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日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。  作者: なかすあき
8章 避けようとすればするほど近づくバグだった。
18/21

8-3

 校門のあたりは、放課後のわりに静かだった。

 部活の声は校庭の向こうに流れていって、ここまで届くのは、かすれた笛の音くらい。


 あたしはマフラーをぎゅっと握って、歩幅を少しだけ速める。

 さっきの「ふーん」が、まだ背中にくっついてる気がした。


 ……このまま帰ったら、明日が地獄じゃない?


 そんなことを考えた瞬間。


「待って!」


 背中に、走る足音。

 あたしは反射で振り向いた。


 さやが、ちょっと息を切らして立っていた。

 髪がふわっと揺れて、頬が少し赤い。寒いからだけじゃない色。


「……なに、走ってんの。髪ぐちゃぐちゃにして」


 あたしは笑おうとして、失敗した。

 口だけが動いて、目が笑えない。


 さやは一度だけ、目をそらした。

 照れたみたいに、手で前髪をととのえる。


「……ねえ、あかり」


 その呼び方が、いつもより小さくて、まじめだった。

 あたしの心臓が、勝手に身構える。


 さやは、ゆっくり息を吸ってから言った。順番を守るみたいに。


「……知らないのが嫌なんじゃなくて。いや、言ってほしいとは思ったけど……」


 いつものはっきりとした口ぶりではなく、固いクリームをしぼりだすように言葉をつむぐ。


「……あのね、あかりが、しんどそうにしてる方が嫌」


 言い終わったあと、さやは少しだけ顔をしかめた。

 なんか、言い慣れてない言葉を出したみたいに。


「……なにその顔」


 あたしの声が、やっと出た。

 でも笑いじゃなくて、ほっとした声。


 胸の奥が、じわっと熱くなる。

 それがうれしいのか、恥ずかしいのか、よく分からない。


「ごめん……さやに言ったほうがいいなって思うこと、言えなかった」


 あたしはマフラーを見たまま言った。


「言ったら、もっと変になりそうで……でも、今、もう変だったよね」


 最後の一言は、自分で言って、ちょっと笑ってしまった。

 変っていうか、だいぶ変。

 プリント落とすし、廊下で掲示物に人生かけてたし。


 さやが、鼻で小さく笑った。


「……うん。変だった」


 短いくせに、やさしかった。

 さっきの冷たい「ふーん」と違う。


 さやは少しだけ近づいて、あたしの横に並ぶ。

 並んだのに、見つめてこない。そこが、さやらしい。


「今度ちゃんと、聞かせて。逃げないで」


 “助ける”じゃない。

 “聞く”。

 それが、妙にあたしの胸に落ちた。


 あたしは、ちょっとだけ喉が詰まって、うなずいた。


「……うん。逃げない」


 たぶん。できるだけ。いや、がんばる。


 言葉にしない続きが、頭の中でわちゃわちゃする。

 でも、さっきまでの“ひとりで詰んでる感じ”が、少しだけほどけた。


 校門の外の風が、また吹いた。

 寒いのに、さっきより痛くなかった。


*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


 さやと別れて、駅とは反対の道を少しだけ歩いた。

 帰り道って、いつもは勝手に足が覚えてるのに、今日は一歩ごとに考えごとがついてくる。


 手袋の中で、指をぎゅっと握る。

 寒いから……ということにしておく。


 さや、追いかけてきてくれたんだ。


 その事実だけで、胸がふわっとする。

 ふわっとして、次の瞬間、ずしっともする。

 今日のあたし、感情が雪だるまみたいに転がってる。


 ふと、昼の教室が浮かぶ。

「ヒント!」「誰?」「え、公式?」って声。

 あたしは笑って、手をぶんぶん振って、「ちがうちがう!」って言って。

 止めたつもりで、火に息ふーってかけてた。


 あれ、止めてないじゃん。


 笑ってると、みんなも「笑っていいやつ」って思う。

 だから、もっと言う。

 もっと近づく。

 もっと、勝手に決める。


 久住くんが止めてくれたとき。

 陽太が「普通にする」って言ってくれたとき。

 さやが「しんどそうなのが嫌」って言ってくれたとき。


 あたしは、助かった。

 でも、それに甘えて、また笑ってごまかしてた。


 歩きながら、息が白くなる。

 白い息って、しゃべらないでも出るんだなって、どうでもいいことを思う。

