13:謳われる死に決別を-2
2.少女と商人
ルラーキ侯爵に提供していただいた隠れ家は、王都内において清風亭とは概ね東西の逆側の地区に位置する。隠れ家から最寄りの市場は今まで足を運んだことがなく、そういった意味では新鮮でもあった。
道行く人に怪しまれない程度――そこはかとなくに留めて周囲の様子を気にしつつ、隠れ家を出て市場を訪ねる。十数分ばかり歩いて到着した市場は、まだ朝の活気を残していた。慌ただしいとまでは言わないものの、買い物に精を出すお客でまだ十分に賑わっている。
人波の間を行きつ戻りつし、場内に整然と並んだお店を見て回る。私たちは既に朝食をとった後なので、今すぐ食べられるものを見繕う必要はない。ただし、これから短くない旅に出る予定ではあった。その為の装備や保存食を主として見る……つもりではあっても、それ以外を目に入れずに歩くというのはどうしても難しい。
あちこちのお店に軒先に目移りしながら、自然と感嘆の息が漏れた。
「場所が変わると結構品揃えも変わるものなんですね」
「店が変われば、品も変わるものだろうしな。人の行き来を促す為にも、ある程度は差別化を意図しているのじゃないか」
「ああ~、なるほど」
言われてみれば、確かに納得の意見である。しみじみ頷いてしまった。
入場してからざっと見てきた限りでも、いつもの市場では取扱いのなかったスパイスや、同じ野菜や果物でも産地の違いよる色味や形のバリエーションが見られた。一連の事態が解決し、また王都に帰って来られた時には、改めてこちらの市場を見に来るのも楽しそうだ。
「シェーベールさんは、ここの市場にはよく来るんですか?」
「近くにギルド所有の宿泊施設がある。俺はそこに世話になっているから、ここが最も近いな。前にヴィゴも使っていたところだ」
「ああ、勝手に引き払われたところ」
「それだ」
他愛ない会話のついでに、通りがかったお店で薬草と薬を買っておく。
そもそもが急な出立だったので、旅や探索に必要な消耗品はほとんど用意できていない。有事の際に備えて、少し布や包帯も買っておきたいところだった。手元にあって使えそうな布を持ってきてはあるけれど、専用のものがあるのならその方がいい。
薬屋さんで買い物と交渉に勤しみ、少しのオマケをつけてもらって店先を離れようとすると、
「やあ、薔薇色のお嬢さん。少し寄っていかないか」
いつだか聞いたような呼びかけが耳朶を打った。
買い物を終えて通路に戻ろうとしていた足を止め、シェーベールさんが「どうした」と問うてくるのに答えるのも忘れて周囲を見回す。初めて訪れた市場で、場内の細かな配置など把握できているはずもない。にもかかわらず、ある一点に目が吸い寄せられた。
色とりどりの布を張ってテントを作る露店の向こう、木箱や樽が積まれて雑然としたバックヤードの一隅。場内を行き交うお客も周辺の露店の従業員も、奇妙なほどその場所へ注意を向けることはなく、また近寄ることもない。
その空間へ目を向け、まず初めに意識を引かれるのが深紅のクロスが掛けられた丸いテーブルだ。端が地面につきそうなほどたっぷりとした布地は、流れ落ちる水を思わせる。テーブルの奥に座しているのは、口元とテーブルの上でカードを操る指先以外の全身を黒いローブで隠した妖しの人。
相対するのは、およそ半年振りか。あの時もほんの短い会話をしただけだけれど、これほど印象深い人なら忘れるのも難しい。
「すみません、突然の急用で」
傍らに立つ人へそうとだけ言い残し、露店と露店の狭い隙間を縫ってバックヤードへ踏み込む。部外者の侵入であるのに、咎められることもなかった。
警戒というほどのつもりはなくとも、数歩分の距離をあけて私がテーブルの前に立つと、黒いローブの御仁はカードを操る手を止めて唇に弧を描かせる。
「お久しぶりだね。壮健そうで何より」
「お陰様で、何とか」
当たり障りのない挨拶を返しながら、果たしてこれはどこまで侯爵の仕込みなのだろうと考える。侯爵が用意してくれた物件。その最寄りの市場、そこで待ち受けていた人。
