刺客たちの夜
八木邸から道を挟んだ向かい、壬生浪士組の正式な屯所たる前川邸の一室に灯が灯った。
いずれも一癖も二癖も有りそうな四人の男どもの顔が灯に照され浮かび上がる。
彼ら四人に共通するのは、揃いも揃って夜の闇を一部切り裂いたかの如き黒装束を身に纏わせている事だった。
『揃いも揃ってこの格好じゃあ、これから何処の御金蔵に押し入ろうか、って勢いですな』
その内の一人、沖田がそんな愚にも付かぬ冗談を言って独り笑った。
確かに愚にも付かぬ戯れ言だったろう。彼ら四人がこれから決行しようとしているのは、押し込み強盗よりも遥かに罪深く、そして危険な所業だった。
他の三人は、総じて無言だった。これから何が始まるのか…その重圧に懸命に耐えている様にも見える。
『…ねぇ、土方さん。本当に…やるんですか?』
やがて沖田はその沈黙の重みに耐えかねた様に、この実働部隊の指揮者たる土方 歳三に視線を向ける。
『私は芹沢先生、嫌いじゃなかったなぁ』
『厭なら止めろ』
土方はそっけない。美男だが、端整過ぎるその顔立ちがこの場合、如何にも薄情そうに映る。
『沖田君、君も分かっているはずだよ』
二人の間に割って入ったのは山南 敬助である。この仙台藩出身の温厚そうな知識人も、土方や沖田らと同じく試衛館の釜の飯を食べた同志であり、無論、腕は立つ。
『今宵こそが、最大にして最後の好機だと。…芹沢一派を屠るにはね』
山南は、いつに無く冷淡に言う。まるで自身の一言で、内心秘かに抱えた様々な葛藤を振り払うかの如く。
『当初の予定では、雨の降る夜を選んで決行する、そうだったね?』
山南は、寺子屋の先生が教え子にものを説く様に沖田に言い聞かせる。
『そして今夜、我々の待ち望んだ雨が降った。しかも滝のような大雨だ。これで我々が忍び寄る足音を、雨音が総て掻き消してくれる』
『加えて奴らは今頃、大酒喰らって高鼾だ。案山子を斬るより容易かろうぜ』
山南の言葉の後を原田 左之助が引継いだ。
彼もまた山南と同じく試衛館の古い同志だが、この男はどうやら山南と違って芹沢らを斬る事に余り呵責を感じていないらしい。その何よりの証左に、彼の両眼にはギラリとした戦意しか宿っていない。
…芹沢の寝込みを襲い、これを暗殺する。そして全ての罪を長州になすりつけた上で、近藤を名実共に壬生浪士組の首領とする…これが土方らの出した結論だった。
士道に悖る卑劣な手段であったろう。
だが、隊の内紛を回避し、波風立てずに近藤を首領に据えるにはこの方法しかない…少なくとも土方などはそう信じて疑わない。
『…いくら私だって、今更止めるだなんて言いはしませんよ』
いささか拗ねた様子の沖田は、懐から何やら一枚の紙切れを取り出してみせる。
そこには、まるで描いた者の心優しさが滲み出てくるかの様な筆使いの絵が描かれてあった。
『ただ私には芹沢さんが皆の言うような、根っからの極悪人にはどうしても思えないんです。だってこんな素朴で温かい絵、悪い人には描けませんよ』
得も知れぬ沈黙が一同を包む。
『…だから、芹沢の命だけは見逃してやってくれ、とでも言いたいのか?』
その沈黙を破いて捨てるかの如く、土方の冷厳な声が響く。
『総司、お前は勘違いをしている。俺は芹沢が悪党だから斬るんじゃねぇ。俺たちの夢の、その邪魔になるから斬る。ただ、それだけだ』
まるで、庭木の枝でも摘む様な容易さで土方は言ってのけた。そこには気負いも、焦りも、無論、罪の意識すら無い。庭師が不要な枝を剪定する時の様に、邪魔なものは邪魔と、何の感情なく淡々と切り落とすに似ていた。
土方は言った…『俺たちの夢』と。
その『俺たち』が誰と誰の事を指すのか、それが分からぬ者はこの場に居ない。
…この人は、京に来てから変わった。
土方の凍りつくほど秀麗かつ怜悧な横顔に、盗み見る様な視線を送りつつ沖田はそう思わざるを得ない。
この俺が近藤さんを大名に、いや、日の本一の武士にしてみせる!
かつて土方は、山南や原田らの同志達が集まる前で、何ら臆する事なくそう嘯いたものだった。
そう言ってのけた土方の、一片の翳りも無い、颯爽たる笑顔を沖田は今も忘れられない。
あの時…沖田が心底憧れた兄弟子の姿は、今や遠い昔の光景に成りつつあった。




