04:皇帝来りて-3
3.戦人たちの祭典
クストールの森から帰ってきてからの学生生活は、実に平穏だった。
セッティ家でどのような対応が取られたのやら、今ではあのご長男もすっかり大人しくなっている。代わりにエリゼくんがよく話しかけてくれるので、以前ほど孤独でもない。アルドワン講師も贔屓にならない程度に便宜を図ってくださるので、校内でも劇的に過ごしやすくなっている。
傭兵ギルドでもスヴェアさんとレインナードさんの話し合いは無事に一定の落としどころが見つかりでもしたのか、傭兵ギルド長から二通目の手紙が届くことはついぞなかった。とはいえ、手紙が全く届かなくなった訳でもない。
実家からの手紙や小包は定期的に届くし、それだけでなく二人の傭兵の人からも手紙が届くようになった。内容は王都内で片付くささやかな仕事への誘いだったり、美味しいお店があるので一緒に行かないかという食事の誘いであったりした。
もちろん、後者の差出人はレインナードさんであり、シェーベールさんだ。薬草採取の一件から後、付かず離れずの交流が続いている。薬草採取が無事に終わったことを伝えるべく三人で薄明亭を訪ねたこともあったし、清風亭で帰還祝いという名の飲み会が開かれたこともあった。
私も十七歳になった。村ではもう飲酒をしても咎められることはないけれど、王国法としての成人は十八歳だし、元々飲酒を好む趣味がある訳でもない。それに未だ残る「前」の感覚から、何となく飲むにしても二十歳を過ぎてからにしておいた方がいいような気もしていた。
「二十まで飲まねえってのは、願掛けか何かか?」
「そういう訳でもないのですけど、今は学生の身分でもありますから。あんまり羽目を外してもよくないので」
「ふーん。じゃあ、二十になったらよ」
その時は一緒に呑もうぜ、とレインナードさんは大きなジョッキを片手に笑っていた。私に飲酒の趣味はないけれど、確かにそれは楽しそうだ。
尚、そう話していたレインナードさんもシェーベールさんも飲み会の開始から浴びるように飲んでいたのに、最後までケロリとしていた。とんでもない酒豪である。あれがザル、いやワクというやつなのかもしれない。
斯くして賑やかに、穏やかに、日々は流れていく。太陽はかんかんと照り、空は抜けるように青く、緑は鮮やかさを増してゆく。そんな六月の終わりも目前という時分に、北の大国から皇帝はやってきた。そして、それは例の武闘大会が開催されるということでもある。
二国の王が並んで観覧する、商工ギルドが中心となって企画した大規模イベント。死しても自己責任という条件付きにもかかわらず、勝者には多額の賞金が出ると聞いて参加希望者もうなぎ上りという噂だ。
それ以外にも様々な催しが企画されているので、数日前から王都はすっかり華やいだ空気に満たされている。その雰囲気に中てられたといえば、それもまた否定はできない。でも、レインナードさんは武闘大会に参加する一人――当事者なのだ。折角なら、私だって何かお祭りっぽいことをしてみたい。
そんな下心のような何かに突き動かされ、初めて私の方から傭兵のお二人に声を掛けた。私はまだ子どもに近い学生で、あちらは立派な大人。その大きな差が、何となく気後れを生んでいた。このお祭り騒ぎに紛れなければ、まだしばらくは声を掛けられずにいたに違いない。
まあ、考えてみれば当然のことで、私が誘ったところでレインナードさんもシェーベールさんも嫌な顔をしたりはしない。こちらが心臓をばくばくと跳ねさせながら出した手紙には、あっさりと快諾の返事が返ってきて、何を一人で緊張していたんだろうと自分で自分に呆れてしまったりもしたけれど。
約束をしたのは、武闘大会が開かれる三日前。その夜に三人で集まり、薄明亭でご飯を食べることにした。気分としては、ちょっとした壮行会である。
