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03:碧の女帝-2

2.迷宮探索・下



「ったく、先客はろくな腕をしてねえらしいな」

 地下迷宮行を再開して暫し――おもむろに立ち止まったレインナードさんが低い声で言ったのは、三度目の分岐点となる十字路を曲がった時だった。そして、それは今まで漂っていた生臭いにおいが一際強くなった時でもある。

 ここまでにおいが強いとなると、現場はかなり派手なことになっていそうだ。血と臓物が悲惨、もとい飛散している様が目に浮かぶようだ。

「……ひょっとして、現場に到着しました?」

 レインナードさんの背中が目隠しとなって、私の目にはまだ根本原因たる光景は映らない。魔石のランプも通路の隅々まで照らし出すほどの光量はないので、闇に隠れている部分もあるのだろう。とはいえ、これだけのにおいの濃さだ。

 おそらく、何も見ないで済むということは有り得ない。私が慣れているレベルの流血とは次元が違う。

「おう、ひょっとしなくても正解だ。始末の仕方が雑も雑だし、こんだけ派手に飛び散らかしてるってこたあ、客の方も無事に済むめえよ。罠踏んで魔物が召喚されてきて、泡食って応戦したはいいが全滅はさせられなかったし、無傷にもいかなかったって塩梅じゃねえかな」

 呆れの色を隠しもしない嘆息をこぼしつつ、レインナードさんが再び足を動かし始める。その背に続かないという選択肢は、もちろん初めからない。ないのだけれど、これは――

「周りの様子は俺が見てる。あんまキョロキョロしねえ方がいいぞ。見て楽しいもんでもねえ」

「確かに、うわ……ほんとに、ひどい……」

 そう呻くくらいしかできない惨状が、そこにはあった。まさに酸鼻を極める流血現場。血と臓物を踏まずには歩けないほどの大惨事。喉の奥から込み上げる不快な兆候を飲み下しながら、努めて目の焦点を外して足を動かした。

 白茶けた石畳だというのも、余計に血の赤を際立たせていけない。どういう戦い方をしたのやら、壁に叩き付けられたような血痕もあった。獲物の解体は狩りに付き物の作業だ。同じ年頃の女の子に比べれば、私も耐性はある方だと思う。……しかし、これは違う。純然たるスプラッタというか、分野違いというか。

「やっぱ無理そうか? 吐き気とかするか?」

 歩く足は止めないまま、レインナードさんが肩越しに気遣いの滲む視線を寄越す。ここでどう答えるべきかは、正直なところ、少し迷った。

 完全にダメな訳ではない。でも、ここ意地を張って無理をしたところで迷惑をかけるだけだ。それどころか、私も嘘の申告をした上に自分の体調すらマトモに把握できない未熟者だと申告するに等しい。

「平気とは言い切れませんが、まだ少しくらい歩けると思います」

 言葉を選びつつ、なるべく正確な状況を伝えるべく努める。レインナードさんはかすかに眉を寄せた後で「そうか」と頷き、顔を前に戻した。

「ちっとばかし足を速められるか。早めにこの一帯を抜ける。ヤバいと思ったら、遠慮しねえで言ってくれ。気付いたら後ろで倒れてた、とか最悪だからな」

「了解です。……ジャケットの裾とか、掴ませてもらっていいですか?」

 そうすれば、私がどうにかなった時も異変が伝わり易くなるはずだ。問いにはすぐさま「好きなとこでいいぞ」と返事が返されたので、有難くジャケットの裾を掴ませてもらう。丈はそれほど長くなく、元々が上背のある人だ。掴んで支えにさせてもらうには、黒革の裾はちょうどいい高さだった。

