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14:節制の民-4

4. 待ち侘びた日



 伝え聞く戦況は良くも悪くも特段の変化もないまま、膠着状態が続いている。さりとて、それで余裕ができるかと言われれば、決してそうではなかった。暇になるどころか、誰も彼もがやることに追われた忙しさの中で日々を過ごしている。

 敵の黒幕を釣り出す第一段階として、敵の人形兵の無力化を試みる。この作戦は里の防衛隊の指揮官殿にも無事許可をいただけたので、用意ができ次第に第一結界の外で適切な場所を選んで実施することに決まった。

 その為には操られている自動人形を休眠させる術式と、死霊を込めた人形兵の契約を断つ術式の二種複合魔術陣を早急に完成させなければならない。加えて、魔術陣の完成だけでは作戦の開始とはならないのだ。

 地中に陣を仕込むからには、その媒介となるものが必要不可欠となる。これは埋める手間なども考慮して木の杭に決め、私が作成から術式付与を担当することにした。魔術陣自体はルカ先生に草案の構築をお願いし、その後で二人で確認と調整を繰り返して最終形に練り上げる予定だ。

 罠の敷設場所の選定と杭を作る為の木材の調達はローラディンさんと防衛隊の指揮官殿にお願いし、シェーベールさんには用意してもらった木材のざっくりとした切り出しをお願いした――ものの、滞在二日目が過ぎた辺りから状況は想定外の展開を見せ始めた。

 今のエルフの里は、とにかく物資が必要だ。表立って調達するのが難しい以上は、森の外との貴重なつなぎである旅商人に期待がかかるのもやむを得ない。諸物資の大量購入と大量発注要請、更には普通の買い物客の相手にと、イジドールさんはてんてこ舞いであるという。

 その結果、救援要請を受けたシェーベールさんが臨時の店番として立つことも間々あった。王都から一緒に旅をしてきたという縁もあれば、唯一動員可能な「人」手でもあったからだろう。木材の加工はローラディンさんのお屋敷の方々が手伝ってくださるというので、その後もシェーベールさんはイジドールさんのヘルプが主要な役割になった。

 ――そんな風に、日々はひたすらに慌ただしく過ぎていった。

『……今日でエルフの里に入って五日か、随分と無理をしているのではないかね。声も疲れている』

「今は皆がそうですよ。戦時中で、反攻作戦の為に奔走しています」

『その言葉は否定のしようもないが、些か戯言めいてもいる』

 エルフの里滞在五日目の夕――今日も今日とて術式構築作業の最中、ため息混じりに聞こえてきた台詞には苦笑だけを返す。それ以外の反応ができなかった、とも言えた。

 多くの方に協力していただいた上とはいえ、反攻作戦の端緒を私の術式が担う。身に余る大役に緊張しないはずもなく、ここ一日二日は眠りも浅くなるし、食事も喉を通りにくくなった。おそらく、ルカ先生は私の身にそうした変化が起きていることには、とっくに気付いていたのだと思う。

『万が一この作戦が失敗したとしても、それは君のせいではない。根本的な術式考案と構築は俺の仕事だ。俺の落ち度だ』

 数日前の時点で、そう言ってくれていた。その上でまた忠告が発されたということは、いよいよ目に余る様相になってきたのかもしれない。

「なるべく休憩を取るようにはします」

『そうしたまえ』

 この日の先生との作業は、そんな会話で終わった。その後は運んできていただいた夕食を食べ、一人で術式の調整を再開。敢えて先生には連絡をしなかった。

 これは別にまた根を詰めていると知られれば注意されるからと思ったのではなく――と言い切るのも嘘になるけれど、もう先生に力を貸していただいてどうにかなる次元の段階ではないからだ。この数日で作戦実施場所の選定も完了した。後はその土地に即した調整を行うだけ。

 これに関しては遠いアルマにいる先生よりも、現地にいる私の方が適している。そして、深い森の中とあらば尚のこと。

 いつものテーブルに陣取り、必要な書類を広げる。ローラディンさんからいただいた地形情報、地中の魔力の流れの記録を加味しつつ、ノートに描いた配置図に修正を加えた。最終的には改めて魔術陣と杭の配置図を清書して、先生に最終チェックをお願いすればいいだろう。

