第一話 「despair」
異変が起こったのは、7月の終わり、夏休みに入ったばかりの29日のことだ。
その日は時期尚早の記録的猛暑日で、俺が帰宅間際の昼下がりには、全身が乾いたスポンジみてーになっちまうんじゃないかと思うぐらいの強烈な直射日光が、あたり一面を乱反射していた。
その日の俺は、そんなフライパンの只中みたいになっている街中を、自慢のマウンテンバイクを駆って走り回っていた。
なんということはない、俺の日課みたいなものである。
俺は風が好きだ。だから、時たまこうして外に出て、目的もなく街中を彷徨いたくなる。
妹は呆れていたが、やりたくなるものはしょうがない。むしろ健康的な趣味なのだから褒めてほしいぐらいだね。
まぁ、それはごく小規模の放浪癖みたいなものだ。いつもやっている、俺にとっての普通の日々であり、何の変わったこともない。重要なことはそこではないのだ。
問題は、その時に「ある事象」に出くわしてしまったことである。
否、出くわしたというよりは……来るべき時が来てしまったというほうが、齟齬を生まない説明になるだろうか。
それは家路に就いていた途上、家にほど近い場所に位置する下り坂を、快速で下り終えた直後のことだった。
突然、ポケットに突っ込んでいた俺の携帯電話が、着信を告げる軽快な音をがなり立てはじめたのだ。
「……ん?」
電話だった。
まだ携帯を取り出していないがわかる。
着信音が聞こえたからだ。
俺はよく友達との連絡をメールでする。家でも屋外でもどこでもだ。
特に家にいるときに着信音が鳴ると、それこそ鬱陶しいだけなので、普段からメールの着信音は切っている。
つまり携帯から着信音が聞こえるということは、電話が来たということ。
おかしい、電話番号を知らせたのは確か両親と妹だけだ。
何か急ぎの用でもあったのだろうか?買い忘れた調味料のおつかいとかだったら、俺は嫌だぞ。
そんなことに思いを巡らせながら、俺は携帯をポケットから引っ張り出して通話ボタンを押した。
どうせ家族の誰かなのだから、ディスプレイは確認しなかった。
自転車を漕ぐ足を止め、耳に当てる。
「はい、もしもし。」
声は、すぐには帰ってこなかった。
酷いノイズだ。圏外間際からでもこんなになるか疑問なほどのノイズ。
やけに歪んでいる。
「……見つけた。」
「……?」
携帯から聞こえてきたのは女の声だった。
激しいノイズの中でもはっきりと聞き取れる、透き通った、指向性のある声。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題なのは、この声が、見知らぬ女のものだということだ。
「……あんた、誰だ。」
「……す―――」
「は?」
「……ろす―――」
異変。
異変。
異変。
誰だ?
誰だ?
誰だ?
頭の中が、一斉にクエスチョンマークとエクスクラメーションマークで埋め尽くされていく。
「おい、あんた一体誰なんだ!」
女の声は、無感動だった。酷く単調で抑揚のない直線的な声。
それはそのセリフの内容とはひどく食い違った音質で。
色でいえば、ダークパープル。そんな声である。
それが、激しいノイズ交じりの、まるで無線の周波数があっていないようなかすれ具合で聞こえてくるのだ。
はっきりと、指向性のある声が聞こえてくるのだ。
「――――モトクロス…………。」
「……!?」
「……あなたの――――名前……。」
なんだと?
この女今、なんと……?
「おい、ちょっと待てあんた!誰なんだよ!なんでそれを知ってる?」
「―――あなたを……殺す。」
「!」
ブツリ。
そこで、通話は途切れてしまった。
不完全な会話。会話とも呼べないような会話だった。
「……なんだぁ?」
ツーツーと、通話終了を告げるビープ音。
意味が分からん。通話時間27秒。
なんだか不思議な気分だ。素直に言えば気味が悪い。
間違い電話?ウィルス?嫌がらせ?
にしては気になる単語があった。
モトクロス。
それは、俺のあだ名だ。名前ではない。
俺の名前は鈴木秀一。
1ヶ月前まで、黒須秀一だった。だから元黒須。モトクロス。
わかりやすいがわかりにくい、俺を暗示する言葉。
そして、その言葉に続いて飛んできた、明白な殺害予告。
”殺す。”
誰かに殺されるようなことをした覚えは、俺にはない。
そりゃあ、完全無欠に真っ当な人間かと言われれば、そりゃあ多少疾しいところがないわけではない。
しかし、いくらなんでも生命維持にまで手をかけるほどの私怨を買ったような記憶など……。
だからと言って、モトクロスなんて言葉を直前に付け加えたからには、間違い電話なはずもない。
俺には家族以外に電話番号を教えた記憶なんかない。
いったい誰だ?