 言葉通りに裾を掴んだのを感じ取ったのか、前を行く歩みが少しだけ早くなる。私も意識して目の前の背中だけを見るようにして、足を急がせた。

「それにしても、ここで戦った人は何をどうしたんでしょう。魔物に飛び掛かられた後、滅茶苦茶に振り回して壁に投げつけた、とか……?」

「大方、そんなところじゃねえかね。魔物の召喚にビビって、そんで統率が乱れたんだろな。罠にかかるのは仕方ねえとしても、ここまで大事にしてんのを見るに、よっぽどの新米だ。先が思いやられるぜ」

 やっとの思いで血みどろの通路を抜け、突き当たりの角を左へ折れる。その後はしばらく真っ直ぐな道が続くはずだった。左へ曲がると、少しだけ血臭も弱まる。

 そっと息を吐きだした時、やおらレインナードさんが足を止めた。

「ライゼル、これ持っとけ」

 振り向く動作に合わせて差し出された手には、小さな巾着があった。ランプの光の下では実際の色味とは少し違ってしまっているだろうけれど、薄緑の可愛らしい包みであるように見える。

「何です?」

 レインナードさんなら変なものを出したりもしないだろうという、あまり根拠のない判断の下に裾を掴ませてもらっていた手を離して掌を上に向ける。

 ぽすりと置かれた巾着の手触りはさらさらとして、サテンに似ていた。触れた感じでは、何やら丸いものが入っているようだ。

「中から一つ出して、食べてみ。少しゃ気分も変わんじゃねえか」

 言われるがまま、弓をしまって巾着を開ける。緑の袋の中に入っていたのは、小さな梅に似た実だった。予想外の中身に、不覚にもギョッとする。

 梅に似た、その丸い実の名をプディナという。子どもの頃に少したちの悪い風邪を引いて寝込んだ時に食べさせてもらったことがあるけれど、クローロス村では行商のキャラバンでも来ないと手に入らなかった珍しい果実だ。

 南方の特産だから、もちろんガラジオスでよく売られているという訳でもない。流通の頻度そのものはクローロス村とは段違いだろうけれど、元々が栄養価の高く病人にも良い食べ物として重宝されるものなので、仮に売っていたとしても買うのは容易でないはずだ。

「どうしたんですか、これ」

「そいつ、食うと鼻とか喉とか、すうっとする感じするだろ」

 見た目に反して、プディナの実は柑橘系の味と匂いがする。食べると、鼻から抜ける清涼感があるのが独特だ――というのは、図鑑で見た知識での知識だ。小さい頃に食べた記憶は、さすがにもう残っていない。

「迷宮ン中で気分が悪くなったりした時、あったらいいんじゃねえかと思って買っといた」

 で、その地味に貴重品な実を。遠足だから酔い止めを用意しておいた、みたいなノリで。……無頓着と言えばいいのか、器が大きいと言えばいいのか。

「ええと……これ、おいくらでした?」

 あんまり高価な品であるのなら、気安く「いただきます」なんて言えない。恐る恐る尋ねると、レインナードさんは何故か明後日の方向へ目を逸らした。

「……秘密」

「秘密⁉ 秘密って、言えないほどの金額ってことです⁉」

「あーあー、聞こえねえ聞こえねえ! いいだろ、大人しく受け取っとけよ! 例え高かろうが安かろうが、請求する気はさらさらねえから気にすんな! ったく、ほんとに子どもらしくねえなあ……」

「とは言ってもですね、さすがに気にせずにはいられないといいますか」

「だから、気にすんなってのに。……あれだよ、必要経費ってやつだ」

 必要経費。急に誤魔化しでない単語が出てきて、目が瞬いた。

「俺も荷物運ばなけりゃならねえ以上、お嬢ちゃんがへばっても気楽に担いでやる訳にゃいかねえのよ。傭兵ったって、ギルドに登録して仕事を受ける真っ当なのから、犯罪の片棒を担いでその日暮らしってのまでピンキリだ。その面倒な方と遭遇しねえ保証なんざ、どこにもねえからな」

