第二部4
「で、ジュネーブの空気はどうだね、リトヴィノフ? 我々が彼らの土俵に上がったことを、連中は歓迎しているのか、それとも……?」
執務室にある応対用ソファから壁面の巨大な地図に視線を向けつつ、俺は国際会議から帰ってきたばかりのリベラル寄り外交人民委員に問うた。
「歓迎というよりは『背に腹は代えられない』といった様子ですな。まず熱心なのはフランスの外相バルトゥー。彼はドイツの再軍備を何よりも恐れています。我々が国際連盟に加盟したことで、少なくとも東側からの封じ込めは形になるという実利に忠実かと」
「ふふん、フランクどもらしい。ヤツらのブルジョワジーが、いつまで我々ボリシェヴィキと手を組むことに耐えられるか見物ではある。それでドイツの反応が……」
「ポーランドとの不可侵条約と。いわずもがな、我々を孤立させる狙いです。もはやあの男の目的は明確、『東方』に他ならないでしょう。将来の布石に備え、緩衝たるあの国と現時点での妥協を叶えた。……やはり今はイギリスやフランスとの協調を強め、反ファシズムの統一戦線を構築する他ないのでは?」
顔色を窺うような問いかけに、ことさら、わざとしかつめらしい顔をしてみせる。
いかにも絶対権力者が国家百年の計に重々しく想いを馳せるかの如く。
それでいて実際の心中はといえば、さほどのものでもなかったのであるが。
(おおむね、想定どおりだな)
自分が知る歴史との大きな乖離は無さそうなことに安堵していたというのが正しい。
ソ連が国際連盟に参加した際の世界情勢はまったくもって、勝手知ったるものと同じだった。
1934年の秋、今この時点でのドイツはまさに勃興期。
第一次大戦の後遺症からようやく立ち上がり、とある政治政党の躍進により一挙に政治的スタンスを激変させた。
つまりは『あの男』がとうとう台頭したのである。
ただ、まだ大がかりなことを実施する段階には至っていない。
が、当然の政治力学の帰結として警戒を強める英仏の利害とソ連の思惑が一致し、イデオロギーの壁を越えた安全保障上の連携を模索したと。
俺の記憶通りならば、この先数年は欧州情勢はこのまましばし拮抗状態に陥るはずである。
とりあえずは、この路線のままでいい。
審判の喇叭の音が高らかに鳴り響く、その時までは。
「とりあえずはイギリスとフランスに協調する姿勢をみせておけ。ただ、あまり西側の連中を信用もしすぎてはいかんがな」
「承知いたしました、基本は反独協調として引き続き対応いたします」
「さよう……」
「?」
「この先、どれだけ『政治的関係性がまるで異なる様相を示した』とすることがあってもだ」
「はあ。書記長は英仏と衝突する可能性を考慮してらっしゃるので?」
「例えばのことだ。ただ表面的に何があろうと根本的潜在的脅威は常に『あの国』なのだと思っておきたまえ」
今の時点では何の事かもわかるまい。
ただ不可思議な想いを隠そうともせぬままに、辣腕のユダヤ系外交官は承知したとだけ答える。
「西側は以上です。あとは……東ですな」
すでに了解事項であった前置きがやっと終わり、いよいよ本題が始まろうとしていた。




