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日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。  作者: なかすあき
6章 告白を断ったらまた燃えはじめてしまった。
11/21

6-1

 朝の空気は、冷蔵庫の前を開けたときみたいに冷たい。

 なのに校門の前だけ、なぜかみんな元気で、声がやたら大きい。


 あたしは昇降口で上ばきを履きながら、自分の胸に言い聞かせた。


 普通。今日は普通。スーパーで売っているいちばん安い牛乳みたいに、普通。


 ……よし。意味はわからないけど、気合いは入った。


 教室のドアを開ける。

 昨日と同じ教室。いつもと同じ黒板。いつもと同じ机の列。

 でも、あたしの中だけ、昨日の続きがついてきてる。


 席に向かおうとした、そのとき。


「おはよ。寒くね?」


 森田陽太が、いつも通りのテンションで現れた。

 いつも通りの明るい声。いつも通りの軽い笑顔。

 まるで、昨日なんてなかったみたいに。


 あたしの心臓が、勝手にエビみたいに跳ねた。


「お、おはよ。ねー、寒い寒い」


 返せた。

 言えた。

 しかも、ちゃんと2回「寒い」を入れて気軽さを演出。えらい。


 陽太は「だよなー」と笑って、机にカバンを置いた。

 その動きも、いつも通り。

 その“普通”が、約束の回収なんだって、頭ではわかる。


 なのに。


 ……普通って、目で見る分には簡単なのに。


 あたしがやると、なんか違う。

 自分の口の端が、いつもより固い気がする。

 声の高さが、ふだんのあたしじゃなくて、知らない人からの電話に出るあたしになってる気がする。


 陽太は、気づいてない。

 気づいてないふりなのかもしれないけど、どっちでもいい。

 問題は、あたしだけが、心臓の仕事量を増やしすぎてるってことだ。


 そして、教室の空気って、だいたい意地悪だ。


 陽太とあたしの会話が終わった瞬間。

 周りの見てない“ふり”して見てる視線が、スッと集まった。


 男子が、机の影から小声でささやく。


「え、なんかふつうじゃね?」


「逆に怪しいよな」


 ……ほら来た。

 普通が、普通じゃなく見えるやつ。


 女子のほうからも、ひそひそが飛んでくる。

 声は小さいのに、なぜか耳にまとわりついてきた。


「……昨日のあれ、ほんとなのかな?」


 その言い方に、あたしは思わず肩をすくめた。

 誰も責めてない。攻撃もしてない。

 でも、空気が“おもしろがり”に片足だけ入ってる。


 しかも、なんで知ってるの。

 昨日のこと。体育館裏のこと。

 あれ、周りには壁しかいなかったはずなんだけど。壁、口かたくないの?


 陽太は、いつも通りに席に座って、筆箱を取り出している。

 陽太から昨日のこと話したりしないだろうし。

 あたしからも、何も言えないし。


 あたしは笑ってごまかしたくなった。

 いつもの癖が、舌の先まで出てきた。


 でも、その瞬間に気づいた。


 昨日の夜、あたしが思ったんだ。

 “普通”って、いちばん難しいって。


 うん。

 今日の教室は、もう証明してくれてる。


 目で見る分には、たしかに簡単。

 なのに、あたしの心臓だけが、ずっと走ってる。


 そして、その走る音は、たぶん――周りにも、聞こえはじめてる。


*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


 陽太が“普通”をやってくれたせいで、教室の空気は1回だけ落ち着いた。

 ……1回だけ。


 次の瞬間、その“普通”は、別のスイッチを押してしまったらしい。


 机の間をすりぬけるみたいに、ひそひそが移動してくる。

 あたしの耳の近くで止まって、勝手に大きくなる。


「陽太振られたってことは、相手別にいる?」


「この前のメッセ、やっぱ好きな人の話だったんだ」


「ってことは、あの誤爆……確定じゃん」


 ……確定。

 その言葉、テストの答え合わせみたいに言わないでほしい。

 あたしの人生、まだ採点してない。


 昨日までは冗談っぽい推理だった。

 笑いながら「誰だよー」って騒ぐ感じ。

 でも今は違う。声の温度が、ちょっとだけ低い。


 楽しんでるというより、当てにいってる。

 遊びというより、詮索。


 あたしは、机の上の筆箱をやたら丁寧に並べた。

 鉛筆の向きまでそろえた。

 心の中では、全部バラバラなのに。


 そのとき。


「陽太を振ったってことはさ、本命、別にいるってこと?」


 前の席に座った白石さやの声が、明るく飛んできた。

 明るいのに、狙いがまっすぐ。

 矢の先が、ちゃんとあたしに向いてる。


 さやの顔がずいっと、あたしに近づく。

 いつもなら“親友の距離”なのに、今日は“逃げ道をふさぐ距離”だ。


「ねえ、あかり。教えてくれてもよくない?」


 その言葉のあと、さやと目が合う。

 そして、ほんの一瞬だけ。


 瞳の奥に揺らぎが見えた。

 悲しいか、悔しいか、わからないけど。

 さやが泣いているのかと思った。


 でも、その揺らぎは一瞬で、さやはすぐに笑顔を作った。

 いつものノリみたいに。

 この笑いが、今日はいちばんずるい。


 あたしは、いつもの弱点を出すしかなかった。

 怒って止めるなんて、できない。

 だから、笑って消す。

 消えるといいなって思いながら、ガソリンを足す。


「ちがうってば! なんもないって!」


 声が、思ったより高い。

 自分で自分の声にびっくりして、さらに笑ってしまう。

 笑いも、思ったより硬い。カチカチ。


「この前のは誤爆しただけだし!」


 誤爆。誤爆。

 便利な言葉だ。

 でも便利すぎて、今は言い訳っぽく聞こえるらしい。最悪。


「ほら、みんなも、授業始まるって!」


 その瞬間、教室の何人かが顔を見合わせた。

 わかる。言い方が「今ここで終わらせたいです!」って叫んでる。


 すかさず、追撃。


「それが怪しいんだって」


 お調子者の男子が笑って言う。

 笑ってる。悪意は薄い。

 だけど、火は消えない。むしろ酸素が入って勢いを増す。


「で、誰?」


 別の男子が短く言った。

 短いのが一番こわい。

 選択肢のない質問は、逃げ道を作ってくれない。


 あたしは笑ったまま、息をのんだ。

 心臓だけが忙しい。

 口の中は、からからだ。


 ……お願い。チャイム、秒速で鳴って。


 でも、時間はいつも通り進む。

 教室の空気だけが、あたしの周りで勝手に走っていく。

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