第一部14
「……で? 書記長はそれをもってどうされるとおっしゃるのか?」
政治局の奥まった場所にある、個室の中。
公にするべきではない、内々の話、謀略や陰謀、あるいは取り調べをするには最適な場所。
改めてミハイル・ニコラエヴィチ・トハチェフスキー……赤いナポレオンこと、ソ連最高の軍略家にしてすでに英雄の名に恥じない実績を積み上げた男を間近にした途端、やはりどうしても必要だなと直感する。
たとえどれだけ生理的嫌悪感に襲われたとしても。
目の前で披歴した、国家反逆罪を疑われる調査結果の資料を突きつけても全く動じた様子もなかった。
それもただ、自分の無実を信じているという風でもない、言いがかりのでっちあげで貶められているのだとしても、それすら覚悟しているといわんばかりの風情がまた余計に癪にさわる。
生来の貴族的ともいえる、自尊と気高さに満ちた振る舞いと態度。
己の限界を自覚した卑屈さとも怯みとも無縁な、絶対的強者そのものの姿。
「そんなものを持ち出されたとて、先の戦場で貴方がやったことが戦略的失敗の原因だったという従来の見解を翻すつもりもない」
いよいよ権力奪取へと邁進しているスターリン、この俺を前にして述べる言葉も期待を裏切ることはない。
もちろん、悪い意味でだ。
この無礼な物言いと態度。
せっかく、ちょっとした疑い程度のものを極限まで誇張して反逆者の疑いを示すよう『作らせた』弾劾資料なのだから、もう少し可愛げのある反応をできないのかと、本当に腹立たしい。
史実では対ポーランド戦時のスターリンの不手際をさんざん喧伝したために、恨まれて粛清されたこの男。
その処遇をいよいよ決めんと、呼び出してみたものの、想像以上に不愉快かつ気に入らないヤツだった。
如何に国家にとって自分が必要なモノなのかを自覚しきっている、そして周囲もそれを是としているのを最大限受け入れて活用している。
こいつもまた、トロツキーと同じ、『選ばれた人間』なのは間違いない。
だからこそ。
安易に殺してしまうよりは。
どうせなら死ぬより辛く苦しいかもしれない、本当の地獄に道連れになってもらおう。
「トハチェフスキー君……」
俺は手に取った資料の中心を両手でつまみ。
「私は君を許す」
びぃぃぃっと一気に切り裂いた。
「っ……」
ほんの僅か、眉を動かすだけ。
ただそれだけでも十分に、効果はあったことを理解する。
こちらの奇襲がそれなりに有効だったのだと、ようやく耳を傾ける準備が整ったことを微妙に圧力の薄れた存在感から察する。
「私は君が嫌いだ」
再度の奇襲で、また僅かな動揺が生まれたことを見通した。
コイツに対しては、下手に本音を隠す方が悪手だろう。
むしろこちらの悪感情をさらけ出して、さらにその上で公平性をアピールする方がいいはずだと、俺は確信していた。
「だが、そんな個人的感情や感傷と国家的大義とは分けるべきだと、そう思っている。だからこの程度の根拠薄弱なものでキミをどうこうするつもりはない。ただ、私の君に対する、あるいは職務に対する心構えと姿勢をわずかでもわかってもらうためにこの席は用意したのだ」
そして沈黙。
互いに心中を窺い合うような視線の交錯と言葉無き時間がしばし流れ。
「……正直」
トハチェフスキーはようやく『対話』をするつもりになる。
「こちらも貴方を信用はしていない。だが仰っていることが本当ならば、態度で示していただくしかないな。……まずはつまらない嫌疑で私をどうこうするつもりがないのは承知した。個人的感情を公的職務に持ち出さないことも異論はない」
「すぐに信用してもらえるとも思っておらんよ。まあ、とりあえずはそれでいい。先に示した通り、確たる証拠、根拠なくして一切の処分もするつもりはない。……ただ」
釘を刺すべきところを、違うつもりもない。
「もし仮に『必要十分な証拠』さえあれば、一切の手心なく徹底的に対応させてもらうつもりだということだけは言っておこう」
それまでとは一段上の強さで告げる。
途端、ピリッとトハチェフスキーの身体に緊張感が迸るのがわかった。
「私は絶対に裏切り者を容赦しない。合理的な理由と統治理論に沿う限り、必ず罪科に見合った罰を十分なだけの痛みで与えることを忘れてくれるな?」
ごくりと。
喉を鳴らす素振りを示した後。
「……一つ聞きたい。例の計画で初めに飢饉用援助備蓄を提案したのは貴方だというのは本当なのか?」
固い表情はそのままに、ほんの僅か揺らぎを乗せた響きで聞いてきた。
「私の自己申告など何の意味があるのかね? 君の権限で確認できる議事録はもう目を通したのだろう。……それがすべてだ」
「……」
その答えを飲み込み、咀嚼するように、目を閉じて中空を仰ぐ。
まるで何かに祈りを捧げるかのように。
またしばらく沈黙の時間が流れ。
「そうか。……わかった。同志スターリン。わかったよ」
疲れたようにポツリとつぶやいた。