 作戦の時も鳥を介して同行してくださるそうなので、少しだけ気は楽だ。自分と同じように作戦の骨子を理解していて、一緒に考えてくれる長上の存在は心強い。どれだけ周到に組んだつもりでも、いざ実際に発動してみるまではどうなるかは分からないのだから。

 今回は相手の意表を突いて動揺を誘いたい思惑があるだけに、予め人形を鹵獲して試すこともできないのだ。だからこそ、可能な限り計画時点での精度を上げておきたかった。

 いずれにしても、作戦の実施はそう遠いことではないはず。不安と心配で延々と確認していたくなっている自分の心理は、一応理解できているつもりではあった。だからこそ、これからは意図して自制し、体調を整えておくようにしなければならないことも。

「……もう十時過ぎ」

 ふと壁に掛けられた時計をみれば、いつしかすっかり夜も遅い時刻になっていた。そろそろ寝るべきかもしれない。同じことを何度も繰り返し確認するよりは、時間を置いてから改めて確認した方がミスも見つかりやすいはずだ。

 半ば自分に言い聞かせながらテーブルの上を片付け始めた時――不意に、部屋の扉が叩かれた。

「まだ起きているか? 少々用があるのでな、良ければ顔を見せてくれぬか」

 扉越しに聞こえる声はローラディンさんのもので、珍しいなというのが最初の印象だった。

 このお屋敷の人たちは私が反攻作戦に関する作業でてんやわんやしているのを知っているので、食事やおやつを運んできてくれたり、部屋の掃除をしてくれたりする時以外は木材の加工に関しての報告や確認事項のある場合にしか訪ねてこない。気を遣ってくれてか、夕食後の夜の時間など水を打ったかのような静けさが常だった。

 そもそも近頃はローラディンさんも忙しくしているので、私が部屋に引きこもっているのを差し引いても顔を合わせること自体が滅多になかった。呼びかける口振りから推し量るに、何か戦場で不測の事態が起きたとかの悪い知らせでもなさそうだ。逆に、それ以外で私に用というのも想像がつかないけれど、何であれここで応じないという選択肢はなかった。

 既に寝間着に着替えてしまった後だけれど、ローラディンさんならお目こぼしくださるだろう。というか、このお借りしている寝間着も、おそろしく肌触りの良い淡い緑の光沢をもつ生地で作られているのである。

 要するに、エルフ族の絹だ。私の手持ちの服を全部まとめても、この寝間着一着のお代には及ばない。それどころか、桁が二つは違うと思う。この寝間着でいた方が、かえって立派に見えるかもしれない……という冗談はさておき。

「はい、少々お待ちください」

 扉に向けて声を張ってから椅子に座っていた腰を上げ、テーブルの脇を迂回して扉へ向かう。部屋自体も広いので、王都の下宿先と違って数歩歩けば到着とはゆかないのだ。

 ぱたぱたと靴音を慣らして小走りに駆け寄ってゆく最中、扉の向こうからローラディンさんとはまた別の声が聞こえてきた。

「おい、バアさん」

「そなたまでケーブスンの小童の真似をするというのなら、この扉の前から動けぬように固めてやってもよいのだぞ」

「失礼しましたローラディン様――じゃなくてだな、もしかして、この部屋にいんのって」

 それが()のものであるか理解した瞬間、頭の中からまともな思考は吹っ飛んでいってしまった。

 衝動的に身体が動き、小走りから全力疾走へ。飛びつく勢いで扉のノブを握ったら、一呼吸で大きく開け放つ。そこには何故かローラディンさんの姿はなく、見慣れた長躯の人が驚愕に目を丸くさせて突っ立っているだけだったけれど。

「……」

「……」

 見つめ合う数秒。その間にも、扉の向こうに立っていた人の顔色は百面相とばかりに変わっていった。最初の驚きが過ぎた後は困惑、そして分かりやすく焦る風。この人にしては珍しい反応かもしれない、などと他人事のように思考が走る。

 うろうろと泳ぐ橙の眼と、整えられきらずに荒れた銀の髪。それだけでもいつも身なりをきちんとしていた人とっては珍しいのに、顎には無精ひげが目立つという止め。衣服も大分草臥れた風だし、戦いから戻ってきて、まともに休憩を取るよりも前に連れてこられたのだろう。