「えー、本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます」
「オイ何か急に堅苦しいぞ」
「そこまで固くならなくていいのじゃないか」
「……ハイ」
僭越ながら音頭を取らせていただこうと思ったのに、初っ端からダメ出しを頂戴した。私はこういうのに向いていないのかもしれない。
「では挨拶は巻きまして、飲み物はお手元に届いていますか。いますね。――レインナードさんの勝利を祈って、乾杯」
がしゃん、とお酒の注がれたジョッキとアイスティーのコップがぶつかり合う。今回は隅のテーブル席に陣取った私たちをニコニコと笑顔で眺めている親父さんは、カウンターの中でちょっとだけ杯を掲げた。まだ営業中なので、大々的に加わる訳にもいかない。
「いよいよ明々後日ですか」
「対戦予定は誰なんだ」
「そりゃー、やっぱ一番の大物だろ!」
商工ギルドは何が何でもこの一大イベントを成功させんとする意欲に満ち溢れ、宣伝広報活動にも余念がない。街中が武闘大会の告知ポスターやチラシに彩られんばかりで、清風亭の一階の酒場でもこの話で持ちきりなのだとか。
武闘大会において挑戦者を迎える顔触れは、以前の親父さん情報と変わりがない。「暗黒大陸の猛獣」「東方の剣士」「北の山脈の巨人」「西国の戦士」「南海諸島の魔術師」の五名だそうだ。正確には、四名と一頭か。
その面々の中における、一番の大物。……ジャイアントキリング、とは「前」の時にも度々耳にした定型句だ。
「巨人、ですか?」
「お、正解」
「北の山脈から招かれた、霜の巨人だったか。手強そうな気はするな」
「だろ。剣士や戦士とはその辺で戦えるが、巨人はそうそうお目に掛かれねえ」
「猛獣はどうなんです? わざわざ遠方から連れてくるくらいなら、珍しい種類なんじゃないですか」
「だろうとは思うが、結局は獣だろ。戦うっつーより、飯でも狩ってる気分になりそうじゃねえか……」
何とも言えない微妙な表情でレインナードさんが呟く。狩人の娘としては、その気持ちも分からないではない。
「シェーベールさんは参加しないんですか?」
「特に賞金が入用という訳でもないからな」
「俺だって金に困ってる訳じゃねえぞ」
軽く答えるシェーベールさんに、レインナードさんが横から不服げな反論。
何度か話に聞いた通り、レインナードさんは戦うこと自体が目的になり得る人なのだろう。一方で、シェーベールさんはそうではない。とはいえ、大会に出る=賞金を獲得する――勝つと自然に言えてしまう辺り、双方等しく自分の腕に自信があるとも言える。さすがはギルド長にも一目置かれる傭兵さん。
「戦う方で参加しないのなら、観戦の方はいかがですか? 昨日、清風亭の旦那さんから商工ギルドから配布されたチケットをいただいたのですけど、ペアなので片方の席が空いているんです」
「そういうことなら、お供仕ろう」
「席ってどの辺だ?」
「特に番号の記載もなかったので、自由に選べるのかもしれません。いい席を確保できればいいのですけど」
「そか。んじゃ、見っけたら手え振ってやるよ」
にかりと満面の笑み。もちろん、それが嫌な訳ではない。ないのだけれど、これだけ大々的に告知と集客を図っているイベントであるからには、詰めかける観客も相当数に上るはずだ。
その衆人環視の中、手を振られたり、振り返したりする。なかなかに度胸が要るのではないだろうか。
「……振り返した方がいいですか?」
「そんな寂しいこと言うなよ……」
真剣に考えた末に窺うと、やたらに悲しそうな顔をされた。頭の上に犬の耳でも生えていたら、ぺたんと萎れて倒れていそうなしょんぼり具合である。その上、シェーベールさんまで無言でこちらを見つめてきた。……む、無言の圧力!
