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15:悪魔囁き人過つ-1

1.作戦の前に



 ぐっすり寝て、清々しく目が覚めた。……のとは裏腹に、目がひどく腫れぼったい。

 もちろん、それが何故かなどと分かりきった話だ。兎にも角にも、一度顔を洗ってきた方がいい。布団の中で身を起こし、欠伸を噛み殺しながら袖で目を擦る。

「泣いて寝て起きた後に、またそんな擦らねえ方がいいぞ」

 その途端、聞き慣れた声が飛んできて、肩がビクッと跳ねた。

 声の方に目をやってみれば、既に起きて身支度を整えた後らしい人がテーブル脇の椅子に座っている。テーブルに置きっぱなしにしていた書類を見ていたらしいものの、今は目を上げてこちらに顔を向けていた。

 目と目が合った後、何故かヴィゴさんはほんのりと眉尻を下げる。

「そんなビビるなよ」

「ビビってません。……今、ひどい顔してるのでこっち見ないでください」

「いつも通り可愛い顔してるよ」

「は」

 予想だにしない台詞過ぎて、変な声が出てしまった。他方、ヴィゴさんは平然として「飯はもうすぐ持ってきてくれるとさ」などと続ける。

「まあ、まずは顔洗ったり風呂入ったりしてくりゃいいんじゃねえか。その方がすっきりすんだろ」

「……お風呂入ってきます」

「おう、行ってこい」

 それからお風呂に入って、出て、二人分運んできていただいたご飯を食べるまでも、特に変わったことはなかったと思う。しばらくの間離れていたのが嘘のように、王都にいた時と変わらない。ただ、考えてみれば、それも不思議なことではあった。

 初夏の武闘大会が催される前までは、月に何度か顔を合わせればいい方だったのだ。それが同じ清風亭を拠点とするようになって、あっという間に毎日顔を合わせるのが当然になった。王都を発ってからだって、まだ半月も経っていない。それなのに、妙に懐かしく感じる。

「……半月?」

 そう思い返して、ハッとした。

 朝食は書類を片付けたテーブルの上に運んでもらい、二人向かい合う形で席について食べていた。正面を見れば、ヴィゴさんも同じように「半月?」と首を傾げていたので、ご飯を食べる手を止めて頷く。

「半月です。王都を発ってから、もうじき」

「まだそんなもんか。外に出ずっぱりだったから、日付の感覚がイマイチあやふやなんだよな」

「お疲れ様です」

「お前もな。そんで、半月経って何か思い出すことでもあったか? あ、学校の課題とかか」

「いえ、その辺りは全部状況が解決してから考えることにしているので大丈夫です。ただ、この半月のうちに過ぎてしまったでしょう」

「何がだよ」

 問い返す人は、あくまで怪訝そうだ。もしかして、自分のことなのに忘れているのだろうか。……それだけお仕事――戦いに忙しかったということかもしれないけれど。

「お誕生日です。ヴィゴさんの」

「あ~、そうか、もう十一月半ばか。確かに過ぎてら」

「遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございました。今すぐにはプレゼントが用意できないのですけど」

「んな気にしなくていいって」

「ただし」

「うん?」

「私の手元に、今、対のラムール石の飾りがあるのですよね」

 そう言った瞬間、ヴィゴさんの顔色が変わった。サーッと青くなり、冷や汗が流れ始める。私が何を言おうとしているのか気付いたのだろう。そうでなくては困る。

「なあ、あの、ライゼル」

「最初は片割れをある方に渡していたのですけれど、いらないと返されてしまったので」

「いや、いらないとかそーゆー訳じゃなくてだ」

「いっそ捨ててしまおうかとも思ったこともありましたが、まだ使えるものを廃棄するのも勿体ない話ですから、シェーベールさんに預けて活用してもらうのも悪くはない気がしていて」