 そんな人に掛けるべき言葉は、いろいろある。いくらでもある。でも、そのどれも私の口から出てくることはなかった。

 口を開こうとして、ああまずいと直感的に理解する。目の奥が厚くなって、喉の底が震えて、それでも一度は耐えた。なけなしの意地で衝動を呑み込んだものの、

「あー……その、何だ、元気してたか」

 眉尻を下げた困り顔でそう言われた瞬間、二度目の波には耐えられなかった。最後の堤防が決壊して、どばりと溢れる。

「ぅおい!? どうした、そんな急に感情が昂……らない訳はねえか……」

 慌てた声が喋っている途中から萎んでいく。後から後から湧き出てきては流れ落ちていく涙を袖で拭うのに手いっぱいで、そちらに反応を返すことはできなかったけれど。

 ここで「どうして来た」とか咎められれば、私だって売り言葉に買い言葉で感情的に言い返せた。なのに、そんな風に心配されてしまったら無理に決まっている。何がというか、何もかもが。

 大きな怪我もなく元気そうだという安堵が最初にきて、それが頭の中の大部分を占めていたのは間違いない。ただ、やっぱり私もまだ大人になりきれていないのだろう。その顔を見た瞬間に、張り詰めていたものが切れた。

 周りにいる人たちは、皆私に優しくしてくれる。支えて、助けて、守ってくれようとする。それは分かっているし、有難いこともだとも思っている。――でも、やっぱりどこか違うのだ。この人がいるのと、いないのとでは。

「と、とりあえずな、あんま擦るのは良くねえと思うぞ。後で腫れるかもしんねえし」

 そうっと肩に手が置かれたけれど、言う通りにしたって顔が濡れて床も濡れるだけなので聞く耳持たずにおく。むしろ、絹の寝間着の袖をべしゃべしゃに濡らしてしまっていることの方が問題だ。もっとも今となっては後の祭りも甚だしく、どうしようもない。だから、答える代わりに一歩足を踏み出した。

 見覚えのある碧の石の首飾りを目の端に見ながら、そのすぐ下の辺りにごつんと頭をぶつける。それくらいで倒れたりよろけたりする人ではないし、事実そうだったけれど、びくりと肩を震わせたのは感じ取れた。

 胸板に頭を押し付けたまま、まだ止まらない涙を袖で拭う。肩に置かれていた手が離れて、おっかなびっくりと言わんばかりのぎこちない手つきで髪が撫でられた。未だちっとも涙は止まらないけれど、その掌は悪くない。

「おい! そこで接吻をするのではないのか! 接吻! 森の外の物語で読んだぞ!」

「詫びを入れるにしても慰めるにしても、もう少しやり方があるだろう。これだからキオノエイデ男は無骨でいけない」

「お前ら、覗き見のくせにうるせえな! 少しは隠れる努力しろよ! 覗き魔がそんな主張が(つえ)えのおかしいだろ!?」

 そんな中で聞こえる、やけに弾んだ声と冷静な駄目だし。それから怒鳴り半分の抗議。

 どうやら、物陰でローラディンさんとシェーベールさんが野次馬をしているらしい。考えてみれば、この部屋にこの人を連れてきたのもローラディンさんだった。もうじき反攻作戦が始まるから、その前に個人的な問題を解消させておこうという計らいだったのかもしれない。

「ここだとあいつらが茶々入れてきてうるせえから、悪いけど中入らせてもらうぞ」

 言うが早いか、頭を撫でていた手が腰に回って抱え上げられた。わ、と声を上げる暇すらなく扉が音を立てて閉められ、私を抱えた人はまだ様々な書類が載せられたままのテーブルへと大股に歩み寄る。

「ったく、あっちでもこっちでも紙と本に囲まれて仕事ばっかしてんのな」

 これ見よがしのため息を吐いてみせながら、私を運んできた人は行儀悪く足でテーブルの傍らの椅子の向きを変えると、そこに座らせる。自分は椅子に座る気もないらしく、私の前で床に片膝をついてこちらを見上げる姿勢を取った。

「まだ涙は止まんねえか? まあ、それはそれでいい。そのまま聞いてくれ」

 そう前置きをして、レインナードさんは静かに続けた。この期に及んで未だに少しも怒ったり咎めたりすることのない穏やかさは、余計に私の子どもっぽさを際立たせるようで歯痒い。

