夜明け、光の残滓
夜明け、光の残滓
夜明けは、音もなく訪れた。
王都リュミエラの空は、ゆっくりと青を取り戻していく。
それはいつもと同じ色だった。
違うのは、それを見上げる者の目に、眠りがなかったことだけだ。
城壁の上に立つ兵士たちは、誰ひとりとして夜を越えていない。
目の下に濃い影を落とし、指先は冷え切り、槍を握る手は汗で湿っていた。
鎧の内側で、心臓の音だけがやけに大きく響く。
息を吸うたび、鉄と脂と、乾ききらない血の匂いが鼻を刺した。
昨日の小競り合いで流れた血が、石の隙間に黒く染みついたまま乾いていない。
誰も喋らない。
冗談も、罵声も、祈りさえもない。
鐘が鳴った。
それは朝を告げる鐘ではなかった。
配置につけという、命令の音だった。
城内では、民たちが身を寄せ合っていた。
家の中に留まる者、教会に集まる者、城壁の影に集まる者。
誰もが「ここなら大丈夫だ」と思い込みたがっている。
泣き声は、もう上がらない。
嗚咽は、喉の奥で押し殺されている。
恐怖が長引くと、人は声を失う。
エルネシアは、王城の回廊から城壁を見ていた。
白い石は、朝の光を受けてなお美しかった。
だがその白は、どこか脆く、剥がれ落ちる直前の陶器のように見える。
鎧を着けた兵士たちの背中が、城壁の上に並んでいる。
彼らの多くは、剣を抜いたことがない。
敵の血の温度を、まだ知らない。
それでも彼らは立っている。
立たなければならないから。
エルネシアは、その理由が自分にあることを理解していた。
彼女が立っている限り、王国はまだ崩れていないと、人々は信じている。
信じさせてしまっている。
王太子アウレリウスは、すでに城壁にいた。
夜明け前から、ずっと。
鎧の留め具は雑で、肩当てには昨日の矢傷が残っている。
それでも彼は、背筋を伸ばし、兵士たちに声をかけ続けていた。
声は、少し掠れている。
だが、迷いはなかった。
兵士たちは、その姿を見るたびに、わずかに息を整える。
王太子がいる。
それだけで、まだ戦える気がしてしまう。
バルドゥスもまた、城壁の上にいた。
老将の鎧は、もはや飾りに近い。
関節はきしみ、息は荒い。
それでも彼は歩く。
一歩ずつ、確かめるように。
若い兵士の肩を叩き、目を合わせ、短くうなずく。
励ましの言葉はない。
この段階で言葉は、重荷にしかならないことを、彼は知っていた。
城壁の外――
帝国軍は、すでに動いていた。
整然とした隊列。
無駄のない動き。
朝靄の中で、旗が揺れる。
太鼓は鳴らない。
鬨の声もない。
彼らは、これを儀式とも戦争とも思っていない。
ただの作業だ。
矢が放たれた。
合図ではない。
確認でもない。
城壁に突き刺さる音が、乾いた空気を裂いた。
一拍遅れて、悲鳴が上がる。
兵士の一人が、城壁から落ちた。
誰も見ていない。
見る余裕がない。
次の矢が飛ぶ。
また一人、倒れる。
まだ始まっていない。
だが、もう終わりに向かっている。
エルネシアは、目を閉じた。
祈りは浮かばない。
言葉が、何も役に立たないと知ってしまったからだ。
それでも、目を開く。
王女であることは、立ち続けることだ。
崩れる瞬間を、最後まで見届けることだ。
朝日は、確かに昇っていた。
それは祝福ではなかった。
ただ、逃げ場のない光だった。