「ささやかに振り返しますね、ささやかに」
「そこは派手にいこうぜ、派手によ」
「地味に穏やかに過ごしたいんです、私は」
何度も行動を共にしていれば、自然と慣れが出てくるものだ。以前よりも幾分か気安さを増した会話は弾む。私は明日も学校があるので、あまり夜更かしもできないのが惜しいくらいだった。
夜が遅くなる前に会はお開きになり、今日は俺がと挙手したレインナードさんを同行者に清風亭へ戻ることになった。人気のない大通りを並んで歩く。もう何度目かも分からないくらいには、日常茶飯事の帰り道。
「今日はありがとうなあ」
「いつもお世話になっていますから。できれば、武闘大会でも怪我をせずに勝ってきてください」
「おう、ちゃんと契約破らねえ程度に引き際見ながらやってくるわ。心配すんな」
そう答えるレインナードさんは、どこか落ち着かない様子だ。返事自体はしっかりしているものの、妙にそわそわしている。わざわざ帰り道の同行を志願してきたこともあるし、何か話でもあるのだろうか。
「……ところで、レインナードさん」
「な、何だ?」
「いえ、何だはこっちの台詞といいますか……どうも落ち着かない様子に見えますけど、何か言いにくい話でも控えていたりしますか?」
「へ⁉ あー、いや、その、用事っつーか、何つーか」
もごもごと口ごもりながら、レインナードさんが足を止める。
空はもう暗くなっているものの、まだ夜更けまでは遠い。通りにも、昼間ほどではないにしても行き交う人の姿がある。歩行者の邪魔になってはいけないので、レインナードさんを横から押して通りの端に寄った。
そこで私も改めて足を止め、長身の人の顔を見上げてみたものの、どうにも視線が合わない。露骨に目が泳いでいる。じっと見つめていると、やがてレインナードさんも観念した風で口を開いた。
「あのな、前に緑の石の飾りもらっただろ」
「〈碧の女帝〉の課題の時の?」
「それだ。その礼をな、考えてたんだよ。……んで、やっと良さそうなのを見っけた訳だ」
言いながら、レインナードさんはジャケットの内ポケットから小さな包みを取り出す。薄紅色の包装紙とリボンのラッピングが施されており、ごつごつとして大きな男性の手とは、なかなかの異色の組み合わせ感があった。
「どこのお店で見つけたんですか?」
「商工ギルド。大通りの飾りとか売ってる店はきらきらしてて入りにくいっつか、よく分かんねえし」
「ああ……基本的に、貴族や富裕層向けなところがありますからね」
普通に貧乏一歩手前の私と違い、腕のいい傭兵であるレインナードさんは収入に困ることもなさそうだけれど、ああいう場所に縁があるようにも思えない。その点、商工ギルドは立ち入るにも気が楽だ。
私がスフリーゼ石を買い取ってもらった時のように、仕事のついでにしても訪ねる用事はちょくちょく出てくる。ギルドに加盟している職人さんの作品も展示、販売しているし、その場で新規の発注や既存の作品に魔術を付与するオーダーもできるそうだ。私が訪ねた時も傭兵ギルドで見かけた人が何人かいたし、傭兵にとっても装備にプラスアルファしたい時の御用達なのかもしれない。
「……で、ともかく、これ」
ずい、とレインナードさんが薄紅の包みを突き出してくる。本当に私にくれるつもりのようだ。
「何も見返りを期待して渡した訳ではありませんし、本当に課題のついでだったのですけど」
「それはそれとして、いいもんをもらったから礼をする。当然の話だ」
レインナードさんは頑として譲らない。これ以上の遠慮はかえって失礼になるだろうし、逆に私が返礼も受け取れないような半端なものを渡したことにもなってしまいそうだ。また何かの折にでも、お返しをさせてもらおう。
「そういうことでしたら、有難く頂戴します」
