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第二部9

 エレーナという女は壊れ方すら自分を貫くことしかできぬようだった。

 理性では如何ともしがたい、本能的な崩壊現象でさえも。


 シーツの上に身体を投げ出して、はっ、はっと息を継ぐ、細く滑らかな背中を見下ろしながら、そう思う。


 決して無感覚なのではない。

 確かに生物として当然の、必然的な反応の数々が巻き起こっているのは間違いない。


 ただ、その表出の仕方はどこまでもこの女の在り方以外の何モノでもなかった。

 ケレンミ溢れる声やら動きやらとは一線を画す、むしろ断罪を受ける聖人のような。


 ひたすら歯を食いしばり、罪を贖うための責め苦に耐えるような。


 今日もまた、そうして臨界を迎えたらしいのは確認した。

 その感触自体は血も通った柔らかな女のものにもかかわらず、硬く冷たい無機質な鋼鉄を想わずにはいられない。


 やはり、そんな匂いがした。


「……よろしいのですか?」


 いつの間にか平静を取り戻したらしい、ほんの僅かに生身の響きを残した硬質の声。

 うつ伏せで横向きの顔から、うっすらと視線だけが向いている。


 茫っと。

 薄闇に浮かぶ、朧な光を湛えた碧青の瞳。


「なにがだね?」


 わかっていたけど、一応聞いてみた。

 この女のこんな問いかけ自体が珍しい。

 少しでも味わって、堪能してみたくなった。


「ちょうど、今まさに佳境かと」


「ふふっ……、ははっ」


 思わず笑ってしまった。

 なんら情緒を感じさせない、抑揚が皆無の調律されつくした音とリズム。

 ソリッドな響きが齎す、あたかも予約していた演劇の時間を気にするかのような調子に。


 確かに恐らく最大に盛り上がっている頃合いなのは違いない。

 何時どんな報告が来てもおかしくはない。


 ただ、結果についてはなんら気にしちゃいなかった。

 勝ち負けを云々する場所はとうに過ぎている。



 負けるわけがない。

 歴史的必然に加え、さらに積み上げてしまった数多のフラグメンツ。



 史実以上の強靭なソ連軍に、中国との泥沼の戦争をしながら相対している日本が勝てるわけなどないのだ。

 むしろ、どこまで、どう勝つのかにしか興味なかった。


「は……っ」


 なぞりあげるように、下から上へと雪色の丘を通る畦道に指先を這わせた。

 鋼鉄の調和が、破綻して乱れる。


 恐らく未曽有の虐殺ともいえる一方的な戦闘が、命と死のやりとりがなされているだろうこの瞬間。

 不思議と、自分のルーツがあるはずの人間が数えきれないくらい死んでいるだろうことも、なんら気にならなかった。


 ノモンハンの戦闘という名の蹂躙行為が止まるのもじきだろうと。

 終わったばかりの余韻の中で、冷たい温もりを味わいながらそう思う。



 リッベントロップはもう寝ただろうか。



 独ソ不可侵条約の締結が無事済んだ夜の後、すでに空は白みがかっていた。



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