「お前がどうしてここにいるのかは、想像がつく。そうならねえようにと手を打ってきたつもりじゃあるが、上手く切り抜けたんだろう。……お前は出来のいい学生で、何しろ真面目な奴だからなあ」

 最後の一言は、どこか苦笑するようでもあった。たぶん、私が一人安全地帯で保護されているのは気が咎めて、それゆえにここまで追ってきたと思っているのだろう。

 まだ喉が震えて上手く喋れそうになかったので、すぐには反論ができないけれど。

「バルドゥルはああ言ってたが、俺からお前に詫びる言葉はねえ。ただ、騙し討ちのような真似をしてラファエルに預けたのは悪かった」

 更に重ねられる言葉も、ある意味では想像の範疇ではあった。傭兵として目的を果たす為に必要な行動を取っただけだと、そう言うのだろう。――でも、本当はその理屈も破綻している。

 だって、傭兵とは自分の為に戦う人だ。騎士のように、国や領地に仕えて戦う人ではない。だというのに、この人はこの戦いでどれだけの利益を得るというのだろう。ラファエル卿との交渉だって、どれだけ自分の利得の為に条件をつけられたのやら定かでない。

 ほとんど、私が求めるものの為に費やしてくれてしまった。

「……わたしは」

 ずびずびと鼻を鳴らしながら言うと、レインナードさんは「うん?」と小さく首を傾げる素振りを見せた。優しく促すトーンの問い返し。

「たすけてなんて言ってない」

「そうだな。だから、俺が何をどう動いたところで、お前が気にする必要はなかった。俺が勝手にやったことだ」

「嘘ばっかり」

「そうか?」

「私が気にしない訳がなくて、気にするから、ラファエル卿のところに留まると、あなたは考えた」

「……そうだな」

 ほんのわずかな間を挟んだ末にこぼされた答えは、分かりやすく苦笑を纏っていた。

「腹芸は得意じゃねえんだが、まあ、そうやって企むことは企んださ。その方がいいと――お前が安全なところにいられると思った」

「私が足手まといだから、置いていった」

「いいや」

 思いもしないほど強い響きで否定が返され、一瞬呼吸が止まる。驚く私をじっと見つめて、レインナードは穏やかな口調で続けた。

「お前が頭抜けて出来る奴だってことは、俺ももうよく知ってる。だからこそ、ここに連れて行きたくなかった。お前は家族や達を大事にする、情の深いところがあるだろ。下手に戦地に連れ出そうもんなら、自分にできることを尽くそうとして無理をするのが目に見えてた」

 アルマ島でそうだったようにな、と付け足されて、余計に何も言えなくなった。あの島でいろいろと無茶をしたことは事実だ。

「お前が――」

 それだけ言って、レインナードさんは一度口を閉じた。まだ断続的に流れる涙を手で払いながら、黙って続きを待つ。

「……お前が、傷つかねえで済むようにしたかった。攻撃されて血を流したり、戦地に行かなけりゃならねえと思い詰めたり、痛い思いをしたり怖い思いをしたりしなくていいように」

「どうして、そんなに」

「どうしてだろうなあ。ラファエルにも同じことを訊かれたが、俺にもよく分からん。若い娘が親元を離れて独りでがんばってるってんで、少しくらい助けてやろうなんて同情心も、初めにはあったかもな。――でも、それだけで普通ここまでやらねえだろ」

「……ええ」

「な。俺だってそう思う。だから、それはただの発端だ。お前とあちこち出掛けて仕事したり、街中に遊びに出てみたり、そういうのが思いのほかに楽しかったし、要はそういうことなんだろ」

「情が移った」

「そういう言い方すると、何か犬とか猫を拾ったみてえで人聞きが悪そうだけどな」

 そう言って肩をすくめる所作には、どこかおどけた空気が混じる。その軽さが、少しだけ私の口も軽くしてくれた。

「怒って、いないんですか」

「怒る? 何をだよ」

「たくさん、私が無事でいられるように手配していただいたのを、無下にしました」

「それは俺の勝手で、お前の意向を無視してやったことだ。押しつけを拒否されて文句言うのは筋違いってもんだろ」

 少しの迷いもないとばかりに言い切る声には、もう感心するしかなかった。本当にルラーキ侯爵が言ってていた通りのことを言うんだな、という……感嘆に近くすらあったかもしれない。