軽く頭を下げ、差し出された包みの下へ掌を差し入れる。そっと置かれた包みは、見れば見るほどに綺麗に飾られていた。私が渡した時とは大違いの立派さには、少々申し訳ない気分にならなくもない……。
「開けてみてもいいですか?」
返事の代わりに頷きがあったので、包装を破かないように慎重に開ける。
「……髪飾り?」
中に包まれていたのは、小さな花の飾りだった。
ピンで髪に差すもので、ころりとした丸みのある花弁を形作るのは、ほんのわずか透ける結晶と艶やかに輝く銀色。都合三輪連なった花には、見覚えがある。クローロス村にもよく咲いていた――ビオラだ。
可愛いらしく、けれど造りは緻密で美しい。派手すぎることなく、控えめな美しさを湛えて作り込まれた意匠は実に私好みだった。
「俺は魔術が得意じゃねえんで、何か付加するってのはできねえし。ギルドの職人に頼もうかと思ったんだが、贈り物を装備にしてどうすんだって言われてよ」
「私は装備にしてしまいましたけど」
「俺は傭兵だからいいだろ」
「そうですか?」
「そうなんだよ。――つー訳で、この前の礼な! 気に入らなかったら……あー……俺の心が折れるんで、何も言わずに持っといてもらえると助かる」
急に尻すぼみになる声。また見えない犬耳が萎れている錯覚。どうしてそんなに後ろ向きになってしまうのだろう、と少し不思議だった。
「それは要らぬ心配というものです。とても素敵な飾りですから、明日にも着けて出掛けますね」
にこりと笑ってみせると、ようやくレインナードさんもホッとした様子で笑った。見えない犬耳も立ち直ったに違いない笑顔は、まるで少年のようだった。
「年頃のお嬢ちゃんの好みとかサッパリだからよ、どうにも心配だったんだ。けど、そう言ってもらえりゃ安心だな」
へへ、と照れくさそうに笑うや、レインナードさんは「おっと、時間食っちまったな。早いとこ帰ろうぜ!」と歩き出す。私も髪飾りを包み直して鞄に入れ、その背中へ並んだ。
武闘大会が近付くにつれ、街は一層に活気を増しているように思われた。
商工ギルドが全精力を注ぎ込む勢いで活発な広報活動をしているし、隣国の皇帝を歓迎する一大イベントとして国の方でも色々動いているとも聞く。双方が相俟って、稀に見る賑やかさを演出しているのかもしれなかった。
お陰で、開催当日はまさに運動会と夏祭りが一斉にやって来たような騒ぎだ。空には光魔術で瑞兆として知られる鳥獣や花吹雪の幻像が投影され、きらきら光る煙をたなびかせる鳥の使い魔が飛び交う。大通りの露店もいつもの二割増しどころか、二倍増くらいの勢いで出店されていた。
武闘大会は、王都の中心に座す王城から程近い闘技場で行われる。闘技場前までの通りにもびっしりと露店が並んでおり、物見遊山以外の何者でもない私とシェーベールさんは道々飲み物や食べ物を買い込み、足取り軽く闘技場へと向かった。
かつて少しだけ嗜んだサッカー観戦でもそうだったけれど、指定席を取っていない場合、座席確保において物を言うのはどれだけ早くに会場入りしているかだ。折角なら良い席で観戦しようと意気込んだ私たちは、初戦の始まる午後一時から三時間ほど前倒しして会場入りすることに決めた。
その結果、見事に商工ギルド関係者席内の最前列を確保することに成功したのである。……が、そこに問題があるとすれば。
「早く来すぎましたね」
「まあ、そうだな」
広い場内観客席には、未だぽつぽつとしかお客の姿が見えない。どうやら、少しばかり気合を入れて行動し過ぎてしまったようなのである。
ここでぼうっとしていても、買ってきたものが冷めてしまうだけだ。二人並んで席に座り、むしゃむしゃと食べていることにした。この分では肝心の時に手元に何もなくなってしまいそうだけれど、どうせすぐ外に露店がひしめいているのだ。後でまた買いに行けばいい。
