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 史実通り四月テーゼを表明したレーニンと、カーメネフらプラウダ編集委員たちとの軋轢を横目に、俺は党組織の実務家としてひたすら組織運営をこなしていった。


 中央委員会の会議は、理論の応酬で常に空転していた。

 トロツキーもまだ加わっていないこの時期、レーニンの主張は極端に過ぎ、誰もが賛否を激しく論じ、時間を浪費する。

 そんな高尚な「言葉の戦場」から、俺は意識的に身を引いた。


 自分たちの主張に弁舌で対抗するわけでもなく、ただ事務的処理、党費の管理、そして何より地方ソヴィエトとの連絡機構の維持という、誰もが嫌がる泥臭い実務を淡々と担う姿勢を見せている様子に、俺は指導層からの信頼を着実に得られた。

 特にレーニンは、自らの急進的な理論を現場に徹底させる「実行部隊」を求めていた。


 知的理論の空中戦に疲れたレーニンにとって、俺の存在は水のように不可欠なものだったのだろう。

 あれこれと指示を出してきては、そつなく地方組織との連携や雑務をこなす様に満足そうである。


(もしかしたら、あのセリフを言われなくてもすむかもな)


 レーニンによるあまりにも有名なスターリン評。

 のちに党内の勢いに危機感を抱き、出さざるを得なかった後継者候補への苦言。


 『粗暴で不寛容すぎる』から、指導者として適格ではないと。


 そう言われないですむ可能性もあるのかもしれない。

 あまり史実と乖離するのも問題だが、前向きな影響ならば享受するべきだ。

 特に権力奪取を容易にできるものならばなんでも歓迎したい。


 今はこの流れに乗って、ひたすらレーニンの信頼を得られるよう、党組織の運営に精をだしてりゃいいはず。


 俺はそう確信して数か月を過ごしていた。

 どうせ間も無くこの忙しくも平坦な日々も終わりを告げるのはわかっている。

 あと数日もすれば、労働者たちが発作的に動乱を起こして、なし崩し的にレーニンと党組織が追認するというなんとも間抜けな事態が勃発するのだ。


 歴史的に七月武装蜂起と呼ばれるこの事件。


 俺の予想通り、そのままの流れで勃発したと思ったら、すぐに政府軍に弾圧されて終わっていた。


 そしてレーニンら指導層への追求が始まると、あっさり見事な逃げ足で彼はフィンランドへとまた亡命していく。

 カーメネフを含めた有力者の大半は捕まって投獄。

 主な指導者が悉くいなくなり、党中央は事実上の機能停止に陥った。


 裏方に徹していたのが功を奏していたのだろう、スターリンたる俺は史実通りに狙われずに済んだ。

 この状況こそ、俺のような実務者に最大の機会をもたらすことに他ならない。

 党組織の維持と、混乱する地方組織の「再編」は、全て俺の手に委ねられた。


 この危機を通じて、有力な別組織『メジラーヨンツィ』の合流手続きを俺が主導して完了させることになる。

 率いるのはレフ・トロツキー。


 “あの”トロツキーである。


 今回の騒ぎで、指導者の一人として投獄されたが、間も無く出獄してボリシェビキに合流する男。

 かのスターリン最大のライバルとの邂逅が迫っていた。


 次はいよいよ、運命の10月革命。

 またレーニンが帰ってくるまでの間、党組織の維持運営をこなし、粛々とその時を迎える準備を整えていくだけだった。



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