第二章-なんとなくの理由
彼女と一緒に帰った翌日だった。
頭の中では、考えと戸惑いがぐるぐると巡り続けている。
――あれは夢じゃないよな……?
まさか本当に、ヴァイオレットが俺と一緒に帰るなんて。
そう思った瞬間、ふっと口元が緩む。胸の奥がじんわりと温かくなった。
……いや、待て。
俺はコートとランヤードを整えながら、小さく息を吐く。
きっとただの偶然だ。
そうに違いない。
でなきゃ、どうして彼女が俺を選ぶんだ?
――今日はきっと、またいつも通りだ。
プレフェクト室に入ると、いつもの席に腰を下ろし、コートを脱ぐ。
マフラーをほどきながら、気づけば無意識に視線が向かっていた。
ヴァイオレットの方へ。
いつもなら本に集中している彼女が――今日は違った。
こちらに振り向き、頬杖をつきながら、きらきらとしたサファイアのような瞳で俺を見ている。
その目がふっと柔らぎ、目尻に小さな皺が寄る。
そして、やさしい笑顔。
「おはよう」
小さな声でそう言うと、彼女は何事もなかったかのように本へと視線を戻した。
「お、おはよう……」
思わずどもりながら返す。
……え、今、俺に笑った?
顔が一気に熱くなる。
俺は慌てて本を持ち上げ、顔を隠した。
ドクドクと鳴る心臓を、どうにか誤魔化す。
その日の後半も、特に変わったことはなかった。
いつも通り、それぞれのグループで話す時間。
そして、俺は相変わらず――時々、彼女の方を見てしまう。
ふと視線を向けた、その瞬間。
――目が合った。
俺は固まって、すぐに顔を逸らす。
うわ……最悪だ。
毎日あんな風に見てるの、バレたらどうするんだよ……。
恐る恐る、もう一度だけ視線を向ける。
すると彼女は、ニヤッとした笑みを浮かべて、からかうようにこちらを見ていた。
俺はまたすぐに顔を逸らした。
……何考えてるんだよ。
放課後。
校門の前で立ち止まり、スマホを手にしたまま、意味もなく歩き回る。
待つべきか……?
昨日、一緒に帰ったし。
……でも。
俺は首を横に振る。
いや、それはさすがに変だろ。
スマホをコートの内ポケットにしまい、歩き出そうとした――その時だった。
突然、誰かが俺の腕に腕を絡めてくる。
「どこ行くつもり、インディゴ? また一緒に帰ろ?」
聞き慣れた声。
振り向かなくても分かる。
俺は小さくうなずくと、彼女は腕を離し、バッグを持ち直した。
「ヴァイオレット、右側を歩かせてくれ」
「なんで?」
「道路の内側は、女の子の方が安全だから」
「……そっか」
そう呟きながら、彼女は髪を耳にかけて視線を逸らす。
ほんのりと赤くなった耳。
……ほんと、可愛いな。
「ねえ、インディゴ。趣味って何?」
彼女はまだ目を合わせないまま、そう聞いてくる。
「ピアノと、絵を描くことかな。あと猫が好き」
「えー、かわいい! 私も猫大好き!」
ぱっと顔を上げ、少しだけからかうような笑みを向けてくる。
「飼ってるの?」
「ああ、飼ってる」
「じゃあさ、今度見せてよ」
楽しそうに笑う彼女に、俺はポケットの中で指をいじりながら、こくりとうなずいた。
少しの沈黙。
俺はマフラーを緩める。
「最近、ちょっと暖かくなってきたよな……」
照れ隠しのように笑うと、
「そうね。年明けの頃は、すごく寒そうにしてたのに」
くすっと笑う声。
「ヴァイオレットは?」
「え? 私?」
「うん、趣味」
「料理かな。いろんなもの作るの好き。あと読書も」
「じゃあ今度、何か作ってくれる?」
少し緊張しながら聞くと、
「えー? 毎日お弁当作ってくれる奥さんにでもしたいの?」
また、からかうような声。
「ち、違うって」
彼女は吹き出して、俺の腕を軽く叩いた。
「ねえ、ヴァイオレット」
「ん?」
まだ笑っている彼女に、俺は意を決して聞く。
「なんで俺と一緒に帰ろうと思ったんだ?」
彼女は笑うのをやめて、少しだけ首を傾げる。
そして、やわらかく微笑んだ。
「さあ……なんとなくかな」
その瞬間、風が吹いた。
木蓮の花びらがふわりと舞い、まるで彼女の周りで踊っているみたいだった。
やさしい風に揺れる金色の髪が、彼女の顔を半分だけ隠す。
「じゃあ、また明日ね!」
くるりと振り向き、軽やかに駆けていく背中。
……“なんとなく”って何だよ。
もっとちゃんとした理由、くれよ。
でも――
不思議と、嫌じゃなかった。
むしろ。
すごく嬉しかった。
体が羽みたいに軽くなって、
俺はそのまま家へと歩き出した。
イギリスの学校制度は、日本とは少し違います。
学校は主に3つの段階に分かれています。ナーサリー(保育)、プライマリー・スクール(小学校)、そしてセカンダリー・スクール(中等学校/高校)です。(さらにシックスフォームもあります)
プライマリー・スクールは全部で6年間あり、Year 1からYear 6まで続きます。
しかし日本と違って、イギリスでは中学校と高校が分かれておらず、セカンダリー・スクールとしてYear 7からYear 11まで一緒になっています。
Year 11になると、「GCSE」と呼ばれる試験を受けます。
その後は、Year 12とYear 13でAレベルを勉強するためにシックスフォームに進学するか、カレッジに進んで別の資格を取得することもできます。
また、徒弟制度を選ぶ人もいます。
一般的には、大学進学を目指してシックスフォームで勉強を続ける人が多く、この物語のインディゴやヴァイオレットもその一人です。