「揚げ芋、もらっていいですか? こっちの揚げ鶏もどうぞ」
「いただこう。塩は?」
「ちょっとだけつけてもらえれば」
「了解した」
「今日の闘技場は、武闘大会の御前試合だけでしたっけ? 他に何か催しとかありましたっけ」
最近は魔石加工学のレポートで忙しかったこともあり、私の頭の中では武闘大会=レインナードさんが出場するという、単純極まりない認識だけで止まっていた。思えば、街中に張られたポスターも、そこら中で配られているチラシも、何一つきちんと見ていない。
途中でチラシをもらってくれば良かったな、と今更な後悔を抱きつつ、揚げ鶏に串を刺してかじりつく。
「二時間前から騎士団の出し物があるとは、チラシに書いてあったな」
「あと一時間……。すみません、早く着き過ぎてしまって」
「いや、構わない」
時に食べ物を交換し、時に雑談に花を咲かせ。そうして過ごしているうちに、入場してくるお客の姿は少しずつ増えていった。とはいえ、まだ御前試合の開始までは時間がある。
早く着きすぎた私たちは早々に食べる物を食べ尽くしてしまったので、もはや補給は不可欠。私が座席の確保役として残り、シェーベールさんが買いに出てくれたのだけれど、戻って来た時には周囲の席も半ばが埋まりかけていた。そこからお客の入りは加速し、騎士団の催しの時刻になるとすっかり満員御礼――立ち見客すら引きも切らない有り様だ。
ファンファーレめいた楽の音でもって開幕した騎士団のパフォーマンスも、前座にするのがもったいないような見ごたえだった。きらきらと眩いばかりの装束で着飾った部隊の行進に始まり、鼓笛隊の演奏、精鋭の騎士による演武。
時々キャーキャー黄色い声が上がっていたのは、誰かしら人気のある人でもいたからだろう。私はそちらの方面には疎いので、全く分からないのだけれど。
「お嬢ちゃんは騎士に興味がないのかい?」
何かすごいなあ、と漠然と眺めていたところ、後ろから声が聞こえた。肩越しに振り向いてみれば、中年の男性が座っている。もちろん、知り合いではない。
「そうですね。治安の維持に尽力してくださっているという、そのお仕事への感謝はありますが、個人的な興味関心はそれほど」
「思ったより真面目な答えがきたな……。ホレ、今上がってきた赤毛のいるだろ。紺の服着た」
微妙に困惑した表情を浮かべながら、おじさんが舞台の方を指差す。
闘技場はざっくり真円に整えられており、中央に石造りの舞台が設えられている。その周囲にぐるりと砂地の緩衝地帯が設けられ、更にその外縁を観客席が囲む形だ。観客席の中でも一等高く築かれた特別席の真下に入退場用のゲートがあり、そこから騎士の人たちが出てくる。
おじさんが指し示したのは、今まさにゲートから出てきた人のようだった。すらりと背の高い赤い髪の男性で、年齢はレインナードさんやシェーベールさんと変わらないくらいと見える。その辺の感覚にイマイチ鋭くない私でも手放しに整っていると理解できるくらいの、未だかつて見たことがない端正な面差しをしていた。
他方、リングに上がる足取りから、特別席の国王陛下や皇帝陛下に礼を取る所作、拍手と共に始まった演武の何から何までが優美の一言に尽きるのだ。金糸で縁取りされた濃紺の衣装に真っ赤な髪が映え、さながら舞台俳優かとばかりの華やかさで観衆の視線を惹き付ける。
圧倒されずにはいられないほどの、それは問答無用の「美」だった。
「有名な方なんですか?」
「有名な、ときたか。あいつはラファエル・デュランベルジェ。ルラーキ侯爵の三男坊さ。剣を使わせればアシメニオス一! ま、女人気もだがな」
もっとも、そう言われたところで私の興味順位が変わることもない。へえ、と気の抜けた声が呑気に口をついて出てしまった。
