第二部7
「彼女はよくやっていますかな?」
応接対応を終えた女が、扉を閉めて退室したばかりの方に視線を向けながら聞いてきた。
微かに揺蕩う残り香の中、チラリとこちらを窺うように見やる男は想像通りの、人間性を透かしてみせた。
ラヴレンチー=ベリヤは期待以上に、いやらしく、陰険で、計算高く、功利的な存在だった。
話す内容、言葉それ自体に満ち溢れる、清々しいほどの冷酷な胆力。
なるほど、スターリンが重用したのも納得するようだった。
確かにこれなら便利だったろうと。
「何ら問題はない。……君の労に見合ったものはもう与えたつもりだがな」
元々、俺はさほどベリヤという男に拘っていたわけではなかった。
意識的に用いようなどと、目論むことなど全くなく。
むしろ、それまでの人材が有用だったなら、なんらそのままでも問題なかったのだ。
だが、そんな歴史の因果に対する抵抗ともいえる逆境すら乗り越える力が確かにあったらしい。
特に重用した覚えなどなかったにも関わらず、気が付いたらもう、この男はすぐ傍にきていた。
能力だけなら確かに一級なのは間違いない。
あまりにも苛烈で冷酷、ゆえにこそ一切の無駄も妥協もない。
理想的な実務役である。
ならば史実通り、この男が結局は内務人民委員となってこうして目の前で相対しているのも必然であったということだろう。
「で? 残されていた懸案事項の最終的解決に関する報告とのことだが」
「はい、すべて無事に終わりましたことを改めてご報告いたします。『あの』長老の皆さまには晴れて地下でお休みいただくこととなりました」
「ふむ、人民や政治局員の反応はどうか?」
「問題ございません、諸々の権利はく奪からこっち、時間を置いたのがよろしかったのでしょう」
「結構だ。よろしい、君が完璧に私の期待に応えたと、そう理解しよう」
「ありがとうございます、書記長にはお引き立ていただいた御恩を少しでもお返しできれば幸いです」
にたぁっと、善良で清々しいという概念とは対極のものが一見すると実直そうなグルジア人の顔に浮かんだ。
その人間性の醜悪さを極めたような風情様態に思わず俺は。
ニッコリと心からの笑顔で応えてしまう。
「ふふふ、その調子で今後とも頼むこととしよう」
ああ、なんて素晴らしい男だろう。
こんなに酷くて醜くて、悪辣さを隠そうともしない。
あのトロツキーやら、トハチェフスキーに比べた人間性の低劣さ。
俺が忌み、憎み、劣等感をもってしまう何モノとも無縁。
クズの結晶。
これなら。
使うだけ使い倒した挙句、一切合切の責任を負わせたとしても何ら心に咎めるものなどあるまい。
いや、むしろ自分でやらせておいてなお、処分した時には正しいことをやってのけたような満足感すらあるかもしれない。
そう、そうだ。
こういう存在が欲しかったのだ。
圧倒的専制主義を実現するために、やはりなくてはならないものであった。
ラヴレンチー=ベリヤというものは。
そんな俺の想いを知ってか知らずか、向こうもまた媚びに塗れた邪悪な笑みでこちらに微笑み返していた。
「どうやら、外の方が御騒がしい様子。内務はどうぞワタクシにお任せください」
その言葉に含まれたものが、善悪を超えた価値の発見に思わぬ高揚感に包まれていた俺を、もういよいよ目前まで迫った無視できぬ現実へと引き戻す。
瞬時に意識が切り替わり、もう目の前の男からは興味が完全に消え失せた。
こちらのそんな心境の変化を目敏く感じたのだろう、すぐに退席を申し出てくる。
そのそつのなさはやはり貴重なものだということだけは間違いないと、俺はこの男を今後も使い続けることを心に決めた。