 口を閉じた私を見返し、レインナードさんは静かに続ける。その語り口は思わず背筋が伸びるほどに真摯であり、語られる言葉は確かな経験に裏打ちされていた。

「その手の連中に遭遇して穏便に済めばいいが、犯行現場を見られただの何だので喧嘩を売られることもある。そん時に荷物を背負って、お嬢ちゃんも担いで立ち回るのは、ちと骨が折れる訳だ。つーことで、なるべく自分で歩いてもらえると助かる。値段を気にするよか、ちゃんと歩いて戻れるよう心掛けてくれ」

 そこまで言って、レインナードさんは口を閉じた。

 頭ごなしに言うことを聞かせようとするのではなく、論理的な説明でもって言い聞かせる口振りに、反発心が生まれることはない。この場で私にできる一番の仕事が、なるべく足手まといにならないことなのだから。

「そういうことであれば、有難くいただきます」

「おう、そうしてくれ」

 どことなしかホッとした表情を浮かべ、レインナードさんは軽やかに踵を返す。そして、その動作の最中。まるで鼻先に飛んできた虫でも払うかのような気負いのない動作で――手に携えた槍を振るった。

 柄は滑らかな光沢をもつ、赤みを帯びた黒色。質感からして、磨き上げた木材に何らかの塗料が塗布されているのかもしれない。柄の両端、石突と刃は同じ銀色をしている。石突に球状の飾りが施されているのに対し、幅の狭い刃は真っ直ぐに細長い。先端へ伸びるにつれて鋭く尖る、槍と聞いてオーソドックスに思い浮かべる形状をしていた。

 暗がりへ向けてまず叩き付けられたのは、穂先ではなく石突の方だ。ぎゃん、と潰れた獣の鳴き声が上がる。続くのは、どさりと何かが床に落ちる重い音。……そこまで聞いていても、今この場で何が起こっているのか、私はすぐに理解することができなかった。

「ちいと暢気にお喋りしすぎたかね。あっちから出てきてくれたみてえだわ。ま、これはこれで早々に安全を確保できて都合がいいってもんだろ!」

 その言葉を聞いて、ようやく全てが理解できた。何てこった、既に魔物は接近していたのだ! 私はそれに気付かず、レインナードさんはとうに気付いていて――あっさりと迎撃に打って出た。

「て、手伝いましょうか⁉」

 巾着をジャケットのポケットに押し込み、慌てて弓を手に取る。けれど、レインナードさんは軽く笑うばかり。

「んにゃ、要らねえ要らねえ。大人しく自分の身に気を付けてろい」

 銀の残光を引く槍を一閃、また一匹の獣を仕留めてみせた。それからも更に一匹、二匹と――いっそ呆気ないほどに手早く。

 通路は高さも幅も、目測で五メートルもない。槍が短く見積もって二メートル前後だとしても、取り回しには気を付けなければならない狭さだ。壁に穂先を引っかけてしまっては刃も痛むし、何より隙になる。

 そんな状況にありながら、レインナードさんの槍捌きには一片の淀みも、一瞬の停滞もなかった。振り下ろす動きで一刀両断、返す刃で一突き。薙いではあっさりと首を刎ねる。気が付くと、前方から迫っていた狼はレインナードさんの槍の届く範囲から一足も進むことができないまま全滅していた。断末魔の悲鳴すら上がらない。鮮やかなお手並み、と讃えるほかない早業だった。

 なるほど、さっきの通路の血みどろ具合に苦言を呈する訳だ。綺麗というのも変な話だけれど、ここまで見事に片付けてしまえる腕の持ち主なら、先客の戦いぶりはさぞかし拙く見えたに違いない。

