流れて
切っ先へ、すなわち哀れな芸妓の口許へと流れていく。
『あがが…ひ、びぃぃ…うぐぅぅ…』
芸妓は、もはや生きた心地がしなかったろう。文字通り必死に、芹沢が突き付けた刃先を唇に含み、流れ落ちる酒を命懸けで受け止める。
こうなれば制止の声などに耳を貸す芹沢ではない。
いや、むしろ益々この『作業』に偏執的な熱情を灯す。
その両眼には色濃い狂気すら宿っていた。
人は、芹沢を酒乱と呼ぶ。酒に溺れて正気を失えばこそ、余人には想像もつかぬ乱暴狼藉を働くのだ、とそう思っている。
逆だ、と心中秘かに芹沢は叫んでいた。
酔えないからこそ、この様な真似をする他ないのだ。酒で正気を失えるならば、どれほど楽か…貴様らには分かるまい、と。
ふと、芹沢は我に返った。その眼前には憐れにも涙と唾液と酒とを顔中で混ぜ合わせ命乞いをする、ただの女が映っていた。
すでに芹沢の興は醒めている。
…くだらぬ。
芸妓の口許から脇差しを引き抜くや、銚子ごと口を付けて、まるで溺れる様に酒を流し込む。
空になった銚子が鈍い音を立てて畳の上に転がり終えたと同時に、まるで頃合いを見計らっていたかの様に彼の子飼いである平間 重助が近付いてきて、芹沢に来客が来ている事を告げた。