「もしや、あなたはルラーキ侯爵と旧知の仲でいらっしゃいますか」
「うん? あの狸と? 知らぬ仲ではないが、ここで何故あいつの名前が出てくるんだい」
「私がここにいるのが、彼のお人の差配なもので――あなたから何か助言でも賜れということなのかと」
「ああ、そういうこと。助言はするにやぶさかでないが、あの狸の手の者だと思われるのは心外だね。私は自らの心赴くまま、浮世を巡る。誰の命令も受けないし、誰の思惑にも乗らない。浮き草の占い師、などと呼ばれることもある」
占い師の御仁は大仰に肩をすくめてみせ、微笑んでいた唇を一転して不服げに尖らせる。どうやら、侯爵とはそこまで親しいという訳でもなさそうだ。
「そうでしたか。――誰の命令でもなく、誰の思惑にもよらず、対面の機会を設けてくださったことに改めて感謝を申し上げます」
「うむ、その気持ち受け取ろう。ただ助言をするというのもつまらないし、何か訊きたいことはあるかい? これでも私は君のことを買っているんだ。あの狸と我が儘な小僧に比べたら、素直で可愛らしい」
「……一応、ありがとうございますとお答えしておきます」
比較対象が微妙というか、そういう比較の上で褒められているっぽいのを素直に喜んでいいものか。何とも言えない気分で応じると、ローブの御仁は再び口元を緩めた。
「まあ、素直に喜んでおきたまえよ。自分でも言うのもなんだが、私に悪気はないし、こうして誰かを特別に見守ろうとするのも滅多にない」
おいで、と手招きされるがまま、敢えて残したわずかな間を詰める。テーブルを覆う深紅は、少し目に強すぎるくらいに赤い。
「さあ、何が知りたい? 気になることはいろいろあるのだろう?」
「そうですね。……私は今、人探しをしているというか、遠方にいる人に会いに行こうと思っているのですけれど」
「熱烈だね」
「そういう訳でもありませんが、その人が今無事でいるか、教えていただけると助かります」
「もちろん、いいとも」
ローブのフードを揺らして頷いた御仁が、再びテーブルの上のカードを手に取る。白く細い指の中で踊るように操られる札は、瞬く間に絵柄を伏せて深紅のクロスの上に並べられた。
「ところで、これは特に占いには関係のない世間話なのだが」
「はい?」
結果が通知されるかと思いきや、まさかの「関係のない世間話」という語が飛び出して瞬く。
「追い駆けていく人物を、君はそれほどまでに愛しているのかい」
「愛……」
更に予想外の単語が出てくるものだから、半ばぽかんとしてしまった。
昨日に今日にと、どうもやけにその言葉に縁がある。皆そういう話題が好きなのだろうか。日本でも、恋愛をテーマにした創作作品は普遍的なものだった。世界変われど、そこで生きている人間が全く異なるのでないのならば、やはり傾向としては似た感じになるものなのか。
私とは少し趣味の方向性が異なるので、どうにも共感を示しにくいところではある……。
「恋愛感情という意味でしたら、たぶん、そうではないと思います。掛け値なしの尊敬も好意もありますが、それらを発端とした行動ではない。……ただ単に、これから私が生きていく上で必要なことをしに行く。そういう感覚です」
「生きる為に、か。それは単純な恋愛感情よりも、よほど根の深いものかもしれないがね」
言いながら、占い師の御仁が一枚のカードを白い指で裏返す。
そこに描かれていた絵柄が目に入った瞬間、その所感に言い返すのも忘れて見入ってしまった。いや、見入ったというよりも愕然とした。もっと明け透けな言い方をするのなら、ぞっとしたのだ。
それは、あまりにも不吉だった。全身に怖気が走るほどに、不吉が過ぎた。
「死……」
カードに記されたのは、その一語。カードに描かれたのは、大きな鎌を携えた黒衣の骸骨。
「おっと、早合点してはいけない。これは『死』の札ではあるけれど、君の探し人が死に瀕していると示している訳ではない。無論、そういった意味もない訳ではないが」
その言葉と共に、他にも何枚かのカードが表に返される。けれど、私の目は死神めいた骸骨に吸い寄せられたまま、動かすことができなかった。考えたくもない未来予想図が頭の中を飛び回っている。