「あ、しまった。全部突いて仕留めときゃ、まだ血が少なくて済んだか」

 その上、そうやって気にする余裕まであるのだ。ひょっとしなくとも、私はとんでもなく腕の良い傭兵さんを引き当ててしまったのかもしれない。

「さて、一丁上がりだ。どうよ、初戦闘の感想は?」

 槍の露を払い、こちらに向き直ったレインナードさんはニヤリと笑う。

「……結構なお点前で」

「オテマエ?」

「お見事でした、と。こんなに素晴らしい槍捌きの傭兵さんにご協力いただけて、光栄です。私はよっぽど強運の星の下に生まれたらしいですね」

 きょとんとするレインナードさんに笑い返し、それから「先へ進みましょう」と促す。時たまプディナの実を齧りながらの道行きは、これまでほど長くはない。

 二つ目の目的の採掘は、幸いにも一箇所だけで終えることができた。碧色の魔石はノレクト鉱石よりもずっしりとした重みがあり、計五個約二キロを採掘したものの、鞄の中に納まる量で済んだ。途中で、青いスフリーゼ石を見付けられたのも収穫だ。売ると、ちょっとした金額になるらしい。

「やはり、私は相当に運がいいのかも……」

「かもなあ。スフリーゼ石、割と珍しいはずなんだけどな。――ひとまず採掘は終了だが、まだ油断はできねえ。ギルドに帰るまでがお仕事です、ってな。帰り道も気を抜かずに行こうや」

 さらりと釘を刺す一言に、内心でぎくりとした。その通り、まだ目的を果たした訳ではないのだ。ここで浮かれてヘマをしてしまっては、元も子もない。帰り道こそ、罠を踏まないようにしないと。

「肝に銘じます……」

「ま、そこまで気負うこともねえがね」

 俺がいるからな、と請け合う人の笑顔は、全くもって頼もしいの一言に尽きた。



 エルヴァ地下迷宮から王都ガラジオスへ帰還して、三日目。

 今日は午前中に講義を集中させたスケジュールになっているので、お昼には全日程が終了する。正午と講義の終了を告げる鐘が鳴ると共に講義室を出て、作り終えた課題制作を提出すべく校舎の別棟――魔石加工学の研究室を訪ねた。

 扉をノックし、誰何の声を待ってから名前と用件を告げると、扉を開けて顔を出したルイゾン・アルドワン講師は目を丸くさせて言った。

「まあ、もう制作を終えたの?」

 アルドワン講師は五十がらみの、アルドワン伯爵家に連なる女性魔術師だ。かつては宮廷魔術師として仕え、王立騎士団で魔術師隊を率いたこともあるとか。その経験からは実践を重視するタイプの魔術師で、課題も〈碧の女帝〉を用いた魔力貯蔵具の作成だった。

「まだ期限まで一月もあるのに……どうぞ、中に入ってちょうだい」

 アルドワン講師は朗らかに微笑み、部屋中へと誘ってくれる。

 極まった魔術師である講師陣は、外部が思うほど平民だの貴族だのという身分に頓着しない。それは往々にして「自分の研究に関係がないから」という無関心の発露であるものだけれど、アルドワン講師はそうではなかった。

 王立騎士団の魔術師隊は学院の卒業生だけではなく、平民の魔術師も含まれる。その部隊を率いていた経験によるものか、私にも他の生徒と分け隔てなく接してくれる有難い人だった。

「お茶はいかが?」

「いえ、お気持ちだけで。この後、傭兵ギルドへ向かう用事がありまして」

 一応はと部屋の中にお邪魔しつつも固辞する態度を見せると、アルドワン講師はきょとんとした顔で私を見た。

「傭兵ギルドへ?」

「はい。今回の課題で使った〈碧の女帝〉の採掘には傭兵ギルドで便宜を図って頂きましたので、改めてそのお礼に向かう予定です」

「採掘に便宜ということは――ハントさん、あなたご自分で〈碧の女帝〉を?」

「はい、資金調達と鍛錬を兼ねまして」

「――素晴らしい!」

 弾ける一声。あまりにも予想外の反応であったので、危うく「はい?」と間抜けな声を上げてしまうところだった。

 ぽかんとする私の前でアルドワン講師は灰色の目を輝かせ、大きく頷く。

「実に素晴らしい心掛けです。魔術師は単に知識と魔力が豊富であればいいと思われがちですが、それは全く違います。より確実に効率的に運用するには、当然健康で頑丈な肉体が必要になりますからね」

