其ノ二 餓鬼
ただいま電車で移動ナウな私です。
ちょうど午後の三時を回った頃で、学校を退けた学生の姿がちらほらと見れますが、帰宅ラッシュにはまだ余裕のある時間帯です。
比較的車内は空いてますので、私も余裕で座っているわけです。
見るともなしに流れすぎる車窓の景色を眺めていたのですが、ふと視界の端に黒い影が蠢いているのが見えました。
気を引かれてそちらに目を向けると、斜向かいに五十代か六十代の男性が座っております。
腹回りも見事な男性は顔のテカリ具合から見ても、常日頃から贅沢な物を口にしているのだろうなあと想像できます。
膨よかな体つきも相まって、その顔も一見は福々しく見えます。
しかし、その男性の着ているスーツの上着には小さく黒い影が素早く這い回り、衣服の隙間をちょこまか出入りしています。
襟の隙間、袖の隙間、裾の隙間を素早い動きで出入りしている黒い影の多さに、私は思わず眉を潜めていました。
肉は痩せ衰えて骨ばかりの四肢、乱れ髪、腹だけは異様に膨れ、狡猾な眼差しは忙しなく動き、爛々とした大きな目はやけに目立ちます。
餓鬼です。
餓鬼は欲深い者が死後、常に飢えと乾きに苦しみ続ける餓鬼道へと堕ちた成れの果てです。
人は誰しもが欲を持っています。
悟りを開いた仏陀ではあるまいし、人は多かれ少なかれ欲を持って生きているのが普通です。
そんな欲がまれに餓鬼を引き寄せてしまう事もあるでしょう。
ですが、この男性は余りにも餓鬼が多すぎる。
一体どれくらいの強欲さ、嫉妬深さ、貪る心を持てば、これ程の餓鬼を引き寄せられるのでしょうか。
禍々しい存在を苦く思っている内に、電車はいつしか駅へ到着しておりました。
男性が下りる駅だったらしく、腰を上げて扉へと歩いていきます。
ボトリ――そんな音が聞こえそうな数の餓鬼が男性から落ちました。
直ぐに餓鬼達は男性を追い掛け、ズボンの裾から潜り込んでいきます。
開いた扉から電車を下りた男性は改札に向かって歩いて行きました。
やがて扉が閉まった電車はゆっくりと走り出し、次の駅へと向かいます。
あの男性の死後は餓鬼道に堕ちてしまうのかと思うと、自業自得なのでしょうが胸が塞がる思いです。
本日は天気も良く、車窓からの景色は先程の禍々しさとは無縁の長閑さで、私はいっそう遣る瀬無さが募ったのでした。