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灰燼年代記  作者: kira
プロローグ
2/11

帝都

ヴァルディア帝国 帝都



帝都は、夜でも灯りが消えることはなかった。


白い街灯と松明の列が石畳を照らし、噴水の水面は硬い光を砕いて反射している。その光は温もりを与えるものではない。照らし、管理し、逃がさないための光だった。


耳に届くのは、活気とは異なる音だった。

規則正しい靴音、鎧の擦れる音、号令の復唱。

それらが重なり合い、帝都が常に動き続けていることを主張していた。


帝国第二皇子、カイネウス・ヴァルディアは、内城の高楼からその光景を見下ろしていた。

夜空を見上げることはなかった。


内城――皇族、貴族、将校、官僚のみが暮らす区画。

高い城壁に守られ、同時に隔てられた場所だ。

庭園は過不足なく剪定され、水路は石で囲われ、水は定められた速さで流れている。噴水は夜でも止まることなく水を吐き、白光を砕いていた。


その庭園や回廊を、亜人の奴隷たちが無言で行き交っている。

彼らは視線を上げず、決められた歩幅で進み、音を立てないよう訓練されていた。

ここでは、奴隷であることすら目立ってはならない。


完璧だった。

だからこそ、息苦しい。


カイネウスは、この秩序が帝国を支えていることを理解していた。

感情を排し、無駄を削ぎ、速さと量で世界を制圧する――それは正しい。正しく、強い。


だが同時に、その正しさの中に、自分の居場所が見つからないことも感じていた。


考え、疑い、立ち止まる者に、この帝国は答えを用意していない。


内城で働く奴隷たちは、市民区画のそれよりも待遇が良い。

衣は整えられ、傷は手当され、過度な暴力は禁じられている。

だがそれは、人として扱われているからではない。

帝国の「顔」を汚さぬための管理に過ぎなかった。


内城壁の外には、さらに外城壁に囲まれた市民区画が広がっている。

そこでは人間の市民が密集して暮らし、商人の呼び声と荷車の軋みが混じり合っていた。市場は賑わい、酒場からは笑い声も漏れてくる。

だがその音はどこか急かされるようで、長く留まることを許さない。


市民区画にも、亜人の奴隷は数多く存在していた。

石を運び、荷を担ぎ、水路を浚い、工房で手を動かす。

内城より自由はあるが、それは監視が緩いだけだった。


さらに城壁の外。

そこにはスラムが広がり、亜人が寄り集まって生きていた。

排水溝から溢れた水が地面に溜まり、灯りの届かない場所で濁っている。


帝国は、彼らの労働によって発展してきた。

石の城も、舗装された道も、尽きることのない兵站も。

この帝都を照らす光は、すべて彼らの時間と命を燃やして灯されたものだった。


カイネウスは、それを知っていた。

だからこそ、正しい言葉を口にするたび、胸の奥に鈍い痛みが残る。

この帝国を否定できない自分と、肯定しきれない自分が、同じ場所に立っている。


だが会議室で語られるのは、地図の上に引かれる線と数字だけだ。

そこに暮らす者の声や、水を汲む手や、夜を迎える感情は存在しない。


誰も疑わない。

誰も立ち止まらない。

帝国は、止まるという選択肢を失っていた。


物価は上がっている。

鉄と穀物が集まり、奴隷の消耗は激しくなっている。

それでもそれは繁栄と呼ばれ、白光の下で正当化されていた。


カイネウスは、城壁の向こうを見た。

同じ夜空が続いているはずの場所を。


だが、そこに何があるのかを想像する者は、この城の中にはいない。


帝都は静かに動いていた。

虫の声も、犬の遠吠えもない。

ただ、歯車の音だけが夜を満たしていた。


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