 そして、ちょっと意外なくらいの断言っぷりである。それもまた、王立騎士団で魔術師隊を率いた経験から生まれた信条なのだろうか。騎士団に仕える魔術師も一種の軍人であるといえる。そう考えれば、納得のいく話ではあった。

「ますます期待が出来そうですね。今後の活躍を楽しみにしていますよ」

 それから少し雑談をして、研究室を辞した。上機嫌そのものだったアルドワン講師は研究室にあったマフィンを一袋くれるという気前の良さまで発揮してくださったので、昼食代が浮くという棚ぼたまで。

 マフィンを齧りつつ学院を後にし、向かうは一路傭兵ギルド。エルヴァ地下迷宮で見つけたスフリーゼ石は質が良かったらしく、相場の五割増しで買い取ってもらえた――買い取ってくれたのは、傭兵ギルドと提携する商工ギルドだ――ので懐は暖かくなっていたけれど、節約しておくに越したことはない。急ぐ訳でなし、また自分の足で歩いていくことにした。

 行く手に見えてきた馬車の停留所を迷うことなく通り過ぎた、その時。

「おーい、ライゼル! お嬢ちゃん! 待て待て!」

 すっかり聞き慣れた声が聞こえてきた。

 足を止めて振り返れば、停留所傍の露店の軒先から飛び出してくる人影。短い鈍銀の髪、鮮やかな夕暮れの眼。慌てた様子で駆け寄ってくる背の高い男性――私が傭兵ギルドへ向かう目的、ヴィゴ・レインナードさんその人だった。

「あーびびった、まさか乗合馬車を普通に無視してくとは思わなかったぜ……」

「急いでいる訳でもないので、散歩ついでに歩いていこうと思いまして。ヴィゴさんこそ、ここで何を?」

「そりゃあ、あれよ。お前さんを待ってた訳よ」

「私を? 何故です?」

「ほら、今日辺りに提出に行くっつってたろ」

 そう言えば、地下迷宮から帰ってきてギルドで精算している時に、今後のスケジュールについて話が出た覚えがある。けれど、それはあくまでも予定に留まるものであり、確定の話ではなかった。

「私に用なら、『清風亭』に手紙でも寄越してもらえれば」

 下宿している宿に届きさえすれば、私宛の手紙は部屋まで回してもらえる。ギルドで契約を結ぶにあたって、その辺りも説明しておいたと思うのだけれど。

「んにゃ、下手に手紙を出すと、早く課題をどーにかしろってせっついてるように見えんじゃねえかと思ってよ」

「はあ……お気遣いありがとうございます」

 相槌を打つには打ったものの、レインナードさんの言わんとしているところは今一つよく分からない。今日は会う人会う人が予想外の反応をする日だ。

 首を捻るばかりの私を見て、レインナードさんは小さく笑う。

「まあ、それは脇に置いとくとしてだ。課題は終わったんだよな?」

「はい。今さっき提出してきましたので」

「そりゃ良かった、お疲れさん。――つー訳で、一仕事終った区切りに飯でも食いに行かねえかってお誘いに来た訳よ」

 にかりと破顔したヴィゴさんが言う。……ああ、だから「手紙を出すと催促になりそうだ」と思ったのか。「人好きがする」という言葉は、こういう人の為にあるのかもしれない。

「あ、この後何か用事あったりしたか⁉」

「用事――そうですね、一つありました」

「うわ、マジか。そんだったら、やっぱ先に手紙出しとくべきだったよなあ」

 しまった、と眉尻を下げて頭を掻く姿に、思わず忍び笑う。

「傭兵ギルドを訪ねて、ヴィゴ・レインナードさんという傭兵の方に渡してみたいものがあるという、そういう用事です」

「へ?」

 真ん丸く見開かれた眼が、ゆっくりと私を見た。ハトが豆鉄砲を喰らった顔なんて見たことはないけれど、きっとこんな顔であるに違いない。おかしくなってきて、おどけるように肩をすくめた。