 その回答はあまりにも真っ直ぐで、今の私には眩し過ぎた。私はこの人と違って、そんなにも純粋な善意で動いた訳ではない。

「……私は、ただ臆病なだけでした」

 呟くと、レインナードさんはきょとんとして目を瞬かせた。何を言われているか分からないとでも言いたげな面持ちだった。

「さっきチラッと聞いたが、これから人形を無力化させる作戦をやるんだろ。どこぞから人形師でも連れてきたのかと思ってたが、ここにお前がいるってことは、お前と……後はソイカも一枚噛んでたりすんのか? まあ、とにかく、そういう感じでお前が計画したと当たりは付く。安全な場所を飛び出して戦地で反攻作戦を立ててる奴が臆病だったら、世の中は随分と物差しを変えなけりゃならねえだろうよ」

「そういうことでは、なくて」

「うん?」

「私は、ただ、あなたが私のせいで死んでしまうのが怖かった。誰かが死んでしまったら、その家族が悲しむ。とても、悲嘆に暮れる。それを、私は、知ってる。……私のせいで、あなたの家族をそんな風にさせてしまうと思うと、耐えられなかった。その重さと、責任に」

 あなたが死んでしまったら、私も生きていられない。

 喋っているうちにまた涙が出てきたので、最後の一言は水分でべしゃべしゃになりながらという最悪模様だった。右手の袖は重くなってもう役に立たなさそうだったから、左手の袖で顔を拭こうとすると、大きな手が伸びてきて袖の代わりに掌で拭ってくれた。

「……なんつーか、お前は無自覚に割ととんでもねえこと言うよな」

 前からだけど、とぼやく体の声は、それでも嫌がってはいないように聞こえた。私の願望かもしれなくとも。

「俺は俺の勝手で動いた。そこで何があっても自分の責任だと割り切ってるし、そもそも死ぬつもりもさらさらねえが――確かに、そんなもんは俺だけの理屈じゃあるわな。外からも同じように見えてる訳じゃねえ。そこの負担は、どうしたって否定しきれねえか」

 問い掛ける響きの言葉でもなかったけれど、何となく頷き返す。

「ここに来るまでも、来てからも、いろいろあったろ。苦労かけたな」

「レインナードさんがいたら、こんなに、大変じゃなかった」

「そこは悪かったよ。つーか、お前呼び方がさ」

 耳聡い。とはいえ、そこを突っ込まれても今はちゃんと応じる気になれないので、聞こえなかったことにした。代わりに椅子に座ったまま少し前に出て、手を伸ばす。

 最初こそ不思議そうに受け入れる体であったものの、私の手が首の後ろに回った辺りで何をしようとしているのか気付いたのだろう。慌てた様子でレインナードさんが声を上げた。ちょい待ち、と。

「再会を祝してくれんのはいいんだが、前線から里に戻ってきてすぐローラディンに確保されて、玄関で装備剥がされてそのまま来たんだわ。敵が敵だけに返り血はねえが、あっちゃこっちゃ汚れてるだろうし、お世辞にもいい匂いしてねえと思うぞ」

 焦った声を聞きながら、それは確かにそうだろうなと妙な納得をした。

 ローラディンさんが今この時にレインナードさんを連れてきたのなら、今までは連れてこられなかった――里にいなかったに他ならない。戦線を維持する為に、私たちがこの里に着く前からずっと戦っていた。

 しかし、それが私の衝動を止める理由になるかと言えば、絶対的に否なのだ。

 私の手で引き寄せられる人ではないので、首に回した手を支えに椅子から腰を浮かせて身を寄せる。何だかんだ言いながらも、ちゃんと受け止めてくれるのが狡い。首に縋りついて抱き着く背中を、そうっと撫でてくれる優しさも。

「私を王都に留めておこうとするなら、レインナードさんも一緒にいるべきだった。そうすれば、私も大人しくしているしかない」

「そいつはどうだかな。目的の半分しか達成できねえし、俺のことだからお前に言い包められて一緒に抜け出しちまいそーだ」

「そんなことは……」

「ないって言いきれるか?」

「……なくもないかもしれない」

 ほら見ろ、と笑う声が耳のすぐ近くから聞こえる。少しだけ癪だったので、抱き着いた首筋にぐりぐり頭を押し付けてみた。よしよし、といなされて終わったけれど。

「にしても、どうやってラファエルの包囲を抜けてきたんだ。奴だって『何をどうしても逃げられないように留めておく』とまで言ってたんだぜ。相当に念を入れて閉じ込めてたはずだろ」

