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其ノ五 別嬪さん


 仕事を終えて戻られた師が、お客様から頂いたからと一升瓶を見せてくれたました。

「……自慢ですか?」

「馬鹿言え。互いに独りモン同士だから気兼ねなく一杯やろうという師の恩情ってヤツだろうが。ありがたがれ」

 恨めしく一升瓶を見つめてぼやいた私に師が笑います。

「感謝を要求してはいけないと常日頃から……」

「良いから、ツマミの用意」

 苦言を呈する私の言葉も聞かず、師は鬱陶しげに片手を振るとさっさと一升瓶を抱いて居間へと向かわれてしまいました。

 しかし、師の持っている瓶の名は、頭に「幻の」とつく有名な焼酎であります。

 まず普通では品薄なため手に入らず、仮に店頭で見かけたとしても万単位な代物です。

 時と場合によっては、長いものに巻かれるのもまた人生と、師の言葉に従ってツマミを早速用意した私でありました。


 二人で飲んでいるために、瓶はすでに半分を切っております。

 師も良い塩梅に出来上がってまして、その表情はご機嫌そのものでありました。

 師は酔うと必ずと言っていいほど、宮島での話をされるのです。

「俺が若い頃なぁ、広島へ行った時だよ。厳島神社へ立ち寄ったんだが……」

 師はそこで頭を振ると酒気を帯びた息を切なげに吐き出しました。

 話の続きを知るだけに、赤みがさした頬と目までもが潤んで見えるのは、強かに酒へ酔ったせいだと思いたい私であります。

「お前は行った事があったっけか?」

「いえ。まだ広島へは行く機会がなくて」

「そうかぁ。惜しいなぁ。厳島神社と言えば、海に浮かぶ朱塗りの鳥居が有名だ」

「そうですね。一度は行ってみたいとは思ってるんですよ。日本三弁天の一つでもありますしね」

「おお、行っとけ行っとけ。良いぞぉ、あそこは。飯も旨いし、酒も旨い。何せ、弁天さんが良い」

 最後の一言を漏らした師は、それはそれはやに下がった顔をされておりました。

 いつもの事ですので、私はちびりと酒を口に含みます。

 後は相槌を打たなくてもオートで話は進んでいくのであります。

「日が顔を出したばかりの静謐な中、あのでっかい鳥居の上になぁ、それは見事な白蛇が顎を乗せてんのよ。その真っ白な鱗が朝日を浴びて輝いてるのがまたなんとも言えなくて」

 その美しさ、荘厳さは筆舌に尽くし難いと、この話が出るたびに師は仰られる。

「そんな立派な蛇の眷族さんの頭の上によ、弁天さんがいたのよ……」

 師は既にいい歳であります。

 そんな老人が、まるで異性を意識しだした頃の少年のように、宙をうっとりと見つめたまま弁天様を思い返して余韻に浸っているのです。

 当初は、師は何て純粋な方なのだろうかと尊敬の気持ちを抱いた時もありました。

 若気の至りですね。

 耳にタコができるほど聞かされ、毎回見せられる夢見がちな師の顔はもうお腹一杯といった気分であります。

「俺は……俺は……未だかつて、あんな別嬪見た事ねぇ……」

 酒に酔った吐息なのか、弁天様への切なさゆえの吐息なのか、しみじみと師は呟かれました。

「先日、上野で弁天様のお顔を見る機会がありましたが……確かに美人ですよね」

 筆舌し難い美人ではありましたが、恋焦がれるほど美人であったかというと少々首を傾げてしまう私に、明らかに師は小馬鹿にした表情を浮かべて鼻で笑いました。鼻で!

「はっ! 厳島の弁天さんは格別だ。一度見たら二度と忘れられなくなるぞ。上野の弁天さんは、険が立ち過ぎて人相が良くない。そうだな……都内なら、芝の弁天さんが別嬪さんだね」

 ほうほう、芝の弁天様がそれほど美しいとは初耳です。

 と、うっかり話しに乗ってしまい、それからは師の弁天様自慢が始まってしまいました。

 厳島の弁天さんは別嬪さんで始まり、厳島の弁天さんは別嬪さんだに続き、厳島の弁天さんは別嬪さんだで朝を迎えました。

 酔うと厳島の弁天さん自慢で終始してしまうのが、師の悪い癖だと私は思うのです。


 本日の仕事は休みなので寝入られた師に布団を掛け、私は片づけをいたします。

 互いに独り身という気軽さで、時折このように酒を飲んでは夜を明かすこともあります。

 仮眠用のソファに横になった私は、仮眠をとることにしました。

 しかし、俗説では弁天様の加護を受けると財運や技芸運が上がる分、異性運が下がるとも言われております。

 師が未だに独身であるのは、厳島の弁天様に入れ込んでいるせいなのでしょうか。

 師を見ていると、あながち俗説とも思えない私であります。




 鬼子母神様の荒行に参加してみようかと、一瞬考えた私はまだまだ修行が足りないようでございます。




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