「お互い、運が良かったですね。上手くここで合流できて。……それで、どんなお店を紹介していただけるんです?」

「お、おお? えーとな、『薄明亭』って飯屋で――」


 薄明亭はおおよそ学院と傭兵ギルドの中間地点に店を構えた、和やかな雰囲気の食堂だった。大通りからは一本道を奥に入るので、大通りほど目に見えて混んでいる訳ではないものの、賑やかな声がお店の前に立つだけで聞こえてくる。

「うーっす、邪魔するぜー」

 ここまで私を連れてきたレインナードさんは、慣れた風でお店の扉を押し開けた。まず自分が先に入り、律儀に扉を開けたまま待っていてくれたので会釈をして足早に扉をくぐる。

 ほとんど同時に、お店の奥から威勢のいい声が聞こえてきた。

「おう、ヴィゴか! ――って、なんでえ珍しい、連れがいんのかい!」

 ぐるりと視線を巡らせてみれば、店内はいくつかのテーブル席の他に調理場を囲むカウンター席が六つばかりあって、八割がたが埋まっていた。声の主は、その調理場に立つ男性らしい。店主の方だろうか。歳は五十半ばくらいの印象で、皺の目立つ面差しに快活な笑顔を浮かべている。

 よう、と気さくな様子で手を挙げ、レインナードさんが応じて返す。

「最近縁があってよ。適当に座っていいか?」

「そこが二つ空いてっから、座れ!」

 示されたのは、カウンターの端に二つ残されていた空席だった。

 ちらりとレインナードさんへ目を向ければ、小さく頷き返されたので歩き出す。使い込まれた椅子は背もたれのない丸いスツールで、何となく個人経営のラーメン屋さんを連想した。

「今日は何にする?」

 平鍋で野菜を炒める傍ら、男性がレインナードさんに声を掛ける。レインナードさんは少し迷う素振りを見せた後、「おっさんのおすすめでいいわ」と軽く言った。

「ライゼルはどうするよ? 同じでいいか?」

「あ、はい。お願いします」

 流れでつい頷いてしまったものの、このお店が何を売りにしているのかも知らないし、メニューも見ていない。レインナードさんの贔屓のお店なのだから、詳しい人に任せて悪いこともないはず。……と、いうことにしておこう。

「てことで、上手いこと頼まあ」

「へいへい。にしても、お嬢ちゃんはその服着てるってこたあ、学院の生徒さんだろう。それがまた、どうしてこいつと知り合いなんだい?」

「学院の課題で必要な素材を集めるのを、手伝って頂いています」

「ギルドに依頼に来たんだよ」

 実際にはギルドに依頼に行って知り合ったのではなく、知り合いになったからギルドに行ったという逆の順序ではあるのだけれど。何となく、私もレインナードさんも詳しくは言わなかった。嘘ではないし。

「へえ、学院の生徒さんも大変なもんだなあ」

 そこで一度、会話は途切れた。あちらもお仕事の真っ最中なのだ。作り終わった料理を私たちの席から少し離れたカウンターのお客に渡しては、新しく料理を作り始める。なかなかに(せわ)しい。

 手持無沙汰になった私とレインナードさんは調理場の様子を眺めつつ、ぽつぽつと他愛のない話をした。

「課題の出来具合はどうだった?」

「一応、自分では上手くいったと思います」

「そりゃ良かった。一番乗りだったか?」

「みたいです。先生にびっくりされました」

 だろうなあ、とレインナードさんは軽快に笑う。

「それで、レインナードさんへ用事なんですけど」

「あー、そんなこと言ってたな。どした?」

「これ、つまらないものですが」

 膝に乗せた鞄の中から、小さな包みを取り出す。ラッピングに迷いに迷った挙句にただの紙包みになってしまったのは、些か反省しないでもない……。

 白い包みを差し出すと、レインナードさんはきょとんとして目を瞬かせた。

「俺にか?」

「ええ。課題のついでに、魔力を貯めておける飾りを作ってみました。石を触って魔力を込めれば蓄積されて、『開式(セット)』の詠唱で開放されます。バングルとかの方がいいかなとも思ったんですけど、サイズが分からなかったので」