……まったく思い浮かばない。
「……まぁ……考えててもしょうがない……けどな。」
やめにしよう。
せっかくの夏休み、出鼻を折られて尻すごみなどしている暇はない。
俺は考えることを放棄して、携帯をたたみ、そのままポケットにねじ込むと、足を再び自転車のペダルに乗せて走り出した。
どうせ誰かのいたずらだ。
誰かがこっそり俺の携帯から電話番号を抜いた奴が居るんだ。そうだ、そうに違いない。
そんなわけはなくとも、俺はそう思い込むことにしたのだった。
家はもう目と鼻の先、すぐそばまで来ている。
忘れよう、こんな胸糞の悪い体験など。俺はそう思いながら、照りつける太陽を、妬ましく睨みつけた。
いたずら電話なんか、よくあることだよな。
そんなことを念じながら。
夏の風が、ゆったりと俺の頬を撫でる。
人のまばらな午後の市街地を、立ち漕ぎの俺は駆け抜けていった。
10分ほどなくして、自宅の姿が見えてきた。
自分でいうのも難だが、結構高価な分譲マンションである。
設備的には一般的というか庶民派なのだが、なんてったって都心のほど近いという立地が最大の武器だ。
こんな場所に住んでると、街に遊びに生きやすくていいぜ、チャリで行けるからな。
そんなことを思いながら、俺は自慢のマウンテンバイクを駐輪場に押し込んだ。
共同門戸のセキュリティロックを合鍵で通過。
あたりはまだ夏の昼間である。
うるさく騒ぎ立て始めた蝉の声と、頭上から降り注ぐ天頂の太陽光。
共同廊下を抜けながら、乾いた身体に買ってきたペプシコーラを流し込む。
俺の部屋は、4階の405号室。
エレベーターを呼び出して、扉が開くと、涼やかな空気が流れてきた。
やっと一息つける……。
溜息をひとつ吐き出して、ペットボトルのコーラをぐいとあおる。
炭酸が口の中で弾けて、爽快だ。
さわやかな、夏の昼ごろ。
……一息なんて、つけやしなかった。
耳元で、さっきからあのデンパな電話の言葉が、ささやき続けている。
”殺す”。”殺す”と。
嫌な予感がぬぐえない。
脳裏の片隅に追いやっても、それは脳内から排除されたわけではない。
なんだというんだ、この不快感と寒気は。
冷房の効きすぎだぜ。チクショウ。
……だが、この寒気はエレベーターから脱出しても残り続けていた。
鉄の扉が閉まって、ひんやりとした空気と、熱された空気が入り乱れる。
乱気流。
マンションの一角に、小さなつむじ風が起きる。
俺は風が好きだ。浴びたくてたまらなくて、サイクリングにでかけちまうくらいにな。
でも、この風は嫌いだ。
俺は携帯を引っ張り出して、着信履歴を確認する。
最新の着信は。
母親からだった。
「……ッ!?」
背筋を刃物がつたったようだった。
俺は最早10歩も歩かずにたどり着ける我が家に、恐怖を感じていた。
それはまるで、パンドラの箱か。
いや、箱は箱でもシュレディンガーだぜ。
得体のしれない妄想と、それに付随した恐怖心が、心臓のあたりで膨らんでいく。
五臓六腑が回転しそうだ。
これは、ただの妄想だ。
そう信じて、俺は震える足を前へと押し立てた。
賽が投げられると、俺の脚はもう止まろうとはしない。
一目散に部屋の前まで飛んでいき、玄関の扉を勢いよく押し開けた。
「母さんッ!!」
バタン!と大きい音がして、鉄製の玄関扉の衝撃が、壁を伝って空気を揺らす。
しかし返答はない。
鍵はかかっていなかった。
ぬるい風が吹き抜けていく。
何だ
何だ
ここに残された足跡は、なんだ。
これはどうみても
……血痕じゃないかッ!!
「母さんッッ!!!!!」
無我夢中で家の中に飛び込んだ。
そこで俺が見たものは、何だったのか。
説明したくもない。
そうだ。
俺が見たのは
壁一面を血で染め上げて
全身をめった刺されて死んでいる
俺の、母親の姿だった。
「な……あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
To Be Continued…
こんにちは、初めまして、luminescence-Grayと申します。
長ったらしいので、グレイと呼んでいただいても結構ですが、名前変えろは禁句でお願いします……><
えー、初投稿となるのですが、いかがでしたでしょうか。
ちょっと急ぎすぎた感が否めませんね。まだここのシステムに慣れていないもので、申し訳ないです。
今までちまちま自慰で小説を書いてきたので、こういう場でどういう評価をされるのか、正直ドキドキというか、不安でいます。
まぁ、所詮高1男子が書いたものなので、駄文で読んでられないと思いますが、自分も公に出す以上、全力で取り組んでいきたいと思っております。
最後までお付き合いしていただけると幸福です。
是非是非、辛口な評価、改善点など、お寄せくださいますと助かります……。
それでは、ありがとうございました。