今この時にも、あの人に死神の鎌が迫っているのではないか。鳥肌が立ちそうな恐怖が脳内を席巻する。
「お嬢さんの探し人は死んではいないし、容易く死ぬような星の巡りでもない。だが、如何せん状況が厳しいな。敵が強大過ぎる。分のない戦いだ。それを打ち破る為にこそ動いているにしても、障害が多い」
それほどまでに難しい結果だという表れなのか、占い師の御仁の口振りも渋い。つられて、私の心臓までドクドクと鼓動を早めた。
「お嬢さんの想う者は、強く輝く星だ。空を灼く流星。まさしく英雄と呼ぶに足る強者。だが、英雄とは往々にして死の概念と共にある。英雄の生涯は、その死をもって物語として完成するからだ。死は生命の終わりだが、新たな始まりでもある。――君の方が、よく理解しているかもしれないがね」
「させません」
決して、そんな風には。そう言い切るに、一片の迷いもなかった。
私の身勝手な感傷に過ぎないといえば、それもそうかもしれない。けれど、私がこうしてここに生きている限り、あの人をそんな風に燃え尽きさせ、立派に戦ったと人々に讃えられるような物語になんてさせない。
その戦果でもって守られるものがあるとしても、その裏に嘆き悲しむ人がいることを、今の私は確かに知っている。それを無視することはできないし、したくない。一度終わりを得た人間として、断じて看過できるものではなかった。
「君も、輝ける星だ」
ふわりと口元で微笑み、占い師の御仁は私の右手の方向を指差した。角度的に、それほど離れてもいなさそうな場所を指し示しているかに思える。
「その輝きに打たれて、今少し手引きするとしよう。君の見立ては間違っていない。君の求めるものは、もうすぐ近くにある。――だが、招かれ人に与えられた幸いは、万全の守護という質のものではない。君の身にも、危険は迫っている。それを忘れぬよう、気を付けて行きたまえ」
「ありがとうございます。肝に銘じます」
「ああ、よい旅を」
よい旅を。それもまた聞き覚えのある台詞だ。だからこそ、不意に意図せぬ質問が口を突いて出た。
「あなたも、招かれ人の一人でいらっしゃるのですか」
「いいや? 狸の同類に見えたかい? 見守る者気取りという点において、似通った立ち回りをすることもあるがね。狸は人の世の中にあることを選び、私はその括りの外にあろうと目指した。私は奴とは似ているところがあるにしても、決定的に違う」
大仰に頭を振ってみせ、占い師の御仁はあくまでも「否」と主張する。その言葉以外に判断材料がないとはいえ、まずここで嘘を吐く必要もないはずだ。そういうものなのだと思っておこう。
「世の中には、様々な達人がいらっしゃるのですね」
「まあ、そういうものさ。稀代の大魔術師、エドガール・メレスだって招かれ人ではないのだし」
「ごもっともです」
「まあ、ここまであれやこれやと翻弄されては、君がそう疑いたくなるのも無理はないがね。狸の奴は久しく例のないほど力ある招かれ人で、世界の恩寵も深い。ゆえに、世界の望みにも忠実だ。余人とは一風異なる物差しでもって、人の世により良い変化を招こうとする。そんなだから、怪しげな行動ばかり取っているようにも見えるだろう」
にやりとした笑みと共に発された言葉には意図して答えず、笑い返すだけに留めた。たぶん、それは私よりもラファエル卿の方が強く感じているのじゃないだろうか。
私は侯爵自身から事情を聞き、全てを把握している訳ではないにしても、他の人よりは理解できていることがある。けれど、ラファエル卿の様子を見るに招かれ人だという真相も明かされていない可能性があった。ただひたすらに底知れない、未来を見通すが如き振る舞いをする貴人であると、そう思われている気がする。
「あの狸は暗躍が好きなのさ」
占い師の御仁が呆れを滲ませた声で言う。暗躍。日本でよく読んでいた漫画の、曰く「実力派エリート」を思い出す言い回しだ。あちらは確固たる技能として未来予知を備えていたけれど。