 言いながら、おずおずとばかりに出された掌に包みを載せる。骨ばって長い指が、見るからにおっかなびっくり外装を開けていくのが、何だか少しおかしかった。

「おおー……」

 包装が解かれると、目を丸くしたレインナードさんが指先で中身を持ち上げる。

 私が着けているフクロウのタリスマンと同じような、飾りを鎖に通したネックレスだ。本体となる楕円形のペンダントは商工ギルドで買った台座を加工して、術を込めた〈碧の女帝〉を嵌め入れた。

「一応、男の人が使っても問題なさそうなデザインを選んでもらったんですけど」

「選んでもらった?」

「商工ギルドで」

「あー、なるほどな。石に術を込めたのが、ライゼルの仕事って訳か?」

「そんなところですね」

 と、頷いている間にレインナードさんがごそごそし始めてギョッとする。鎖の留め具を開けると、予想外の器用さであっという間に首に掛けてしまった。

 そうして、にぱっと――そりゃあもう良い笑顔で、

「どーよ、似合うか!」

 思わず二度言うくらいの大変いい笑顔で、そう訊いてくれたのであった。

「に、似合います」

 レインナードさんは動きやすい服を好むのか、上着こそ革のしっかりしたものを着ているけれど、基本的にいつも軽装だ。お陰で、今も首元でペンダントが目立っている。……ネックレスなら鎖を替えればいいから調整も楽だろうと選んだけれど、これはこれで少し恥ずかしい。

「ライゼルはすげえなあ、ありがとな」

 言いながら、レインナードさんは大きな手でぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。本当に小さい――というか、年下の子どもの面倒を見ている感覚なのだろう。

「おっさん、ライゼルになんかデザート!」

「あ? 当たり前だろうが、お前の一品減らして嬢ちゃんにつけてあるってんだ!」

「そこまでは頼んでねえ!」

「それはさて置き、ヴィゴよお、知ってっか? 来月キオノエイデの皇帝が王都に来るんだとよ」

「置くなよ――って、うちの皇帝がか?」

 北の隣国であるキオノエイデはレインナードさんの故郷だ。その皇帝を指して「うちの」と言う辺り、やっぱり異国の人なのだなあと今更に実感する。アシメニオスや近隣国では同一の言語が用いられているので、そちらの面から外国を実感することはまずもってない。

「何しに来んだよ?」

「知らねえよ。ただ、歓迎の催しだとかで、うちの王とそっちの皇帝を招いた御前試合っつーか、武闘大会を開くらしい。そんなようなことを、さっき飯を食いに来た商工ギルド長が言ってたぜ。暗黒大陸から連れてきた猛獣、東方の暗殺者、北の山脈の巨人、南の魔術師、西の剣士……だったか。主催が肝いりの戦士を用意するんで、そいつを倒せる挑戦者を募るってえ形式らしい。んで、主催が用意した戦士を倒した奴には、五十万ネルの賞金が出るってよ。その代わり、死んでも自己責任らしいが」

 サラッと「死んでも」とかいう文脈が紛れ込んでいる。こわい。

「よっしゃ、俺参加するわ! おっさん、申し込み手続きはどこだ⁉ あっ、悪いライゼル、順序逆だった。俺ちょいと武闘大会っつーもんに出てきていいか?」

「ええっ⁉」

 私が薄ら寒い心境になっている横で、元気溌溂過ぎる発言。反射でちょっと悲鳴が出た。

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