「あー何か急に誕生日プレゼントが欲しくなってきたなあ! お前が手元に何か飾りを持ってんなら、それが欲しいなあ!」

「分かりました。後で正式なお誕生日プレゼントは別途用意するとして、まずはそちらをお渡ししますね」

 にこりと笑って返せば、テーブルの向かいでがっくりと肩を落とす姿。戦う時の勇ましさは見る影もない。

「騙したのはほんとに悪かったって……」

「別に私は何も言ってませんよ」

 意趣返し成功、とは少しだけ思っているけれど。


 朝ご飯を食べ終わった後は、ローラディンさんに先触れをお願いしてから防衛隊の指揮所を訪ねることになった。前線に出るのなら指揮官のサヴェラムさんとを始めとした防衛隊の主要な人員に顔を見せておいた方がいい、とヴィゴさんが言ったからだ。

「どっちにしても、実施前には正式な作戦会議があるだろうけどな。予めどんな奴らがいるか分かってた方が、少しは気が楽だろ」

「そうですね、心の準備ができますから」

 今回も建前上は事前の挨拶として向かうとしても、顔を合わせたからには作戦――罠について説明を求められる可能性が全く無いとは言い切れない。念の為、その場で使えそうな資料も用意して持っていった方がいいのではないかと思うのだけれど。

 そう問うてみると、ヴィゴさんも「そうだな」と頷く。

「後は弓も持ってけ」

 しかし、その後に続けられた言葉は、多分に私の意表を突いた。

 ローラディンさんにアポイントを取ってもらったものの、里を守る防衛隊の指揮官殿が相手では、さすがに早朝すぐに訪ねてはゆけない。かと言って、今から説明用のレジュメを作ろうにも、パソコンもない全手書きでは間に合うか怪しい。役に立ちそうな書類を複写していって資料として添えるのが現実的だ。

 その為の書類の選別をテーブルでしていたところだったのだけれど、聞こえてきた発言の意図が読み切れずに、思わず手を止めて向かいの席にいる人をまじまじ見つめてしまった。

「弓もですか?」

 挨拶の時に武装していくのは、戦時中とはいえ失礼になったりしないのだろうか。首を傾げずにはいられなかったものの、ヴィゴさんはあくまで平静そのものの様子で頷く。

「状況によりけりだが、その暇がありそうなら弓の腕も見せておきてえ。お前が銘持ちの魔術師だってのはローラディンが伝えてるが、エルフ連中には人間の物差しはそこまで響かねえし、人間の傭兵はお前の見掛けを最初の判断材料にする。若い娘ってのは、どうしたって軽く見られがちだからな。その場で魔術師としての本質を見せるっつーのも難しいだろうし、まずは弓の腕で一発喰らわせる」

「一発喰らわせる」

 少なからず物騒な物言いに唖然として、ただ繰り返すことしかできなかった。それでもヴィゴさんの表情に変わりはない。おどける素振りの一つとてなく、その眼差しはひたすらに真剣だった。

「おう。お偉方が連れてきた腕前定かじゃねえ魔術師のお嬢ちゃんっつーよりは、まだ魔術師としての腕前は分からねえが弓は使えるお嬢ちゃんって思われてた方がいい。いざって時の立ち回りにも影響してくるからな」

「なるほど……。となると、矢は置いていって、弓だけにしたた方がいいかもしれませんね」

 そう答えると、今度はヴィゴさんが「弓だけ?」と問い返した。

「物質構築魔術はすごく得意という訳じゃありませんが、できることはできます。弓を構えて、何もないところから矢をつがえて射た方が魔術師としての腕も多少は見せられるでしょう」

「……お前ができるっつーなら、俺はそれを疑わねえが、アルマじゃ魔術で二の矢を創って射た後にぶっ倒れたろ」

 それだと逆効果だぞ、と釘を刺すヴィゴさんの表情は複雑だった。否定したい訳でも、疑いたい訳でもないけれど、傭兵としての現実的な視点から言わずにはおれない。そうした思惑が如実に表れていた。

「アルマ島では索敵と超長距離狙撃と追撃の三つの術式を並行して展開していたのと、天候不順による身体的な消耗が相俟って力尽きてしまった――と言い訳をさせていただきたいところではあります。一度に何十本も作るのならまだしも、パフォーマンスで十数本射る程度なら問題ありません」

 まっすぐに目を見て答えた後、落ちる沈黙。けれども、決して長い間のことではない。

 ほんの二呼吸ばかりの間の後、ヴィゴさんは「分かった」と肩をすくめた。

「お前はその辺の計算がちゃんとできるはずだろうしな。それでも、もし何か状況が変わってまずい流れになってきたと思ったら、何かしら合図しろ。どうにか収拾をつけるようにする」