多少は意味やニュアンスに差異はあるのだろうけれど、不思議とこの世界には日本や周辺諸外国……総括するのなら地球と似通った文化的要素がある。ラファエルの名もその一つで、創造神に仕える神の一柱として数えられていた。
その神の名を与えられた、侯爵家の三男。まさしく雲の上の人だ。他人事といってもいい。
「……本当に興味なさそうだな」
「他に観戦の目的があるもので――シェーベールさん、白腸詰を一ついただいてもいいですか」
無言で串に刺して渡してくれる手から受け取り、パキッと小気味よく割れる熱々のソーセージを堪能する。串を返す時に鈴カステラ的な焼き菓子を刺しておいたので、決して横取りした訳ではない。はずだ。たぶん。
「騎士を見に来たんじゃねえってんなら、お嬢ちゃんみたいな若い娘さんが一体何を見に来たんだ?」
「何って、御前試合ですが。知り合いが出場するので、応援に。――演武が終わったみたいですね。これで次はもう御前試合で……初戦はどなたでしたっけ?」
「猛獣だ。その後に西方の戦士、巨人は更に次になる」
「結構待たされますね……」
ソーセージやカステラをもぐもぐ食べている私を、後ろのおじさんは「物好きだねえ」と評していたけれど、これには特に答えずにおいた。
騎士団によるパフォーマンスが終わり、入れ代わりで舞台に上がった商工ギルド長が口上を述べる。それを受けてアシメニオス国王とキオノエイデ皇帝がお言葉をくださると、ようやっと武闘大会は開幕の運びとなった。
賞金に釣られたのか、賑やかしのサクラか。待ち受ける猛者に向かっていく人は多いものの、まともに戦闘になる人はそれほど多くはなかった。とはいえ、今のところ猛獣も戦士も無事に――と言っていいかは分かりかねるものの、挑戦者によって打ち倒されている。
初戦として用意された猛獣を倒したのは、金髪の青年だった。暗黒大陸から連れてこられたという猛獣は虎に似て、驚くほど俊敏に動く。一方、肉厚のロングソードを操る青年も巧みだった。剣を太い牙に噛み合わせて喰い付かれるのを防ぎ、鋭い爪にかすめられつつも柔軟に対応して致命傷を逃れる。
そのまましばらく一進一退の拮抗状態が続き――いよいよ猛獣が焦れてきた頃、彼は勝負に出た。飛び掛かる猛獣の牙を防ぎながら、隠し持っていたショートソードで一閃。鼻面を斬り裂かれた猛獣が怯んだのも一瞬のこと、怒涛の勢いで青年に襲い掛かる。けれど、それこそが狙いだったのだろう。
戦いの場は、地魔術で作り出されたリングの上。その丸盆から下りたり、落とされたりすると自動的に敗北となる。猛獣が今少し冷静であれば、青年の目論みを看破することもできたのかもしれない。けれど、最後まで気付くことはなかった。
怒りで目の曇った猛突進をあっさりと避けられ、リングから飛び出して敗北。運営補助の屈強な男性たちが駆け寄ってきて抑え込もうとしている時にも、ひたすらに青年に向かって怒って吼えていた。或いは、青年が晴れやかないい笑顔でオマケにウインクまでつけながら、
「おう、飯代ありがとよ!」
そう言い放ったのが逆鱗に触れたのかもしれない。気持ちは分かる。
ともあれ、青年は見事に勝ちを収めた。終わってみれば呆気ない気さえしてしまうけれど、猛獣の攻勢を凌いだ華麗な身のこなしと剣捌きは、精鋭騎士の演武に負けるとも劣らない。
それを称えてか、リングの傍から拡声魔道具で実況中継をする審判兼司会が挑戦者の勝利を告げた瞬間、闘技場は揺れるように沸き返った。イベントとしては、この時点でなかなかの成功であると言えるのではないだろうか。
その次、二番手は「西国の戦士」だ。軽装の鎧に背負う程の大きな剣を携えた男性で、挑みかかったのは十数名にも及ぶ。しかし、八人は三分と持たず、一人は五分ほど粘って場外敗北、一人は十分戦って降参。最終的に勝利したのは、なんと齢二十ばかりと見える女性剣士だった。剣士というか、侍?