「対して、私は少しばかり世の理に通じただけの、ただの占い師に過ぎない。世界の期待も、望みも、そんなのは知ったこっちゃない。お気に入りの迷える子羊に親切ぶるのが趣味なだけでね」
「この世の理に通じた占い師を『ただの』と形容するのは、いくら何でも無理があるのでは」
「じゃあ、世の理に通じるほど腕のいい占い師と改めておくよ。……さて、君とのお喋りは楽しいが、あまり長く引き留めている訳にもいかないな。また会うこともあるだろう。その時を楽しみにしているよ」
では、また――という言葉が耳に届くよりも早く、辺りを突風が吹き抜けた。
目も開けていられないほどの強い風に、一瞬ばかり視界を奪われる。それが治まった時には、既に目の前から黒いローブの御仁も、眼に痛いほどの深紅のテーブルも姿を消していた。わずかの痕跡すら残すことなく。
転移魔術でどこかへ移動したのか、それともルラーキ侯爵が得意とするような遠隔での幻影投射であったのか、それともまた別の何かしらの手段か。いずれにしても、並外れた術者であることに変わりはなさそうだ。またしても、とんでもない人に会ってしまった。
「ライゼル!」
そう浸っていた時、やおら後ろから肩を掴まれた。
ハッとして振り向けば、珍しく焦った様子のシェーベールさんがそこにいる。どう見ても、私と占い師の御仁のやり取りを見守っていたという風ではない。魔術的な隔離が図られ、私を見失っていたとかだろうか。
「すみません、少々人に会っていました。その方が、何かしらの細工をしていたかもしれません」
「そうか。……急に姿を消したので驚いた」
「ああ、やはり……。ご迷惑をお掛けしました。その代わり、ちょっとしたヒントをもらえたので」
こちらです、とシェーベールさんを促しつつ、見咎められる前に露店のバックヤードから離れる。周囲の様子を見つつ、足を進めること少々――示された方向は、この辺りだったと思うのだけれど。
「あれ、おい、お前、ライゼルじゃねえか!?」
すぐ近くにあると言われていた通り、その声が耳に届くまでにはさほどの時間もかからなかった。
最初こそ驚いたものの、冷静になってみれば、これまたこの人以外にないという配剤でもある。先の占い師の御仁はそうでないとしても、こちらは侯爵の手が回って導かれていたとしてもおかしくはない。
もっとも、この人も秋以降は雪がよく降るうちの村の近くを避け、今少し移動しやすいルートを選ぶのが常だった。招かれ人の身の上に起因するかどうかはともかくも、幸運な偶然であるという線も全くなくはない。
「シェーベールさん、都合のいいことに行商人の知り合いがいました」
「何だと?」
驚きの声を背中で聞きながら、進行方向を修正する。
露店の並ぶ通りの端に、見慣れた馬車とその持ち主がお店を開いていた。木箱を並べた上に布を敷き、品物を並べるという簡易的な売り場ではあるものの、ラインナップが珍しいのか立ち止まって買い物をしていく人もちらほらと見られる。
「お久しぶりです、イジドールさん。お元気そうで何より」
少しばかり歩調を早めて歩み寄ってみれば、目尻に皺が目立ち始めてきた男性が「お前もな」と快活に笑う。
頭に巻かれた紺の手拭いの下から覗く髪は金茶で、眼は淡い青。初めて出会った十年前に二十四歳だったというから、今は三十四歳前後のはずだけれど、パッと見の印象自体はそこまで変わった気がしない。国中を巡って商売をするバイタリティの賜物だろうか。
一方で、長躯の割にそこまで体格は厚くない……と感じてしまうのは、周りにいる成人男性がもっぱら職業傭兵だからかもしれない。特にレインナードさんは背が大きいし、何というか厚みもすごいし。
「そろそろうちの村を回るルートからは引き上げてくる頃合いですよね。その流れで王都に?」
「ああ、まさにそれよ。運が良けりゃ、ここで行き会うこともあるんじゃねえかと思ってたが――この前、年内最後にって村に寄った時にお前のじいさんに頼まれてな。都合が合うようなら、孫娘の様子を見てきてくれって」
「わざわざありがとうございます」
相変わらずの孫馬鹿だ、と笑う人には、同じく笑って返しておく。シモンさんは純粋に心配して、イジドールさんも厚意で取り計らってくれたことであろうから、ここで「すみません」と言うのは違うはずだ。