「ありがとうございます」



 深い森の奥とて、十一月半ばの寒さに変わりはない。特に今日は曇っていて陽射しがないので、余計に肌寒かった。冬仕様の厚手の着衣の上に深緑の外套を重ね、厳重に防寒を期してローラディンさんのお屋敷を出る。もちろん、弓だけを入れた矢筒、書類を入れた封筒を携行してゆくのも忘れずに。

 防衛隊の指揮所や練兵場のある区画は、お屋敷からだとイジドールさんのいる広場よりも尚遠いところにあるのだという。とはいえ、場所と道はヴィゴさんが知っているので、私はただその後についていけばいい。

 里の中は相変わらず閑散としており、すれ違う人もほとんどいなかった。それでも指揮所に近付くにつれて、多数の人の気配やさざめく声が感じ取れるようになってくる。指揮所の周囲には検問が敷かれ、警備にも人間とエルフと問わず多数の人が立っていたものの、予め周知されていたのか、私たちは特に身元や用件を問われることもなかった。

 ヴィゴさんに対して目礼を示す人も多かったので、これまで戦場で示した働きがそれほどまでに素晴らしかったということなのかもしれない。

「防衛隊の指揮官のサヴェラムは愛想はねえけど、仕事はできる奴だ。ローラディンの十倍は生きてるっつーか、ラビヌの戦いにも従軍してるご老体だから、大抵のことは知ってる。だから、もし作戦解説をすることになっても、そこまで緊張する必要はねえ。ある程度は向こうで勝手に理解するだろうしな」

「歴戦のエルフの方なんですね。とはいえ、あまり先方の経験値に甘える訳にもいきませんから、なるべくきちんと説明できるようには努めます」

 するっと検問を抜けた後は、まっすぐ奥へと進んでいく。やがて見えてきたのはローラディンさんのお屋敷に比べれば小ぢんまりしているけれど、見るからに重厚な造りの建物だった。堅そうな木材で守りが固めてある様子を見るに、ここが指揮所なのだろう。

「よう、邪魔するぜ」

 指揮所の表を固める警備兵の方に気さく過ぎる声を掛け、ヴィゴさんは躊躇うことなく建物の中に進んでいく。軽すぎる態度にか、警備の人たちも苦笑を浮かべる風ではあったものの、拒んだり止めたりする気配はない。

 ヴィゴさんはアルサアル王に謁見した時も普段と変わらない態度であったと、以前にローラディンさんが言っていた。その時もこんな感じだったのだろうか……。

 ヒヤヒヤともハラハラともつかない心持ちで、先を行く人に続いて足を動かす。そうして到着したのは、広い会議室のような部屋だった。扉をくぐると同時に、魔術の気配と人の声が一斉に押し寄せてくる。通信魔術で各方面の部隊と連絡を取ったり、あちこちから集まった情報を処理したりと、様々な人が今も仕事に追われていた。

 ヴィゴさんはそちらには特に反応を示さず、部屋の中央に据えられた円卓へと足を向ける。円卓の下には円卓の直径の倍はあろうかという大きな深い紅色の絨毯が敷かれており、ヴィゴさんに続いて絨毯を踏むと、周囲の喧騒が少し遠くなった。

 円卓での会議を阻害しないよう、絨毯を媒介に魔術が施されているようだ。それだけでなく、かなり強力な防御魔術も複数掛けられている気配がする。これもまた、指揮所が直接狙われた時への備えだろう。

「銀の葉から連絡は受けている。そちらが〈碧礫〉だな」

 厳重に守られた円卓の一番奥には、一人の男性が座っていた。その背後に控えている男性は補佐官か何かの方だろうか。

「おう。忙しいとこ申し訳ねえが、一応の挨拶にな。――後は、これからやる反攻作戦について、ちょっとした要望があるもんで」

「そうか。座るかね? 急ぐのであれば、そのままで構わないが」

 男性は淡々と言って、私たちのすぐ目の前の座席を示す。

 その人の様子をそれとなく窺いながら、内心で驚きを禁じ得なかった。ヴィゴさんの発言を見るに、防衛隊の指揮官のサヴェラムさんで間違いないのだと思う。しかし、先に聞いていた「ご老体」という評価に反して、全然おじいさんでも何でもなかった。

