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「……話にならん。あまりにも話にならんよ、同志スターリン」


 静寂を破ったのは、冷徹な響きの声だった。

 その主は卓上の計画書を指先で弾き、眼鏡の奥の瞳を傲慢に輝かせる。


 モスクワ、クレムリン宮殿の一室。

 中央委員会政治局の最高指導メンバーによる会議体は始まったばかりにも関わらず、ぴんと張りつめた空気で満たされていた。


 円卓の一席から、周囲を睥睨するように見渡しながら男……トロツキーの理知的かつ冷淡な言葉があたりに響く。

 今日の彼も絶好調のようである。

 お得意の演説は相変わらず名調子で、たとえ政敵であろうとも思わず心を左右されかねない説得力、求心力に満ち溢れていることは間違いない。


 ブハーリン、カーメネフ、ジノヴィエフ。

 そして、書記長の椅子に深く腰掛け、パイプを燻らせる俺――ヨシフ・スターリン。


 立場としては上下などないはずが、皆一様にトロツキーの主張に圧されるように押し黙っている。

 明確な人間力、存在自体の違いが彼とそれ以外をはっきりと線引きしているかのようだった。


 紡がれる言葉の内容、声の抑揚、立ち居振る舞い、あらゆるものが頭一つ抜けて見事な出来ばえ。

 否応なく対峙する者は劣等感めいたものを抱かざるをえない。


 ソヴィエト連邦黎明期の圧倒的人材、レフ・トロツキーの勢いは今がまさに絶頂だった。

 本来の歴史ほどにはまだ失脚工作を顕在化させていないのが、その理由なのは間違いない。

 レーニンから危険視されないほどに手綱を緩めつつ、トロツキー包囲網が完成するほどには権力を行使する。

 俺がこれまで積み上げてきた最適なスターリン行政への道筋。


 だから本来ならもう政治の表舞台から脱落しつつあったはずのこの男はまだ、確たる権威の元、影響力を十二分に放ち輝き続けている。


 俺が提案した五か年計画の初期案資料、『史実よりも大幅に農民保護を盛り込んだ』数字のページをパタパタと手の甲で叩き、できの悪い生徒をたしなめるように言い放つ。


「なんだね、これは。飢饉が発生した場合の対策として、どれだけ予備食料を見積もるつもりなのだ? これでは工業投資に回せる予算が大幅に足らないではないか。農民への配慮? 予備穀物の備蓄? 君はいつから人道主義者に転向したんだ。我々が直面しているのは資本主義諸国による包囲網だ。今この瞬間にも、帝国主義の軍靴は我々の喉元に迫っている。必要なのは、農村からの徹底した徴発による、超速の工業化だ。たとえ一時的に農民に負担をかけようとも、体制護持のために心を鬼にして断行せねばならん」


 よほど自分の普段からの主張をまるで無視したかのような農業偏重の内容に腹を据えかねたのか、トロツキーの弁舌は、この少人数の密室でも鋭利な刃物のように冴え渡っていた。

 彼は周囲の幹部たちを一人一人見据え、自らの正しさを、そして俺の「無能さ」を共有させるように言葉を重ねる。


「諸君、我々は選ばねばならない。スターリンが掲げるような『遅鈍な妥協』か、それとも私が提唱する『革命的飛躍』か。答えは明白なはずだ」


 俺は彼の視線から逃げるように視線を落とし、困惑したようにパイプを弄んだ。


 思わず笑っちまいそうになるのを必死で抑えるため。


 まんまと想定通りの反応をしてくれるのがうれしくてたまらなかった。

 もちろん、提案した内容はトロツキーが反発するようにわざと過剰に調整している。


 オシンスキーに算出させた、飢饉時に必要十分な備蓄量をさらに大幅に余裕をもって盛り込んだもの。

 つまりは史実での当初案を妥協的だと批判した、それ以上の拒絶反応をトロツキーに起こさせるため。


 いい感じで茹ってくれたようだから、そろそろ頃合いだろうと判断する。

 後は最後に決定的な一言を引きだせばいい。


 俺は内心の目論見を僅かにも漏れ出さないよう、努めて愚鈍で憐れな調子で宣った。


「同志トロツキー、私の愚かさをどうか許してほしい。……だが農業者に過酷な負担をかけることがどうしても心苦しいのだ。余剰生産高のほとんどを工業投資に回し、もし仮に、歴史的不作などが起これば、間違いなく被害は甚大なものになる。もちろん私も工業化の重要性はわかっているつもりだ。だがそれでも。万が一を考えると、この程度の非常備蓄、特に緊急時の種籾分の確保は必要ではないかと、そう思ってしまうのだ」


「スターリン、君の配慮は実に人民に対する慈愛に満ち溢れた素晴らしいものだ。だが優先順位というものを付けるべきだろう。ここ数年は収穫も安定しているし、過剰に万が一のリスクを考慮しすぎと言わざるを得ない。鉄の男という名に相応しい、断固たる政治判断に務めてほしいものだ」


「……では。どうしてもこの非常対策の穀物は不要だと?」


「さきほどから私はそう主張しているつもりだが。仮に見積もるとしてもあまりにも多すぎる。もっと必要最低限に削る余地はあるはずではないかね?」


 その言葉をトロツキーが放った瞬間、俺は隣に座るジノヴィエフ、その向かいのカーメネフに素早く目配せを送った。

 有能すぎる脅威に対する同盟者たちの、無言の確認。

 確かにヤツの発言は議事録に残った。


 これで目的は完全に達成された。


 そしてトロツキーの主張に沿うよう、また内容を修正して次に報告することで意見はまとまり、会議は終った。

 俺はすぐに執務室へ戻ると、電話をとって事務官に前々から用意していた『もう一つの数字』を盛り込んだ資料を作るよう指示を出した。




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― 新着の感想 ―
未来が分かるというアドバンテージを活かした物凄いやり方ですね。これで最大の政敵も排除できて、国民の支持も得られそうでスターリンにとって万々歳ですね。
約四百万人?救って大嫌いな政敵も排除出来て、人民の支持も得られる。 最高の結果になりますね、これは。
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