第二部3
1934年、全人民党大会を成功させてから2年。
スターリンの独裁はほぼ完成しつつあった。
トロツキーを失脚させるまでこそは史実から遅れること数年の差があったが、それ以降は拍子抜けするほど簡単なものだった。
ブハーリン、カーメネフ、ジノヴィエフと、多少の前後はあれども、皆一様に何がしかの理由、トロツキストの烙印だったり、国家反逆罪だったりを『彼らの親しい人間』に告発させて、人民裁判にかけると。
たったそれだけで事は足りた。
もちろん、後顧の憂いを絶つためにも、最終的にはきちんと命まで刈り取るつもりではある。
まだ社会的立場を奪って実権を喪失させた状態で、生かしてはいるが。
どこか適当な、『大衆的に』納得いきそうなタイミングとやり方で処分するのは変わらない。
たとえどれだけ粛清を限定的かつ、抑制的にするつもりだろうと、最高権力者候補だけは外すわけにはいかない。
いや、むしろそこだけは範囲を狭めたのと反比例的に、執拗に徹底的に、容赦なく断行するつもりである。
およそスターリン体制の本質たる、恐怖と規律の両立こそが肝要なのだ。
後先考えない、無作為的で野放図な大虐殺は問題外だが、粛清自体の有効性は疑ってはいない。
特に危険な有力者は徹底して排除し弾圧し、農民反乱を始めとする武力蜂起も容赦なく苛烈なまでに根絶やしにする。
正当な理由さえあれば躊躇うことなく、縁者一族に至るまで悉く芋づる式に粛清される。
どれだけ苛烈で理不尽があろうとも、恭順することの方が逆らうよりも安楽であると、そう思わせることこそが盤石な統治基盤になるのだ。
最初の目論見通り、きっちり、必要最小限、最大の効果を発揮するように調整してやった。
大体それで内治の地盤固めはようやく出口が見えてきたといえるだろう。
五か年計画の推移も想定よりも悪くない数字が出ているようには見えていた。
オシンスキーに算出させている状況をみる限り、最初の立ち上がりこそ明確に鈍かったようだが。
あれだけの飢饉があったにも関わらず、その後の伸びが継続的に続いている様子を見る限り、史実と比べても致命的に大きな差はなさそうである。
場合によれば、数年で逆転し、本来よりも充実することもありえるかもしれない。
(まあ、さすがにそこまでは)
期待しすぎるのは禁物だろうが。
やはり集団農場化の強制を急がずに、農業基盤を保存したことが大きいようだった。
さらには共産化への過渡期的対応であるNEP(レーニン期に存在した新経済政策)の手法を相当の割合で残しているのも。
富農は徹底的に叩いて奪い尽くしたが、中から下の農業者はそのまま、ある程度の自己利益を保証してやったのである。
もちろん、それはあくまでも「社会主義的」なやり方ではあるが。
基本的ノルマ以上の余剰分については個人所有と自由取引を認めつつ、かわりに土地の所有権など不動産に関しては一律国家のものとした。
つまりはいつでも何かあれば、住む場所から追い出し、強制移動もできるようにはしていると。
集団農場への投資が進み、トラクターなどの近代化、収穫量の目途が立ち次第、暫時進めていく方針は変わらない。
その際にもある程度の自由裁量は残すつもりではあるが。
共産主義体制が破綻しない程度に、資本主義的矛盾を受け入れる。
それでいて過剰に裕福な資本家は絶対に認める気はないというのは変わらない。
俺が目論んだ最適な共産独裁の答えは、一応今のところは上手くいってるようだった。
つまりは。
やっと対外政策を始める準備が整いつつあるということだ。
もう間もなくまで迫っている、大戦乱期への対応をいよいよ本格化しなくてはならないのである。
一応、警戒はしていたが、共産党中央委員会書記の一人が暗殺されるということもなさそうだった。




