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さほどの違和感も抵抗もなく、俺の新たな日々は始まった。
自分でもどうかしてると感じるほどに、この革命真っただ中のロシアに完璧に適応して馴染んでいた。
何故なら俺の中には確かに若きグルジアの革命運動家たる男がいたから。
すべてはソイツの記憶と人格が勝手に出てきて、さほど意識するまでもなくやるべきことはわかっていたから。
だからシベリアから首都に向かう列車の中で目覚めたあの瞬間、同道していた同志たる男の事もなんらの抵抗もなく受け入れられたし。
その男、カーメネフと共にペトログラードに着いてからどこに行けば、何をすればいいのかもすんなりと流れるように対応できた。
俺の中にはソソと呼ばれたグルジアの貧しい少年が、時代の波にのって社会主義活動に傾倒し、いくつかの非合法的行為を経て、それなりに名が通り始めたその半生が丸ごと入っていた。
いや、もしかしたらスターリンと呼ばれ始めたこの男の中に、山本雄介がいるのかもしれない。
どちらが主で従なのかも定かじゃなかった。
確かなのは、令和日本の底辺男としての意思と人格を持ちつつも、同時に1917年という激動の時代にいる将来最悪の独裁者として名を遺すことになる歴史的存在の若き姿として馴染みきっているということ。
元よりその予定だった、社会民主労働党の会報誌プラウダの編集委員としてカーメネフと連日、タヴリーダ宮殿にある党の拠点に通う日々を送る。
当時のロシアの状況、革命が起こったばかりの混乱の只中、未だ確固とした政治的立場を確立していないボリシェビキの一員として、永年続いた帝政が瓦解した今、最もなすべきこと叶えるべき体制とは何かを書き綴り、印刷へと廻していく。
1917年の二月革命とは、帝政ロシアが崩壊し、最初の民主政体へと移ったばかりであった。
この時スターリンが所属する社会主義党は未だ政権を持てるような状態ではなく、海外に追放されていたレーニンの帰国を待ち、新たに発足した自由民主主義者たちによる新政体への対応をどうすべきか模索している状況だった。
だからまあ俺が見ても、この時代のロシア人は混乱しきっていた。
未だ脆弱としか言いようがないボリシェビキ党員もご多分にもれない。
恐らくあの指導者たるレーニンですら、この時点ではその去就をはっきりできていないはず。
まだ政権を取れるかどうかなどまるで分らないような状態なのだからしょうがないことではあるのだろうが。
スターリンとしての意識では当然のように見えるそれが、山本雄介の視点では酷く意外で滑稽にしか見えなかった。
何故ならこれからどうなるのか俺にはわかりきっていたから。
間も無く起こる10月革命によって、発足したばかりの自由主義政治は早くも終了を迎え、社会民主労働党が政権を握ることになる。
ソヴィエト政体が誕生するという、歴史的事実。
何度も暗記するほど叩き込まれてきた共産主義の歴史、人と事物の網羅的ともいえる膨大な知識が俺に確信を促していた。
あの吐き気がするくそったれのアカどもによるエリート教育の賜物。
それが今、淡々と「この時点での正しい振舞い方」を指し示してくれる。
スターリンが吐くべき紡ぐべき言葉と語彙を彼自身の記憶と併せて流れるような自然さで次から次に湧き出させていく。
未だ稚拙で粗暴としか言いようがない、レーニンやトロツキーと比べたら理論的洗練さとは無縁の権力理論。
ただ民族自決という概念と単位を社会主義統治の枠組みの中でとらえるという一事において、他の先駆者とは違う視点を持っていたということ。
俺はそれだけの意識で淡々と原稿を書き続けた。
この時点でのスターリンがなすことはただこれだけでいい。
たとえどれだけ同僚にして友人たるカーメネフが、より知的で洗練された文章をものしていたとしても関係ない。
やろうと思えば未来における社会主義研究の成果を遺憾なく発揮して、今の時代の誰よりも優れた論説を書くことができたとしても。
いや、むしろそうであってはだめなのだ。
すぐ横の席で一心不乱にペンを握って書き綴っている、インテリ然とした男の横顔をチラリと見る。
これから組織の中で史実通りにスターリンが台頭するためには、彼や間も無く登場するだろうライバルたるトロツキーと同じアプローチでは絶対にダメだろう。
歴史に燦然と名を遺す絶対的専制主義者をこの男たらしめたものの本質。
それは決して知的理論の追求では決してない。
むしろその逆……。
俺は紫煙の煙るプラウダ編集室の席で懸命に己の責を全うしている友人を横目に、未来を知る者としての遠大な計画へと思いをはせた。
レーニンが到着するのは間も無く。
それからがいよいよ本番なのだ。




