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共産主義。
有史以来の人間社会が持たざるを得なかった貧富の差、階級構造を是正し真の平等を実現する。
すべて人々は労働にこそ生きがいを得て、均等の利益配分を行うことによって餓えも飢えも差別も支配とも無縁の理想社会。
全ての発端である、思想家カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは少なくともそう、心から信じて理論を体系化、提唱を行ったのは間違いない。
歪な資本主義社会が齎す毒素、資本家に偏る富と、使役される貧しき労働者の悪循環をなんとか止めて是正しようという。
崇高な救済意識と人類愛そのものだったのだろうことは疑うべくもない。
始まりは完全な善意だった。
邪な悪意など、微塵も入り込む余地などなかった。
でも結論からいえば、共産主義は失敗した。
広大な領土を使った人類史上類のない規模の壮大な社会実験は完全に破綻して崩壊した。
人間は彼らが思う程に善性の存在ではなかった。
自己利益、エゴイズム失くして何も生み出すことなどできなかった。
何をどう働いても、常に決まった分配が為されるならば自助努力など放棄して当然。
そんな単純な人間性に対する洞察そのものが欠落していたとしか言いようがない。
だから徹底した粛清と弾圧が必要になってしまった。
主体的に生産行為をする意欲がでないならば、暴力で動かそうとするしかなかった。
つまりは、本質的に共産主義体制とは恐怖独裁と不可分なものだったのだ。
後世では常識になったこの、インセンティブ失くして生産活動は成立しえないという指摘。
そして非人道的圧制に必然的に至ること。
ソ連が大失敗してから後になって、したり顔で誰もが言い出した、冷戦終了以降の常識。
でも俺からしてみたら、それこそ見当違いの話だった。
共産主義の欠陥を嘲笑って資本主義を肯定する?
冗談じゃない。
結局そんなのはおそだしの理屈で他人の失敗をあげつらっているだけに過ぎない。
俺にとってはそんな賢しいつもりで下劣な拝金主義を肯定する卑怯者など、クズオヤジを始めとするアカどもよりも唾棄すべきものだった。
つまりは共産主義を否定するのに、資本主義を認めるきなどさらさらない。
共産主義の体裁を持ったまま、資本主義を否定して、持続可能な政治体制、社会制度をこそ目指すというだけ。
インセンティブの欠如と独裁による恐怖政治化の問題と欠陥を克服してみせればいいだけのこと。
俺に言わせれば真の平等社会、共産主義体制には独裁制こそが最適解なのである。
そして西側のアホどもがさんざん宣う恐怖政治の弊害を問題視することこそが無知蒙昧の極み。
史実のソ連が失敗したのは単にやり方が悪かっただけだ。
粛清も弾圧も、もっとうまくやればいい。
どうせそのやり方しかないのなら、さらに効率よく徹底すればいいだけだ。
俺がさんざん学ばせられたスターリンの所業の数々は、まったくもって上手いやり方じゃない。
ヤツは粛清も虐殺も下手くそだった。
後先考えず、飢饉による大量餓死者の発生という後ろめたさの裏返しの猜疑心と、癇癪めいた感情だけでやたらめったらただただ殺すことしかしなかった。
俺ならばもっとうまくやる。
どうせ殺すなら、必要不可欠なものに絞ればいい。
どうせ大量に虐殺するなら、政治体制の維持持続に最も寄与する方法と対象と分量を見極めてやればいい。
生かさず殺さず、最大限に絞り上げる冷徹な機構の構築。
利益追求の欲求が不可欠ならば、社会主義に矛盾しない程度に形だけでもそう装えばいいだけだ。
死ぬよりもよほど辛い生を選択せざるを得ないほどに追い詰めつつ。
まるきり希望を捨て去れるほどには追い詰めない。
糞ったれな資本主義者どもを拒絶して、呪われるべき共産主義のアカどもを痛みと恐怖で縛り上げ続ける。
まさに一石二鳥の最適解。
史実以上の徹底した弾圧と利害の天秤にかけた合理的粛清による最高の恐怖独裁。
それが俺の答えだった。
あの平成令和の底辺だった絶望と怨念と、過激派組織による教育が結実して齎した闇の啓示。
ではいかにしてそれを実現為しうるか。
目の前の、恐らく史上最も著名な社会主義活動家でさえ今の時点では想像だにしていまい。
ウラジミール・レーニンその人を前にしても、俺はさほどの動揺も衝撃も受けることはなかった。




