06. 魔女と魔法使いの戸惑い
これまでと同じように声を掛けたつもりだったが、驚かせてしまっただろうか。
一瞬の奇妙な間の後、リスタは本を閉じて立ち上がった。
「おはようございます、アルト。……先日はお手伝い出来なくて……」
申し訳なさそうに言われて、こちらが申し訳なくなる。
わたしと約束をしていた訳ではないのだからリスタは何も悪くない。そう応えてから続ける。
「三日間、仕事で来られませんでした」
なんとなくそう言ったのは、リスタがわたしが来なかった理由を気にしているのかもしれないと感じたからだ。だがリスタはどこか気弱気な表情で、予想外の言葉を口にした。
「―――――――――三日間、いらしてなかったの?」
「―――――――――――――――」
考えてもいなかった。
言われてみれば確かにリスタには、わたしがリスタを訪ねていないのか、図書館自体に来ていないのか分からなかっただろう。
「はい」と頷くと、リスタは「お忙しかったのですね」と微笑んだ。
その笑顔が悲し気で――――――――――――――――
わたしを待っていた………?
心の片隅に浮かんだ、願望みたいな想像を打ち消す。
ただその時初めて、会いたい人がいてもリスタは自分から会いに行くことが出来ないのだと気が付いた。
もちろん退職するのであれば図書館を出られる。だが図書館を出てしまえばリスタはその後、二十年も生きられないだろう。
「お疲れでは」
彼女が何か言い掛けた時。
「リスタさん!」
四日前に聞いた覚えのある声がした。
「また早く着いてしまいました!」
にこにこしながらやって来る小柄な老人を二人で目を見開いて出迎える。
「まあ……だいぶ……お早いですね……」
「リスタさんにお会いできるのが楽しみで楽しみで!」
わたしが言えずにいることをあっさりと口にする男を蹴り飛ばしたくなる。
リスタが心底から申し訳なさそうな表情でわたしを見上げた。
早く来過ぎたのは向こうの勝手なのだから待たせておいてもいい気がするが、約束のある客人を優先するらしい。
「大丈夫ですよ」
と微笑んで見せたが頬がひくつく。
笑顔を崩さない老人に、遠慮する気が一切なさそうなのが余計に腹立たしい。わたしがリスタと話していたのを分かっているだろうに。
数回「すみません」と繰り返し、リスタは読んでいた本を胸に抱え上げた。
「その本――――――――――」
咄嗟に言葉が出た。
「はい?」
「――――――――――を、読みたいのですが」
「え?」
魔法書ではない本をこの時初めてリスタに求めた。
繋がりがほしかったのだ――――――――――魔法図書館を出られない彼女との。
リスタはひどく戸惑っている様子だったが、結局、その大判の本を机の上に残してくれた。
それから四日前と同じに客人を案内して去って行くリスタを見送ったが、少し先まで歩いてから一度だけ、リスタがこちらを振り返った。
「――――――――――――――――――」
まさかと思うのに。どきりとして鼓動が速くなる。
青い瞳が、申し訳なさとは違う気持ちをこちらに残しているように見えて―――――――――
心の中が波立っていて、それを落ち着かせるのに時間が掛かった。
彼女が座っていた席に座り、浮き出し模様のある表紙を数秒見つめてから、ようやくそれを開いた。品格めいたものを漂わせる、赤杉色の大きな本。
「……………」
最初の数ページを読むと言うより眺めた。
少し考えて、一気に終わりの方のページへ進んでみる。
「……………」
小さく唸って、片手に顔を埋める。
本を置く時、リスタがえらく躊躇っていた理由が腑に落ちる。
リスタが乱読家なのは分かっていたのだが。
貴族の家紋がひたすら並べられただけの資料集は、どこを読めば共通の話題に繋がるだろう。
ʄʄʄ
彼女が読んでいた本だったり、薦めてくれた本だったり、魔法書以外の本もリスタに見せて貰うようになったのはその日からだ。月に一、二度の「絵本の会」にも出来るだけ顔を出した。
外部の人間と特定の職員がこんなに長い時間を共有した例は、おそらく過去にはないだろう。
二人の間にあるものを適切に表現する言葉はなかったが、月日が経つと当たり前にその分だけ親しくなった。
リスタの中でも、自分が他者とは違う存在になっていると確かに感じていた。
そしてこの関係にはっきりとした名前を与えたいと言う欲望をわたしは抑え付けなければならなかった。