本当ならもう少し詳しく村の様子を聞いてみたいところではあるものの、生憎とその余裕もない。すぐ後ろについてきていたシェーベールさんを振り向き、イジドールさんを示してみせた。
「シェーベールさん、こちらはイジドール・ジレさん。私の故郷によく立ち寄ってくれた旅商人の方です」
そう言ってから、すぐさまイジドールさんに向き直り、今度はシェーベールさんを示す。
「こちらは親しくさせていただいている傭兵の方で、バルドゥル・シェーベールさん。――それで急なんですけど、イジドールさんはまだしばらく王都で商いをされる予定ですか? 今、個人的にかなり珍しい案件を抱えているんです。今すぐに王都を出て、こちらの目的地に私とシェーベールさんを運んでくれるのなら、通常まず取引ができないような相手と取引をできる可能性があるのですけど」
そう言った途端、イジドールさんの目がキラリと光った。国中を巡って商いをする旅商人、その手の話題には昔も今も敏感なのである。
「ただし、少なからぬ危険が伴う恐れもあります」
そう付け加えると、更にイジドールさんの眼光がグワッと輝きを増した。
定期的に村に立ち寄ってくれる旅商人という貴重な伝手であったので、イジドールさんは王立魔術学院への入学を志して貯金を始めた頃の私の最大の取引相手だった。ハント家の飼い犬のノワと一緒に山を巡って見つけた様々な物品の主要かつ良心的な買い取り先として大いに力を貸していただき、魔術の師である司祭さんとも並ぶ恩人の一人だ。
シモンさんのお願いに応えて王都に寄ってくれたように、基本的に人情家なところはある。それでも、やはりれっきとした商人なのだ。リスクと引き換えに相応の儲けを取ってみせよう、という野心も持つ人でもあるのだ。
こちらの手札を上手く活かすことができれば、おそらくお互いにある程度の利得を取りながら協力することができる。危険な場所に連れて行ってくれと頼むつもりである以上、イジドールさんにも相応のリターンがなければならない。それが、せめてもの誠意というものだろう。
腹の底に計算を潜め、薄青の目と視線をぶつけ合う数秒。何がお眼鏡に適ったのか、やおらイジドールさんはニヤリと笑みを浮かべた。
「よしきた、こうなったら何もかも巡り合わせだ。話を聞かせてもらおうじゃねえか」
先に中に入ってろ、と売り場の後ろに留められた荷馬車が示される。小さな頃には、この馬車の荷台に乗せてもらって少し離れた街まで出かけたこともあったっけ。
少々の懐かしさに囚われつつ、幌が掛けられた荷台へと上がり込む。薄暗い空間に様々な商品が保管されていた。どこか邪魔にならなさそうなところにでも腰を下ろしていようと探していると、
「交渉は上手くいきそうか?」
背中の向こうから問う声がした。当然、声の主はシェーベールさんだ。
「たぶん、どうにかなると思います。物証もあるので」
「物証?」
不思議そうに繰り返す人へ、今はまだ多くを語らずに頷くだけの答えを示す。
いつか貯金が心許なくなった時の金策にでも使おうと保管していたものだけれど、まだ売りに行っていなくて良かった。旅荷を詰めた鞄の中に一緒に入れてきたのも、決してこの展開を予期して荷物に入れてきた訳ではなく、有事の際に自由に使える素材として見ていたからではある。だとしても、僥倖だった。
交渉の際、物理的証拠があるのとないのとでは大違いだ。
「お誂え向きのものが、手元にあります。これも全てあちらの狙い通りであるのか――千年万里を見通すというエルフ王が、ここまで読み通していたのかは分かりませんが」
あくまで断片的な開示ではあったものの、あの場にはシェーベールさんも居合わせていた。何を示しているのかを察するにも容易かったようで、すぐに「ああ」と納得の声が上がる。
「確かに、あれは分かりやすい物証だな」
でしょう、と相槌を打った時、お客さんたちに一時閉店を謝りつつ表の片付けを手早く済ませたイジドールさんが荷台に上がってくるのが目に入った。