 心底不思議そうに言われたので、その体勢のままぽつぽつと説明をすることにした。

 ルラーキ侯爵が手引きをして、私をラファエル卿の別邸から逃がしたこと。予めシェーベールさんが護衛に派遣されており、奇しくも王都に滞在していた知り合いの旅商人――イジドールさんを頼って王都を脱出したこと。それから、先生と一緒に人形兵を無効化する術式を組んで反攻作戦を立てたこと。

 私が一通りの説明を終えて口を閉じると、レインナードさんは今までで一番深く大きく息を吐いた。

「なるほどな、親父が出張ってきた訳か。そりゃ分が悪くもなるわな。……にしても、本当に行く先々で仕事を見つけちゃあ抱え込みがやってよお」

「レインナードさんが一人で行くからいけない」

「隙あらばサクサクと俺の心を刺すのは止めてくれ。――とりあえず、明日にでも防衛隊の指揮官とローラディンに話をしてくる。ヤルミルの坊主を取っ捕まえた時とは話が違うからな。そこで主となって罠を張ろうってんだから、そら結構な重圧がかかる。その時には俺が傍にいた方が、俺もお前も安心だろ」

 そこで「俺も」とかサラッと言うのがまた狡い。とはいえ、戦場に出るのならレインナードさんが傍にいてくれた方が安心できるのは、全き事実でもある。

「そうですね。そうしてもらえるのなら」

「じゃあ、しっかり話つけてくるわ。とりあえず今日はもう寝とけ。優秀なお前のこった、どうせ術式の構築も粗方終わってんだろ」

 言いながら、私を抱え直しつつレインナードさんが立ち上がる。広い部屋の奥には大きな寝台が置かれており、それが目に入らないはずもない。大股に踏み出す脚は、やはりそちらへ向かってるようだ。その意図に逆らう理由も、またもちろん存在しないのだけれども。

「レインナードさん」

「おう」

「この後、どういう予定になっていますか」

「とりあえず、あの小さい世話焼きバアさんをもっかい捕まえて、どっか部屋借りる。その前に風呂でも入らせてもらえりゃ助かるけど、着替えがねえんだよな」

「お風呂なら、この部屋にもありますよ。着替えはないかもしれませんけど」

「……ライゼル」

「あと、ベッドも大きいです。私なら四人くらい寝られそうなくらいに」

「……お嬢ちゃんよ。ご親切は有難いが、そいつは何かもう問題がありすぎだ」

「何か問題を起こすんですか?」

「起こさねえけど! そういうことじゃねえっつうの!」

「そうですか。話は変わりますけれど、私もさすがに初めて実戦投入されて罠を張るとなると緊張するので、最近あんまりよく眠れなくて」

「そりゃ大変だな」

「はい。それで、眠れないなら、罠の術式を見直して改良を図った方が建設的ですよね」

「オッケー分かった、これ何も話変わってねえわ。誠心誠意寝かしつけてやるから覚悟しろ。あと、あのバアさんに連絡取れんなら、俺の着替えになるもん用意してくれって頼んどいてくれ」

 何がどうあれ全裸で横に寝てるのは駄目だろ、と萎れたような声が言う。思わず笑ってしまいそうになったけれど、ここで笑ったらさすがに怒られてしまいそうなので耐えた。

「分かりました。――それと、ヴィゴさん」

「うん?」

「ご無事で良かったです。ほんとは、最初にそう言いたかったのですけど」

 不覚にも泣いてしまってタイミングを見失ってしまって、と情けなさ過ぎる言い訳を付け加えると、小さく忍び笑う声。

「そんなん構うこたねえさ、お前がそういう風に思ってくれる奴なのはとっくに分かってる。それに、泣かせたのは俺だからな」

「それもそうですね」

「開き直りが(はえ)えなオイ」

 笑う声。それがまた傍で聞けているという事実に、果たしてどれだけ安堵したのだろう。この日は嘘のようによく眠れた。

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