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最期の革命と内戦が始まった。
むせかえるような硝煙と埃と……、死臭。
すぐ横で半ば焼け焦げた人体の残骸があるのに気がつく。
俺は自分でも意外なほど淡々と戦場に、人の死に馴染んでいった。
元より、反政府活動でいくつかの命のやり取りを経験していたスターリンの記憶。
そして俺自身が過激派組織で受けた教育はまさにこういった非人道的状況でこそ必要なものだったのだと理解する。
かつては実践することなく、終わったが。
でも今ならわかる。
これこそがオヤジや、俺を教育した組織のメンバーたちが想定していた舞台なのだと。
待ち望んでいた理想的状況なんだと。
この時この場所でこそ輝く知識と技術だったのだと。
安保闘争とかいう狂乱時代の幻想に取りつかれた亡霊たちの妄執。
それだけの意味と価値しか持ちえなかったはずのものが、ここでは何よりの有効性を発揮する。
革命という唯一無二の戦場。
水を得た魚。
まさにそんな感じだった。
何をしてどうすればいいか、迷うことは一切なかった。
レーニンの帰還と10月革命。
そして内戦へと事態は史実通り展開していた。
それに伴い、内務的な組織運営が主な役割だったスターリンたる俺の役目も大きく変わっていた。
晴れて政権を奪取した体制側の指導者として、継続する内戦での勝利を勝ち取るための現場指揮。
レーニンに与えられた俺の任務は食糧調達と軍の規律回復だった。
豊かな南部の貯蓄を確保し、輸送のために不可欠なヴォルガ河畔の要衝、ツァーリツィン(後のスターリングラード)を落とそうとする白軍からの防衛。
到着するなり早速、中央の政治委員として現地軍に死守することを命じつつ、農民が溜め込んでいる作物を集めることにする。
しかしこの時代のロシアの大衆は皆、醒めて狡猾だった。
集落の代表者たちはのらりくらりとこちらの要求をはぐらかし、弁を左右にして時間を稼ごうとしているのが明らかだった。
(なるほどな……)
俺は納得した。
彼らは決して弱弱しい、被害者然とした存在ではなかった。
この時点においては、政治勢力の混乱をよそに、自分たちの保身を図り、効率的に生き残ろうとするエゴイストの集団だった。
まるで個人利益のために、他者を虐げてでも豊かになりたいという本能丸出しの。
自分たちさえよければそれでいいという姿が、俺を虐げ貶め続けた日本のアイツらと重なっていく。
だからこそ。
この時にスターリンがやったこと。
その後の彼の圧制の端緒ともいえる行為がこの時点で初めて顕在化したらしいという、歴史的事実。
結末を知っていた俺は焦らなかった。
膨大な歴史資料の研究結果、書簡のやり取りの記録が証明していた経緯を粛々と踏襲する。
一応、何とかしようとしているのだけど、食糧調達に時間がかかっている、今少し待ってほしい旨をレーニンに連絡した。
すると案の定、すぐに帰ってきた返信には想定通りの文言があった。
「反革命勢力は悉く粉砕して、障害を取り除くべきだ」と。
レーニンによる、農民に対する明らかな攻撃の示唆。
暴力的収奪の許容。
これでスターリンたる男の行動を制限するものは何もなくなった。
後は躊躇する軍を叱咤して、小賢しい農奴どもに銃口を向ければそれでいい。
一部を見せしめにするだけで事は足りた。
人の命が自分の指示で失われていくところを目の当たりにしても、俺の心は全く動揺することもなかった。
恐らく、この程度なら史実におけるスターリンの赤軍と市民に対する粛清とは比べ物にならないくらい軽度の範囲だろうという確信。
決定的に問題視されるのは極力さけつつ、最低限必要だと確信した分には一切躊躇うことなく苛烈な処置を徹底する。
改めて、目的を達成するための最短の道筋を思い描きながら、生贄たちの憐れな運命に精々俺なりの祈りを捧げてやろうと思う。
無駄にはしないと。
今回の成功を皮切りに、内戦期を通じてレーニンによる実務家としてのスターリンへの信頼はさらに確実なものになっていくのだ。
単に目的を達成する手段の一つが終わったという、ただそれだけのことだった。