その女性は刀に似た、緩やかな反りのある片刃の長剣を用いており、打ちかかる戦士の剣を巧みに受け流していった。決して力比べはせず、じっと状況を窺いながら重い剣の一撃を的確に捌く。派手な剣戟の応酬に見えてその実、戦いは持久戦の様相を呈していた。
じっと機会を待つ女性、押し切らんと攻め立てる大剣の戦士。激戦の最中、何を契機と見出したのかは分からない。不意に戦士が剣を引き、溜めの一瞬。その後に繰り出されたのは、渾身の横薙ぎの一撃だった。一息に力で押し切ろうという目論見であるに違いない。
対する女性は、どう出るか。誰もが息を呑む中、彼女は驚きの行動を取った。大剣が直撃する瞬間、真上に跳んだのである。どよめきが走る間すら与えない刹那、女性は地面ではなく戦士の手を足場に再度の跳躍。戦士の鎧の肩当てを掴んで支点にし、侍というよりは忍者を連想させる身のこなしで、するりと背後をとる。
その次の瞬間に、勝負は決していた。鎧の隙間から差し込まれた片刃の剣が、ひたりと剣士の首筋に添えられている。いつでも首を刎ねられる。言葉にして伝えるまでもないほど雄弁な所作に、誰が逆らえるというのだろう。
「まだ続けると言うのなら、受けて立つが」
「いいや、参った。降参だ。……強いな、あんた」
「十連戦の後でなければ、今しばらく掛かったろう」
「それでも勝つことに変わりはないってか、とんだ伏兵が混ざってたもんだ」
こうして、第二戦も挑戦者の見事な勝利によって幕を下ろした。見応えのある戦い続きで、観客の昂揚も最高潮に達しつつある。
次は待ちに待った第三戦。いやが上にも気分が高まる――と、私までわくわくし始めたのも束の間。司会者が告げたのは、リングの修繕整備を兼ねて休憩を挟むという知らせだった。
「盛り上がってきたのに、水を差しますね」
「相手は巨人だろう。舞台に上がられただけで砕けては敵わんし、予めの補強が必要なのではないか」
「それもそうですね……」
話している間にも、リングの補修は進む。第一戦では猛獣の爪、第二戦では大剣の猛攻に晒され、リングの表層が少なからず傷ついているのも確かだ。
それらをまとめて直し、且つ巨人の戦闘に耐え得る強度を与えようということなのかもしれない。大急ぎで施術する魔術師の人たちの中には見知った顔もあったので、どうやら学院の講師方まで動員されているようだった。王立と名のついた機関に所属する勤め人は大変だ……。
ところで、御前試合で戦う順番は予め運営側で決めてあるのだという。申し込みの時点で戦歴や力量を軽く調べておき、それを元にある種のシナリオを組む。まずは小手調べ、それから少し腕の立つ中堅、最後に本命の真打。そういう、興行的な盛り上がりを意識した仕組みになっているのだそうだ。
その情報を踏まえるに、やはり――
「レインナードさんは最後でしょうか」
「だろうな。それこそ、デュランベルジェ家の三男辺りでも出てこない限り」
『――お待たせ致しました! 舞台の補修補強が只今終わり、いよいよ第三戦の開始です!』
会話を断ち切るように、司会者の声が朗々と響く。自然と背筋が伸び、舞台へ目を戻す間も心臓がどくどくと痛いくらいに脈打っていた。