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日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。  作者: なかすあき
3章 あのときは、あたしのほうが背が高かった。
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3-2

 そこから1年くらい経って。

 中学2年の春。


 クラス替えで、同じ教室になった。


 配られたクラス名簿を読んで、みんなが「えー!」とか「やった!」とか言ってる中で、あたしはひとりだけ、心の中で叫んでた。


 いる……! あのときの、背中の人。


 助けてもらってから、お礼を言うためにそれとなく調査した結果、名前はわかっていた。

 久住(くずみ)恒一(こういち)


 名簿の文字が、ちょっとだけ光って見えた。たぶん気のせい、目のせい。


 そこからしばらく、あたしはずっとタイミングを探していた。


 授業の終わり。

 掃除のあと。

 廊下ですれ違ったとき。


「今だ」と思うたびに、心臓だけが先に走って、肝心の声が置いていかれる。

 声って、置いていけるんだ。


 そして、ある日の放課後。

 窓の外が少しオレンジっぽくなる時間。


 あたしは、委員会の集まりが終わって、カバンを取りに教室に戻ってきた。


 だれもいない教室ってちょっと怖いから、早く帰ろう。

 そう思ってカバンを手にしたときに、久住くんの机の上にリュックが置いてあるのが見えた。


 あ、久住くん……まだ帰ってないんだ。

 もしかして、話しかけるチャンス?

 でも、待ってたみたいに思われるかもしれないし。

 でも、ふたりっきりで話せるのは今しかないんじゃない――


 ガラッ。


「――っ!」


 教室の扉が開く音に、あからさまにビクッとなってしまった。

 意識が心の中に向いていたから、すごくビックリした。


 振り向くと、久住くん。


 驚かせてごめんなさい、と伝えるかのように、頭をぺこっと下げた。

 あたしも反射でぺこっと下げる。


 なにか先生に質問してたのかな。

 席に向かう久住くんの手には、何冊かノートが抱えられていた。


 久住くんは自分の席で、机から取り出した教科書とノートをまとめてきちんと揃える。

 角まできっちり。性格が見える。ノートの角に。


 リュックの中にまとめて入れて、肩にかけつつ立ち上がる。


 あ、帰っちゃう。


 そう思って、あたしは出口に向かう久住くんにかけ寄る。

 足が勝手に動く。……いや、勝手じゃない。あたしが動かしてる。たぶん。


 一歩。二歩。


 途中で引き返したくなったけど、引き返したら、たぶん一生引き返す。


 久住くんの背中に話しかけるために、あたしは息を吸った。


「く、久住くん」


 呼びかけただけで、喉が乾く。


 久住くんは振り向く。驚いた表情は、ほとんどない。

 ただ、目だけがこちらを向く。静かに。


「はい、なんでしょうか」


 敬語。

 この頃から、ずっと敬語だった。

 それがなんだか、大人みたいで、距離みたいで。


 あたしの心臓が「うるさくするな!」って怒鳴ってるのが聞こえる。

 でも、ここまで来た。


 あたしは、言った。


「久住くん、あのさ……去年、助けてくれたよね。髪のこと」


 言えた。

 言えたのに、次が怖い。


 だって、久住くん、表情が変わらないんだもん。


 あたしは急いで、続けた。逃げ道を作るみたいに。


「あれ、嬉しかった。ありがと」


 ありがとう。

 やっと言えた。去年の分まで。


 久住くんは、少しだけ間を置いた。


 ほんの一拍。

 その一拍が、やたら長く感じた。心臓が数えるからだ。


 そして、淡々と。

 いつもの声で。


「助けたってほどではありません」


 えっ……?


「気にしないでください」


 その言葉は、優しいはずだった。

 優しい言い方だったし、久住くんの顔も別に冷たくない。


 なのに。

 あたしの中で、何かが「ピキ」って音を立てた。

 ホントに、音がした気がした。心の中で。


 あたしは、笑おうとした。


「そっか」って言おうとしたし。

「でも助かったし、お礼ぐらい言わせてよ」って、言えばよかった。


 言えばよかったのに。


 口が開かない。

 舌が固まったみたいに動かない。


 体だけが、先に反応した。

 肩がきゅっと上がって、指先が冷たくなった。


 久住くんは、変わらずそこにいる。


 まとめたノートの角みたいに、きちんとしてる。


 あたしだけが、ぐにゃってなる。


 あ、そっか。そりゃ、そうなんだ。


 喉の奥が、つんとした。

 あたしだけが、あのときのことを大事件にしてたんだ。


 久住くんにとっては、ただの一言。

 ただの通り道。

 ただの、当たり前。


 ……なのに、あたしは1年も引きずってた。


 あたしは、やっと声を見つけて、無理やり笑った。


「う、うん。わかった。じゃあ……えっと、ありがと……じゃない。えっと……」


 言い直せない。

 言葉が迷子になる。


 久住くんは困った顔をするでもなく、ただ小さく頷いた。


「はい」


 それだけ。

 それだけで、もう終わってしまった。


 あたしはその場から離れた。

 急いでカバンをつかんで、できるだけ急いで。

 歩いているのか、逃げているのか、自分でもわからないまま。


 背中に、何も刺さってないのに、刺さってるみたいだった。


 そして、決まって思う。

 次こそちゃんと話そう、って。


 でもその次が来るたび、あたしの声はまた、どこかへ隠れる。


*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


 ――カタン。

 誰かの机の引き出しが閉まる音で、あたしは戻ってきた。


 ざわざわ。


 教室の音が、いきなり耳に入ってくる。さっきまで、あのときの放課後にいたのに。

 黒板のチョークの粉っぽいにおい。窓の外の冬の光。ストーブの前だけ、やけに人気。


 あたしは自分の席に座ったまま、ぼんやりしてたみたいで、さやが「大丈夫?」って聞いてきた。

 大丈夫じゃないけど、大丈夫の顔をつくるのは得意だ。


 へらっと笑って、うなずく。


「なんでもないよ、へーきへーき」


 声、ちょっと裏返ったけど。


 視線だけ、勝手に前へいく。

 窓際の前の方。


 久住くんは、いつも通りだった。

 いつも通りプリントを揃えて、いつも通りペンを持って、いつも通り静かに。


 さっき、教室の空気を止めた人と同じ人には見えないくらい、普通。


 ……それが、いちばんずるい。


 あたしの心臓だけ、まだシャトルランの後みたいに走ってるのに。


 お礼、言わなきゃ。

 そう思う。


「助かった」って、ちゃんと言わなきゃ。


 久住くんが悪いわけじゃない。むしろ、助けてくれた。


 なのに。

 あたしの口は、もう次の言葉を知っているみたいに、こわがってしまう。


 あの春の声。

 あの、落ち着いた敬語。


「助けたってほどじゃないです」


「気にしないでください」


 あの言い方でまた言われたら。

 あたしだけがまた、勝手に大事件にしてたみたいになったら。


 ……その瞬間を想像しただけで、喉の奥がきゅっと縮む。


 だから、今も言えない。

 立ち上がることすらできない。

 前に一歩出たら、声がちゃんとついてくる気がしない。


 久住くんはペンを置いて、ふと視線を上げる。


 たまたま、あたしの方を見る。

 目が合いそうになって、あたしは反射で目をそらした。


 ほら、これ。これがだめ。


 言いたいのに、言えない。

 言えないが積み重なって、もっと言えなくなる。


 椅子の背もたれを、ぎゅっと握る。

 まるで、しっかりつかまっていないとどこかに行ってしまうみたいに。


 久住くんの前で、あたしの声は、いつも迷子だ。

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