陥落前夜 帝国
陥落前夜 帝国
帝国軍は、王都を完全に包囲していた。
天幕は幾重にも連なり、補給線は太く、途切れることがない。
夜営の灯は整然と並び、闇の中で秩序そのもののように存在していた。
その中心に、第一皇子マルクス・ヴァルディアは立っている。
彼は座らない。
指揮官席という概念が、彼には不要だった。
カイネウスは、兄の背後に立ちながら、地図を見ていた。
そこに描かれた王都は、すでに「攻略対象」でしかない。
「夜明け前、攻城を再開する」
命令だった。
声に抑揚はなく、確認も要らない。
帝国軍は、全面攻撃をしていない。
だが、戦いは続いている。
城壁に矢が届く距離で、小競り合いが起きる。
門前で捕虜になった兵が、翌朝には処理されている。
血は流れている。
だが、決定打は与えない。
それが、この包囲の本質だった。
――待っている。
崩れるのを。
折れるのを。
王都の中では、死者の数よりも、眠れない者の数が増えているはずだ。
恐怖が、毎晩、均等に配られている。
カイネウスは、それを理解していた。
理解できてしまうことが、苦しかった。
「……捕虜の扱いですが」
思わず、口を開いてしまった。
参謀ではない。
意見を述べる立場でもない。
それでも、言わずにはいられなかった。
「不必要な殺害は避けるべきかと。
抵抗を失った者は、拘束し――」
マルクスは、地図から目を離さなかった。
「殺害数は、計画値を超えていない」
否定ではない。
修正でもない。
事実の提示だった。
「恐怖の減衰も、見られない。
よって、現行手順を維持する」
それで、終わりだ。
カイネウスの言葉は、
判断の材料にすらならなかった。
彼は、歯を食いしばった。
分かっている。
兄が間違っているわけではない。
最短で王都を落とす方法。
帝国に損失を出さないやり方。
それを、兄は選んでいる。
それでも――
「捕虜が増えれば、降伏を――」
「不要だ」
一語だった。
感情はない。
怒りもない。
ただ、切り捨てただけだ。
降伏は、受け入れない。
条件交渉も、価値がない。
帝国は、屈服を前提に進む国家ではない。
カイネウスは、唇を噛んだ。
自分が求めているのは、
勝利の形を変えることではない。
死に方を、少しだけ変えたいだけだ。
だが、それは戦争において、
最も意味を持たない願いだった。
夜が更ける。
王都の方角から、悲鳴とも鐘ともつかない音が、風に乗って届いた。
それを聞いても、
帝国軍の動きは変わらない。
兵は配置につき、
将は記録を整理し、
第一皇子は、ただ立っている。
完璧な国家機構の中心として。
カイネウスは、空を見上げた。
月があった。
あの城壁の内側でも、
同じ光が降っているはずだ。
恐怖の中でも。
祈りの中でも。
それを想像してしまう自分が、
皇子として、あまりにも未熟だと分かっていた。
「……月が、綺麗だ」
その呟きは儚く…夜に溶けて消えた。