 多く見積もっても、五十に届かない。ルカ先生……いや、サロモンさんより少し年上くらいの壮年の男性に見える。色味の薄い金の髪をうなじで束ね、こちらを見据える青い眼は冷たく見えるほどに落ち着き払っていた。

「この後に練兵場に顔を出しておきてえから、椅子は結構だ。じきに作戦の用意は整う。それを待って打って出ることになるだろうが、その時に俺は遊撃部隊から外してもらえるか」

「〈碧礫〉の護衛につけろ、ということかね」

「ああ。仮に作戦が成功しても、ライゼルに何かあっちゃ本末転倒だからな。俺がここで戦う意味自体がなくなる」

「なるほど、噂通りに熱烈だ」

 さらりと言って、サヴェラムさんは後背に控えていたエルフの人を呼んだ。それとなく聞き耳を立てていたところ、ヴィゴさんが率いていた遊撃部隊を別の人に預けて運用させるよう指示を出しているようだった。

 その打ち合わせが終わると、サヴェラムさんの目が再びこちらへ向く。

「いいだろう、ひとまずは君たち二人は一揃いとして動かすものとする。作戦の概要は銀の葉から聞いているゆえ、ここで再度の説明は不要だ。先に練兵場へ行くといい」

 信用を得るには時に力を示す必要もある、と添える御仁は、私たちが何を目論んでいるか想像がついているに違いない。最後にヴィゴさんがちょっとした打ち合わせのようなやり取りをしてから、思いのほかに早く指揮所を辞すことになった。


 練兵場は指揮所のすぐ近くにあり、遠目にも掲げ持たれた盾が陽光を弾いてピカピカと輝いているのが見えた。今もエルフの防衛隊が訓練に励んでいたり、傭兵らしき人たちが各々にトレーニングに勤しんでいるようで、時折活気ある声も聞こえてくる。

 かつて親しんだ物語の影響か、エルフと言えば弓矢のイメージが強いので、大きめの盾というのは少し意外だった。

「エルフ族は大盾も使うんですね」

「まあなあ。一族の中でも王と各氏族の長くらいしか身分差がねえから、どうしたって守り重視の立ち回りになるんだわ。他の国なら傭兵やら何やらを使って自分とこの被害を減らしつつ攻勢に出られるが、エルフ(ココ)はそうもいかねえ。臣民に被害を出さねえのが第一になるから、デケえ盾を持った前衛を出して牽制して、その間に弓兵部隊や魔術部隊で仕留めるのがお決まりの戦術だ。今回はそれじゃ追っつかねえってんで、外部から傭兵が呼ばれた感じだな」

「……傭兵の人を使って自分たちの犠牲を減らす作戦、という訳ではありませんよね?」

 いくら何でもそれはないだろうけれど、と思いつつ声をひそめて訊いてみれば、ヴィゴさんはからりと軽く笑った。

「そこまで悪どいことは考えねえさ。連中にもプライドがあるからな。――だからこそ、奴らは弓の名手に一目置く。お前の腕の見せ所ってこった」

「最善を尽くします」

 こそこそ喋りつつ、ヴィゴさんにくっついて練兵場へ足を踏み入れる。当然ながら、ヴィゴさんも傭兵の人たちとは親しげだった。あちこちからかかる声に応じつつ、それでも足を止めることはなく奥まった辺りに設けられた弓の鍛錬区画へ足を向ける。

 ヴィゴさんに声を掛けると同時に私の方を窺う視線がいくつもあることは分かっていたけれど、会釈する程度に留めておいた。挨拶をするのなら、目的を終えた後でいい。あちらも私たちがただお喋りや顔見せに来たとは思っていないだろう。だから、視線を向けるだけにしている。

 弓の鍛錬区画には、既に何人かのエルフの人と傭兵の人が入っていた。横に長い鍛錬区画の右端には海矢を持った人が立ち、対面の左端には的が浮いている。板の類を立てて的にするのではなく、魔術で矢を受け止める力場を作り出しているらしい。矢の損耗を抑えられるだけでなく、的の位置や距離も細かく調整できると見える。どなたが考案されたのかは存じ上げないけれど、素晴らしい技術だ。