 しゃべる方は、すぐ迷子になるのに。


 ……笑って流すのやめよう。


 頭の中で言ってみる。

 声にしないのに、ちょっとだけ勇気が要る。

 だから、たぶんこれは本物。


 誰かが止めてくれるの待つんじゃなくて。


 久住くんの「やめてください」が浮かぶ。

 あの声は小さいのに、空気が止まった。

 止まるのは、腕力じゃなくて、言葉だった。


 あたしが言わなきゃ。


 そう思った瞬間、心臓が「え、マジ?」って顔をした気がする。

 こわい。

 こわいけど、今日のままだと、もっとこわい。


 あたしは信号の前で立ち止まって、マフラーを直した。

 ついでに、息もひとつ整える。


 ……小さくでいい。いきなり強く言わなくていい。


 まずは、笑わないで言う。

 目をそらさないで言う。

 それだけで、きっと今までよりは違う。


 青になった信号を渡りながら、あたしは自分に、ほんの小さく約束した。


*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


 次の日の放課後。


 さやと校門で話したときの、胸の中に小さな火をしまったまま、あたしは教室に残っていた。


 今日できるのは、深呼吸と、ごまかさないこと。


 ももの声も、さやの声も、頭の中で順番に鳴る。

 鳴るのに、久住くんの声だけは、いつも最初に割り込んでくる。

 あの、小さくて、逃げ場のない敬語。


 久住恒一は、いつも通りだった。

 窓際の前の席で、プリントを揃えている。

 角をぴしっと合わせて、重ねて、持つ。

 まるで“紙の気持ち”を聞いてるみたいに丁寧だ。


 ……今だ。


 誰かが「部活行くねー」と言って出ていく。

 掃除当番がバケツを持って廊下に出る。

 さやも女子のグループに呼ばれて、振り返って手を振って、出ていった。


 教室に残る音が減っていく。

 チャイムが鳴ったあとの学校って、妙に広い。


 久住くんが立ち上がって、ノートの束を抱えた。

 職員室に質問しにいくのか、それとも提出しにいくのか。とにかく、歩き出す。


 止めるなら今。言うなら今。


 あたしは椅子を引いた。

 ギギ、と音がして、心臓がその音にびっくりする。

 いや、あたしの心臓は、今日ずっとびっくりしてる。


 廊下に出ると、冷たい空気が顔に当たった。

 窓の外はもう薄い夕方で、部活の声が遠くに小さく混ざっている。


 久住くんは、廊下の角を曲がる手前で、いったん立ち止まった。

 背中がまっすぐで、動きが無駄じゃない。


 話す。笑わない。逃げない。


 あたしは、足を一歩前に出した。

 なぜか、体育のスタートみたいに、体が固い。


「久住くん……話があります」


 言えた。

 言えたのに、次の瞬間、世界がいったん静かになる。


 久住くんが、ゆっくり振り向いた。

 目が合う。

 その目は、この前の“何も言わない目”とは違う。

 ちゃんと、こっちを見ている。


「……何でしょうか」


 やっぱり敬語。

 その一言が、あたしの胸の中のボタンを押したみたいに、心臓が急に速くなる。


 言うんだよ。お礼。ちゃんと言うんだよ。


 口を開く。

 ――のに。


 音が出ない。


 喉が、急に熱い。

 熱くて、からっぽで、ひっかかってる。

 さっきまで頭の中にあった言葉が、ぜんぶ逃げる。


 視線が落ちる。

 床の線。ワックスの光。自分の靴のつま先。

 どうでもいいものが、急に全部はっきり見える。

 見なくていいのに。


 あたしは、一歩、下がった。

 たった一歩なのに、「逃げました」って看板を背中に貼った気がする。


「……やっぱ、なんでもない」


 出た声は、自分のじゃないみたいに小さい。

 しかも、最悪のセリフ。

 最悪ランキング、堂々の一位。


 久住くんは、何か言いかけたみたいに口を少し動かした。

 でも、結局、言わなかった。

 押しつけない人だから。たぶん。


 その優しさが、今はつらい。


 あたしは「ごめん」とも言えずに、ぺこっと変な角度で頭を下げて、廊下を早足で戻った。

 走ってない。

 でも、たぶん、心だけは全力疾走してる。


 逃げたの、自分なのに、いちばん悔しい。


 教室のドアを開けて、誰もいない机の間を通って、自分の席に戻る。

 座っても、落ち着かない。

 手が冷たいのに、喉だけ熱い。


 言えなかった。

 また、逃げた。

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