 そうして鍛錬を行う人たちの近くには、教官だろうか、銀髪のエルフの人が立っていて時折声を掛けていた。その人は私たち――いや、ヴィゴさんに気付くと「おや」と眉を上げる。

 長い銀髪を三つ編みにした、緑目の男性だった。外見上は三十歳前後と見えるものの、実際に生きた年数と比例してはいないことは、さすがにもう分かっている。

「珍しい顔が来たものだ。君は槍兵だと思っていたが、弓も使うのかね?」

「全く使えねえ訳じゃねえけど、性に合わねえ。弓遣いはこっちの方だ」

「お邪魔します」

 ヴィゴさんが手振りで示すので、その横に並び出てから頭を下げる。エルフの男性はヴィゴさんから私へと目を動かし、意外そうに目を瞬かせた。

「お嬢さんがかい?」

「はい。近頃は少し机仕事にかかりきりでしたので、調整をしたく――少し場所をお借りできますか」

「もちろんだとも。手前が空いているよ。矢の用意はなさそうだが、用意させようか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「ライゼル、書類は俺が持っとく」

 ヴィゴさんが差し出してくれた手に「お願いします」と封筒を預け、矢筒に入れてきた弓を取り出しながら、空いているスペースへと歩みを進める。教官の方のすぐ前だ。的までの距離はおよそ百メートル。

 左手に弓を握る時には、もう弦が張っている。いつも通りに構え、空の右手で弓弦を摘まむ。何も障害がないのなら、矢をつがえるまでに一秒もかからない。真正面に浮かぶ的を見据え、弦を引ききり指を離す。

 びょう、と風を切る音。中心を射抜いたのは見えていたものの、的の素材ゆえか、それらしき音は聞こえない。代わりに、二矢目をつがえた時には矢が刺さったままの的が少し後ろに下がっていた。距離にして三メートル。

 それくらいはどうということはないけれど、このまま(・・・・)中てては矢がもったいない。……いや、パフォーマンスとしてなら、かえって分かりやすくていいだろうか。

 第二射。がしゃん、と今度は確かな破砕音を聞いた。その後に三度矢をつがえると、また更に的が遠くなっている。弓弦を引き、矢を放ち、二度目の破砕音。――直後、正面にあった的が左手に動き、右側から別の的が近付いてきた。

 的の動きが全て教官の采配であるとすれば、言わんとするところは分かる。弓に自信があるのなら、双方射貫いて見せろという訳だ。弓を横に倒し、一度に二本をつがえる。迷いはない。これまで通りに弓を引き、放つだけ。

 二点へ向かって飛んだ矢は同時に命中し、片方は三度の破砕音を響かせる。それで一旦は終了ということなのか、もう的が動くこともなかった。

「素晴らしい! その若さでよく使う」

 それを示すかのように、拍手と教官の声が上がる。小さく息を吐いて弓を下ろし、声のした方へ身体を向け直して「ありがとうございました」と軽く頭を下げた。

「こちらこそ、良い手並みを見せてもらった。他の者たちも励みになるだろう。――ところで、お嬢さんの射姿は私がかつて挑んだ狩人によく似ている。師はサロモンという名ではないかい?」

「サロモン・ハントであれば、私の父です」

 顔を上げると同時に思いもよらない言葉が聞こえてきたので、答えはしたものの、目を丸くせずにはいられなかった。

 驚きを露わにする私を前に、教官の方はにこりと微笑む。

「もう二十年前かそこらになるかな。アシメニオスの東の山におそろしく腕の良い狩人がいるという噂を聞いて、年甲斐もなく狩り勝負と射的勝負を挑みにいったのさ。あれは楽しかった」

 アシメニオスの東の山といえば、クローロス村もその言葉で形容される地域に含まれる。アシメニオス東方の山に住む狩人のサロモンとまで情報が揃ったのなら、私の父であるサロモンさんだと考えるのが妥当だ。

「サロモンが育てた狩人ならば、この森でも上手く立ち回れるだろう。君の参戦を歓迎する。よろしく頼むよ」

 大きな手が差し出されたので、弓を矢筒に戻してから応じる。サロモンさんを思い出させる、弓を持ちなれた手だった。

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